異国の街角の高い屋根の上、僕は途方に暮れながら真っ赤に染まる空を見上げた。はあ、これからどうしよう。もうじき日が暮れてしまう。ああ、愛しいアズール。僕はただ、もう一度君に会いたかっただけなのに。
下で人の話し声がしたから、身が縮こまる。どうしよう、下に降りたいけど、きっとまだそこらへんにあいつらがうろついている気配がする。
つい先ほどの事。僕は辿り着いたばかりの異国の地で男たちに襲撃された。四方八方から僕に掴みかかってきた浅黒い大きな手、血走った眼を思い出しただけでも身震いする。これまでの人生で一番怖かったのは兄さんの騎乗する龍に乗って一気に空へと駆け上がったあの時だったけど、今日はそれに匹敵するぐらいに恐ろしかった。今だってまだ早鐘を打っている心臓が、さっきなんて口から飛び出るかと思った。もう逃げることだけしか考えられなかったか、得意変身魔法で猫の姿になって追っ手を撒き、闇雲にここまで走って屋根の上へとよじ登ってきたのだ。
夕闇が足元から忍び寄って、ひんやりした風が吹いてきた。心細さに涙が出そうになった僕の視界に、金色の弧を描き流れ星のようなものがぴゅんっと横切っていく。
「にゃあああん」
僕は腰を抜かさんばかりに驚き声を上げたが、間の抜けた猫の鳴き声が口から洩れて余計に泣けてきた。
僕はロイ。隣国の魔法学校の学生だ。本来ならばこんなところにいるはずがない僕だけど、理由があって今ここにいる。大好きな人に会うために、頑張って国境を越えてきたんだ。
年に一度、僕の通う魔法学校には隣国の優秀な学生が特別授業を受けにやってくる。
僕の想い人、アズールは毎年もれなくそのメンバーに入っていた。
彼はとりわけ優秀な学生という印象はあったけど、これまで僕らは特別親しい間柄ではなかった。それがあるきっかけで無二の親友になれたんだ。
今年の特別授業の目玉として、我が国が誇る『暁風の竜騎士団』の竜騎士による竜の騎乗実習が組まれていた。その希少な機会を得る為、予想通り両校から志願者が殺到したんだ。
僕は当選したけど、アズールは抽選に敗れてしまって、酷く落ち込んでいた。僕はといえば兄さんが竜医をしているから、これまで何度も竜に乗せてもらって空を飛んだことがある。
竜に乗るのは慣れるまで結構コツがいる。最初は空へと舞い上がる瞬間に気絶するものもいるぐらいだ。僕はむしろ周りに格好いいところを見せられたらいいな、ぐらいの動機で授業を取ったから、僕は快く彼に当選枠を譲った。
アズールは深く感謝してくれて、それがきっかけで彼に海より深く感謝をされて、僕らは一気に親しくなった。
賢いアズールの学びの着眼点は僕にとって常に新鮮で、今まで周りにいた誰よりも彼の発言に影響を受けることが多かった。
夏の間どこに行くにも一緒で、何時でも肩がくっつくほど近い距離にいた。消灯前には必ず僕の寮の部屋の前まで来てくれて、ほっぺにお休みのキスをしてくれたんだ。
消灯間際、彼がはにかんだ笑顔だけを残して小さく手を振る。僕も嬉しくてぶんぶん手を振る。彼が帰るまでは我慢してても、ベッドに入ったらもう、顔がにやけてしまって、嬉しさと恥ずかしさとドキドキで毎晩眠れなくなってた。
