長い昔語りを続けていた松上幸助はそこで一息ついた。
 西暦からネオライフに切り替わるスマホ戦争の時期を生きた人も少なくなっている。瑞樹も歴史の授業や書物で知ることはあってもこうして直接その時代を生きた人の生の声を聞くことは初めてだ。ましてやその時代の変わり目の中心に近い場所にいた人間の話である。緊張感を持って聞き続けたせいか瑞樹もひどく疲れた気がする。
「大丈夫ですか?」
 幸助の横で話を聞いていた則が幸助の様子をうかがう。松上幸助は九十七の高齢である。近頃では床にふせている時間も多い。
「大丈夫だ。ただずいぶん長い話になってしまっているね。少し一息つこうか。則くん、お茶でも入れてくれるか?」
 心配する則を手で制して幸助が言う。則はうなずいて部屋の奥の方へ向かった。リンもそれを見て「私も手伝います」と駆けていく。
 自然、瑞樹は幸助と二人きりで向かい合う形になった。
 改めて目の前の松上幸助に視線を移す。車いすに乗った皺くちゃの老人からは日本を代表する電機産業の会長とした鋭さは感じられない。幸助は首を動かして則を追っていくリンの姿を視線で追った。
「リンも確か十六になったのだったかな……近頃さらにアイナの若いころに似てきた」
 独り言のように呟いて瑞樹の方に微笑みかける。
「君も大変だろう? 私もアイナの無茶によく付き合わされた」
「いえ……昨日はこちらが助けられました」
 どう返していいかわからず瑞樹はそう答えておいた。実際、昨日の放課後まではリンはただのクラスメイトで、クラスで接している限りそんなおてんばな一面を知ることはなかった。
 幸助とアイナの話にしても疑問が残る。
 ここまで聞いた限りではリンから聞いた、世界はAIに支配されているという話も、マナソニックの結成の話も出てきていない。ネオライフに入る前後の話やジョージ・サトウの話は詳しく話されていたが、肝心な話はこれからだ。
 少なくとも第二次スマホ戦争が終わった時点ではまだ松上幸助もアイナ・サトウも世界の真実を知らなかったということだ。本番はここからだと瑞樹はもう一度気を引き締め直した。
 ちょうどそこに則とアイナがお茶とコーヒーを入れて戻ってきた。リンが急須から緑茶を湯呑みに注いで幸助に渡す。幸助は「ありがとう」言ってリンから湯呑みを受け取って一口それをすすった。
「瑞樹くんはお茶とコーヒーどちらがいい?」
「じゃあ、コーヒーで」
 湯気の出ているホットコーヒーを入れているポットからはコーヒーのいい香りが立ち込めている。その香りは靄のかかった瑞樹の思考を晴らしてくれるようだった。
「ミルクと砂糖は?」リンが尋ねるが、「ブラックで大丈夫」とそれを断る。リンはそれを「おっとなー」とからかって自分はこれでもかというぐらいミルクと砂糖を加えた。則は幸助と同じようにお茶をすすっている。
 舌に残るコーヒーの苦みと鼻を抜ける香りで一心地つくことはできたが、さすがに世間話を始めるような雰囲気ではない。リンがミルクたっぷりのコーヒーを飲みながら昨日の外での様子を則に話しているのを瑞樹も横で黙って聞いていた。
 うなずきながらリンの話を聞く則の顔を正面から見ていて瑞樹は一つ思いついたことがある。さっき則に初めて会った時、どこかで見たような気がしていたがもしかしたら父の写真に写っていたのかもしれない。瑞樹の父もマナソニックに勤めていたのでどこかで接触があった可能性は十分にある。
 目の前の則のもう少し若かったころの顔を想像するとその確信はさらに強まった。きっとそうに違いない……幸助の話が終わったら後で父のことを知っていないか聞いてみようと瑞樹は思った。
「さて一息つけたかな? そろそろ昔語りの続きをするかな」
「お願いします」
 幸助の言葉に瑞樹は姿勢を正して向き直った。幸助は皺くちゃの目をさらに細めて手を振る。
「そんなに改まらんでもいい。まだまだ長いんだコーヒーを飲みながらリラックスして聞いてくれるといい」
 そう言われても気軽に聞けるような内容ではない。瑞樹は失礼にならない程度に姿勢を崩し、長期戦に備えた。地下にいると時間の感覚がなくなるが、アイナの研究室を出たのが九時前だったので、もうすぐ昼前になる。普段なら瑞樹は学校でお腹を空かしているころだ。昨日までの現実がすでに少し懐かしくもある。
 現実逃避しそうになる心を無理やりソファに押し付けて瑞樹は幸助の言葉に耳を傾けた。
「さっきはネオライフに入ってアイナと離れたところまで話したね。では、その続きから話すことにしよう」