朝靄の残る帝都月華。
 清々しい空気が、月宮家の馬車の窓から漂ってきた。花凜は初めて清真と街に出ることになり、胸の鼓動が早まるのを感じていた。

「今日は、君の着物を誂えに行こう」

 馬車の中で向かい合って座る清真の横顔を、花凜はそっと見つめた。朝の柔らかな光に銀髪が水晶のように輝き、長い睫毛がほおに影を落としている。
 彼の存在そのものが、朝露を纏った花のように清らかで美しかった。

 馬車が止まる。御者代から降り駆けつけた清真の執事、葵の手で重厚な扉が開かれた。帝都の朝の活気が、花凜の五感を満たす。

「わあ……」

 花凜は目の前に広がった世界に、思わず息を声を上げた。——すべてが花凜にとって新鮮だった。

 和装と洋装の人々が行き交う街並みは、目に映るものすべてが宝石箱をひっくり返したような輝きを放っていた。

 木造の伝統的な建物と煉瓦造りの西洋風建築が並び立ち、軒先には色とりどりの提灯と電飾が混在している。通りの角では、着物姿の女性が手回しオルゴールを奏で、その音色に合わせて人々が足を止めている。
 遠くからは汽車の汽笛と人力車の鈴の音が聞こえる。近代と伝統が織りなす帝都の活気が、花凜の全身を包み込んでいた。

 清真が優雅に馬車から降り、花凜に手を差し伸べる。

「足元に、気をつけて」

 花凜の指が、清真の手に触れる。春の訪れを告げる風のような心地よさが、全身を駆け抜けた。指先から伝わる温もりが、彼女の胸の奥までじわりと広がっていく。

 朝の帝都は、光と影が織りなす絵巻物のようだった。
 高層建築の隙間から差し込む朝日が、通りを金色に染め上げている。花凜の五感が、研ぎ澄まされていくようだった。

「こんなに美しい街が、あるなんて……」

 花凜は目を輝かせて周囲を見回した。通りを行き交う人々の装い、店先に並ぶ色とりどりの品々、すべてが絵本から飛び出してきたようだった。

「花凜、あそこの呉服店に立ち寄ろう」

 清真が指さした先には店があった。朝日を浴びて格子窓が輝く上品な店構え。
 ここは帝都で、最も格式高い呉服店として知られている。壁には皇族や帝家の家系のみに許された「帝都御用達」の額が掲げられていた。

 上品な調度で整えられ、職人の手による木彫りの棚には、一反ずつ丁寧に包まれた反物が並んでいる。それらは全て、帝国最高の織り手たちがひと針ひと針魂を込めて織り上げた逸品ばかり。
 店内には白檀の香りがほのかに漂い、花凜の意識があまく揺らいだ。

 花凜と清真、その後に続く形で葵が店の扉をくぐると、品の良い初老の店主が出迎えた。清真の姿をみとめた瞬間、その表情が一変する。

「これはこれは、月宮さま!」

 店主が深々と頭を下げる。花凜を見てさらに笑顔をふかめた。

「こちらは月宮さまのお連れさまでございますね。心より歓迎いたします」

 店内は花凜と清真の来訪で、いっきに活気づいた。
 番頭や女性の店員たちが、『春慶絹』『月影綾』『星華錦』など、一般の店では名前すら聞くことのできない最上級の反物や着物を次々と運んでくる。

「お嬢さまのお好みはいかがでしょうか? こちらの青色などいかがかと。現在の流行のお色です」

 店員が淡い青色の美しい着物を掲げる。絹地に散りばめられた金糸が、月光に踊っているかのようだった。

「そんな......私には勿体なさすぎます」

 花凜が慌てたように首を振る。これほど素敵なものを――自分が身に纏っていいのだろうか。

 店員が美しい着物を次々と広げて見せる。こんな高価な品々を目の前にして、花凜は戸惑いを隠せない。藤里家では古い着物を直して着るのが当たり前だった。
 新しい着物など、夢のまた夢だったのに――。

