【ごめんね】
 パソコンの画面に表示されたシンプルな四文字を前にした俺の足元にぽっかりと穴が開いて、突然奈落の底に落とされる。隕石にでもぶつかったのだろうかって思いたくなるほどの衝撃。ミシミシとハートにヒビが入った。

 (いたい……)
 胸の奥がズキズキと痛みを訴えてくるから、どうにかその苦しみを逃そうと無意識にシャツをぎゅうっと握りしめてみるけれど、痛みは後からどんどん増していくばかりで、些細な応急処置に意味は無い。

 (くっそ、こんなことで泣きたくないのに……)
 泣くのを我慢しようとして、自分の顔がくしゃくしゃになっているのが分かる。水の膜が張った瞳の中、雫がキラリと反射する。きゅっと唇を噛み締めてみたって、無情にもなんの効果も得られなかった。

 「……っ」

 「ごめんね」というありきたりな四文字がぐるぐると頭の中を巡って、否が応でも現実を突きつけてくる。残念なことに、こんなに胸がズキズキと痛むのだから夢じゃない。その言葉の意味を理解したくないのに、理解せざるを得ない状況。

 通話アプリのチャット機能を使って送られてきた四文字から、それ以降何も送られてこない。こっちの出方を伺っているのだろうか。これ以上、何も言うことはないということだろうか。お互いに黙り。突き放されたような感覚は、孤独を感じさせる。

 【まさか、冗談だって。びっくりした?】
 違う。すぐにバックスペースキーを押して削除する。

 【うっそ〜! 何マジになってんの?】
 ……違う。再び、バックスペースキーの長押し。

 【こっちも急にごめん】
 何度も文字を入力しては消して……という無駄な作業を繰り返し、なんとか思い付いたのはあまりにも無難な一言。時間をかけて考えたくせに、我ながらつまらない返信だ。

 言うつもりなんてなかった。同じ時間を過ごすうちに少しずつ溜まっていた感情が、表面張力も効かなくなって俺の中から溢れちゃったんだ。それが意図せずぽろっと零れ落ちた感情だったとしても、俺にとっては大事なもの。嘘はつきたくない。だけど、こういうときにおもしろくもなんともない平凡な返信しかできないから、駄目だったのだろうか。普段なら気にしないくせに、負のスパイラルは強烈で、どんどんネガティブ思考になっていく。

 あー、こんなんじゃ駄目だ。
 頭を掻きむしってやり場のない感情をどうにかしようとするけれど、そんな行動ひとつで変わるはずもなく……。項垂れながら見上げた天井のシミの数は変わらない。

 【ごめんね】
 それは、つまりお断りの言葉。

 志水蓮太郎(しみずれんたろう)、十七歳。
 ミシミシと音を立てていたハートが遂にパリンと割れる。つい先程、ゲーム内で知り合った相手に告白して、ものの見事にフラれました。ちーん。

 「はぁ……、何で言っちゃったんだろう、俺」

 ずっと秘めておくべき感情だったのに。後悔ばかりが襲ってくる。せめて何か返信があれば救われるのに、並べただけの謝罪に返信はない。その事実がまた俺を落ち込ませる。

 何も操作していない時間が長すぎたのだろう。真っ暗になったパソコンの画面に映る自分の顔は、見たことがないほど酷い表情をしていた。

 「はぁ……」

 もう大好きなFPSゲームをする余裕なんてなくて、そのままばたんとベッドに寝転がる。涙が一筋、頬を伝って流れ落ち、シーツに海が作られた。

 窓の外は雨模様。
 そういえば、あの子と知り合ったのも雨の日だったっけ。

 ◇◇

 つい五か月前、俺が高校一年生の頃に話は遡る。

 「なぁ、今日は家だよな?」
 「うん、さすがに寒すぎるもんな」
 「こんな寒い中、外をぶらつくなんて無理無理」
 「じゃあ、また帰ったらログインしとくわ」
 「オッケー、適当に合流するわ」

 季節は冬。まだまだ若者のくせに、外に遊びに行くとか寒すぎて無理だよなって話にまとまって、よくつるむ友だち二人と最近ハマっているオンラインゲームをする約束をしていた。

 よっちゃん(吉野(よしの))はとにかく敵を倒したいタイプで、「いっくぞー!」って武器も揃ってないのにどんどん敵陣に乗り込んでいっちゃう猪突猛進型のバーサーカー。キル数はもちろん多いんだけど人よりも死ぬ回数が多くて、ヒール役を担っている俺はいつも「大丈夫か?」って気が気じゃない。

