鷹安駅は譲たちの大学から関西鉄道を使って二十五分のところにある。普通しか止まらない駅だがその分家賃の相場も安く、この沿線の大学生が多く下宿している。駅前に小さな商店街があり、たいていのものはここでそろうし、原付で十五分あればわりと栄えた街にも出られるので、バイト先などにも困らない。

 譲たちが久保田のもとを訪れた時も、久保田がちょうどバイトから帰ってきたタイミングだった。すでに内定も得ている久保田はカラオケ店のバイトにオープンから入っていることが多い。もともとは深夜のスタッフだったが、最近では三交代のどの時間帯にも入るようになった。

「バイト終わって帰ってきたばっかなのに警察の事情聴取とか勘弁してほしいよ」

 インターフォンで事情を伝えると久保田は渋々ドアから出てきた。後ろの磐田と譲を見ても驚かないのは荒川から連絡が入っているからだろう。磐田が言うように荒川と久保田が裏でつながっていなかったとしても、昼に荒川が不在着信を残していたならすでに連絡がついていることは十分考えられる。

「あんまり時間は取らせないのでご協力お願いしますよ」

 下手に出つつも有無を言わせない神崎の言葉に折れた久保田が神崎たちを部屋に招き入れた。さすがに隣人の目もあるので警察と部屋の前で立ち話というわけはいかないのだろう。

「柳瀬くんも大変だな、今日一日協力しているんだろ? 綾菜からさっき電話で聞いたよ。ああ、その辺に適当に座って」

 男の一人暮らしにしては整頓された部屋だ。ローテーブルを囲んで譲たちは腰を下ろす。

「さすがに一応聞き込み中にビールはまずいっすね? お茶でいいっすか?」

 冷蔵庫を開けながら久保田が聞く。

「お構いなく。荒川さんに電話で聞いたというのは警察の聞き込みがあるかもってこと?」

「ええ、昼に不在着信があったからかけ直したらさっきまで事情聴取だったって。同じゼミだから俺のとこにも来るかもって言われて……」

 神崎なりにカマをかけたつもりだが久保田は余裕で返事する。このあたりは想定内だったのかもしれない。

「それにしてもまさか朋ちゃんがこんなことになるなんてな」

 コップに入れた麦茶を運びながら、誰に対して言うでもなく久保田が言った。久保田のことをあまりよく思っていないからか、譲はその久保田の態度をしらじらしく感じた。磐田も久保田の表情や視線の動きをつぶさに観察している。

「南さんについていくつか聞きたいのだけどいいかな?」

 あくまで任意での事情聴取になる。今の時点で捜査本部の意向からはかなり外れている。ここで久保田に拒否されると捜査の継続は厳しくなる。

「いいっすけど、あんまり時間かけないでくださいね。こう見えて意外と精神的に参ってんすから」

「ああ、なるべく手短に済ませるようにするよ。まず昨日の夜十一時から十二時ごろ何をしていたか教えてもらえるか?」

「ちょっと刑事さん! それってアリバイの確認ですか? もしかして俺を疑ってんすか? だって朋ちゃんは事故死だって聞いたけど」

 久保田の反応は聞き込みをされた多くのものが見せるのと同じ反応だ。怒りや不安などベクトルは違えど皆一様に動揺を見せる。そのときの表情の変化などを細やかに見るのも警察の務めだ。しかし、人の表情や心理の変化をつかむのに磐田の右に出るものはいないので、神崎はどんどんと質問を投げかけることに集中する。

「関係者みんなに聞いていることだよ。別に君だけに聞いているわけではない」

「……ならいいですけど」

 不承不承といった様子で久保田が昨夜のことを話し出す。

「その時間なら家で寝ていました。つーか、その日は酔っていてだるかったんで一日外に出ていません」

「何かそれを証明できる人とはいないかな? その時間は独りだった?」

「そんなのいないっすよ。誰かが寝てるとこを監視しているとかあります? そんな時間にアリバイある方がおかしくないですか?」

 久保田の言うことにも一理はある。家族と共に暮らしているのと違って一人暮らしの場合は自宅にいる時間帯はアリバイがないことが多い。むしろ久保田に完璧なアリバイがある方が疑わしく感じていただろう。

