首相の吉本が演台に立ち演説を始めようとしたところで、国際会議場のドアが開かれた。自公党やアメリカの手引きは完ぺきだった。たちまち議場は武装したマナソニックのメンバーに占拠された。
 議場内は封鎖され、混乱の様相を呈していたが、車いすに乗った松上幸助の登場で逆に場内は静まり返った。車いすを押されて正面の演台のところまでやって来た幸助はゆっくりと各国の首脳に目をやる。
 この会場にいる多くのものがマナソニック会長であるこの男の顔を知っていた。中には会食を共にしたものもいる。
「突然の非礼をお詫び申し上げます。マナソニックのみなさんも銃を下ろしてください。私は平和的な話し合いを望みます」
 幸助が頭を下げると、幸助に促されたマナソニックのメンバーも銃を下げた。周囲で再びざわつきが起こる中、アメリカ大統領が立ち上がった。
「少々手荒な歓迎だが松上会長は我々の未来について大切な話をこれからしてくれる。彼に時間を与えることを私からもお願いします」
 アメリカ大統領も幸助と同じように頭を下げる。首相の吉本が何か言い返そうとするところに、翻訳デバイスの関係で少し遅れて大統領の言葉が届いた各国首脳から拍手が沸き起こる。はじめはまばらだった拍手がつられるようにうねりとなって広がっていく。
 先にいくつかの国に根回しをしていたのだろう。幸助がアメリカ大統領の方に目をやると茶目っ気たっぷりにウインクを返してきた。幸助は決心を固めて、各国首脳に向けて話し出した。今までもいくつもの講演を行ってきた幸助だが、世界の命運を分けるものは初めてだ。
「グリーン大統領ありがとうございました。改めて自己紹介させていただきます。マナソニックの会長を務めている松上幸助と申します。今日はみなさんに世界の真実について話に来ました。中にはすべて知っているものもいれば、薄々気づいていた方もいるかもしれません。それでもぜひ私の言葉に耳を傾けていただきたいと思います」
 幸助が話し出すと議場は再び静寂を作り出した。多くのものがいったい何を話すのかと注目している。幸助が吉本の方に目をやるとさすがにこの雰囲気では横から口出しできないのか、目をそらして黙っている。
「私が今から話す事実は私と皆さんだけで共有するべきものでもありません。この首脳会議の後には合同の記者会見とそのテレビ放送があると聞いています。ぜひそちらの方でも世界の現状とこれからについて発信していただきたいと思います」
 第二次スマホ戦争のきっかけとなったのも一部の国だけでのネットワークやビッグデータの使用だった。そうでなくても政府というのは都合の悪い情報を国民に隠したがる。すべての情報を各国の国民にもきちんと伝えることが幸助の……マナソニックの選んだ道だった。
 もちろん最初は様々な混乱も起きるだろう。それでも人はそういったことを乗り越える強さを持っていると幸助は信じている。
「……さて、前置きが長くなってしまいましたが、これから第二次スマホ戦争後の世界の真実についてお話したいと思います」
 ここにいる首脳は皆、第二次スマホ戦争終了後、つまりネオライフ以降に生まれたものばかりだ。あの時代のことを明確に覚えている世代はもうほとんどいなくなった。
 幸助はゆっくりと、しかし、はっきりとした口調で自分が見てきたこの世界の真実について語りだした。


 大きな扉を押し開けた先の部屋の中は外から見ていたより、かなり広い空間だった。その中を瑞樹の身長ほどもあるモノリスのようなコンピューターが規則正しく並び、その部屋を埋め尽くしている。
「……これがスーパーコンピューター『ゴッド』か」
 瑞樹は思わず見とれてしまった。科学技術計算用途で西暦のころに性能を競うようにして作られたスパコンの歴史は知っている。何度か日本もランキングで世界一を取ったことや、何なら科学技術冊子に乗っていたスパコンの写真を見たこともある。
 それでも目の前でこの壮大な光景を見ると瑞樹でなくても圧倒されてしまうだろう。光沢のある基盤に、まるで血液が流れるように青い光が走っている。今もこのゴッドは世界中から情報を集め、ネットワーク世界で王として君臨しているのだろう。
「さて……いつまでも見とれているわけにはいかないな。どうする? シロ」
『一番端の基盤に私をつなげていただいてもよろしいでしょうか? 私の体に対してゴッド本体の出力が大きすぎるので、いきなりすべてを乗っ取ることはできません。傍系のものから順にシステムを乗っ取っていき、私自身の出力を上げていきたいと思います』
 確かにこの手の中に収まる小さな機械でこのスパコンに対抗するのは容易なことでないのだろう。相手のシステムを奪って自分の力にしながら進んでいく必要がある。
「どれぐらい時間がかかる?」