一緒にいるときゅっと胸が締め付けられるような愛おしさが日に日に増した。何で僕らは同じ国に生まれなかったんだろう。同窓で学べたらどんなに良かっただろう。そう寂しく思った。ずっとこの日々が続けばいいのに、季節はあっという間に過ぎていく。
溢れる程の思いが頂点に達したのは彼が帰国する日の朝だった。
その日は少し肌寒くて、僕はそれだけでもすごく心細いような、切ないような心地に囚われていた。僕らは寮から校舎へと続く花苑の小道を連れだって歩いた。数日前に彼が僕に向かって伸ばした手を取ってからは、そこを歩くときは自然と手をつなぐようになっていた。
急にアズールが立ち止まって、温かな手で僕の手をもっと強くぎゅうっと掴んだ。僕は驚いて彼の顔を見上げた。
言葉にならないけど目を見たら分かった。彼の青い瞳が哀しみで揺れている。
(離れ離れになりたくない)
そう目で語っていた。もちろん僕も同じ気持ちだった。見つめあっていたら哀しみが増してきて、鼻の奥がつんっとしてきた。僕らはどちらともなく引き寄せ合い、僕は長身の彼にぎゅっとしがみついた。
シャツの向こうではアズールの素直な心音がとくとく早鐘を打っていた。誰が密かもわからない場所で大胆に抱き合って、僕の頬も釣られるようにかっかと火照ってきた。
「ロイ、僕は……」
彼が僕の名をいつになく低く甘い声で呼んで、唇がくっつきそうなほど顔を近づけてきた。僕は緊張して両の拳を握りながら目を瞑る。次の言葉を期待して、僕はこくり、と喉を鳴らす。
(僕らって、相思相愛なの? それってすごく幸せだ)
そう思って天にも昇る気持ちだったのに、いいところで後から「おい、送別式に遅刻するぞ」と友達に後から声をかけられてしまった。反射的に目を開けると、彼は苦笑して僕から身を離した。
僕らは千載一遇のチャンスを逃してしまって、悔しくて小さく唇を噛む。
僕の子供っぽい仕草に彼は呆れもせずに微笑んで、自分がローブに留めていた金色の小鳥のブローチを外すと僕の掌に載せてくれた。
「これ、あげるね」
キラキラと掌で星みたいに光る、小さな小鳥。見るからに高価で僕は頂けないとぶんぶん首を振ったが、彼は名残惜し気に僕の掌を外側から包んで手ごとブローチを握った。
「必ずまた会おう」
ついに恐れていた瞬間が来た。別れが辛くて僕は頷くことしかできなかった。
結局彼が言いかけた言葉の続きを聞くこともできず、唇へのキスすら未遂のまま彼は帰国してしまった。
彼がくれた金の小鳥は僕が眠る前のひと時、異国の言葉で唄を歌う。最初はその言葉の意味が分からなくて、図書館で頑張って調べた。それが恋人の無事を願い、永遠の愛を囁く唄だって知った時、天にも昇る気持ちになった。
毎晩毎晩愛を囀る小鳥に「僕もアズールが好き。だーい好き」と話しかけた。この想いをどうにか彼に伝えたい。
手紙に君の事が好きって書きたかった。君も僕の事好き? って聞きたかった。でもやっぱり僕の勘違いだったら恥ずかしい。きちんと会って彼に直接僕の気持ちを伝えたい。
だけど未成年の魔法使いが単独で国外に出ることは危険だと禁じられている。魔法使いの試験を受けられる年齢に達して合格し国境を超えるときに身分を示す「鍵」を得るのに、最短でもあと半年は会えないのだ。
ああアズール。会いたくて堪らないよ。あの真っ青な空を切り取ったような澄んだ目で見つめられたい。お休みのキスをした時に見せる、少し照れた笑顔がとても恋しい。
