――GAME OVER.
そんな重たい文字が俺の背に伸し掛る。
「はぁ……」
「はい、十七回目」
「違うよ、十九回目だって」
「えー、俺が席外してる間にまたカウント増やしてたの?」
「今のに負けないぐらいどんよりしたやつだったよ」
「それは是非とも聞きたかったな」
「ごめん、録音しておくべきだったね」
「おい、お前ら、俺のため息をネタにして盛り上がるなよ」
失恋した翌日の昼休み、頬杖をついて窓の外を見ながら、朝から止まらないため息を吐き出していれば、よっちゃんと檜山がそんな俺の前と斜め前の席に腰掛けて人の不幸で盛り上がっている。
所詮、他人事。むっと睨みつけるけれど、よっちゃんには「んふふ、こわーい」と笑っていなされる。
「で、何があったんだよ」
「……言いたくない」
「もう、朝からずっとそんな調子でさぁ、俺たちも大丈夫かなぁって気にしてるんだよ」
「……だって、よっちゃん、絶対バカにするもん」
「えー、どんだけ信用ないのさ」
ぶうぶう口を尖らせて不満だと主張するよっちゃんの隣で、うーんと考え込んでいた檜山がすっと視線を上げて俺を見据える。この全てを見透かしているような視線が、俺は苦手だ。ギクッと姿勢を少し正せば、名探偵が推理を始めるみたいに話し出す。
「昨日、トラアンをしていたときは普通だったよな」
「うん、いつも通りポイント稼いでテンション高かったよね」
「じゃあ、俺たちと解散してから学校に来るまでに何かあったってことだな」
「たしかに!」
「……となると、噂の『るい』さんか?」
「あー、れんちゃんが惚れ込んでるルイ使いの美女ね」
勝手に盛り上がるよっちゃんと檜山の会話に割って入ろうと「おい」と声を上げると同時に、隣からガタッと音が聞こえた。何だと思ってそちらを見れば、先日の席替えで隣になったクラスの、いや、学年一のイケメン・青山類と目が合った。いつだってクールで表情をあまり変えることのない青山が、何かに驚いて目を丸くしている。初めてこんな表情を見たかもしれない。珍しいこともあるものだと、思わずまじまじとその顔を見つめてしまう。
(きれーな顔……)
いつだって涼しげなアーモンドアイはすこし虹彩が薄く、目が合っただけでその瞳に吸い込まれてしまいそうになる。すっと伸びた鼻筋も、薄い唇も、全てのパーツが整っている。同い年とは思えない大人びた雰囲気が近寄りがたく感じる。
「…………」
「…………」
何も言葉を交わさないまま、我を忘れてただ見つめ合う。改めて、その顔立ちの良さに惚れ惚れしてしまって、さっきまでよっちゃんたちに怒ろうとしていたことすら忘れてしまっていた。女の子たちがキャーキャー言うのも無理はない。俺だって、きっと女の子なら「るい」さんじゃなくて青山に一目惚れをして、密かに恋をしていたかもしれない。
そんなことを考えていれば、先に視線を逸らしたのは青山の方だった。唇にきゅっと力を入れて、何事もなかったかのように表情をすっと無にした青山は、立ち上がって久野京也のところへと歩いて行った。幼なじみだという彼らは、二人揃うと眩しさが増す。すごい相乗効果。俺とだったら、その輝きを引き立てることしかできないのに。イケメン同士なら何倍にもなるのだ。いいよなぁ、イケメンは……。
「はぁ……」
「はい、二十回目」
「まだ数えてんのかよ……」
「それを言うなら、いつまでため息吐いてるの」
「…………」
もっともなお言葉に何も返せない。ジト目で見上げるけれど、彼らに追及の手を緩める気はないらしい。
「で、『るい』さんと何かあったの?」
「……黙秘権を行使します」
「ふーん、勢いだけで告白してフラれたか」
図星を突かれて思わず固まってしまう。
「えー、何なに? 志水くん、フラれちゃったの?」
「は!?」
すると、頭上から新しい声が興味津々といった様子で降ってきた。素っ頓狂な声を上げて見上げれば、久野が楽しそうにニッコリと笑っていた。フラれる? 何それ? みたいな文字が背後に見える。今まで恋愛関係で困ったことなんてないだろって言いたくなるほどのカースト上位が俺に何の用だ。