 檜山(ひやま)はいつも冷静沈着に勝ち筋を考える、IGL。檜山についていったら勝ち筋は見えているのに、肝心なところでよっちゃんがチームの輪を乱すから、「おい、吉野、ふざけんな!」って声を荒げがち。そんな檜山とよっちゃんの凸凹コンビは見ているだけでおもしろい。ただ檜山が苦労人で振り回されているだけなんだけど。俺たちの手綱を握るのはゲーム内だけじゃなくて、普段の学校生活もそう。いつもお世話になっております、なーんて。テスト前は特に頭が上がらない存在だ。

 「Try-angle(トライアングル)」、通称トラアン。それは三人組のチームを作り、敵と撃ち合ってナンバーワンを目指すオンライン型のFPSゲーム。何度も試行錯誤しながら挑戦してこうぜって、そんな意味がタイトルに込められているらしい。世界中で大人気のゲームで、ここ数年の大会の盛り上がりでますますプレイ人口を増やしているという。

 俺たち三人がつるむようになったのも、同じゲームを好きだったからという単純な理由だ。だから大体よっちゃんと檜山との三人でプレイすることが多いんだけど、ソロでプレイしていたときに仲良くなった人ともランクを回すこともある。

 螺良(つぶら)はそのうちの一人。コミュニケーション能力に長けている彼とはオンラインで知り合ったから、お互いに顔すら知らない。だけど、チャットやVCでやり取りを重ねるうちに、同い年で近くに住んでいるということが分かってからは一気に距離が縮まった。

 「トラアンやってるひと、周りにいないからさぁ、俺、レンちゃんと仲良くなれてマジでラッキーだった!」
 「よくそういうことを本人に直接言えるよね……」
 「んん? なぁに、レンちゃん照れてんの? かーわいいっ♡」
 「別に照れてないからっ!」

 顔も知らない相手なのに、いや、だからこそ? 螺良は他の友だちとは違う感覚がする。それが何かって言われると言葉にするのは難しい。

 一日あたりのプレイ時間は三人の中だと俺が一番長いから、よっちゃんと檜山が落ちた後によく螺良と合流して遊んでいる。まだまだ遊び足りない俺が、部活をやっている螺良と合流するのは時間的にもちょうどいい。

 「何回見ても螺良が『らぶちゃん』って名乗ってんの、マジでウケるんだけど」
 「はぁ? 俺に似合ってて、かわいいだろうが」
 「あはは、お前、自己肯定感高すぎだろ」
 「ねぇ、それ、このアイコンがかわいくないって喧嘩売ってる?」
 「こわ、圧すごいな」
 「あ、そっち、敵いた」
 「んー、急に冷静になるのやめてね」
 「ほら、いくぞー! キルポイント稼いでけー!」
 「はいはい」

 所謂美少女キャラクターのアイコンをして、「らぶちゃん」なんて名乗っていたら、百人中百人が女の子だと思うに決まっている。例外なく、俺もそう。

 【はじめまして。らぶちゃんさん、よろしくお願いします!】

 螺良からフレンド申請が送られてきた時、完全に相手が女子だと思い込んで、最初はドキマギしながらメッセージを送ったのが懐かしい。

 【あ、俺、男だから】
 【ごめんけど、出会い厨なら他当たってな】

 返ってきたのは、衝撃のメッセージ。いやいやいやいや、えー、マジかぁ……って、画面の前で思わずツッコミを入れたのもしかたないだろう。

 【ごめん、らぶちゃんって名前だからてっきり女の子かと思ってた】
 【あー、出会い厨だったりする? 俺、男だけどいっとく?】
 【まさか、ないない】
 【えー、試しにいってみろよ。意外といけるかもしれねぇじゃん。そんなはっきり断られると、それはそれで心外なんだけど】
 【何でだよ、最初に言ってたことはどこいったんだよ】
 【もう、レンくんはワガママだなぁ。らぶちゃん♡って呼ぶのが嫌なら螺良でいいよ】
 【ありがたく、螺良と呼ばせていただきます】
 【ったく、レンくんったら照れ屋さんなんだから】

 初対面だというのに冗談を言い合って、打ち解けるまでのスピードが早すぎた。波長が合うって、こういうことをいうのだろう。その日のうちにVCを繋いで、時間が合えば螺良とも遊ぶようになったのだ。