若い僕らにとって半年は長すぎる。だから僕はご褒美目当てに試験をものすごく頑張った。
そしてなんとわが校創設以来初、全科目首位を勝ち取ったのだ。これには鬼の学長もご満悦だった。きっと僕ならば、無謀な使い方をしないだろうと、未成年の魔法使いが非常に優秀な成績を修めた時にのみ発行される「青の鍵」を授与してくれた。ちなみに二十年ぶりの快挙だって。えっへん。
いくら僕が未熟な魔法使いだとしても、国境をちょっぴり越えるぐらいはきっと大丈夫だろうと高を括った。だからアズールに手紙を書いて、「君に会いに行くよ。だから国境の街まで僕を迎えに来て」とお願いをしたのだ。
国境でピカピカの青い鍵を番人に見せつけて意気揚々と越えたまでは良かった。相手は僕の幼さと尊い鍵を見比べて驚いているように見えた。他にも番人が集まってきて、上役と話をして「通ってよろしい」と言われた。
異国情緒漂う街が珍しくて、ついきょろきょろしてしまう。僕は待ち合わせ場所を確認しようと地図を広げて立ち止まった。すると国境を超える時に居合わせた強面のおじさんたちが声をかけてきたんだ。
ああ、僕は世間知らずな自分が恨めしい。青の鍵が一部のコレクターの間で高値で取引をされているなんて知らなかったんだ。「鍵をよこせば命だけは助けてやる!」なんて寄ってたかって脅されるなんて、夢にも思わなかった。
僕は目くらましの魔法をかけて一瞬彼らの視界を奪う。魔法は得意だ。身を護るすべぐらいは分かっている。それから確実に逃げ切るため、猫の姿に変身し鍵だけ首からぶら下げ走り出した。
男たちの怒号に身がすくむ。見知らぬ街を必死に駆ける。仕方がなかったとはいえ路銀や地図、彼へのお土産はおろか、あの大切なブローチの付いた服すら、泣く泣く置き去りにするしかなかった。
追いかけてきた奴らを物陰に身を潜めて躱し、念のため塀伝いに屋根の上に登って動かないでいた。空はどんどん暮れてくる。数刻後には汽車に乗らないと寮の門限にも間に合わない。
アズールと国境の街で落ち合って、とりわけ美しいと言われている夕焼けを見ながら愛の告白をする。どこからどう見ても完璧な計画だと思っていたのに。悔しい、情けない。自分の愚かさを呪った。
もうどうしていいのかわからなくて泣きたくなった。待ち合わせ場所の女神の噴水に向かったとして、変身を解いたら僕は真っ裸で鍵だけ身に着けて『やあ、久しぶり』なんて言わないといけなくなる。そんなの絶対に無理、最悪だ。
こんなみっともない姿で大好きなあの人の前に姿を現すのが辛い。
なんでこんなことになったんだ……、いや僕の見通しが甘くて、ダメダメだからこうなったんだけどもさ。
先生たちも教えてくれても良かったのに、いやいや言ってた。未熟な魔法使いの一人歩きは危ないっていってた。
だけど会いたかったんだもん。しょうがないだろ。僕ってやつはさ、恋でアタマがいかれちゃったんだよ。
顔を拭ったら黒い被毛に覆われた手先が濡れる。涙が零れる。情けなくて堪らない。そんな時、遠くから聞き覚えのある声が聞こえてきた。心が震えて尻尾がぴぴっと上がる。
「ロイ! どこにいるんだ! ロイ!」
「にゃあ、にゃにゃあああ」
アズール! 僕を探しに来てくれた?
