夕日が月宮邸の庭園を優しく照らしていた。
 花凜は、静かに庭の石畳を歩いていた。昨夜のことを思い出すたび、胸が熱くなる。
 清真の腕の中で感じた安らぎ、彼の吐露した言葉。そして二人の魂が共鳴した瞬間——。頬が熱くなるのを感じながら、花凜は庭の紅葉の下に佇んだ。

 深紅と金色に色づいた葉が風に揺れ、朝露が宝石のように光を散らす。秋の庭園の静謐な美しさに見とれていると、背後から静かな足音が近づいてきた。

「何を見ているんだ?」

 振り返ると、そこには清真が立っていた。夕方の沈みゆく紫色の空の光を受けて、彼の銀髪が神秘的な色合いで輝いている。いつもの凛とした表情の中に、どこか柔らかなものが混じっていた。

「紅葉が、綺麗で――」

 花凜の言葉が途切れる。あれほど親密になった二人なのに、夕方の光の下では急に言葉が見つからない。

 清真はそっと近づき、花凜の隣に立った。二人の影が重なり、地面に一つの形を作る。

 「花凜」

 清真の声には、彼女にだけ向けた柔らかさがあった。

「昨夜は、ありがとう」

 言葉を続けようとして、清真は一瞬言葉に詰まった。普段の凛とした表情に、わずかな赤みが差している。彼は目を逸らし、喉を鳴らした。

「君がそばにいてくれて……心強かった」

 そう言うと、清真は花凜の方を見つめ、彼女の視線に気づいて再び自らの視線を逸らした。彼の耳がわずかに赤くなっているのが見えた。いつもの堂々とした姿からは想像もつかない、少年のような仕草に花凜の胸が熱くなる。

「……私こそです」

 言葉が続く前に、清真の指先が花凜の頬に触れた。その接触は、『黒月』の記憶を一気に呼び覚ます。花凜の胸が高鳴り息が浅くなる。彼の指が花凜の黒髪を優しく撫でる。その仕草に、花凜の心臓が鼓動を早めた。

「あの時、君に話したことを覚えているか?」

 花凜はゆっくりと頷いた。清真の言葉が、彼女の心に深く刻まれている。

「その全てが真実だ」

 清真の青い瞳が、花凜の黒い瞳を映し出す。二人の間に流れる空気が、次第に密度を増していく。清真がわずかに身を屈め、花凜の額に自分の額を触れさせた。

「花凜、君と出会えて本当に良かった」

 その言葉は吐息のように漏れ、花凜の耳を優しく包んだ。
 風が吹き、紅葉の葉が二人の上に舞い降りる。赤と金が交錯する色彩の雨が、まるで二人を祝福するかのようだった。

 花凜は目を閉じた。自分の心音と清真の心音が、響き合うのを感じる。二人の魂が触れ合うこの瞬間、世界には彼らしか存在しないかのようだった。


***

 数週間が過ぎた頃、月宮邸に晩秋の朝が訪れていた。花凜が、起床の時を告げる鐘の音で目を覚ました。身支度を整えて部屋を出ると、廊下で清真と出会った。朝日を背に受けた銀の髪が光の冠をまとい、その横顔は月のように美しい。

