西暦が終わって八十二回目の春が来た。
 世界首脳会議により技術革新に対する新たな声明が出された後も、ネオライフの名称は引き続き使用されることが決定された。西暦に戻す案や新たな呼び方をつける案も出されたが二度のスマホ戦争、そして人工知能による世界の支配の教訓を忘れないため、これからもネオライフの呼称は継続されることとなった。
 あれから九か月余り、もちろん混乱がなかったわけではない。シロが発動したANSの効果は五年ほどで消える。その後はまたインターネットを中心としたネットワークやAIと言ったサービスが人類に新たな結びつきをもたらすだろう。そこに向けての新たな取り組みは始まったばかりだ。
『技術を扱うのはあくまで人間の心持ち次第』
『技術は人を幸せにするためにある』
 ジョージ・サトウと松上幸助が遺したこの言葉は世界の技術開発に関わるものすべてにとっての教訓として広がった。
 マナソニックも結成当初の目的は果たし、改めて「よりよい世界と人生に向けてサポートする」を経営理念に再出発をした。また改革党は解党し、自公党と改革党の一部が今までの政党の枠を超えてつくられた新党が先の総選挙で新たな日本の政権与党となった。
 産業の育成に対する政府の方針が大きく変わった影響で工業高校への進学希望者も急増した。今年度からはどの学校も定員を拡大して入学者数を増やす方向のようだ。
 それは瑞樹の学校も同じだ。瑞樹も登校してくるまでに、どこかきらきらとしている新入生の姿をたくさん見かけた。瑞樹にしては珍しく今朝は早く登校してきた。昨夜も機械をいじっていて、気づけば朝の四時になっていた。
 今から寝てしまっては二年の始業式早々に遅れてしまうと思った瑞樹は徹夜のまま学校に来ることを決めた。どうせ式と学活で午前中には終わる。そう自分に言い聞かせて、早めに学校についた瑞樹は、新しい教室でもすぐにぐったりと自分の机でふせていた。
「おはよう、瑞樹くん! 今年も同じクラスだね」
 突然、体を揺すられた瑞樹が体を起こすと隣の席に笑顔のリンがいた。
「一クラスしかないから同じクラスなのは当たり前だろ」
 瑞樹は睡眠を妨害されて仏頂面で答えた。
「いや、そうじゃなくて無事進級できたねって意味! 瑞樹くん、出席日数ぎりぎりだったでしょ?」
「……そっちか。まあ、何とか滑り込んだって感じだけど、さすがに前半のマナソニックにいた分は欠席から省いてくれたみたいだな」
「今年の一年生は数も多いし、瑞樹くんが紛れていてもわからなかったかもよ」
 リンがケラケラ笑いながら言う。去年は一クラスしかなかった一年の学級が今年度は急に五クラスに増える。段階的にさらに倍まで増やす予定らしい。
「……それよりどうなんだ? 少しは落ち着いたのか?」
 春休みを挟んだので瑞樹がリンに会うのは久しぶりだ。本当は休み中に一度ぐらい連絡を取ろうと思っていたが、バタバタとしていたようなのであえて距離を置いていた。
「うん、もう大丈夫。会長職は空位のままで、社長はとりあえず継続の方向になった。会長室付きだった則さんがそのまま、社長の補佐にスライド」
「まあ、ずっと幸助さんと一緒だった則さんが支えるなら大丈夫だろ! 落ち着いたら俺も幸助さんに会いに行くよ。なかなか一般人が行ける状態じゃなかったしな」
「ありがとう。その時は私もいっしょに行くわ。則さんも瑞樹くんに会いたがってたし」
「それこそ、則さんは忙しいだろ?」
 瑞樹の質問にリンはおどけて則のモノマネをしながら答えた。
「未来のマナソニックの優秀なエンジニアを逃がすな! ……だそうよ」
 まだ寒さの残る二月の末に松上幸助は九十七年の人生の幕を閉じた。マナソニックを率い、改革党との闘争の日々は波乱万丈なものであったが、その最後は大往生で眠るように息を引き取った。きっと今ごろ幸助はあの世でアイナと再会して積もる話でもしているのだろう。
 幸助自身は生前、お別れの会などは必要とないと言っていたが、各方面の人々からぜひともの声が上がり、有志での会がいくつか持たれた。そこに集まった人々が在りし日の幸助を偲び、口々に世話になったと話す様子に幸助の人望の深さが表れていた。
「それで始業式からまたなんでそんなに眠そうなの? もしかしてまた寝てない?」
「ああ、徹夜してそのまま来た」
 だから睡眠の邪魔をしないでくれという意味を込めたつもりだが、リンには伝わらない。久々に会ったからか次々と会話を振ってくる。
今まで常に学校では一定の距離感を持って周りと接してきたリンが、学校に復帰してから人当たりがよくなった。どちらかといえばもともとの地が出てきたと言った方が正しいのだが、最近ではクラスの中でもよく自分のことも話している。
「新年度そうそう、バカだねえー。そんなことしてたら今年こそ留年しちゃうよ」
「そうなったら学校辞めて則さんに世話になるわ」
「ちゃんと高校ぐらいは卒業してから来てね。だいたいそんな朝まで何してたの? また機械いじり?」
「ああ」
 瑞樹はポケットからスマホを取り出し、机の上に置いた。
「ジョージ博士のスマホ?」
「ほら、シロがANSを発動させたときにすごい出力がかかったみたいで、起動できなくなったって言ってただろ?」
 ANSの発動時の負荷でジョージ博士のスマホは起動しなくなった。幸助から許可をもらい瑞樹は半年以上前から一人でスマホの復旧作業を行っていた。則からはマナソニックで見てみようかと声をかけられたが、瑞樹はそれを断った。
瑞樹はどうしてもスマホの復旧作業だけは時間がかかっても自分の力で行いたかった。
「よくわからない技術もたくさん使われていたから、バラしてオーバーホールするのにずいぶん時間がかかったけどな」
画面のロックを外して、フリクションして操作して見せる。インターネットを使うアプリは起動しないが、メモやカメラ機能は生きている。
「今は繋がらないけどネットの機能もたぶん生きている。いつの日かきっと会える……シロとの約束だ」
 スマホを持ち上げた瑞樹は、スマホ越しに窓の外の空を見上げる。春を感じさせる少し生ぬるい風が窓から吹き込んで、瑞樹とリンの横をすり抜けた。季節は少しずつ廻っている。いつかまた出会える丁寧に話す相棒を想いながら、瑞樹はいつまでも空を見上げていた。