呼び声に応えたいけど、声帯が猫のままだからにゃんにゃん言ってしまう。だけど必死で呼び声に「にゃーん、にゃんにゃーん」と応えながら僕は屋根から屋根、壁から壁を駆け抜ける。すると地面から打ちあがるように、金色の小鳥が目の前に飛び出してきた。
小鳥がピピピピっと甲高い音で囀る。まるで僕の場所を知らせているみたいだ。
もしかして、さっきの流れ星、あれ星じゃなくて……。
僕が涙を拭って目の前の木の枝に飛び移り下を向いたのと、ロイが駆け寄って腕を広げてきたのがほぼ同時だった。
「ロイ、俺も君の事が大好きだ! だから安心して、ここに飛び降りてきて。俺が絶対、君を守るから!」
「にゃにゃーん!(アズール、大好き!)」
僕は感動に打ち震えたまま、濃紺のローブを翻し走り寄るアズールの腕の中に、黒猫の姿で弧を描いて落ちていく。どかっと地面に尻もちをついたアズールの上で僕は変身を解くと、鍵以外は一糸まとわぬ姿で彼の首に腕のをばしてしがみ付いた。
「アズールううう! 会いたかったよお」
「うわあ」
焦った声を上げたアズールが慌てふためきながら僕の身体を、彼の裾の長いローブで包んで隠してくれる。
「ロイ、無事でよかった。待ち合わせ場所になかなか来ないから、凄く心配したよ」
「うえええっ。ごめんなさい。ごめんなさい」
彼に抱き着いてひとしきり泣いているうちに、辺りはとっぷり日が暮れた。大分たってから小道の角から顔を出した国境警備隊の面々が「ウェルレンカの若君、そろそろ姉上のところへ戻りましょう」と遠慮がちに声をかけてきた。
そのあとアズールの姉の夫でこの街を含む南部地域の領主に「ロイ君。未熟な魔法使いが一人で国境を越えるなんて、無謀過ぎるぞ。アズール、お前も彼を窘めるべきだった。友人を危険に晒したのだぞ。同罪だ」と二人そろって散々叱られた。叱っているけども、情に厚い人なのか彼の目には涙が浮かんでいたから、申し訳ない気持ちになった。
アズールの姉上がおっとりと「好きな子に会いたい気持ちは誰にも止められないものよ。貴方も覚えがあるでしょう?」と青筋を立てて怒っていた夫を宥めてくれた。
その日は彼らの館に泊まることになり、アズールは怖い思いをした僕が眠りにつくまで傍についていてくれることになった。
彼と指を絡めて手を握り合う。もう絶対に放したくないよ。
「あのブローチ、ただ囀るだけの魔道具じゃなかったんだね」
するとアズールはちょっとバツが悪げに頭に手をやりながら白状したのだ。
「あの鳥は貴人を守護するための魔道具だ。持ち主の身に危険が迫った時、知らせてくれる。僕は君の国に行く時に過保護な家族に持たされたんだ。その後父上から指輪を譲り受けて、……実は僕は小鳥を通じてこの指輪から君の声を聞くことができていたんだ」
そう言って僕の手を握ったまま魔石の嵌った指輪を見せてくれた。
「誓っていつもいつもじゃないよ。消灯時間に合わせて鳥が歌う、ほんの一時だけ、僕は君の声が聞きたくて、その……」
僕は夜ごと小鳥に、アズールが大好きだって、話しかけていた。
だからさっき、アズールは「僕も大好き」って言ってたんだ!
そう思い立って、恥ずかしさから僕は思わず柔らかな上掛けを被って顔を隠した。
「アズール、ずるいよ。僕ばかり、色々、恥ずかしい」
そんな僕にアズールは「可愛い」と囁いてから上掛けをそっとめくると、火照って熱い僕の頬に口づけてくれた。
「俺の為に青い鍵まで手に入れて会いに来てくれてありがとう。努力家で真っすぐな、君が大好きだよ。ロイ」