「お嬢さま、こちらのドレスもいかがでしょう」

 女性店員が、花凜の前に西洋風のドレスを広げた。薄緑の生地に星が散りばめられ、月の光を浴びる夜の森を思わせる幻想的なデザインだった。

 花凜は生まれて初めてまじかで見るドレスに、声も出ないほど魅了された。

「……触ってみてもいいですか?」

「どうぞ、お嬢さま」

 指先がドレスの生地に触れた瞬間、花凜は小さく息をのんだ。絹の滑らかさと、薄手ながらもしっかりとした張りがある。まるで月光そのものを纏うような感覚だった。

「こちらは特注のシルクを使用しております。帝都でも滅多に見かけない最高級の生地でございます」

 花凜の目が輝きを増していく。継母の家では蔑まれ、美しいものに触れることすら許されなかった自分が、今、こんな夢のような衣装を目の前にしている。

「花凜、君の好きな色で、好きなだけ選ぶといい」

 清真が優しく微笑みかけた。その笑顔に、花凜の胸の奥が甘く疼く。

「着物もドレスも、両方を仕立てさせよう」

 花凜は目を丸くして清真を見上げた。その瞳に驚きの色が広がる。

「そんな……」

「一枚だけで十分です。そんなにたくさんいただくわけには……」

 清真は静かに微笑み、その瞳に月の光のような優しさを湛えた。彼の声は、氷を溶かす陽だまりのようだった。

「花凜」

「遠慮することはない。俺がそうしたいのだ――もしも気がねと思うのなら、これは俺のためだと思ってくれないだろうか」

 その言葉に、花凜の胸が熱くなった。『俺のため』という言葉は、彼女の心に優しく触れる温かな手のようだった。自分が遠慮している気持ちを察し、それを優しく包み込んでくれる。

 それは、花凜の気持ちを尊重した上での、最もやさしい清真の思いやりだった。

「本当に……ありがとうございます。清真さま」

 そして、これまで自分の存在そのものが「余計なもの」だと思わされてきた花凜にとって、誰かの願いを叶える存在になれるという可能性。それは、まるで凍てついた湖に差し込む春の光のようだった。

 その温もりに触れ、彼女の心の氷は少しずつ、しかし確実に溶け始めていく。

 そんな花凜のすがたを見ている清真の瞳には、彼女への深い愛情が宿っていた。

「――これはどうだろう」

 清真がみずから選んだのは、淡い桜色の着物だった。朝日に透かすと、生地に織り込まれた金糸の桜がきらきらと煌めいていた。

「君自身の輝きには及ばないが、この色は君に似合うと思う」

 清真が着物を花凜の体に当てた。その瞬間、二人の指が絡み合った。ほおに熱が広がり、顔全体が燃えるように熱くなる。

「あっ……」

 花凜の息が止まる。その接触は一瞬だったが、花凜の肌には消えない熱の痕が残ったように感じた。心臓が激しく跳ね、耳の奥で血潮が渦を巻く音が聞こえるようだった。

 店の大きな鏡に映る二人の姿——美しい着物を持つ清真と、顔を赤らめた花凜。
 花凜は鏡の中の自分を見て、夢の中にいるような感覚に襲われた。鏡に映っているのは本当に自分なのだろうか。

 黒髪が明るい光のなかで艶めき、桜色の着物が彼女の肌を一層引き立てている。かすかに染めたほおが桜の花びらのように愛らしい。睫毛の下で、黒曜石のような瞳が不安と驚きを湛えて揺れていた。

「私……こんな……」

 言葉を失った花凜のくちびるが、露に濡れた花のようにわずかに震える。細い指先が不安げに着物のそでを摘まみ、まるで夢が覚めてしまうのを恐れるように慎重に鏡に近づいた。