「まあね。それじゃあ君が、南さんが亡くなったことを聞いたのはいつの時点だったか教えてもらえるか?」

「あ、はい。俺がまだ寝てたときだったんで八時ごろだったと思います」

「誰から電話がかかってきたの?」

「はい、綾菜からかかってきました。自分はもう事情聴取を受けて、松本先生も今受けているって。松本先生からも連絡しておくように頼まれたって言っていました。俺も大学行った方がいいか聞いたんだけど、どうせ休講だし警察がいてややこしいから来なくていいって言われて……バイトのシフト変更もできなかったんで結局バイトに行ってたって訳です」

 なるほどとメモを取りながら神崎は平静を装っている。譲は思わず顔に出そうになったがそれを我慢する。

 誰が久保田に連絡を取ったか? 荒川の話と磐田が聞いてきた松本教授の話は矛盾していたが、久保田の話を聞く限り松本の話が正しそうだ。ならば荒川はなぜ自分が連絡を取ったことを隠していたのか? それがただの勘違いだとは譲には思えない。

 メモを取り終えた神崎が視線を一度磐田に送る。磐田は腕を組んで何やら思案している様子だが神崎の方を見ても特に反応はない。このまま話を続けてもよいと判断した神崎がさらに質問を投げかける。

「事件があったのは昨日の夜だったってことは知っているかな?」

「……はい、それも聞きました」

「第一発見者の荒川さんがすぐに君に電話しなかったのはなぜかな? 同じゼミの仲間が亡くなったんだ。すぐにでも電話しそうなものだけど」

 神崎の少し切り込んだ質問に久保田はばつの悪そうな顔をする。助けを求めるように譲の方を見たが、思わず譲が目をそらすと、あきらめたようにため息をつく。

「なるべく俺に電話したくなかったんでしょ? 俺ら別れた直後だったんで」

「……別れた?」

 聞き返す神崎に久保田は勘弁してくれといった表情を浮かべる。

「ちょっと刑事さん、人が悪いっすよ。どうせそのあたりも調べたうえでここに来てるでしょ?」

 神崎は肯定も否定もしない。できる限り手持ちのカードは見せないのが捜査の基本だ。下手に情報を与えると話を合わせたり、まだ表面上に出てきていない情報の隠ぺいにつながる。知っている情報を知らないように、知らない情報はすべて知っているかのように話し、それでも一致した情報から真実を紡いでいく。

 神崎の狙いもわかっているが、同時に久保田の警戒を強め過ぎないことも必要だ。磐田が捜査の上でそこまで計算していたかはわからない。そのさじ加減は難しいが、そこを調整するのが自分の役目だと譲は思っている。

「安岡先輩にお二人のことをいろいろ聞きました」

「安岡から?」

「はい、でも安岡先輩はお二人に気を使ってかあまり細かい部分までは話してもらえませんでした」

「二人に……じゃなくて、綾菜にだろ? あいつはとことん不器用な奴だからな。入学のころから綾菜に惚れていたくせに結局俺に横取りされちゃうんだよ」

 不器用な安岡のことを何でも小器用にこなす久保田は下に見ているのかもしれない。その言い草に譲は少しひっかかる。

「それでも顔に出るから警察にも疑われたってわけか」

 警察が久保田と荒川の関係を深い部分まではつかんでいないと確信して久保田の表情に少し余裕の色が戻ってくる。

「了解。柳瀬くんの言葉で少しすっきりしたよ。それじゃあ、腹の探り合いみたいなことは止めましょうよ、刑事さん。俺も聞かれたことはちゃんと答えるんでチャチャっと進めちゃってください」

 安岡が情報源ということで久保田が安心したのは譲たちにとっても好都合だった。防犯カメラの映像や松本教授からの情報に比べると手持ちのカードとしては弱いものを切ることで久保田の油断をつくことができる。

 神崎も譲と同じことを考えていた。直球で情報を得るようなふりをしながら、少しずつ手持ちの情報との整合性を確認する。じわりじわりと核心に迫るのには慣れている。久保田の方も、聞かれたことにちゃんと答えると言いながらその実、腹の探り合いを続ける気は満々だった。

