夜明けのGコード

 いつもと変わらない、乾いたドア・チャイム。
 そのはずなのに心臓はうるさいくらい暴れていて、ゆっくりと顔を上げる。どちらかと言えばそれは、緊張の方が近いかもしれない。
 顔を覗かせたのはここ数日ずっと見ていた黒髪とミルクティーの髪で、オレとユズの顔を見るなり探るように近づいてきた。
「えっと、久音くん?」
「なに、いきなり呼びつけて」
 困惑の色が濃いソウとどこか不機嫌そうなリツは、座るように促すとこちらを警戒したままゆっくりと腰をおろした。
「久音くん、ここはどういうお店で」
「オレのバイト先、奥には楽器が沢山あるから、興味あったら触っていいぞ。ここは音楽に自由であっていい、音楽好きのためのカフェだから。確かドラムやグランドピアノも置いてあったから」
「ふふ、まるで自分の店のように説明してくれるね。けど言いたい事は全部合ってるよ、代弁ありがとう久音くん」
 コト、と音を立てながら置かれたコーヒーカップはきっちり四人分あり、二人は驚いたように顔を上げた。慌てて財布を出そうとする二人を止めたマスターはお茶目にウインクなんかもしていた。
「いいよ、久音くんがこんなにお友だちをこんなに連れてくるなんて珍しいからね。サービスさせてくれ」
「あなたは……」
「亀島響、ここのしがないマスターだよ。よろしくね……えっと」
「の、野並奏志郎です」
「八田律樹っす」
「奏志郎くんと律樹くんだね、はじめまして。ゆっくりしていってね」
 それだけを言うと、マスターは邪魔しちゃ悪いからね、なんて言いながら早々に奥の方へ戻ってしまう。多分だけどオレ達の事を気にしてだろうそれに申し訳なさを感じつつ前を見ると、ソウはそのままなにも入れずリツは砂糖とミルクを足しながらそれを飲んでいた。
「ん、美味い」
「本当に、美味しい……なんか悪い事しちゃったかな」
 マスターの行った方を見る二人は、そのままカップをテーブルに置くと視線をオレ達の方へ移してきた。それは多分、オレの言葉を待っている。それは見るだけでじゅうぶんわかって、テーブルの下でぐっと拳に力を入れた。
「その、二人ともこの前はごめん」
「え、なにが」
「どうしたのくうちゃん、いきなり」
「いや、それは……」
 少し言葉を濁して、力なく首を横に振る。
「ちゃんと考えずに声かけて、オレ二人の事をなにも知らなかったから」
 心の底からの言葉だった。
 わかっていた、また全部オレのエゴだって。わかっていたけど、それでも二人の事を知ってなにもしないなんてできなかった。
「……ソウの事もリツの事も、なんで音楽から離れたのか聞いた……聞いたけど、それでも諦めてほしくないってオレのエゴなんだ」
 ソウの孤独は、オレにはわからない。
 リツの苦しみは、きっとリツにしかわからない。
 それに、ユズの贖罪の気持ちだって全部、オレは持ち合わせていない。
 オレ達四人は違っていて、オレがきっと幸せ者なだけ。けど、だからこそ一人で抱え込んでほしくなかった。
「オレもユズも、二人の事を一人にはしない。後ろ指をさされたら壁になる。だから、一度だけ……一回だけでいいから、オレ達とバンドをやってほしいんだ」
 ちゃんと話したかった。ちゃんと謝りたかった。そしてちゃんと、声をかけたかった。これは手を差し伸べているわけじゃない、ただオレの気持ちだけでその手を掴んで引っ張っただけだ。
 シン、と四人の間で沈黙が落ちる。
 誰が言うべきか、誰がなにを言うのか。まるでお互いがお互いを探り合っている。永遠にも近い長い時間の中で、最初に口を開いたのはソウだった。
「……簡単に言わないでよ、そんな事」
 けどその声は、悲痛に満ちていた。
「僕の事、聞いたなら知ってるでしょ。どれだけ頑張っても、周りが一緒だとは限らない。僕がどれだけ頑張っても、上を向いても……隣や後ろを見て誰もいなかったら、虚しいだけじゃん」