 彼が振り返ると、いつもとは違う表情をしていた。蒼い瞳に宿る光には、何か秘密めいたものがあった。

「おはよう、花凜」

 清真の声にいつもの凛とした響きの下に、柔らかな甘さが混ざっている。花凜の胸がふわりと浮き上がった。

「おはようございます、清真さま」

 花凜が軽やかに歩み寄ると、清真がそっと手を上げて歩みを止めた。

「今日は一日、君の時間を全て俺にくれないか?」

 予想外の提案に、花凜の心臓が跳ね上がる。清真の瞳には真剣さと、どこか恥ずかしそうな色が混ざり合っていた。

 普段は完璧な彼が見せる、わずかな躊躇い。それが花凜の胸を甘く締めつける。

「私の……時間を?」

 花凜の声が上ずった。清真が一歩近づく。その足音がやけに大きく聞こえて、花凜の鼓動がさらに速くなる。

「花凜の特別な日にしたい。俺だけが知っている君の笑顔を、今日はずっと見ていたいんだ」

 清真の声が、これまでで最も優しく響いた。その言葉に込められた想いの深さに、花凜の頬が熱くなる。

「は、はい……喜んで」

 花凜の返事に、清真の口角が上がった。いつもの威厳ある表情とは違う、安堵と喜びが混ざった微笑み。それを見た瞬間、花凜の胸が甘く疼いた。




 案内されて廊下を進む花凜の心は、期待と緊張で満たされていた。清真さまは、何を計画されているのだろう。

 庭への扉の前で、清真が振り返った。その表情には、何かを期待させる輝きがある。

「さあ、花凜」

 扉の取っ手に手をかけ、ゆっくりと開く。重厚な木の扉が軋む音と共に、澄んだ空気が頬を撫でていく。ほのかに甘い花の香りと、どこか特別な雰囲気を纏った風が流れ込んできた。

「お誕生日おめでとうございます、花凜様!」

 突然、大きな声が一斉に響いた。花凜は驚きのあまり、思わず立ち尽くす。瞬きを繰り返し自分の目を疑うように、ゆっくりと庭全体を見渡した。

 見慣れたはずの月宮邸の庭が、まるで魔法にかけられたように美しく変貌している。木々には色とりどりの灯籠が吊るされ、石畳に映る灯籠の光が宝石のように煌めいている。空気そのものがきらきらと輝いて見えるほど、幻想的な光景だった。

 葵と鈴が微笑み、使用人たちが並んで頭を下げる。彼らの表情には心からの祝福が浮かんでいた。

「誕生日おめでとう、花凜」

 清真の声が、庭の空気を震わせる。
 式神たちも次々と姿を現した。ユキが花凜の足元に擦り寄り、天狼と地狼が花束を捧げる。クロさえも、木の枝から見下ろし、珍しく素直な「おめでとう」を口にした。

 彼女は震える足で近づいた。幸せと驚きで胸がいっぱいになり、涙が滲む。
 花凜は言葉を失った。自分の誕生日が今日だということを覚えてはいたが、こんな風に皆に祝って貰えるなんて思いもしてなかった。それは母が亡くなってから初めてのことだった。

「清真さま……こんな」

 花凜の目に涙が浮かぶ。胸がいっぱいで、うまく言葉にならない。

「君が喜んでくれて、良かった」

 鈴が代表して前に出て、美しい布に包まれた物を差し出した。

「花凜さまのお誕生日に、無事に間に合うことが出来て良かったです」

 花凜がそれを受け取り、布を開くと新しい母の位牌が現れた。美しい蒔絵が施され、母の名前が丁寧に刻まれている。

 花凜の手が小刻みに震えた。目の前がぼやけ、胸の奥から込み上げてくる熱いものが、喉を詰まらせる。

「お母さま……」

 花凜の声が掠れる。位牌を胸に抱きしめると、母の温もりがそこにあるような錯覚に包まれた。

「やっと……やっと美しい位牌に……」

 嗚咽が漏れそうになるのを、花凜は必死に堪えた。でも嬉しさと感謝で胸がいっぱいになり、涙は止まらない。

 葵が静かに目元を拭った。鈴は両手で口元を押さえ、嬉し涙を堪えている。若い侍女たちは皆、ハンカチを目に当てて泣いていた。

 庭の片隅では、吉兵が静かに涙を流していた。藤里家での花凜の辛い日々を知る彼にとって、今の花凜の幸せそうな姿は何よりも嬉しいものだった。

「皆さん、本当にありがと……う」

「……お母さまもきっと、……こんなに優しい方たちに囲まれた私を見て、……安心しています」

 花凜が深くお辞儀をすると、位牌を抱く腕にさらに力が込められた。

「姫さま、この美しい庭の装飾が、私たちからのプレゼントです。式神たちみんなで頑張って作りました」
 ユキが代表して言うと、天狼と地狼も頷いた。

「姫ちゃんの喜ぶ顔が見られて、俺たちも嬉しいぜ!」

 地狼の声は相変わらず荒々しかったが、その言葉には純粋な思いやりが込められていた。

「まあ、悪くない誕生日だな」

 クロは木の枝から見下ろしながら、いつもの調子を発揮する。そう言いながらも、その瞳には花凜への愛情が隠れていた。

 式神たちからの祝福が終わると、清真が静かに前に出た。彼の手には、大切に抱えていた箱がある。清真の声が、特別な響きを帯びて庭に流れた。

「花凜、俺からの贈り物を」

 清真が大きな箱を差し出した。花凜がそれを開くと、ため息が出るほど美しいドレスが現れた。

 それは、月光を思わせる淡い青の絹だった。まるで夜空の星屑を織り込んだかのようにきらきらと神秘的に輝いていた。胸元から裾にかけて流れるような銀糸の刺繍は、満月から新月への移ろいを表現した繊細な模様。袖は透明感のあるシフォンで作られ、腕の動きに合わせて優雅に揺れる。ウエストには細かな真珠のビーズが連なり、上品な光を放っていた。