からかいに来たのかと思って警戒しながらちらりと視線をズラせば、久野の数歩後ろでやっぱり無表情な青山も立っている。ひとりだけ、この話に興味無さげだ。それもそうだろう。青山とは事務的な会話しかしたことがないし。そんな奴のフラれ話なんて聞くのも疲れるだろう。まぁ、俺としても、どちらかといえば久野の方が話しやすいんだけど。
「志水くんのタイプが気になってさ、たまたま耳に入ったから会話に参加しちゃった」
ごめんごめん、と軽く手を合わせる久野は、げんなりした俺の顔を見ても怯む様子すら見せず、遂には俺の斜め後ろの席に腰掛けた。遅れて青山も自席につく。やばい、囲まれた。四面楚歌。他人の不幸話を聞きたい薄情なやつらが俺を逃がすまいと取り囲んでいる。何だこれ。何だ、この状況。最低な包囲網、ヤメロ。
「久野くんも恋話とかするんだね」
「俺だって人並みには興味あるよ。な、類」
「……別に、俺は誰でも興味があるってわけじゃない」
話を振られた青山がすっとこちらを見据えるものだから、思わず息を飲んだ。いや、その言い方だと俺の恋話には興味があるって聞こえるだろ。そんな思わせぶりなことを言いながら見られたら、勘違いしちゃうだろうが。そんな気なんてさらさらないくせに、罪なヤツ。こいつもフラれたことなんかないんだろうなと思ったら、途端に自分が惨めに思えてたまらず視線を落とす。
「吉野くんと檜山くんはもう全部知ってるの?」
「まだだね、ちょうど事情聴取してるところ」
「一番いいところで割り込んじゃったんだ、ごめんね」
「いいよ、いいよ。尋問は人数多い方が楽しいし」
「お前らはまたそうやって、俺のことをバカにして……」
「だって、何回目だよ。蓮太郎が失恋するの」
「もう俺らにとってはエンタメみたいなもんよ」
檜山に指摘されて「ぐ……」と言葉に詰まっていれば、よっちゃんも「うんうん」と頷いて同意している。血も涙もないのか、このふたりには。友だち選び、間違えたか、俺?
「その惚れやすい性格、どうにかなんないのか」
「っ……」
檜山の言葉に唇を噛む。俺だって、できることならどうにかしたいさ。でも優しくされただけでときめいて、微笑まれたら「あ、好き」ってなっちゃうんだよ。もう、どうしようもない。簡単に好きになって、その度に傷ついて。何の生産性もない感情のジェットコースター。初めから乗るなよって、そんなこと、自分が一番よく分かっている。だけど、今この場は笑ってやり過ごさなきゃ。ため息ばかり聞かされるふたりも鬱陶しかったのだろう。全面的に俺が悪い。
「へへ、」
「……そんな言い方しなくてもいいじゃん」
言いたいことを全部飲み込んで作り笑いを浮かべたところで、青山がそれを遮る。冷静な一言に、その場の空気が一瞬凍った。
「るーい」
「なに」
気まずい空気が流れる前に、それを断ち切るようににっこり笑顔の久野が青山の椅子を荒々しくガンッと蹴る。表情と行動が伴っていない。
「今のお前、他人のこと言えないからな」
「…………」
「悪いねぇ、檜山くん。こいつ、口下手でさ。変に圧あるからビビったっしょ。悪気はないから許したげて」
ね? と両手を合わせる久野。ふいと視線を逸らす青山。たぶん、昔からこうやって青山のフォローをしてきたんだろうなというのが分かる。
「いや、今のは俺が悪かった。蓮太郎、すまない」
「えっ、ううん、檜山が謝ることじゃないし。俺こそうじうじしてばっかで、ふたりに嫌な思いさせてたよな……。これからは自分の中で完結させるようにするから」
「えー、それは駄目だよ、れんちゃん。こっちだって、フラれ話を聞くの、それなりに楽しんでるんだから」
真面目な話をしていたはずなのに、よっちゃんのマイペース極まりない言葉にずっこけかける。俺の失恋話をネタにするのはやめないんかーい。
「はぁ、なんか馬鹿らしくなってきた……」
「ふふ、愉快な三人組だね。で、どうなの? 志水くんはどんな子が好きなの?」
「うーん……」
「ほら、もし俺の知り合いにぴったりな子がいたら紹介だってできるし、よーく考えて」
久野の甘い言葉に、これまで好きになった人を振り返る。フラれまくって十六年。恋に落ちた相手の人数は両手じゃ足りない。
