汽笛の音があたりに鳴り響いた。北港から出発したタンカーがいったん沖合の方に出てからターンしてコスモスタワーと向き合う。すでに甲板に三機のドローンが用意され瑞樹たちも乗り込んでいる。
「カウントダウンが始まる。準備はええか?」
「大丈夫です」
「瑞樹とリンが到着せんことにはどうしようもないからな、しっかり援護するから頼むで」
西本が発破をかける。瑞樹はシロのセッティングを確認しながらうなずいて返事をした。
「突入一分前です。カウントダウンを始めます」
オペレーターの小泉のカウントダウンが始まる。こちらのサイドの指示は小泉が行っている。則は地上組だ。同時刻に突入を始めるが地上組は派手に動いて陽動が目的となっている。できる限り警備を引きつけて高層階への侵入を容易にさせたい。
そもそも今日は普段に比べると警備も手薄になっている。世界主要国による首脳会議が改革党本部であるコスモスタワーから少し離れた国際会議場で本日より始まる。そのため首相の吉本をはじめ改革党の主要な人物はそちらに移っている。当然、警備もそちらに重点が割かれているだろう。
世界の首脳が集まるのも好都合だった。コスモスタワーの攻略と同時に松上幸助と則が考えた作戦は首脳会議の占拠である。もちろん一筋縄でいくことではないが幸助は幸助で自分ができることをこの数カ月進めていた。
その場で改革党の不正を暴くべく、水面下で自公党、さらにはアメリカの政府筋とも接触していた。改革党の一党体制を変えたい自公党の上層部は幸助の策に飛びついた。国際会議場内での手引きは自公党が行ってくれる。アメリカに対しても世界のマナソニックブランドとその会長の話には耳を貸してくれた。
首脳会議が始まるのが十三時、つまりちょうどコスモスタワーの突入が始まる時刻だ。瑞樹やリンといった若い力だけに任せておけない。幸助は幸助にしかできない戦いを始める。
必ず無事で帰ってこい……会議場の扉が開く前、幸助はコスモスタワーの方角を振り返り、心の中で念じた。
手元のデジタル時計で十秒前のカウントダウンが始まる。コスモスタワーの入口を取り囲んだ人数はわずか十五人だ。三秒前で則が立ち上がり大きく右手を振った。それと同時にコスモスタワーの入口にバズーカーが撃ち込まれる。
落雷のような轟音があたりに響いた。耳栓をしていても脳天まで届く大きな音だ。あくまで陽動が目的で、敵味方関係なく無駄な死傷者を出すつもりは則にもないので見た目は派手だが火薬の量は抑えてある。
慌てて中から警備の者たちが出てくる。一政党の警備にしては大人数だが日本の中で銃火器を用いた突入を想定して警備しているわけではない。そこにさらに催涙弾が数発撃ちこまれる。たちまちあたりは大混乱となった。
「必要以上に攻撃を加えるな! ほっといて中に突入する。中には人間じゃない機械の兵士もいると思え、パルス銃は手に持っておけ」
則の指示があたりにとぶ。今出てきた連中はあくまで普通の警備を行っているもの達だ。上階には人工知能を搭載した機械の警備兵がいることは把握している。瑞樹たちのためにもできるだけこちらがそれらを受け持つ必要がある。
催涙弾に合わせて煙幕が張られる。コスモタワーの正面入口はたちまち大混乱になった。その隙に乗じてガスマスクをつけた隊員が五人一組で突入していく。第一陣、第二陣が無事に突入したのを確認して則の第三陣も入口に向かって駆けていった。
コスモスタワーには南北二つの階段と中央に六基のエレベーターと要人用の特別エレベーターが一つある。第一陣と二陣は南北の階段を抑えて上階を目指す。則の第三陣はホールから一階を奥に突き進み、要人用のエレベーターで一気に上に進む計画だ。
もちろん非常事態になればエレベーターが止まることも考慮している。エレベーターの天井を破壊してワイヤーを伝っていくための装備を第三陣のメンバーは準備してある。
トランシーバーで第一陣、第二陣が順調に南北階段に到達したことが則に報告される。非常用のサイレンがタワー内にうるさいぐらい鳴り響くがここまでは大きな抵抗はない。
ここまでは則の想定通りだ。改革党員の中でも通常立ち入れるのは七階までだ。そこから上は党内の様々な機密事項が隠されており、セキュリティもきつくなる。
則は改革党が一般の者に隠している七階以上からが機械の兵士が配置されていると考えていた。瑞樹たちが屋上に突入するまでには七階に到達していたい。
要人用のエレベーター前を警護していた四人をパルス銃で気絶させ、拘束した第三陣のメンバーはエレベーターの天井に仕掛けた小型爆弾を爆発させた。則ともう一人が背後の警戒をする中、残った三人はむき出しになったワイヤーの強度を確かめ、ベルトのバックルに仕込んだ安全装置をワイヤーと連結させた。そして、順番に両手の袖口から日本の鋼線を射出して一人ずつ上っていく。