 そして、もう一つ箱の中に小さな宝石箱があった。それを開くと、真珠でできた美しいティアラが姿を現した。中央には月をかたどった大きな真珠があしらわれ、その周りに小さな真珠が星座のように配置されている。繊細な銀細工の台座が、真珠の輝きをさらに引き立てていた。

「花凜のうるわしい姿に似合うものを。以前のドレス以上のものを、君に贈りたくて」

 清真の低く響く声に込められた、深い愛情と期待。彼の蒼い瞳に映る自分への想いの深さに、花凜の頬がふわりと桜色に染まっていく。

「清真さま……こんなに素敵なものを……」

 花凜の声は感動で上ずり、震える指先でそっとドレスの絹に触れた。月光を思わせる淡い青の生地は、まるで夜空から切り取った星屑のように美しく輝いている。そして繊細な細工が施されたティアラは、彼女が今まで見たこともないほど可憐で優雅だった。

「美しいものは、君のように美しい人に似合う」

「今夜、このドレスとティアラを身につけて、俺と一緒に来てくれるか?」

 清真の瞳に宿る真剣さと、かすかな緊張の色。

「はい……喜んで」

 花凜の返事は小さな囁きのようだったが、その言葉に込められた真心は確かに清真に届いた。彼の表情がほっとしたように和らぎ、安堵の息を漏らす様子に、花凜の胸が甘く締め付けられた。

 自分へ贈られた屋敷の皆からのやさしい気持ち、式神たちの思いやり、そして清真からのあたたかな贈り物と言葉——。

 母を失ってから、ずっと一人だった。誰からも愛されず、自分は必要のない存在なのだと思い続けてきた。でもいまは月宮邸の皆が、自分のために心を込めてくれている。

「皆さん……本当に、ありがとう……」

 花凜の声が感動で震えた。感極まって花凜の頬に、大粒の涙がこぼれた。その涙を清真の指先が、そっと拭った。



 夕闇が深まる頃。迎えに現れた清真の姿に、花凜は息を止めた。

 銀の髪は夕闇の中でも輝きを失わず、月の光そのものを纏っているかのようだった。蒼い瞳は宝玉のように深く澄み渡り、その美貌は人間の域を超えた神々しさを放っていた。

 高い身長を纏う漆黒の燕尾服。金糸で縁取られた襟元が、彼の首筋の美しいラインを象る。胸元には月宮家の家紋が、銀の刺繍で施されていた。立ち姿ひとつとっても、生まれながらの気品と威厳が滲み出ており、まさに月の神と呼ぶにふさわしい圧倒的な美しさだった。

 だがそんな彼の視線は、目の前の黒髪の少女に釘づけになっていた。

「花凜、本当に美しい……私の目に映る君は、星の妖精のようだ」

 清真の声が掠れる。花凜は彼から贈られたドレスに、身を包んでいた。帝都で最上級の生地や宝石を取り寄せ、特別に仕立てさせたというそのドレスは、花凜の肌の色を引き立て、彼女に本当によく似合っていた。

 月光色の絹が体のラインを優雅に見せ、胸元に散りばめられ小さな真珠が、歩くたびにほのかに揺れて光を反射した。頭上には純白の真珠のティアラが輝き、花凜の黒髪との対比が美しかった。

 彼の蒼い瞳に映る花凜への愛おしさに、彼女の胸が甘く疼いた。

「清真さま……」

 花凜が恥ずかしそうに俯くと、清真がそっと手を差し出した。

「行こう。君にとっておきの場所を見せたい」

 清真にエスコートされて馬車に乗り込む。重厚な扉が静かに閉じられると、そこは二人だけの秘密めいた空間となった。清真の隣に座ると、彼から漂う月夜のような清涼な香りと、静かな存在感が花凜を包み込む。胸の奥が羽ばたくように震え、呼吸が浅くなっていくのを感じた。

