『あの方の瞳に映る私は、生まれて初めて輝いていた』
満月が、帝都月華の夜空に浮かんでいる。
銀の光が石畳をぬらし、祭囃子の音が夜風に乗ってながれていく。月見祭りの宵。ガス灯とちょうちんが織りなす光の帯の中、着飾った人々が行きつどう。
ひとりの少女が人波に押し流されるように、石段のわきに立っていた。
誰も彼女に気づかない。薄汚れた着物を来たみすぼらしい娘など、誰も気にかける者はいない。
藤里花凜は、継母に言いつけられた使いを終え、急いで屋敷に戻らねばならない。けれど――満月の美しさに、足が止まってしまったのだ。
銀色の光がほおを撫でていく。母が生きていた頃、こんな夜にはいつも一緒に月を見上げたものだった。
「きれい……」
そうつぶやいた時だった。
突然、空気が変わった。群衆がざわめき始める。人々が振り返り、息をのむ声が次々と上がった。
「『月宮さま』だ……」
「月宮さまがいらしてる」
花凜も振り返る。人波が左右に分かれていく。向こうから、一人の男が歩いてくる。
月光を受けて、透き通るように煌めく銀の髪。漆黒の着物に身を包み、腰に佩いた刀が月光をはじく。
彫刻のようにととった顔立ち。長い睫毛が影を落とし、深い蒼色の瞳が夜を見透かしている。歩く度に銀髪が風に舞い、まるで月の化身が地上に降り立ったかのようだ。
人々は皆、畏敬の念を込めて頭を下げている。
「『月宮さま』……」誰かがふるえ声でつぶやいた。
月宮清真――帝都最強の『月詠みの陰陽剣士』
都を守る異能種の血を引く貴公子。その名を知らぬ者はいない。
清真の足が止まる。石段の下で、花凜の前に立った。低く響く声が、花凜の魂をふるわせる。
「君を探していた」
そして――。
美しい人は、私の前にひざまずいた。群衆がどよめく。女性たちの悲鳴にも似た声が囁く。
清真は花凜の手をそっと取った。指先は氷のように冷たく、同時に燃えるように熱い。
「君の瞳に映る月の光……それは本物の『月詠みの力』だ」
世界が止まったかのような静寂。
清真の瞳が、花凜を見つめ続けている。月光が銀髪に踊り、ほおに影を落とす。美しすぎて、現実のものとは思えない。
花凜の心臓が激しく跳ねる。
なぜ、こんな場所に? なぜ、自分のような者の前に?
「俺は長い間、君を探し続けていた。この孤独な魂を救ってくれる、真の光を」
声に込められた切なさが、花凜の胸を締め付ける。最強と謳われる男性が、なぜこんなにも儚げな表情を浮かべるのだろう。
花凜の唇が震える。
「私は……私なんて……」
「いや」
清真が首を振る。動作さえも、舞うように優雅だ。
「君こそが、俺が探し求めていた光だ」
清真の蒼い宝玉の瞳が、優しく細められる。
「君は美しい。その清らかな魂も、秘められた力も」
清真が立ち上がり、花凜のほおに手を添えた。指先は絹のように滑らかで、あたたかかった。
「どうか、俺の花嫁になって欲しい」
月光が二人を包み込む。祭りの夜が、始まりの時を告げていた。
帝都に、新しい恋唄が生まれようとしている。月の神が織りなした、美しくはかない定めの糸で――。

受賞記念描き下ろし 表紙 挿絵