「君の体液が南さんから検出された。警察は君を容疑者と考えている」

 磐田が突然、放った言葉に周囲の雰囲気が凍り付く。久保田の唾を呑みこむ音すら聞こえるようだった。一瞬、遅れて神崎が磐田を睨みつける。飄々とした普段の様子に隠されていたするどい眼光に傍の譲の方が気圧されしまう。しかし、当の本人は神崎のことなど気にもかけずさらに言葉を続ける。

「昨日、南さんがこの部屋に来ていたはずだ。駅の監視カメラにも南さんの様子がしっかりと映り込んでいる。そうだな、神崎?」

 意趣返しのように神崎を睨みつける。

……こいつは昔からこういう奴だった。

神崎はまんまと磐田に出し抜かれた悔しさを押し込めながら、高校時代を思い出していた。天邪鬼で人とは違う方法を好み、誰かを出し抜くことに喜びを感じる変人。だが、こうなっては神崎も磐田のペースに乗るしかない。そこまでわかっていての発言だということが余計に神崎からすると腹が立つ。

「ああ。久保田くんを容疑者に固める方向で捜査は進んでいる」

 腹の辺りに力を込めてそれをふっと吹き出すように神崎が話を合わせた。あくまで参考人の一人ぐらいに考えられているだろうと高を括っていた久保田の表情が青ざめている。

「君は南さんと昨日、何らかのトラブルがあった。それがきっかけで南さんの殺害に至った。それにつながる有力な証拠も出てきている」

 強い言葉で言い切った磐田を隣の神崎と譲も凝視する。深く陥って行きそうな黒の瞳からは磐田の言葉が真実を語っているのか、久保田を追い込むためのはったりなのかわからない。

 先ほど取り戻した余裕の態度から一転、久保田は大きな動揺を受けている。反論の言葉にも焦りの色が見えた。

「ちょっと待ってくれよ! 有力な証拠ってなんだよ!」

「捜査上の秘密は簡単に話すことはできない」

 磐田が冷たく突き放す。

「何だよそれ! 俺は何もしてねえよ」

「それを証明するアリバイはないんだろ?」

「だったら俺がやったって証明もできないだろ!」

「ああ、今の時点ではな。別に君が今話さなくてもいいんだ。遅かれ早かれ君は逮捕される。その後にゆっくりと話を聞けばいいんだから」

 ゆっくりと落ち着いた口調だが、それが久保田には死の宣告かのように聞こえる。すっかりと初めの勢いがなくなった久保田の視線がワンルームの部屋の中をさまよう。頭の中で様々な計算が渦巻いているのだろう。

 心ここにあらずと言った久保田を射すくめるように磐田の眼光が貫く。凪いだ水面に大きな石を投げつけて波紋を広げるのに似ている。その広がった波紋の隙間から覗いた真実を磐田が汲み取ろうとしているのが譲にもうかがえた。

 久保田の思考が一回りする頃合いを見て、磐田が得意な心理戦の領域に引きずり込んでいく。

「君が容疑者でないというのならきちんと真実を話した方がいい。現時点では君が第一の容疑者だが情報いかんではその対象から外れるということもありえる」

 磐田がチラッと神崎の方を見た。

「警察のやり方はわかっただろう? 元から調べてある情報を聞き込みの所々で入れて相手が真実を語っているか、何か隠しているか判断している。下手に嘘をつくとかえって君の首を絞めることになるぞ」

 磐田の言葉に無言で久保田は頷く。

 久保田に真実を話させるための方策なのは理解しているが、神崎としてはおもしろくない。譲から見ても神崎が不満に思っているのはあきらかだ。だが、それすらも磐田は楽しんでいるきらいがあった。

「聞かれたことに嘘はつきませんよ……そもそもその必要はないんだ。俺が犯人じゃないんだから」

「……それがいい」

 磐田は口元だけ薄っすらと微笑を浮かべている。今度はしっかりと神崎の方に振り返る。

「神崎警部補、質問は俺からしても大丈夫かな?」

 神崎は無言であごだけしゃくる。こうやってとことん挑発的なところが人に嫌われる部分だと譲は思った。久保田はそのやりとりにまで気を回す余裕がないようだ。何を聞かれるのかと構えている。