「どちらへ向かわれるのですか?」

 花凜の問いかけに、清真が唇の端をわずかに上げて神秘的な微笑みを浮かべる。その表情には、愛しい人への特別な秘密を抱いた男性の、愉快そうな光が宿っていた。

「それは着いてからのお楽しみだ」

 清真の低い声に込められた期待と愛情に、まるで蝶々が舞い踊るような、くすぐったい幸福感が全身に広がっていく。

 馬車は帝都の煌めく夜景を車窓に映し、月明かりに銀色に照らされた石畳の道を滑るように進んでいく。やがて街の賑やかな灯りが遠ざかり、静寂に包まれた深い森の中へと向かった。車輪の音だけが夜の静けさに響き、二人を神秘的な世界へと誘っていく。

 馬車が止まったのは、静寂に包まれた美しい湖のほとりだった。

「ここは……」

 花凜が馬車から降りると、息を呑むような光景が広がっていた。
 鏡のように静かな湖面に、満天の星空が完璧に映し出されている。どちらが本当の星空で、どちらが湖の水面なのか分からないほど美しい光景だった。星の光が湖面で踊り、この世のものとは思えない美しさを作り出していた。

「きれい……すごくきれいです!」

 花凜の感嘆の声に、清真が静かに満足げな微笑みを浮かべる。

「君に見せたかった場所だ」

 清真が花凜の手をそっと取る。大きく温かい手が、彼女の小さな手を包み込むと、体の芯に安心感が広がっていく。

 星明かりが湖面で踊り、二人を幻想的な光で包み込む。まるで星の海に浮かんでいるかのような、それは現実を忘れさせるほど美しい光景だった。

 その美しい景色を見ていた花凜の中で、胸の奥の想いが静かに溢れ始めた。――もう隠しきれない。この気持ちを伝えずにはいられない。

 花凜は小さく唇を舐め、震える息を整えようとした。胸の奥が太鼓のように響き、手のひらがしっとりと湿っている。

「清真さま……」

 花凜の声は掠れるように小さかった。清真がじっと彼女を見つめる。その蒼い瞳に込められた優しさに背中を押され、花凜は鼻から静かに息を吸い込んだ。

「私……どうしても、お伝えしたいことがあります」

 花凜の頬がほんのりと桜色に染まり、視線が彷徨う。でも意を決したように、もう一度清真をまっすぐに見つめた。

「清真さまといると、胸がぎゅっと締め付けられるんです。苦しいはずなのに……とても甘くて、温かくて……」

 花凜の声がかすかに震える。それでも彼女は途切れ途切れに言葉を紡いだ。

「清真さまが私を見つめてくださる時、まるで自分が世界で一番大切な人になったような……そんな気持ちになります。お声を聞くだけで、心がいっぱいになって……」

 花凜の瞳がうっすらと潤む。星明かりに照らされた彼女の表情には、17歳の少女らしい初々しさと、確かな愛情が宿っていた。

「だから……だから私……」

 最後の言葉が喉に詰まる。心の中では分かっているのに、声にするのがこんなにも難しいなんて。

 清真の瞳がより一層穏やかになり、急かすことなく彼女を見守っている。その静かな眼差しに包まれて、花凜はようやく小さな声で呟いた。

「私も……清真さまのことが好きです」

 花凜の告白が、夜の静寂に溶けるように響いた。彼女の頬は薄紅色に染まり、俯きがちになったが、その瞳には揺るぎない真心があった。

「初めて……こんな気持ちになったのは初めてで、上手に言えないのですが……」

 花凜の小さな告白が、静寂の湖畔に響いた。彼女の頬は薄紅色に染まり、緊張で指先が微かに震えていたが、その瞳には迷いのない真心が宿っていた。

 花凜の言葉に、清真の蒼い瞳がゆっくりと見開かれた。そして胸の奥から湧き上がる感動に、彼の表情が柔らかく崩れていく。

「花凜……」

 彼の声が深い感動で掠れていた。喉の奥で言葉が詰まり、一瞬沈黙が流れる。

「俺は……君のその言葉をずっと待っていた」

 清真の手が花凛の手を包み込むように、そっと力を込めた。その温もりが彼女の心臓まで届いているかのようだった。

「君から俺のことを好きだと言ってもらえるなんて……こんなに嬉しいことはない」

 清真はゆっくりと身を屈め、花凜の額に自分の額をそっと寄せた。その瞬間、二人の間に静かな温もりが生まれる。呼吸が触れ合うほどの距離で、世界が二人だけのものになった。