僕はそれだけじゃとてももの足りなくて、「僕も君が大好き。僕の恋人になって」とはっきり告白した。
アズールは見惚れるほど綺麗に微笑んだ。その嬉しそうな顔を見たら返事を聞く前だというのに僕は感極まってしまった。僕は跳ぶバッタぐらい勢いよく身体を起こすと、彼に飛びついて勢いよく唇を重ね……、否、ぶつけに行った。目から星が出るかと思うぐらいにがっちゃんこ、と歯が当たったけど兎に角初めてのキスはやり遂げた。
「痛っつ」
ロイが僕を抱き留めながら声を上げたけど、僕は嬉しさが勝って彼の腕の中でまにまが止まらない。
(ごめんね。だけど君に恋したせいで僕はすっかりおかしくなっちゃってるから、これぐらい許してね)
「えへへ、僕も痛かった。だからもう一回しよ?」
「何回でも、しよう」
寝台の横の机に置かれた金の小鳥がぴぴぴっと合図をしてから愛の唄を囀り始めた。それを聞きながらもっとロマンティックな口づけを待つため、僕はそっと瞳を閉じた。
終
下で人の話し声がしたから、身が縮こまる。どうしよう、下に降りたいけど、きっとまだそこらへんにあいつらがうろついている気配がする。
つい先ほどの事。僕は辿り着いたばかりの異国の地で男たちに襲撃された。四方八方から僕に掴みかかってきた浅黒い大きな手、血走った眼を思い出しただけでも身震いする。これまでの人生で一番怖かったのは兄さんの騎乗する龍に乗って一気に空へと駆け上がったあの時だったけど、今日はそれに匹敵するぐらいに恐ろしかった。今だってまだ早鐘を打っている心臓が、さっきなんて口から飛び出るかと思った。もう逃げることだけしか考えられなかったか、得意変身魔法で猫の姿になって追っ手を撒き、闇雲にここまで走って屋根の上へとよじ登ってきたのだ。
夕闇が足元から忍び寄って、ひんやりした風が吹いてきた。心細さに涙が出そうになった僕の視界に、金色の弧を描き流れ星のようなものがぴゅんっと横切っていく。
「にゃあああん」
僕は腰を抜かさんばかりに驚き声を上げたが、間の抜けた猫の鳴き声が口から洩れて余計に泣けてきた。
僕はロイ。隣国の魔法学校の学生だ。本来ならばこんなところにいるはずがない僕だけど、理由があって今ここにいる。大好きな人に会うために、頑張って国境を越えてきたんだ。
年に一度、僕の通う魔法学校には隣国の優秀な学生が特別授業を受けにやってくる。
僕の想い人、アズールは毎年もれなくそのメンバーに入っていた。
彼はとりわけ優秀な学生という印象はあったけど、これまで僕らは特別親しい間柄ではなかった。それがあるきっかけで無二の親友になれたんだ。
今年の特別授業の目玉として、我が国が誇る『暁風の竜騎士団』の竜騎士による竜の騎乗実習が組まれていた。その希少な機会を得る為、予想通り両校から志願者が殺到したんだ。
僕は当選したけど、アズールは抽選に敗れてしまって、酷く落ち込んでいた。僕はといえば兄さんが竜医をしているから、これまで何度も竜に乗せてもらって空を飛んだことがある。
竜に乗るのは慣れるまで結構コツがいる。最初は空へと舞い上がる瞬間に気絶するものもいるぐらいだ。僕はむしろ周りに格好いいところを見せられたらいいな、ぐらいの動機で授業を取ったから、僕は快く彼に当選枠を譲った。
アズールは深く感謝してくれて、それがきっかけで彼に海より深く感謝をされて、僕らは一気に親しくなった。
賢いアズールの学びの着眼点は僕にとって常に新鮮で、今まで周りにいた誰よりも彼の発言に影響を受けることが多かった。
