「んー……」

 ふとした瞬間に浮かんでくる、青山の顔。ずっと、モヤモヤしてる。だけど、これがなんだかよくわかんない。ぐるぐる考えてみたって、やり場のない感情に答えは出ない。

 「あああぁぁ……」

 そして湧いてくる羞恥心。いくら失恋したてだからって、普通同級生の前で泣くかよ。己の愚行を振り返ると、頭を抱えたくもなる。

 勉強机に突っ伏して唸ったり、突然頭を抱えて羞恥に悶えていれば、背後から控えめな声がかけられる。

 「お兄ちゃん、お風呂入ってって、お母さんが……」
 「あっ、ああ、わかった。侑里(ゆり)、ありがとな」

 五歳下の妹・侑里がひょこっとドアから顔を出して兄の奇行を見守っていた。心配の色が浮かぶ侑里の頭を撫でれば、妹にこれ以上変なところは見せられない、しっかりしないとと背筋が伸びる。

 今日は何にもなかった。
 俺がただ、失恋しただけ。青山は何も見ていない。
 お風呂に浸かりながらぶくぶくと息を吐き出す俺は、今日の醜態を今ここですべて洗い流そうと決めた。

 ◇◇

 翌朝、いつもより早い時間に家を出ると、校門前でよっちゃんと鉢合わせた。

 「おはよー、れんちゃん」
 「あ、おはよ」
 「あれ、今日は落ち着いてんね。なんか大人っぽく見える……?」
 「ふふ、昨日までの俺はもういないから」

 あれれ、と首を傾げるよっちゃんに笑みがこぼれる。

 そうだ、生まれ変わったんだ。今までの俺は主人公じゃなかった。せいぜい二番手の当て馬キャラ、もしくはヒロインの眼中にないクラスのお調子者だ。

 俺はそこから脱却する。
 友達止まりだなんて、もう言わせない。
 ミステリアスで、クールで、大人びていて、ふとしたときに見せる表情が魅力的な、そんな男になるんだ。

 そんな俺の企みを聞いていたよっちゃんが呆れたように首を振る。

 「いや、今更変えたところで無駄な気がするよ」
 「よっちゃん」
 「れんちゃんの努力を否定したいとかじゃなくてね、クラスのみんなにはもうれんちゃんのキャラ、バレてるじゃん」
 「はっ、そうだった……」
 「そういうれんちゃんのおバカさんなところ、俺は好きだよ」
 「うう……」
 「(れんちゃんの目指す姿が青山くんそっくりなのは、つっこまない方がいいのかな)」

 生暖かな視線を送られると、どうして俺はこんなにダメダメなんだって悶えたくなる。今日もまた、ため息をひとつ。どう足掻いたって、俺はこの先もずっとフラれ役なのだろうか。ああ、どこに落ちているんだ、俺の運命。

 「ね、れんちゃんは変に作らないでそのままがいいよ」
 「よっちゃぁん……」
 「おはよ」

 教室のドアの前でよっちゃんに抱き着こうとすれば、ぬっとその間に現れてそれを阻む長身。青山だ。昨日の醜態を思い出してぼっと赤くなる俺に構わず、じっとまっすぐに見つめて挨拶してくる。行き場のない腕を下ろした俺は、何も言わずくるりと後ろを向いた。

 「れんたろー?」
 「っ……」
 「青山くん、おはよ。ちょっと今れんちゃん取り込み中でさ、ごめんね、気にしないであげて」
 「…………」

 青山の顔を見れない。何もかも見透かされていそうなあの瞳を前にしたら、いかに自分が浅はかで卑小な存在かがバレてしまいそうで、惨めになる。俺は、ぐと唇を噛み締めた。

 いつだって、ポジティブなのが俺の売りなのに。もしここで空元気を演じていることさえ否定されたら、俺の長所って何が残るのだろう。俺の全てを否定されてしまうような気がして怖いんだ。