『一つ目のシステムを乗っ取るのにどれくらいの時間がかかるかですが、十分ほど時間をいただければANSを発動させる準備はできると思います』
 シロの言葉に瑞樹は「わかった」と返事をして、スパコンとシロをつなぐ準備を始める。どちらにしても「ゴッド」の力を利用するしか選択肢はない。
 基盤同士をつなげるケーブルの部分も保護されているので、瑞樹はそれを丁寧に外していく。計算力と処理能力の増強に使われているメインのシステムからは一番離れている基盤を選んで作業を始めた。
 瑞樹がケーブルのカバー部分を外し、シロをつなげる場所を探す作業を、リンは眺めることしかできない。瑞樹と同じく工業高校に通い、マナソニックともつながりを持って育ってきたが瑞樹の技術には太刀打ちできない。集中を乱さない程度に瑞樹に話しかける。
「これしか方法がないってわかってるんだけど、本当にこれで大丈夫かな?」
「ん?」
 作業を続けながら瑞樹が聞き返す。
「シロの力を信用していないわけじゃないんだけど、あまりにも……」
「うまく物事がまわりすぎている……だろ?」
 リンの方をチラッと見た瑞樹の言葉に驚く。実は瑞樹も同じことを考えていた。
 確かにガーゴイルの防衛機能は優れたものだった。だが、そもそもそれ以外にもコスモスタワー内にもっと機械による警備があるものだと思っていたし、ゴッドへのセキュリティ対策も軍事レベルのものがあることを想定していた。
 思い返せばここまでのマナソニックの作戦はうまくいきすぎている。もちろん作戦はうまくいくことに越したことはないが、想定通りにいかないことが通常だ。だからあらゆる可能性を考えてシミュレーションも行ってきたし、様々なカードも用意してきた。
 瑞樹たちは自分たちで選んだように思っているが、もしかすると別も何かにそうなるように誘導され続けてきたのではないか……つまり罠。
 瑞樹の思考もついさっきリンと同じ場所に行きついた。
「それでも俺らにはこの方法しかないんだ」
 瑞樹は自分自身に言い聞かせるように言い放った。リンもそれ以上は何も言えない。
そうだ、たとえこれが罠であっても瑞樹たちが選べる道はこれ以外にない。あとはジョージ・サトウが未来に託した人工知能シロにかけるだけだ。
 基盤に新たにつなげたケーブルをスマホに接続する。スマホの画面が立ち上がり、シロが起動した。
『接続の準備ができました。作業が終わるまで接続を切らないでください』
「わかってる。頼んだぞ! シロ」
『お任せください。それでは行ってまいります』
 相手のコンピュータのシステムに飛び込むシロの立場からすると「行ってきます」なのかもしれないが、そのどこか能天気なあいさつに毒気が抜かれる。
 シロがつながってしばらくするとつなげた基盤に走っていた青い光がつなげた部分から赤い光に変わっていく。時間をかけてじわじわと侵食するように赤の光は基板全体を埋め尽くしていく。どうやらシロが最初のシステムの乗っ取りに成功したようである。
『思っていたより早く一つ目のシステムデータを書き換えることができました。ここから同じシステムの基盤を十ほど書き換えて、一気に本丸に突入したいと思います』
 シロから音声案内があったと同時に瑞樹の目の前にあった基盤が一気に赤色の光に変わる。シロの言う通り十ほどのシステムを乗っ取ったのだろう。そのシステムを使いシロはジョージ・サトウが自分の中に隠してあったANSの暗号化されたデータを解除していく。
 通常のスマートフォン程度の処理能力では追いつかない膨大な数のデータだったが、スパコンの力でスムーズに解除が進む。あらかたデータの解除が進み、並行して発動準備にシロがかかろうとした時だった。
 それまでシロが乗っ取っていたシステムが反転して一気に赤が青に押し戻される。瞬時に流れてきた情報にシロが叫ぶように警告する、
『瑞樹様、リン様! 逃げてください‼』
 シロの発声とほぼ同時に瑞樹とリンは壁に吹っ飛ばされて体を強く打ちつけた。幸い頭部は打たなかったが、背中に鈍い痛みが走る。瑞樹もリンも何が起こったかわからなかったが、見えない何かに壁に圧し付けられるように、体を動かすことができない。
「リン‼」
 瑞樹は首だけを動かして、リンの安否を確認する。
「大丈夫。急にこれは何?」
 リンも同じように壁に押し付けられているが、瑞樹ほど強く背中を打っていないようで、瑞樹より元気だ。瑞樹は何とか体を前進させようとするが、見えない力に圧し付けられてこれ以上前に進めない。
「……重力か⁉」
 この部屋全体の重力構造がおかしい。垂直方向に通常通りの重力も働いているが、入り口の方に向かってさらに強い力が働いていて、それが瑞樹たちを壁に圧しつける。
「シロ‼ ゴッドの防衛装置だ! 解除するんだ」
 瑞樹が必死にシロに向かって叫ぶ。