「………これが、私」

 指先が震えながら自分のほおに触れる。鏡の中の少女も同じ仕草をする。それは確かに自分なのだ。

「美しいな……君によく似合っている」

 背後から聞こえた清真の声に、花凜は小さく息を飲んだ。振り返ると、清真の蒼い瞳に自分の姿が映っていた。その眼差しには、鏡よりも澄んだ愛情が宿っている。

 彼のその瞳は着物ではなく、花凜だけをうっとりとするように見つめていた。宵の明星のような瞳に射抜かれ、花凜の全身が熱を帯びていく。清真の視線が肌を這うように感じられ、背筋にゆっくりと甘いしびれが走った。

 花凜は鏡から視線を外し、床に目を落とした。あまりの緊張と恥じらいに、声が出ない。しかし店の豪奢さと清真の思いが彼女の心に不安を呼び起こす。こんな高価なたくさんのものを、自分が受け取ってもよいのだろうか。

 静寂が流れる中、花凜は自分の指先を見つめ、勇気を振り絞った。

「でも、これら全てで、おいくらになるのでしょう……」

 花凜が震える声で尋ねると、清真は月光のような笑みを浮かべた。
 清真のその意図を察したのか、葵がおだやかに口を開く。

「花凜さま。清真さまはお気持ちでなさっていることです。どうかご遠慮なく」




 呉服店を出ると、三人は昼の帝都を散策した。花凜の目に映る全てが、幼い頃に読んだおとぎ話の世界のように輝いていた。

 街角の花屋から漂う花の香り。菓子職人が窯から出したばかりの和菓子の甘い蒸気。軒先から漂うパンの焼ける香り。——まるで別世界の住人になったような感覚だった。
 レンガ造りのカフェからは、珈琲の香りが風に乗って漂ってくる。その甘く苦い香りは、花凜がこれまで嗅いだことのない新しい世界の匂いだった。

「あのお店は何ですか?」

 花凜が指さす先には、色とりどりのリボンや小さな宝石のような飾りが美しく並ぶショーウィンドウがあった。ガラス越しに見える店内では、洋装の女性たちが歓声を上げながら何かを選んでいる。

 清真が微笑みながら、花凜が尋ねること一つ一つに回答をしていく。彼自身もとても楽しそうだった。

「あれは、西洋の小物店だ。取り寄せた髪飾りや手袋、扇子など、女性のための装飾品を扱っている」

「わあ、素敵です!」

 花凜の瞳が輝きを増した。店先には、水晶のように透き通った宝石のヘアピンや、蝶の形をした絹のコサージュが飾られている。そして、花凜が見たこともないような、西洋の香水の小瓶が虹色の光を放っていた。

「あの小瓶は……?」

「香水だ。花の香りを閉じ込めたもの。西洋の女性たちの間で流行しているそうだ」

 花凜の目が好奇心で丸くなる。異国のふしぎな香り。それは魔法の薬のように思えた。

「興味があるなら、立ち寄ろう」

「い、いえ! 大丈夫です」

 清真が足を向けようとするのを、花凜があわてて止めた。




 人混みが多くなってきた様子を見て、清真がさりげなく花凜の手を取った。

「花凜、離れては危険だ。――俺の手をしっかり握っていろ」

「は、はい。清真さま」

 その声は静かだが、手の温もりは確かに花凜を守るためのものだった。清真の大きな手に包まれた自分の手が、まるで小さな雛鳥のように感じられた。その温もりが心の奥まで染み渡っていく。

 街を歩いていると、何人かの紳士たちが花凜に気づき、視線を向けた。お洒落な洋装の青年が帽子を持ち上げて礼儀正しく会釈する。
 それらは、レディに対しての社交辞令的な挨拶ではあった。

 だが、そんな花凜への周囲の視線に気づいた瞬間、清真の表情に微かな変化が生まれた。

「花凜」

 その声は優しく、しかし確かな意志を感じさせた。

 清真はさりげなく歩く位置を変え、花凜の傍らから彼女の前へと移動した。その動きは自然で、誰も不快に思うようなものではなかったが、確実に花凜を他の視線から守るためのものだった。