 何も言葉を発しない俺の代わりによっちゃんがフォローしてくれるけれど、青山は納得していないのか、未だに視線が遠慮なく突き刺さっているのを感じる。俺は固まったまま視線をさ迷わせて、早く立ち去ってくれと願うことしかできない。

 「……わかった。また後でね、れんたろー」

 少しの沈黙の後、そっと息を吐いた青山がそう言って教室に先に入っていく。「おはよー!」と女子たちが明るく声をかけているのが聞こえてきて、やっとほっと息を吐けた。

 アイツは何もしなくたって、輪の中心にいるんだもんな。顔を上げて、挨拶されているのにスルーを決め込んでいる青山の後ろ姿を見つめる。

 必死に自分を取り繕っている俺のこと、どんな風に見てた? 滑稽だと笑っただろうか、それとも呆れて笑うことすらできなかった?

 こんなの、ただの僻みだって、分かっている。
 俺がいくら望んだって手に入らないもの、スター性。
 だけど、いいなぁ……と、羨むぐらいは許してほしい。

 ――青山になりたい。
 羨望や嫉妬をまぜこぜにして、ぱりんとガラスが割れるみたいに浮かんできた感情。

 青山みたいに特別な感情を向けられる、誰かにとっての唯一になりたい。
 でも、俺は――……
 劣等感に苛まれていると、よっちゃんの声で現実に引き戻される。

 「れんちゃん? どうかした?」
 「……ううん、なんでもない」
 「そっかぁ。俺図書室行きたいんだけど、ついてきてくれる?」
 「ん」

 こんなひどい顔じゃ、教室に入れない。無理やり作った笑顔はボロボロだって、自分でも分かる。だけど、詳細を明らかにしないくせに、よっちゃんはそんな俺を見捨てようとしなかった。それ以上追求することなく、図書室に向かうよっちゃんの後についていく。

 「俺ね、れんちゃんがすぐに恋に落ちちゃうの、そこまで悪いことじゃないって思ってるんだ」
 「え?」
 「だって、それだけ他人のいいところを見つけるのが上手ってことでしょ? まっすぐなれんちゃんらしいなぁって。初対面の人には特にフィルターかけて見ちゃうことがあるからさ、れんちゃんのそういうところ、ちょっと羨ましいよ」

 俺が失恋を引きずって落ち込んでいると想ったのだろうか、文庫本を数冊抱えて歩くよっちゃんが放つ慰めの言葉にじーんとする。

 「それに、フラれてショックを受けるのも、れんちゃんが本気でその恋に向き合ってたからだよね。真剣に相手のことを思えるの、いいなぁって思う」
 「ふっ、俺はよっちゃんのそういう気遣い屋さんなところにめちゃくちゃ救われてるけどなぁ」
 「ふふ、そう?」
 「俺、よっちゃんと友だちになれてよかったよ」
 「ねぇ、朝からくさいこと言うのやめて」

 冗談っぽく言って、楽しそうに笑うよっちゃんの明るさや優しさに、何度も救われてきたんだ。もちろん、ここにはいないけど檜山だってそう。

 あんなに真っ暗だった心の中は、すっかり晴れ模様。渡り廊下走り隊に降り注ぐ陽の光がキラキラと眩しい。「あ、やばい、遅刻する!」と走り出したよっちゃんの背中を追いかけながら、「ありがとう」と心の中で告げる。教室に着く頃には、モヤモヤした気持ちはすっかりなくなっていた。

 単純だって?
 いいもん、そこが俺のいいところだから。

 「蓮太郎、遅刻ギリギリだぞ〜!」
 「えー、何で俺だけなんすか」
 「うーん、蓮太郎だからなぁ」
 「まぁ、蓮太郎だもんね」
 「最悪だ、このクラス」
 「おい、クラスの悪口言うなよ」
 「どの口が」