「それではいくつか質問させてもらおう。まずは昨日の南さんとのことだ。一昨日の卒論発表会の打ち上げの際にはもめていた南さんがなぜ昨日、君の部屋を訪れたのか? もっと言えば荒川さんを含めたゼミ内での人間関係まで聞かせてもらいたいな」

 知らないふりをしてか、知っているふりをしてか手法の違いはあったが、久保田に聞きたい核心の部分は共通していた。南朋子の昨日一日の行動で一番不明だった部分、もし南の死が事故でなかったのならその原因とつながる部分が久保田の部屋での南の過ごし方だ。

 本来、南が久保田の部屋に来たことも確証はなかった。防犯カメラに写っていたのはあくまで鷹安駅を利用する南の姿だ。容疑者として有力な証拠があるというはったりを否定させて、それ以外の部分をどさくさで認めさせるのは哲学者というよりは詐欺師の手法に近かった。

「……一週間ぐらい前だったかな、俺が綾菜に別れを切り出したんです。今までも俺の女癖のせいで責められることがあったんだけど、その時も俺がバイトの女の子と飲みに行ったことが原因で綾菜と揉めました。あいつは面倒見がいいというか、尽くしてくれる女なんですが、少々束縛しすぎるところもあって、それが俺は不自由に感じていました。研究で忙しい綾菜とじゃあんま会う時間も取れないし、まあいっかって感じで別れを切り出したんですが思いのほか粘られちゃって、結局、一方的に話を打ち切る感じで綾菜と別れました」

 ぽつりぽつりとその時の様子を話す久保田からは自分の保身しか感じなかった。どうしてこんな奴と荒川先輩が……と譲は怒りに似た感情が浮かぶ。

「それをどうも、朋ちゃんが綾菜から聞いたらしくて『なんで先輩と別れるんだ』とか『先輩を傷つけたことは許さない』ってうるさくて……こないだの飲み会のときにもそんなことがありました。ああ、帰りにトイレの前で柳瀬くんと会ったときだよ」

 譲は久保田の言葉にうなずきながら、あの日の事を思い出す。譲が大丈夫かと聞くと、少し無理して笑った南の姿が浮かんだ。

「ええ、覚えています……あの後、南さんと話したので。久保田先輩は南さんに後で話をしようって誘っていましたよね? あのとき南さんは二次会には来なかった。もしかしてあの後、南さんと会っていたんじゃ?」

 磐田が質問を続けているところに横入りするような形になったが、譲のことを磐田も制止しない。南のことを考えると譲はあふれてくる感情が抑えきれない。あの日、譲が南と会話していたという事実に久保田は驚いた顔をしたが、すぐに譲の質問に答えていく。

「ああ、さっきの話をしようって朋ちゃんを呼びだした。初めは近くの公園でしゃべっていたんだけど人通りもそれなりにあるし、落ち着いて話せないから場所を変えようと言って、タクシーでこの部屋まで来たんだ」

「そんな……南さんは反対しなかったですか」

 久保田は簡単に言うが独り暮らしの男の家にそうそう簡単について行くとは考えられない。特に男性にたいして警戒心の強い南が嫌っていた久保田にほいほいとついて行くとは思えないが荒川のことが絡むと他のことが目に入らなくなるのかもしれない。

「もちろん最初は渋っていたよ。『綾菜先輩の彼氏の部屋になんて絶対いけない』なんても言われた。でも、最終的には綾菜関連の話にちゃんとケリをつけたいのかついてきたよ。言っとくけど別に無理やり連れこんだとかじゃないからな! もちろん下心がなかったかと言えば嘘になるかもしれないけど、あくまで朋ちゃんは最終的には自分の意思でついてきたんだ」

 荒川のことをチラつかされ南は正常な判断ができなかったのだろう。そんなやりかたを自分の意思とは言わないと譲が反論する前に、磐田が横で大きな音で一つ二つと拍手をした。

「女性を部屋に誘導する方法としてはお見事だな。興味を引きつつ、最終的な選択権は相手に委ねる……万が一の際の自己防衛も考えられている。柳瀬くんも少しぐらいは見習った方がいい」