 清真の月光のように穏やかだった瞳に、かすかな雲がかかったような影が差す。それは怒りではなく、どこか切ない感情。それはまるで『自分以外の男に、彼女を見せたくない』という想いが滲み出ていた。

 若い画家らしき男性が、スケッチブックを持ち上げ、花凜の姿を描きたいとでも言いたげな仕草を見せた時、清真は僅かに唇を引き結んだ。

 彼は花凜の肩に軽く手を置き、さりげなく彼女を自分の方へ向かせた。

「こちらの通りの方が、見晴らしがいい」

 その言葉は花凜だけに向けられたものだったが、清真の仕草には「彼女は俺のものだ」という無言の主張があった。それは威圧的でも、強引でもなく、ただ自分の大切なものを守りたいという純粋な感情から生まれているようだった。

 花凜の胸が温かく高鳴る。清真のやさしい独占欲は、これまで誰からも大切にされてこなかった彼女の心に、心地よい陽だまりのように染み入った。

「清真さま……」

 彼女の小さな呼びかけに、清真の表情が柔らかく和らいだ。彼の瞳には再び、月明かりのような穏やかな光が戻ってきていた。




「わあ、あのお菓子店、素敵ですね」

 花凜の表情がぱあっと明るくなる。ガラスのショーウィンドウの向こうには、和風や西洋のケーキなどが色とりどりに並んでいた。バニラとバターの甘い香り。

「寄っていこうか」

 清真の声には、楽しそうな響きがあった。清真が微笑みかけた瞬間、花凜の胸が弾んだ。

「ありがとうございます! お屋敷の方たちへのお土産をぜひ選ばせてください」

 花凜は思わずそう答えていた。今日の日の幸せを自分だけで独り占めするのではなく、屋敷の人々にも分けたいという気持ちが自然と湧き上がっていた。

 清真の瞳が見開かれた後、深い感動に満ちた表情に変わる。

「君は、やさしいな」

 清真は、花凜の新たな内面に触れるたびに、まるで自分の事のように喜びを見出しているようだった。

 店内に足を踏み入れると、あまい香りが一層濃くなった。ステンドグラスから差し込むカラフルな光が床に踊り、蓄音機から流れるクラシック音楽が空間を満たしていた。テーブルには白い舶来品のレースが敷かれている。

「いらっしゃいませ」
 和装に西洋風のエプロンを纏った若い女店員が、微かに傾げて微笑んだ。

「本日は何をお求めでございますか?」

「お土産を選びたいのですが……」
 花凜が、少し緊張した様子で答える。

「かしこまりました。当店のお菓子は全て、お持ち帰りいただけます」

 店員が優しく導くと、花凜はショーケースの前で立ち止まった。これまで見たこともない美しいお菓子が並び、花凜の目が釘付けになる。

「わあ……かわいい……」

 花凜は見慣れないケーキや名前に戸惑いながらも、目を輝かせて中を見つめていた。ガラスの向こうには、花のように美しく盛り付けられた洋菓子たちが並んでいる。

「君の好きなものを選んでくれ」

 清真が花凜に向き直る。その眼差しが、ショーケースの宝石よりも温かく輝いていた。

「彼女のために、説明を頼めるだろうか?」

 清真が店員に向かって丁寧に言葉をかけた。
「はい、喜んで」と店員が親しみやすい口調で話し始めた。
「本日のおすすめは、舶来のレシピを元にした蜜柑のスフレと、抹茶を使ったパンケーキでございます」

「また、こちらのふわふわとした黄色いお菓子は『カステラケーキ』と申しまして、長崎のカステラを基に、クリームを挟んだ新しいお菓子でございます。黄身たっぷりで、やさしい甘さが特徴ですわ」