夏の間どこに行くにも一緒で、何時でも肩がくっつくほど近い距離にいた。消灯前には必ず僕の寮の部屋の前まで来てくれて、ほっぺにお休みのキスをしてくれたんだ。
消灯間際、彼がはにかんだ笑顔だけを残して小さく手を振る。僕も嬉しくてぶんぶん手を振る。彼が帰るまでは我慢してても、ベッドに入ったらもう、顔がにやけてしまって、嬉しさと恥ずかしさとドキドキで毎晩眠れなくなってた。
一緒にいるときゅっと胸が締め付けられるような愛おしさが日に日に増した。何で僕らは同じ国に生まれなかったんだろう。同窓で学べたらどんなに良かっただろう。そう寂しく思った。ずっとこの日々が続けばいいのに、季節はあっという間に過ぎていく。
溢れる程の思いが頂点に達したのは彼が帰国する日の朝だった。
その日は少し肌寒くて、僕はそれだけでもすごく心細いような、切ないような心地に囚われていた。僕らは寮から校舎へと続く花苑の小道を連れだって歩いた。数日前に彼が僕に向かって伸ばした手を取ってからは、そこを歩くときは自然と手をつなぐようになっていた。
急にアズールが立ち止まって、温かな手で僕の手をもっと強くぎゅうっと掴んだ。僕は驚いて彼の顔を見上げた。
言葉にならないけど目を見たら分かった。彼の青い瞳が哀しみで揺れている。
(離れ離れになりたくない)
そう目で語っていた。もちろん僕も同じ気持ちだった。見つめあっていたら哀しみが増してきて、鼻の奥がつんっとしてきた。僕らはどちらともなく引き寄せ合い、僕は長身の彼にぎゅっとしがみついた。
シャツの向こうではアズールの素直な心音がとくとく早鐘を打っていた。誰が密かもわからない場所で大胆に抱き合って、僕の頬も釣られるようにかっかと火照ってきた。
「ロイ、僕は……」
彼が僕の名をいつになく低く甘い声で呼んで、唇がくっつきそうなほど顔を近づけてきた。僕は緊張して両の拳を握りながら目を瞑る。次の言葉を期待して、僕はこくり、と喉を鳴らす。
(僕らって、相思相愛なの? それってすごく幸せだ)
そう思って天にも昇る気持ちだったのに、いいところで後から「おい、送別式に遅刻するぞ」と友達に後から声をかけられてしまった。反射的に目を開けると、彼は苦笑して僕から身を離した。
僕らは千載一遇のチャンスを逃してしまって、悔しくて小さく唇を噛む。
僕の子供っぽい仕草に彼は呆れもせずに微笑んで、自分がローブに留めていた金色の小鳥のブローチを外すと僕の掌に載せてくれた。
「これ、あげるね」
キラキラと掌で星みたいに光る、小さな小鳥。見るからに高価で僕は頂けないとぶんぶん首を振ったが、彼は名残惜し気に僕の掌を外側から包んで手ごとブローチを握った。
「必ずまた会おう」
ついに恐れていた瞬間が来た。別れが辛くて僕は頷くことしかできなかった。
結局彼が言いかけた言葉の続きを聞くこともできず、唇へのキスすら未遂のまま彼は帰国してしまった。
彼がくれた金の小鳥は僕が眠る前のひと時、異国の言葉で唄を歌う。最初はその言葉の意味が分からなくて、図書館で頑張って調べた。それが恋人の無事を願い、永遠の愛を囁く唄だって知った時、天にも昇る気持ちになった。
毎晩毎晩愛を囀る小鳥に「僕もアズールが好き。だーい好き」と話しかけた。この想いをどうにか彼に伝えたい。
手紙に君の事が好きって書きたかった。君も僕の事好き? って聞きたかった。でもやっぱり僕の勘違いだったら恥ずかしい。きちんと会って彼に直接僕の気持ちを伝えたい。