 磐田の言葉の真意を計りかねて、譲は次の言葉を待つ。久保田も言葉通りの賞賛とはとらえていない。

「……だが、部屋に来たのは自分の意思でも、関係を持ったのは自分の意思だったのかな?」

「それは……」

「本人の意思に背くものなら強制わいせつにあたる。口封じのための殺害……動機としては十分だと思うがどうかね?」

 違う……これはフェイクだ。

 譲は段々と磐田の揺さぶりのかけ方にも慣れてきた。どうやら磐田は久保田が犯人だとは考えていないようだ。久保田が犯人だと考えていないからこそ、決めつけるような言動で揺さぶりをかける。

「違う! さっきも言ったけど俺じゃねえよ! それに無理やりやってねえ」

 焦りからか久保田の語気も荒くなるが、一通り強い言葉を吐き終えるとそこから急に弱弱しくなる。

「……本当なんだよ。信じてくれよ。確かにかなり強引なところはあったかもしれないけど、俺なりに朋ちゃんへの愛情は伝えたつもりだよ。そりゃ、綾菜への葛藤あったかもしれないけど、朋ちゃん自身に選択権は与えたつもりなんだ」

「南さんが君のことを選んだと?」

「そうだよ。もちろん、迷いはあったと思うけど、あこがれの人のあこがれたものを自分が手に入れたいって気持ちわからなくはないだろ?」

 言い訳のように勝手に南の気持ちを代弁する久保田を思わず殴りつけたくなる衝動に譲は駆られた。その気持ちを察してか、神崎は譲の肩に手をやる。

「なるほど……盲目的に人にあこがれるとき、あこがれの対象のすべてを手に入れたくなる。久保田くん、君はなかなか人の心に精通しているね」

 自分でも苦しい言い訳だとわかっているのに、それに対する磐田の返しはそれほど攻撃的ではない。磐田が薄っすらと笑みを浮かべているのが久保田にとっては返って不気味だった。

「君の話を信じるのならば南さんはもともと荒川さんとの関係についての話をするためにこの部屋に来た。久保田くんは荒川さんと別れた話をきっちりと伝えたうえで、逆に南さんを口説き、それを南さんは最終的に受け入れた。それで間違いないな?」

「はい……間違いないです」

「南さんが部屋を出たのは?」

 再び磐田の質問のテンポが上がる。

「九時半……ぐらいだったかな。十時にはなっていなかったはずです」

 神崎は手帳を開いて南が鷹安駅に映っていた時刻を確かめる。記録に残っている時間と矛盾はない。途中、コンビニぐらいには寄ったかもしれないが、基本的には寮に戻る直前まで南は久保田の部屋にいたことになる。

「ずいぶんと長いこと一緒にいたようだが、途中でどこかに出かけたりはしなかったのか?」

「それはないです。飲み会の後、部屋に戻ってからはずっと家にいました」

「南さんも?」

「ええ、朋ちゃんも帰るまでは一切部屋を出ていないです」

 そこに関して久保田は即答する。迷うそぶりもなかったので部屋を出なかったのは事実かもしれない。

 しかし、そうだとしたらなおさら譲には納得ができない。荒川の件で久保田の部屋についていってまで話をしたところはわかる。ここまでで話に聞いた荒川への崇拝ぶりからすると十分に考えられることだ。だが、その南が別れたとはいえその彼氏であった久保田になびくことがあるだろうか。

 もちろん、そこには多少の譲の願望もあった。恋愛というものが時として予期せぬ方向に急転直下することは知っている。それでも南にはそうあってほしくないと譲は思っていた。

「そうか、じゃあ……なくしたスマホはどこにあったんだろうな?」

 磐田が自然な会話を装って切り出す。

「……⁉」

 思わず譲と神崎は目が合った。不自然な動作だったので久保田に不審に思われていないかと目をやるが、目の前の磐田の相手で必死なのか、譲と神崎の動きには気づいていない。

 磐田の発言にはいつもびっくりさせられる。散々撒いた餌や揺さぶりはこのためだったのかもしれない。譲や神崎の思考の何手も先を磐田は見据えていた。

 ……他の可能性もあるがな。

 南の部屋でスマホの位置情報の話をしていたときの磐田の言葉がよみがえる。

「わかんないっす。一応、俺の携帯からも朋ちゃんの番号にかけてみたけど電源が入ってなかったみたいで……飲み屋に忘れたかもって言うんで、次の日にかけたんですけどそこにもなかったようです」