 通話アプリを繋げて、適当に話しながらだらだらとゲームをする時間が何よりも楽しい。俺の青春は、オンラインの中に存在していた。

 ◇◇

 そんな冬の、ある雨の日のこと。
 その日はよっちゃんも檜山も螺良も予定があるとかで一緒に遊ぶ相手が捕まらなくて、ソロでランクを回していた。

 俺はトラアンの中だと、攻撃に特化した一番人気のルイというキャラクターが好きだ。トラアンを象徴する花形で、フランス人らしい見た目も華やかなスキルも全てがかっこいい。でも、プレイスキルとセンスがないと使いこなせない、少し難しいキャラクターでもある。だから、俺はいつもゲームセンス抜群のよっちゃんに譲って、ヒールキャラのアルバをよく使っている。

 多分、俺のポジション的にもそうなんだ。
 主人公にはなれない、脇役。

 うまくルイを使いこなしているよっちゃんを見ていると、「いいなぁ……」「かっこいいなぁ……」って羨望と嫉妬が入り混じることがある。そんなことを思うなら野良とチームを組むときに使ってみたらいいじゃんって思うかもしれないけど、味方が知らない人だからこそ下手くそなプレイをして迷惑をかけたくない。みんな、自分のランキングを上げるために頑張っているのに、足を引っ張りたくないのだ。

 たかがゲーム、されどゲーム。
 馬鹿にする人はいるかもしれないけれど、何かに本気になったっていいだろう。

 その日もキャラクターの選択画面を前にしてルイをやってみようと一度はクリックしてみたけれど、やっぱり何か違うなぁと思って結局いつも通りのアルバを選択していた。

 (あーあ……)
 自分で自分の勇気のなさにがっかりしながら画面を見つめていれば、ユーザーネーム「るい」という人が三番目にルイをピックした。同じ名前ってことは、相当ルイが好きなのだろうか。どんな使い方をするのか、ちょっとだけワクワクして、単純な俺の気分はすぐに上昇する。

 「よーしっ、今日こそはランク上げるぞー!」

 昨日は全然ポイントを盛れなかったからなぁ。ゲームが始まってそう声を出すと、画面の左下にチャットが表示される。

 【VC入ってますよ】
 「あ、え、嘘!? すみません、すぐ消します、……って、あれ、ここじゃない……、なんでぇ……」

 昨日、螺良と遊んだ時にVCが入る設定にしてたから、そのままになっているのかもしれない。自分の声だけ相手に届いていることが恥ずかしくてパニックになりながらも設定をいじってみるけれど、ゲームがバグっているのか、全く改善しなくて更に焦る。

 「うぅ……設定どこ……、全然直んないんだけど……」
 【落ち着いて。もうそのままでもいいですよ】
 「すみません、うるさくしちゃって……。もう喋らないようにします……」
 【こちらはお気になさらず】
 「ごめんなさい……」

 ふぇーんって半泣きになりながら謝ると、優しい言葉が返ってきて、余計に「ごめんなさい」って気持ちが大きくなる。

 ゲーム内で固まったままになっていたアルバを見守りながら俺が落ち着くまで待機してくれていたルイは、俺が動き出したのを確認すると先陣を切るように走り出した。

 迷惑をかけたのに優しくて、面倒見がいい。
 俺の理想のルイプレイヤーだ。
 胸の奥がじーんとなって、「るい」さんをいい人認定する。

 だって、俺、単純だから。
 優しくされたら、すぐにころっとその人のことを好きになっちゃう。

 結局その試合は三位に終わって、チャンピオンは取れなかったのだけれど。試合後に「るい」さんからフレンド申請が届いて、「うわぁ」と感激の声が漏れたことは相手に届かなくてよかったと思う。

 それが俺と「るい」さんのはじめまして。

 トラアンには二人組マッチのモードもあるから、「るい」さんとそのモードで遊ぶようになって、ちょっとずつ距離が縮まっていくのは自然なことだった。通話アプリもフレンドになったけれど、いくら通話しようと誘ったって、「るい」さんは頑なにチャットしか使おうとしなかった。

 (もしかして、俺、螺良に間違われたみたいに出会い厨だと思われてる?)
 そう思ったのは、「るい」さんのアイコンがピンク髪の女の子のキャラクターだったから。あっちは俺の声を聞いているから、男だって分かっているわけで。女性がオンラインゲームをしていると、変な絡み方をされることもあるらしいから、それを避けるためにチャットでしかやり取りをしてくれないのかもしれない。

 そうだと気付いてからは、声と文字のやり取りだとしても受け入れることにした。本当は少しだけ寂しかったけれど、相手の嫌がることはしない。「るい」さんに嫌われたくない、その一心だった。