例一、近所のパン屋さんでアルバイトをしている女子大学生。通ううちに仲良くなって、おすすめのパンを教えてもらえたのが嬉しくて、勢いだけで「好きです」って告白したら、パンのことだって勘違いされて何事もなく過去になった。例二、通学路で毎朝すれ違う、隣の高校の制服を着たポニーテール女子。交差点でおばあさんを助けているところを見かけてころっと恋に落ちるも、話しかける勇気は出せず、何事もなくEND。例三、結婚したのだと嬉しそうに話しながら退職していった去年のクラスの副担任。教えるのが上手な先生に「偉いね」って頭を撫でられて、ドキドキが止まらなかった。褒められたくてわざわざ職員室まで行ったこともある。始まる前に終わった恋だったけど、淡い恋心は少しの間燻っていた。
「……待って、ちょろすぎない?」
「…………」
指折り数えながら昔話をしていれば、三人目が終わったところで、久野からストップが入る。過去に思いを馳せながら話していた俺は、それを遮られて「ん?」と首を傾げた。
「もういいよ、おなかいっぱい。なんかこうやって振り返ってたら過去に恋しちゃいそうだし、もう思い出さなくていいよ」
「そんな馬鹿な……って言いたいけど、蓮太郎なら全然有り得るのが怖い」
「れんちゃんダメだよ、もう終わった恋を取り戻そうとしないで〜」
「でも、今の俺はそのときとは違うし……」
「あーあー、もう本人はその気じゃん」
みんな、かわいくていい子だったんだよなぁ。口元を緩ませながら懐かしんでいれば、ずっと黙って話を聞いているかも分からないような態度を取っていた青山が口を開く。
「面食い……?」
「えっ」
思わぬ一言に、一瞬静まり返った後、言葉の意味を理解したみんなが爆笑する。俺だけ、戸惑ったまま。
「ふっ、類、おまっ、」
「やめてよ、青山くん、っ、笑いが、くっ……」
青山自身はきょとんとしているから、決してボケて言ったじゃなさそうなのが余計にタチ悪い。
「悪かったな」
「え?」
「俺みたいな何の取り柄もない平凡なヤツは、顔がいい人を漏れなく好きになるんだよっ」
「いやいや……」
「平凡仲間の俺たちを一緒にしないで〜」
「お前みたいに、何もしなくても女子からモテるイケメンにはわかんねーだろうな。はぁ、これだから顔がいい男は嫌なんだ……」
「れんちゃん、それはただのやっかみね」
キッと青山を睨みつける。檜山とよっちゃんがゴタゴタ言っているけど無視だ、無視。だけど文句を言われた張本人・青山は何を言われたのか分からないといったような、頭上に?を浮かべたきょとん顔。
「れんたろーはかわいいじゃん」
「っ……」
いきなり呼び捨て!? かわいいって、俺が!?
八つ当たりしたのに、返ってきたのは思いもしない言葉。いろんなことが同時に起こって、処理が追いつかない。口をはくはくさせる俺の頬が赤に染まっていく。
えっ、うそ、えーーっ!
お前がそれ言うの?
学年一のモテ男の青山類が、平凡代表の俺に?
青山に「かわいい」って言われたい女子なんて、いくらでもいるだろう。現にこっそり聞き耳を立てていた女子グループが俺を睨みつけている。うぅ、こわい。それに気づいてから、一気に顔の熱が引いていく。すると、冷静になった頭の中で納得のいく答えが見つかった。
「あー、あれね、マスコット的なやつね。うんうん、俺、ムードメーカーってよく言われるからなぁ」
「ちがう」
「え?」
「そういう明るいところもいいと思うけど、れんたろーは全部かわいい」
「は、」
言葉にならない声が漏れる。あちゃーって表情をした久野がため息を吐いているけれど、いやいや、あなたが保護者でしょう!? 育児放棄してないで、さっさとよく分かんないことを言っている青山を回収してください?
だけど、俺が青山から視線を逸らしたことが気に入らないのか、椅子から立ち上がり、俺の前に立ちはだかる。
「俺の言ってる意味、分かる?」
「…………」
ぐっと近づけられた顔の迫力に、息を飲むばかりで何も言葉を発せない。そんな俺の顎を掴んで、じいっと瞳を覗き込んだ学年一のモテ男。
「過去の恋なんて、全部忘れてよ」
「……っ」
青山の周りにキラキラとしたエフェクトが見えた気がした。その圧倒的顔面力を持ってすれば、そんなことも有り得るのだろうと、半ば現実逃避しながら思った。