 他でもないソウ自身の本音は落とすように吐き出されて、それでも消化できない感情が居座っているのか力なく首を横に振るしかない。違う、とうわ言のように呟くと、そうじゃない、と言葉を続けてきた。
「……真面目にやるのがダサイって、頑張った事を否定されたくないんだ。もう誰にも、この感情を否定されたくない。誰にも僕がやりたい事を否定されたくない……だから、誰かとやるのが怖くなったんだ」
 誰かとやるのが怖いなんて、そんなのオレだって。
 ユズに会う前の自分を思い出して、息が苦しくなった。それは、その感情はなんとなくだけどわかるかもしれない。だってそれは孤独よりも悲しくて、虚しさよりも苦しいから。誰もいない街に一人放り出された、自分の音しか聞こえないような感覚は、誰ともバンドを組んでいない時に嫌というほど感じた。
 だから、だからこそ。
 今度は手を掴むんじゃない。ちゃんと手を差し出して、手を繋ぎたかった。
「ソウの事、オレが一人にしない」
「むしろお前が俺についてこい」
「こらユズ、上から目線しない」
 オレに便乗するように笑ったユズにジトリと睨むと、そんなオレ達を見たソウは目を丸くしている。丸いままじっとオレとユズを見つめて、けどすぐに細める。優しく、穏やかな微笑みを浮かべていた。
「ふふ、なにそれ。ヒーローみたい」
 楽しそうに笑って、けどすぐにその表情には影が差す。なにかを思い出したように、我に返ったように目を伏せて言葉を選んでいた。
「本当は、本当のところは自分が弱いだけだった」
 膝の上に置いていた学校指定のカバンを、そっと抱きしめる。
「怖いんだ、誰かの前に立つのは。怖いのに、心臓がずっと暴れている」
 そっとカバンを撫でて、ファスナーを滑らせる。静かに見守っていると顔を出したのは二本の棒で、それがスティックと呼ばれるパーカッションで必要不可欠なものである事は直ぐにわかった。真ん中辺りはドラムを叩き続けた証拠であるささくれができていて、ソウも愛おしそうに見つめていた。
「……こんな僕でも、誰かと音楽を作るって、許してもらえるのかな」
 許されるのかなんて、そんな事。
 口を開いて言いかけたそれは、すんでのところで飲み込む。オレじゃない、隣でブルーブラックの髪が揺れたから。
「音楽は許しを乞うものじゃない、許されるために弾くんだ。野並がドラムをやりたいなら、それを止める権利は誰にもない」
「……僕、は」
 ソウの瞳が揺れた。揺れて、呼吸だって少し荒い。なにかに悩むようなそれは間違いなくソウの意志を映し出している。
 そんな時だ、さっきから静かだったソウの隣で椅子を引く音が聞こえたのは。
「……バカバカしい、オレは抜けるよ」
 普段の明るいキャラとは違う、あからさまな嫌悪を出したリツは力任せに立ち上がると早々にドアの方へ歩いて行ってしまう。
「り、リツ!」
「なにが一人にしないだよ……結局ギターもベースもドラムだって、オレの事なんて理解できないだろ」
 なにも言い返せない。
 その通りで、オレもユズも一瞬たじろいだ。その一瞬を見ていたリツは目を細め、どこか諦めたように首を振る。
「お前らに当たってもどうにもならないってわかってる……悪気がないのも、全部。もうほっといてくれ」
 オレ達の言葉を待たず、リツは街の雑踏へ消えていってしまう。ドア・チャイムがまた静かに鳴り、オレとユズも気まずく目線を合わせた時だった。
「八田くん、待って!」
「え、そ、ソウ!?」
 飛び出したのはオレ達じゃない、他でもないソウだった。
 カバンを手に持つとそのままワックスがかけられた床を蹴り上げて、ドアの向こうへ吸い込まれて行ってしまう。
 なにが起きたのかわからず目を丸くしていると、次に動いたのはユズだ。
「何ボサっとしてるバカヒビ、さっさと二人を追うぞ」
「ちょ、待って!」
 カウンターの奥を見ると、マスターがひらひらと手を振っている。行けって言われているみたいで、強く首を縦に動かした。