「なんでだめなんだよ、出よう」
「嫌だっつってんだろ、人の話聞け」
 大譜祭での笑顔はどこへ行ったのか、しかめっ面を貼り付けたユズはオレが見せるチラシに舌打ちをした。
「そもそもなんだよ、サカミナフェスって」
「栄音で毎年やってる音楽フェス、さっきも説明しただろ」
 夏本番の少し前辺り、栄音地区も夏休みが目の前になると音楽フェスが活発になる。特にサカミナフェス、サカネミナミ音楽フェスはそのトップバッターであり栄音地区全部を巻き込んだお祭りだった。
 招待枠と有志枠のメインステージや道路を封鎖した歩行者天国での路上ライブ、音に包まれる二日間は栄音地区ならではのイベントだ。
「なんだ、仲直りしたと思ったらまた喧嘩かい?」
「あ、マスター聞いてくださいよ」
「バカヒビ、お前亀島さんを巻き込むな!」
 オレの言葉を遮るように身体を乗り出したけどもう遅い。オレの声はじゅうぶんマスターに届いたようで、どうした、と軽い口調で近寄ってきてくれた。手近にあった椅子を引き座るマスターは、すでに店の主ではなくオレの話を聞く気満々の体勢になっている。
「サカミナフェス、もうすぐあるじゃないですか。あれにユズと出たいのに誘っても返事くれないんすよ」
「だから、俺は出ないからな」
「ケチ」
 チェ、と唇を尖らせたところでユズにはちっともダメージがなかったようで、首を横に強く振っていた。
「この前は大譜祭でステージに立てていたけど、やっぱりまだ難しいんじゃないか?」
 マスターの言葉はユズを労るもので、けどそれがかえってユズの表情を強ばらせた。申し訳なさそうに視線を泳がせて、力なくブルーブラックの髪を揺らしながら首を横に振る。
「いや、そうではなく……」
 マスターに言葉を濁したユズは視線を落としながら深く息を吐き、違うんです、と曖昧な言葉を続けていた。
「そのサカミナフェスってのは、さすがにだめだ。校内だからまだよかったけど人が多いのは……だめ、なんです」
 その言葉はあのユズにしては酷く弱くて、ついオレも聞き入ってしまう。
「……多分だけど、そういった場所にはアッシュの事を知っている人もいる。学校ならまだしも屋外フェスは、いつどこに誰がいるかわからねえだろ……だから、だめだ」
 また強く首を横に振ったユズを見て、ふとある事に気づく。気づくというよりは思い出したの方が正確でつい目を細めた。ユズの言っているのが出ない理由なら、それはもう意味がない気がしたから。
「……けどもう、この前のやつ全国に流れてるぞ」
「は、なんで」
「ほらこれ」
 スマホの画面で流れているのは匿名の共有アプリにあるショート動画で、間違いなくオレとヒビがそこにいる。あの時、大譜祭でのステージがはっきりと映っていた。
「は、なんだこれ!」
「オレ達のステージ、めちゃくちゃよかったって結構評判で誰かが拡散したみたい」
「本人達の許可を取らずに載せるな……!」
「ははは! 現代の高校生の悪いところだね」
 マスターが楽しそうに笑うからユズもなにも言えないようで、ぐぐと喉の奥を悔しそうに鳴らす。
「お前、何度言われても俺は」
「けどオレ、ユズと楽しい事がしたいんだ。もっと知らないステージに立って、一緒に最高の演奏がしてえ」
「うっ……」
 ユズがなにか言おうとしたタイミングに被せてしまったようで、なにやら不服そうに顔はしかめながらもなにかに押されるようにその瞳には迷いが色濃く浮かんできた。
「ふふ、ふは! 今回は久音くんの人たらしな部分が勝ったようだね」
「……不本意ですが、なにも言えません」
 諦めたように息を深く吐いたユズは、じっとオレの目を睨みつける。
 ビシッと指をさすとヒビ、とオレの事を呼びながら心底嫌そうな声音で言葉を続けてきた。

「一回、一回だけだからな。俺はもうステージに立つ気はないんだ」

 ***

「で、心当たりあるのかよ」
「……心当たりって?」
 カフェの帰り、道を挟んだところにあるギター専門の楽器屋で投げられた言葉に首をかしげた。
「心当たりだよ、俺以外の」
「ユズ、以外……?」
「お前その反応……」
 なにかを察したように目を細めたユズは、深く溜息をつきながら力なく首を横に振っている。
「この前のは突発的なセッションだから二人でなんとかなったが、フェスはそうもいかねえだろ。まさかツーピースバンドで行くつもりじゃないだろうな」
 バンドには、そのバンドで形が違う。
 楽器は問わないがこの前のオレとユズが出たセッションみたいな二人だけのツーピースバンド。同じクラスでオレ達の前にパフォーマンスをしていた三人はギターとベースとドラムで、最低限のメンツは揃ったバンドだった。ここにキーボードを入れたりダブルベースにしたり、編成も時にバンドの持ち味になる。
「もちろん、できるならフルバンドがいい。ボーカルは噴水広場で弾き語りしてるからオレが頑張るとして……キーボードかテレキャスター一人と、ドラムを一人」
「その楽器をやってる奴のツテがないのに、フルバンドなんてできるわけないだろ」
「そ、それはそうだけど」
「亀島さんの周りとかで心当たりないのかよ」
「……カフェのお客さんには声をかけたけど、けっこう隠居した人が多くてさ」
 そんなオレの言葉にユズも確かに、と言葉を落とした。
 マスターの客は音楽が好きって人ばかりだが、そのほとんどは聞き専というバンドは好きだけど楽器は触れないって人が多い。触れてももう歳だからや自分には無理だったと諦めた人ばかりで、この人ならと声をかけた相手はどの人もいい返事をもらえなかった。
「……諦めた、か」
 手に持っていた夜間用の消音ピックを手に取りながら、深く息を吐いた。
 断られる時にもらったその言葉は、もちろん言った本人が言い聞かせているものだとわかっている。それでも自分自身がその言葉を言う時があるならと考えるだけで息苦しくて、逃げるように目を伏せる。
「……おいヒビ、聞いてんのか」
「うお、え、なに」
「なにって……お前が始めた話だろ、とっとと他のメンバーも集めろよ」
「わかってるって」
 確かに言い出したのはオレの方だ、言われても仕方のない話だけど。
「けどそんな、心当たりなんて……ん?」
 ふと楽器屋の奥にあるドアに目がいった。
 栄音地区のみならず、ある程度大きい楽器屋は練習スペースやレッスン用の部屋を用意している事が多い。ここも例に漏れずそのタイプで、オレはマスターの店や噴水広場で弾くからあまり縁はなかったがその存在はもちろん知っていた。
 そんな練習スペースのドアの向こう。
 そこから出てきた影はどこか見覚えがあって、つい足を止めた。
「あれって、もしかして」
 綺麗に手入れされた黒い髪は、いわゆるマッシュルームカットという形で整えられている。大人しめの黒い瞳も校則通り守られた制服も優等生に服を着せたみたいで、だからこそそこから出てきたという事実につい見入ってしまう。それになにより、手の中にあるものも。そして手の中のものを見ながら嬉しそうに笑っている、その表情も。
「……ユズ」
「あ?」

「――いたかも、一人心当たり」