だけど未成年の魔法使いが単独で国外に出ることは危険だと禁じられている。魔法使いの試験を受けられる年齢に達して合格し国境を超えるときに身分を示す「鍵」を得るのに、最短でもあと半年は会えないのだ。
ああアズール。会いたくて堪らないよ。あの真っ青な空を切り取ったような澄んだ目で見つめられたい。お休みのキスをした時に見せる、少し照れた笑顔がとても恋しい。
若い僕らにとって半年は長すぎる。だから僕はご褒美目当てに試験をものすごく頑張った。
そしてなんとわが校創設以来初、全科目首位を勝ち取ったのだ。これには鬼の学長もご満悦だった。きっと僕ならば、無謀な使い方をしないだろうと、未成年の魔法使いが非常に優秀な成績を修めた時にのみ発行される「青の鍵」を授与してくれた。ちなみに二十年ぶりの快挙だって。えっへん。
いくら僕が未熟な魔法使いだとしても、国境をちょっぴり越えるぐらいはきっと大丈夫だろうと高を括った。だからアズールに手紙を書いて、「君に会いに行くよ。だから国境の街まで僕を迎えに来て」とお願いをしたのだ。
国境でピカピカの青い鍵を番人に見せつけて意気揚々と越えたまでは良かった。相手は僕の幼さと尊い鍵を見比べて驚いているように見えた。他にも番人が集まってきて、上役と話をして「通ってよろしい」と言われた。
異国情緒漂う街が珍しくて、ついきょろきょろしてしまう。僕は待ち合わせ場所を確認しようと地図を広げて立ち止まった。すると国境を超える時に居合わせた強面のおじさんたちが声をかけてきたんだ。
ああ、僕は世間知らずな自分が恨めしい。青の鍵が一部のコレクターの間で高値で取引をされているなんて知らなかったんだ。「鍵をよこせば命だけは助けてやる!」なんて寄ってたかって脅されるなんて、夢にも思わなかった。
僕は目くらましの魔法をかけて一瞬彼らの視界を奪う。魔法は得意だ。身を護るすべぐらいは分かっている。それから確実に逃げ切るため、猫の姿に変身し鍵だけ首からぶら下げ走り出した。
男たちの怒号に身がすくむ。見知らぬ街を必死に駆ける。仕方がなかったとはいえ路銀や地図、彼へのお土産はおろか、あの大切なブローチの付いた服すら、泣く泣く置き去りにするしかなかった。
追いかけてきた奴らを物陰に身を潜めて躱し、念のため塀伝いに屋根の上に登って動かないでいた。空はどんどん暮れてくる。数刻後には汽車に乗らないと寮の門限にも間に合わない。
アズールと国境の街で落ち合って、とりわけ美しいと言われている夕焼けを見ながら愛の告白をする。どこからどう見ても完璧な計画だと思っていたのに。悔しい、情けない。自分の愚かさを呪った。
もうどうしていいのかわからなくて泣きたくなった。待ち合わせ場所の女神の噴水に向かったとして、変身を解いたら僕は真っ裸で鍵だけ身に着けて『やあ、久しぶり』なんて言わないといけなくなる。そんなの絶対に無理、最悪だ。
こんなみっともない姿で大好きなあの人の前に姿を現すのが辛い。
なんでこんなことになったんだ……、いや僕の見通しが甘くて、ダメダメだからこうなったんだけどもさ。
先生たちも教えてくれても良かったのに、いやいや言ってた。未熟な魔法使いの一人歩きは危ないっていってた。
だけど会いたかったんだもん。しょうがないだろ。僕ってやつはさ、恋でアタマがいかれちゃったんだよ。
顔を拭ったら黒い被毛に覆われた手先が濡れる。涙が零れる。情けなくて堪らない。そんな時、遠くから聞き覚えのある声が聞こえてきた。心が震えて尻尾がぴぴっと上がる。
「ロイ! どこにいるんだ! ロイ!」
「にゃあ、にゃにゃあああ」
アズール! 僕を探しに来てくれた?