 「今日さ、テストだったんだけど、世界史が全然覚えらんなくて悲惨だったよ」
 【世界史って、人の名前とかややこしいよね】
 「そうそう。漢字よりカタカナの方が覚えること少ないんじゃねって思ってたのに、全然カタカナの名前に馴染みがなくて頭に入ってこねー」
 【そういえば、レンは文理どっちにしたの?】
 「うーん……、一応理系。でもまだ悩んでるんだよね」
 【理系でいいんじゃない?】
 「そうかなぁ、んー、自信ないんだよなぁ……」
 【大丈夫だよ。自分も理系にしたから、勉強教えてあげる】
 「ほんと? それなら安心かも。あ、でも、ちゃんと最後まで面倒見てよ?」
 【言われなくてもそのつもりだよ】

 「るい」さんの言葉には不思議な力があって、彼女に「大丈夫」と言われたら、何でも上手くいくような気になってしまう。

 通っている学校すら知らないくせに、勉強を教えてくれるという甘い言葉に引っかかった俺は、最後の文理選択でまんまと理系を選択していた。

 「るい」さんと一緒にいると落ち着く。ゲームをしていない時のやりとりも穏やかで、いい意味で肩の力が抜ける。

 「クラス替え嫌だなぁ……。友だちと離れたらどうしよう……」
 【レンならすぐに新しい友だちができるよ】
 「そうかなぁ……」
 【うん、お墨付きあげる】

 「るいさん聞いて、仲良い友だちとまた同じクラスだった! しかも二人とも!」
 【よかったね】
 「はぁ、まじでよかった〜」
 【でもちょっと残念かも】
 「え?」
 【もしその二人と違うクラスだったら、自分がレンと一緒にいてあげられたのに】
 「ま、またそんな冗談言って。そもそも、るいさんは学校違うでしょ」
 【そうだね。そうかもしれないね】

 (あ、好きかも……)
 不意に胸に落ちてくるそんな好感度のポイントは、同じ時間を過ごす度にどんどん積み重なっていく。学年がひとつ上がってもその気持ちは変わることがなく、むしろ本名も顔も知らないくせに画面の向こう側にドキドキすることが増えて、「るい」さんの放つ一言に翻弄されていた。

 「好きかもしれない」という感情は、ときめきポイントが一定数を超えたのか、次第に「好きだ」という確信めいたものに変わっていく。

 あー、もうだめだ、だめ。
 ぐるぐる考えれば考えるほどよく分かんなくなってきたから、もう何も考えない! 寝る!
 初めのうちは認められなくて、考え過ぎて頭が痛くなってきたから、現実から目を背けるみたいにふて寝をしたこともあったっけ。

 だけど、よっちゃんや檜山、螺良に対して抱いている感情とは明らかに違う。うだうだしている自分に見切りをつけて、「恋をしている」と自覚するのは早かった。

 【レンの声って落ち着くね】
 「……えっ!? そうかな!?」

 【まだレンと遊びたいんだけど、時間平気?】
 「っ、うん、大丈夫!」

 好きな相手とのやり取りは少し緊張する。何気ない一言に対する反応がおかしかったり、声が上擦ったり、うまくリアクションを取れないことが増えて、さすがの「るい」さんが訝しんでいた。

 【なんか、最近のレン、ちょっと変だね】

 そんな文字を見て息を飲んだ俺の口からは、ぽろりと言うはずのなかった言葉が溢れ出た。

 「……るいさんが好きなんです」

 静かな声に「るいさんが入力中です」という表記がぴたりと止まった。

 (あ、やらかした……)
 なんの脈略もない告白に「るい」さんがドン引きしている気がする。慌てて取り繕うにも、どんな言葉をかければいいか分からなくて口をパクパクさせることしかできない。

 再び入力していることが分かるまで、数秒が永遠にも感じられた。ごくりと生唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。心臓がひんやりとして、ドクンドクンとやけに鼓動の音がうるさく聞こえる。汗が滲んで手をきゅっと握り締めた。

 【ごめんね】

 そんな残酷な四文字が画面に現れる。いっそ、回線の不調で届かなければよかったのに。ナイフで心臓を一突きされたみたいに、鈍い痛みがどんどん広がっていく。

 「ヒュッ」と息を飲んだ音がきっと「るい」さんに届いてしまっただろう。だけど、そんなことを気にする余裕なんてなくて、現実を受け止めることで精一杯。ボイスチャットをオフにした俺は、なんとか絞り出した言葉をチャットで送ることしかできなかった。

 ――失恋。
 そんなあまりにも悲しい二文字が、俺の青春の一ページに刻み込まれていた。