「そうか……誰かが拾って届けてくれたのかもな」

「そうっすね」

 磐田の話に合わせているが久保田はあまりこの話に興味はなさそうだ。磐田の顔色を見ながら自分への容疑が深まっているのかどうかばかりを気にしている。それに対して磐田の方はもう久保田には興味をなくしていた。

 ……誰かが拾って届けてくれたのかもな

 その誰かの顔が譲にも浮かんでいた。きっと磐田も同じ人物を浮かべている。

 その後は拍子抜けなほど、当たり障りのない通り一遍な質問を久保田に行い、聞き込みは終わった。自分への疑いは晴れたのかと久保田は確認するが神崎も磐田もそれに対してはノーコメントだ。容疑をかけられたままなので、最初に比べるとずいぶんと疲れた顔の久保田に見送られ久保田の部屋を後にする。

 久保田の部屋に来た時はまだ薄暗かったが、すでに辺りはすっかり真っ暗になっている。下宿の学生が多く住む鷹安駅周辺は商店街のある駅の中心部以外は人通りのそれほど多くない住宅街だ。流しのタクシーも通らないので三人で駅に向かってゆっくりと歩いていく。

 コツコツと革靴がアスファルトを叩く音が響く。あたりの静寂を破るのがはばかられてしばらくは三人とも無言で歩く。譲は磐田と神崎の少し後ろを歩きながら懇親会のときのことを思い出す。

 どのタイミングで南はスマホを落としたのか考えてみた。飲み会の途中で南のスマホを見たので、最初からスマホを家に忘れてきたと言う線はない。最終的には電話は南の手元に戻っていた。事件の当日、スマホの位置情報は大学から動いていなかったとしたらどの時点で南のスマホが戻ってきたのか、南がそれを手にしたのはどの段階かを調べるともう少し詳細が見えてくる可能性がある。

 暗闇の中に遠くに商店街の灯がぼんやりと光る。街灯はあるもののしばらくは薄暗い道だったが、商店街の入り口に差し掛かると静寂は一気に喧噪へと変わる。ムッとした生温い風にのせて炭火の焦げた匂いが鼻孔をくすぐる。チェーン店の安居酒屋の焼き鳥の匂いに酒好きでなくても冷えたビールを想像してしまう。

「ちょっと、寄ってくか?」

 神崎が親指で居酒屋の看板を指す。

「俺はいい……飲みたいならひとりで行け」

 ぶっきらぼうに返す磐田に一瞬、神崎は表情を歪めかけたが、すぐにこんな奴だとあきらめる。

「作戦会議はいるだろ? 久保田から仕入れた情報のお前なりの見解も聞きたいしな。それに警察の最終判断までの時間ももうほとんどないぞ」

 さすがの神崎もただビールが飲みたかったわけではなさそうだ。実際のところ磐田がどこまでのことをつかんでいるのかもわからない。ここまでの捜査で南の死がただの事故ではないと神崎も思っていた。だからこそこのまま時間切れで事故として処理されてしまうことは絶対に避けたい。せめて事故ではないという決定的な証拠でもあれば捜査本部を説得できるのにと神崎は考えていた。

「勤務時間も過ぎているので今日の捜査協力はここまでだ」

「おいおい、もともと勤務時間なんてあってないようなものだろ? 普段はもっと遅くまで研究室にいるってことは松本先生から聞いてるよ」

 無理やり話を切ろうとする磐田に神崎が喰らいつく。松本教授の名前を出されては磐田もそれ以上否定できず、軽く舌打ちをした。

「……今日の所は本当に終わりだ。心配しなくてもちゃんと餌はちゃんと撒いてある」

「餌?」

「ああ、明日には大きな魚がかかっている予定だ」

 さらりと述べた磐田の瞳には確信めいたものが浮かんでいた。

 荒川が自首をしてきたと連絡が入ったのは次の日の朝のことだった。