呼び声に応えたいけど、声帯が猫のままだからにゃんにゃん言ってしまう。だけど必死で呼び声に「にゃーん、にゃんにゃーん」と応えながら僕は屋根から屋根、壁から壁を駆け抜ける。すると地面から打ちあがるように、金色の小鳥が目の前に飛び出してきた。
小鳥がピピピピっと甲高い音で囀る。まるで僕の場所を知らせているみたいだ。
もしかして、さっきの流れ星、あれ星じゃなくて……。
僕が涙を拭って目の前の木の枝に飛び移り下を向いたのと、ロイが駆け寄って腕を広げてきたのがほぼ同時だった。
「ロイ、俺も君の事が大好きだ! だから安心して、ここに飛び降りてきて。俺が絶対、君を守るから!」
「にゃにゃーん!(アズール、大好き!)」
僕は感動に打ち震えたまま、濃紺のローブを翻し走り寄るアズールの腕の中に、黒猫の姿で弧を描いて落ちていく。どかっと地面に尻もちをついたアズールの上で僕は変身を解くと、鍵以外は一糸まとわぬ姿で彼の首に腕のをばしてしがみ付いた。
「アズールううう! 会いたかったよお」
「うわあ」
焦った声を上げたアズールが慌てふためきながら僕の身体を、彼の裾の長いローブで包んで隠してくれる。
「ロイ、無事でよかった。待ち合わせ場所になかなか来ないから、凄く心配したよ」
「うえええっ。ごめんなさい。ごめんなさい」
彼に抱き着いてひとしきり泣いているうちに、辺りはとっぷり日が暮れた。大分たってから小道の角から顔を出した国境警備隊の面々が「ウェルレンカの若君、そろそろ姉上のところへ戻りましょう」と遠慮がちに声をかけてきた。
そのあとアズールの姉の夫でこの街を含む南部地域の領主に「ロイ君。未熟な魔法使いが一人で国境を越えるなんて、無謀過ぎるぞ。アズール、お前も彼を窘めるべきだった。友人を危険に晒したのだぞ。同罪だ」と二人そろって散々叱られた。叱っているけども、情に厚い人なのか彼の目には涙が浮かんでいたから、申し訳ない気持ちになった。
アズールの姉上がおっとりと「好きな子に会いたい気持ちは誰にも止められないものよ。貴方も覚えがあるでしょう?」と青筋を立てて怒っていた夫を宥めてくれた。
その日は彼らの館に泊まることになり、アズールは怖い思いをした僕が眠りにつくまで傍についていてくれることになった。
彼と指を絡めて手を握り合う。もう絶対に放したくないよ。
「あのブローチ、ただ囀るだけの魔道具じゃなかったんだね」
するとアズールはちょっとバツが悪げに頭に手をやりながら白状したのだ。
「あの鳥は貴人を守護するための魔道具だ。持ち主の身に危険が迫った時、知らせてくれる。僕は君の国に行く時に過保護な家族に持たされたんだ。その後父上から指輪を譲り受けて、……実は僕は小鳥を通じてこの指輪から君の声を聞くことができていたんだ」
そう言って僕の手を握ったまま魔石の嵌った指輪を見せてくれた。
「誓っていつもいつもじゃないよ。消灯時間に合わせて鳥が歌う、ほんの一時だけ、僕は君の声が聞きたくて、その……」
僕は夜ごと小鳥に、アズールが大好きだって、話しかけていた。
だからさっき、アズールは「僕も大好き」って言ってたんだ!
そう思い立って、恥ずかしさから僕は思わず柔らかな上掛けを被って顔を隠した。
「アズール、ずるいよ。僕ばかり、色々、恥ずかしい」
そんな僕にアズールは「可愛い」と囁いてから上掛けをそっとめくると、火照って熱い僕の頬に口づけてくれた。
「俺の為に青い鍵まで手に入れて会いに来てくれてありがとう。努力家で真っすぐな、君が大好きだよ。ロイ」
僕はそれだけじゃとてももの足りなくて、「僕も君が大好き。僕の恋人になって」とはっきり告白した。
アズールは見惚れるほど綺麗に微笑んだ。その嬉しそうな顔を見たら返事を聞く前だというのに僕は感極まってしまった。僕は跳ぶバッタぐらい勢いよく身体を起こすと、彼に飛びついて勢いよく唇を重ね……、否、ぶつけに行った。目から星が出るかと思うぐらいにがっちゃんこ、と歯が当たったけど兎に角初めてのキスはやり遂げた。
「痛っつ」
ロイが僕を抱き留めながら声を上げたけど、僕は嬉しさが勝って彼の腕の中でまにまが止まらない。
(ごめんね。だけど君に恋したせいで僕はすっかりおかしくなっちゃってるから、これぐらい許してね)
「えへへ、僕も痛かった。だからもう一回しよ?」
「何回でも、しよう」
寝台の横の机に置かれた金の小鳥がぴぴぴっと合図をしてから愛の唄を囀り始めた。それを聞きながらもっとロマンティックな口づけを待つため、僕はそっと瞳を閉じた。
終