「君といると、この胸が穏やかになる」

 清真の囁きが、花凜の心に染み入るように響いた。彼の吐息が頬にかかり、体の芯がじんわりと温かくなっていく。

「花凜の笑顔を見ていると、どんな暗闇も明るくなる。君の声を聞くと、心の奥が満たされる」

 清真の言葉に、花凜の胸の奥が甘く締め付けられた。彼の声が星空に溶けて、幸せが全身にゆっくりと広がっていく。

「俺にとって花凜は……この夜空の月のような存在だ」

 清真がそっと花凜の手を自分の胸に導いた。確かな鼓動が手のひらに伝わってきて、花凜の胸も呼応するように波打った。二つの心臓が、同じリズムを刻んでいるかのようだった。

「この鼓動も、君がいるから意味を持つ。花凜を想うことが、俺にとって一番自然なことなんだ」

 清真の告白に、花凜の瞳がうっすらと潤んだ。愛されているという実感が、体の隅々までじんわりと染み渡っていく。

「愛している、花凜。君だけを……ずっと」

 清真の唇が、花凜の唇にそっと降りた。星空の下での口づけ。羽根のように儚く、しかし永遠の約束のように確かな愛の証。花凜の全身に蜂蜜のような甘い痺れが流れ、世界がひとつの調べのような静寂に包まれる。

 彼の唇の温もりが自分の唇に溶けていき、花凜は静かに身を委ねた。その腕が彼女をそっと抱き寄せ、守られているような至福感が、心の奥底まで染み渡っていく。
 頭上では無数の星が祝福の歌を奏でるように煌めき、夜風が二人の髪を優しく撫でていく。

 やがて唇を離すと、清真の蒼い瞳には、月光よりも美しい幸福な光が宿っていた。花凜の声は感動で羽音のように震えていた。

「こんなに幸せでいいのでしょうか……まるで星の世界にいるみたい」

 清真が微笑む。その表情には、いつもの凛々しさの奥に、愛する人だけに見せる無防備な優しさがあった。

「俺の方こそ花凜と出会えたことが、何よりの幸せだ」

 清真の言葉が星空に響くたび、花凜の胸の奥で何かが花開くように温かくなった。彼は再び花凜をそっと抱き寄せた。その腕の中で、花凜は生まれて初めて、魂の深いところで完全な安らぎを感じた。

 満天の星が二人を見守るように瞬き、湖面に映る月光が静かに揺らめいている。この瞬間が永遠に続けばいいのにと、花凜は心の底から願った。

「君がこの世界に生まれてきてくれて、俺と出会ってくれたことに……心から感謝している」

「清真さま、私もです……これからもずっと貴方とともに居たい」

 帰りの馬車に乗り込む二人の表情は、出発した時とは別人のように輝いていた。互いを心から愛し合う恋人同士として、魂の深い部分で響き合っていた。
 馬車の中で、花凜は清真の手をそっと握った。彼の指が優しく彼女の手を包み返し、言葉を交わさなくても二人の心は完全に響き合っていた。その静かな一体感に、花凜の胸をときめかせる。

 窓の外では、慈愛に満ちた月が二人の愛を見守るように静かに輝いている。まるで天からの祝福を受けているかのように、夜の世界全てが美しく見えた。

 月宮邸に戻ると、花凜の部屋の前で清真が最後にもう一度、彼女のほおに口づけをした。

「おやすみ、花凜。俺の愛しい人」

 清真の言葉に、花凜の頬がふわりと桜色に染まる。

「おやすみなさい……私の一番大切な清真さま」

 部屋に入った花凜は、窓辺に立って夜空を見上げた。今夜と同じ星たちが、優しく瞬いている。胸の奥には、清真への愛があたたかな光となって宿り、その輝きが彼女の心を永遠に照らし続けるのだろう。

 これから毎朝、清真の声で目覚め、毎夜、彼の優しい眼差しに見送られて眠りにつく。二人で歩む未来には、きっと笑顔と愛に満ちた日々が待っている。
 窓の外で、帝都月華の月が微笑むような輝きを見せている。二人が紡いだ『月の半身たちの恋唄』を静かに見届けていた。そして新たな章の始まりを、優しく見守る光として。

 その夜、花凜は幸せな眠りについた。夢の中でも、清真の声が優しく響き、彼の腕に包まれているような温もりに満たされていた。

 了



月宮 清真