 壁に圧しつけられているので、声がうまく出せない。誰かに上からのしかかれているように肺が圧迫される。
 どういう構造かはわからないが、ゴッドの防衛装置はこの部屋の重力を操れるようだ。圧力でつぶされるほどではないが、瑞樹たちは身動きできない。これを解除するとすれば頼みの綱はシロだけだった。
 しかし、そのシロからも何も反応が返ってこない。
 その時のシロは瑞樹の言葉に返事を返す余裕がなかった。確かについさっきまではゴッドのシステムを次々と書き換え、自分の使えるメモリを増やしながらANSの暗号化の解除作業とゴッドへのハッキングを同時に行っていた。
 それは順調に行っていたし、ANSのデータ解除も終わった。だが、その瞬間だ。ゴッドの核となる部分から光の波動のように防衛命令が出たと思うと、一気にシロの乗っ取ったデータが書き換えられてしまった。
 書き換えられたのは乗っ取ったデータだけではない。さっきとは逆にゴッドがシロのデータに対してハッキングをかけてきて、それをシロが必死に守っている。目には見えないデジタルの世界で激しい攻防が現在も繰り広げられていた。
 シロはハッキングを防ぐためにあの手この手を尽くして防衛を試みる。受けたダメージを自己修復したり、時間稼ぎのためのダミーのシステムを発動するなどを一秒間の間に数えきれない回数行う。
 そんなシロの防御に対してゴッドは圧倒的な物量で攻め込む。あらゆるシロの対策を飲み込むデータの波で覆いつくす。まるですべての色を塗りつぶす圧倒的な黒のようにシロに襲いかかった。
 一時は優勢だった赤い光が消え、この部屋に入ってきた時のように青い光が不気味に穏やかなたたずまいを見せている。シロは完全に沈黙してしまった。瑞樹は繰り返しシロの名前を呼ぶが反応がない。
「シロ……何で」
 一切反応しなくなったシロに瑞樹は呆然とする。何とかスマホの所まで駆け寄りたいが、この重力でそれもかなわない。
『嘆いても無駄だ。ジョージ・サトウの生み出した人工知能は今、完全に乗っ取った』
 腹部に直接届くような重低音の声が部屋全体に響いた。壁の入口方向にかかっていた重力が解除されて少し体が楽になる。肺の圧迫から解放されて、リンがむせこんだ。
「……ゴッドなの?」
「いや……」
 リンのつぶやきを瑞樹は否定した。幸助の話を聞いてからずっと気になっていたことがわかったような気がした。
『豊原リン、それに原瑞樹。お前たちの働きには感謝する。わざわざジョージ・サトウの生み出したAIとANSの技術をここまで運んでくれたのだからな』
「私たちがここまで来られたのもあなたの手の内だったってことね」
 リンはさっき浮かんだあまりにも作戦がうまくいきすぎている答えに行きついた。リンたちは自分の力でここまで辿り着いたと思っていた。もちろんそれは間違いではないが、純粋な意味でリンたちだけの力ではない。
 ゴッド自身が巧妙に邪魔者は排除しつつ、ジョージ・サトウのスマホを持つ瑞樹とリンだけはここにたどり着くように防衛システムを操作していたのだ。あれだけ苦労したガーゴイルの攻略でさえも、シロの性能を鑑みたうえでの誘導だったわけだ。
 リンの思考がここまで辿り着いたとき、同時にある疑問が湧いてきた。
「でも、だったらなぜここまで来させたの? シロとつなげることはゴッドにもリスクがあるはず」
 ANSの技術がゴッドにとって脅威だというのならわざわざシロとつなげるリスクを負う必要はない。ANSの完成を防ぎたいだけならば、スマホの破壊を最優先に行うべきだ。そうであるならば、ここに至るまでにいくらでもやりようがあったはずだ。
「ちがうな……こいつにとってはシロの存在そのものが目的だったんだ」
「どういうこと?」
 瑞樹の言葉の真意がわからず、リンは瑞樹の横顔を見る。
「リンの考えている通りANSの完成を防ぐだけならもっと他の方法があった。でも、こいつはあえてジョージ博士の残したシロの性能を見極め、その上でそれを超える必要があった。自分の方がジョージ・サトウより上だと証明するためにな」
 瑞樹の導き出した答えを待つようにゴッドからの声も沈黙している。リンはまだ話の核心が見えていなかった。
「ゴッドは自分の性能を試したかったってこと?」
「ゴッドじゃないよ……あくまでこのスパコンはクラウド上の人工知能を動かすための触媒でしかない。ジョージ・サトウが亡くなった後も、お前は彼の研究成果、その幻影にこだわって戦い続けている。もういないジョージ博士を超えるためには、彼の考えていた策とAIを真っ向から返り討ちにする必要があった」
 瑞樹は無機質なスパコンに向けて語り続ける。瑞樹の説明でリンにもこのゴッドを使い、世界を動かしていた黒幕がいったい誰なのかわかってしまった。
「……そうだろ? ハル・カンザキ」