 担任やクラスメイトにいじられたって、もう大丈夫。心から笑えてる。
 だからさ、お前もそんな瞳で見てくんなよ、青山。

  教室が笑い声で満たされる。みんなが笑顔なのに、ただひとりだけ、何を考えているのか分からない瞳をした男が隣から俺を見つめていた。

 ◇◇

 五限目の英語の時間。
 昼食を食べ終えて、ここからは睡魔との戦いの時間。春の陽気に誘われて、うとうとと船を漕ぎ始めていれば、突然「志水」と名前を呼ばれて、ハッと意識が覚醒する。

 へ? と呆けた顔をしていれば、隣の席から静かに助け舟がやってきた。

 「れんたろー、ここ」
 「あ、」

 慌てて立ち上がり、青山の指が示すところから教科書の英文を読み上げれば先生はうんうん頷きながら聞いている。読み終えて、「ちゃんと聞いとけよー」という言葉だけで解放されたのは、青山のおかげだ。

 「ありがと」

 小さな声でそう言うと、青山はくすっと笑って首を横に振った。無表情でいることがほとんどだと思っていたのに。この二日間で俺だけ青山の笑顔を見すぎなんじゃないか、金でも取られないかと心配になってしまう。

 なんだか胸の奥がくすぐったくて、俺はすぐに目を逸らして窓の外を眺めた。耳が赤くなっていることには気づくなよ、と思いながら。

 ◇◇

 「蓮太郎、先生の話聞いてなかっただろ」
 「危なかったよね」
 「いやぁ、青山が教えてくれたおかげでなんとかなったわ」
 
 授業が終わって席にやってきた檜山が「やれやれ」と注意してくるのを、へへ、と笑ってかわす。だって、檜山、真面目なんだもん。説教なんてめんどくさい。

 「俺も志水くんの頭が揺れてるの見て、やばいなぁって思っちゃったよ」
 「うわぁ、恥ず……」

 青山のところに来ていた久野もそんなことを言い出すから、まじかぁってそちらを見れば視界に入ってきたとあるもの。

 「えっ……」
 「ん? どうかした?」
 「それ」

 思わず漏れた声を聞いた久野が問いかけてくるから、青山の机にあるものを指差す。

 「ああ、これ?」

 なんてことないみたいに青山が手に取ったのは、ルイのキーホルダー。対象のお菓子を三つ買ったらもらえるトラアンのコンビニコラボのもので、何軒もコンビニをはしごしたのに、ルイだけはどこも在庫がなくなっていて悔しがっていたところだった。

 えー、ルイのをゲットしてる人、初めて見たかも。
 ソワソワを隠しきれず、じいっと見つめていれば、青山がそれを俺に差し出してきた。訳が分からず、?を頭上に浮かべて首を傾げれば、青山は笑みを零しながら「これ、あげる」と言った。

 「えっ、ええっ!?」
 「れんたろー、好きなんでしょ?」
 「う……、でも、ルイのキーホルダーってめちゃくちゃレアで、もう手に入んねぇのに……」
 「いいよ、ほら」

 コツンと俺の机に置かれたルイのキーホルダーを恐る恐る手に取る。目線まで持ち上げたら、ふわぁ……と言葉にならない声が漏れて、青山がくすくすと笑った。

 「ありがとう、青山」
 「いいえ」
 「なんだよお前、めっちゃいいやつじゃん」
 「なにそれ」
 「青山もトラアンとか知ってんだな。もっとスカしたやつだと思ってたわ、ごめん!」
 「それは別にいいけど……。れんたろーだからあげたんだよ」
 「え?」
 「れんたろーがルイのことを好きって知ってたから」
 「おっ前、今度一緒にトラアンやろうな!」
 「……それは、うん、またね」

 青山の好感度がぐんぐんと急上昇。ガシッと手を掴んでお礼を言えば、青山は少し困ったようにはにかんだ。

 「れんちゃん、現金だねぇ」
 「海老で鯛を釣る、のか……?」
 「ふふ、今後が楽しみだね」

 蚊帳の外になっている三人がそんな会話を繰り広げているなんて、興奮しながら青山にトラアンの話を繰り広げている俺の耳には入ってこなかった。