「カステラケーキ......」

 花凜が小さく繰り返す。カステラは聞いたことがあったが、ケーキにしたものは初めて見る。

「そしてこちらは金柑のタルト。さくさくとした生地に、季節の金柑と特製カスタードを合わせました。ほんのり苦みのある甘さが大人の方に人気でございます」

「どれも、とても素敵です......」
 花凜がため息をつく。

「お嬢さまはどのような味がお好みかしら? 甘いものがお好きですか? それとも少し酸味のあるものが」

 店員が優しく尋ねると、花凜が恥ずかしそうに俯いた。

「あの……私......よくわからないんです」

「お菓子というものを、ほとんど食べたことがなくて......」

 清真は静かに花凜の方へ一歩近づき、その大きな背が彼女を守るように影を落とした。

「では、まず味わってみないか? 土産はあとで選ぼう」

 清真の声は、これまでより少し柔らかく、やさしい響きを持っていた。花凜は驚いて顔を上げる。

「……でも、よろしいのですか?」

「ああ、もちろんだ」

 清真の声が低く、優しく響く。その声色だけで、花凜の胸が熱くなる。
 彼が店員に向き直った。

「小さなお菓子をいくつか、彼女が味わえる盛り合わせはないだろうか?」

「それなら、こちらの詰め合わせセットはいかがでしょう」
 店員がショーケースの中の手前にあったアソートを、明るく提案した。

「当店で人気の小さなお菓子を、色々と盛り合わせたものでございます」

「それをお願いしよう」

 窓際の丸テーブルに案内され、二人が向かい合って座ると、舶来のレースのカーテン越しに差し込む陽光が、皿の上の洋菓子を宝石のように輝かせる。
 店員が運んできたのは、白磁の花形の大皿に美しく盛り付けられた小さなお菓子の数々だった。
 店員が優雅に一礼し、羽織の裾を翻して下がった。

 花凜が恐る恐る銀の小さなフォークを手に取り、口に運ぶ。ふわりと空気を含んだような食感に、目を丸くした。

「あっ......」

「甘くて……ふわふわで……こんな味があるなんて……」

 花凜は今度は、抹茶のパンケーキを一口食べてみた。
「うわぁ...苦いような甘いような...でも美味しい!お茶の香りがします」

 清真が微笑む。彼の目には、花凜の新しい発見を見守る喜びが満ちていた。

「気に入って良かった」

「これからは、君の好きなものを見つけていこう。時間はたくさんある」

 少し離れたところで見守っていた葵が、そっと微笑みを浮かべる。柱の陰で静かに佇む執事の表情には、珍しく柔らかな光が宿っていた。




 味わい終えると、花凜は店員の勧めでさまざまなお菓子を詰め合わせてもらった。白いクリームの乗ったケーキ、大きな抹茶パンケーキ、林檎のタルトなど。店員が美しく包装する。

 午後の日が傾き、帝都の都に柔らかな光が降り注ぐ。買い物を終えた三人が店を出た。

 清真は花凜の手を取り、彼女を馬車へと導いた。一日の余韻が二人の間に静かに漂う。花凜の胸には、これまで感じたことのない温かな感情が満ちていた。

「……その、清真さまは、なぜ私にこれほど良くしてくださるのですか……?」

 花凜が遠慮がちに尋ねた。自分が、なぜこれほどまでに大切にされるのか、わからなかった。

 清真の瞳が、深い海のように静かな情熱を湛えて花凜を見つめた。その瞳の奥に宿る炎に、花凜の心が震えた。

「花凜。君は俺にとって特別な存在だ」

「でも、私は何も……」

 清真の声が震えていた。彼の言葉には深い思いが込められているようだった。

「花凜。君ほど大切で愛しい人は他にいない。いつか必ず、君自身にもそれがわかる日が来る」

 清真の指が、そっと繋いでいる花凜の手に力を入れる。それが、これまで感じたことのない安らぎを花凜の胸に灯した。まだ名前をつけられない感情が、胸の奥で大きくなってくのを感じていた。

 帰り道、馬車の窓から見える帝都の風景は、来た時と同じはずなのに違って見えた。それは、自分の中の何かが変わり始めているからかもしれない。花凜は、清真の横顔を見つめながら、この感情に名前をつける日が来ることを、ひそかに期待していた。