全員の作業が終わるまで、周囲の警戒を続け、最後に則が上を目指す。十三時ちょうどに突入が始まってからここまでまだ五分も経っていなかった。
則たち地上組の突入が始まったことは空からでもうかがうことができた。シミュレーションの時に何度も試した結果、コスモスタワーぎりぎりで高度を上げるより、先に高度を上げて降下しながら屋上を目指す方が成功率は高かった。
本番でも同じように先に高度を上げたので地上で起こった爆発も豆粒の様な大きさだ。何度も行ったシミュレーションの効果もあってか、高度を上げて風の影響が強くなっても三機とも順調にコスモスタワーに向かえている。
「このまま順調に飛ばしてもらえるとええんやけどな」
瑞樹たちの前を行く西本が誰に言うでもなく通信でつぶやく。西本のドローンを操作しているのは西本の同期の村田という寡黙な男だ。西本がよくしゃべる分、つりあいはとれている。
「西本さん、無駄口叩いている暇ありませんよ」
「わかってるて、そないカリカリすんなよ、リン。前衛の俺ら二機は左右に広がって両側から着陸を試みる。リンは俺らの軌道見て安全そうな方選んでくれ。六反さんも頼んます」
「了解!」
西本の指示で西本の乗るドローンともう一機の六反、加藤ペアの乗るドローンが左右に分かれる。コスモスタワー側の応戦があっても、それを広く分散させて薄くなった部分に本命である瑞樹たちのドローンを進ませる予定だ。
前を行く二機のドローンが大きな弧を描き、コスモスタワーの側面を目指す。すぐ近くで重なっていたローター音が遠くになっていく。どちらの軌跡も順調にコスモスタワー目がけて伸びていく。リンもどちらのルートを取るか迷っていた。そこに突然、シロからの警告音が鳴る。
『タワーの警戒区域です! 電波を受信しました。来ます! ドローンです!』
「西本さん! 六反さん!」
リンが叫ぶのに、西本が冷静に返事する。
「わかっとる。ちゃんとこっちにもシロの声も聞こえとる」
「目視でも確認しました。迎撃できそうなら迎撃します」
「こっちはこっちで俺と六反さんで対応するから、リンはリンで集中しいや。シロの情報だけつながる限りは、つなげといてくれるとありがたい」
最後の西本の言葉には雑音がまぎれていた。トランシーバーで使うような電波帯での通信だ。通信可能範囲もせいぜい百メートルほどだし、雑音もひどい。この後、乱戦に入ると通信が途切れて、連携が取りにくくなることは必至だ。ここからは当初のシナリオに沿いながら個々の判断で動くしかない。
『解析できました。西暦の頃の偵察用無人ドローンです。出力は小さいですがレーザーを射出します。耐久力はないのでこちらの装備でも迎撃可能です』
「了解!」
シロの説明に一斉に返事する。本番用のドローンには二枚のローターの下部に機銃が備え付けられた。指示を出すサブコクピットにトリガーがあり、最大四十秒間の攻撃が可能だ。ただし機体の軽量化のため銃弾のサイズや残弾の数は抑えられている。
シロの画面にコスモスタワー上空の状況が映し出される。敵のドローンから出る微弱な電波を拾って大まかな位置が把握できる。六反組のドローンがすでに交戦に入っているようだ。二機の小型ドローンに囲まれながらも、狙いを定められないよう動き回って応戦している。時々、レーザーの射線がまぶしく輝く。
西本の方は敵ドローンと距離を取りながら大きく弧を描くように相手の出方を見ている。どうやらコスモスタワーと一定の距離以上に近づくと無人ドローンは反応するようだ。西本は相方の村田に指示を出しながらうまくドローンが反応するぎりぎりの位置を探っていく。
「リン……ねら……‼」
瑞樹たちのいる側とちょうど反対方向に回っていき距離が開いたため、西本との通信が途切れる。西本はうまくドローンとの間合いに出たり入ったりを繰り返しながら、右向きに大きく旋回する。
通信は途切れたがリンには西本の意図が伝わった。六反もそれに気づきできる限り奥側で交戦を続ける。
「瑞樹くん、右側のルートを進んで! 西本さんがドローンを引きつけてくれた!」
「了解!」
瑞樹は操縦かんをグッと右に傾ける。西本に二機のドローンがついて行ったので右手前のルートががら空きになっている。少しずつ高度を下げながら着陸のタイミングをうかがう。
『気をつけてください! 信号を受信しました。もう一機来ます!』
シロの音声とほぼ同時に円盤状の本体に二枚の羽根を平行につけたドローンがタワーの屋上から射出された。飛び出してきたドローンはレーザーを出しながら真っすぐ瑞樹たちの方に向かって来る。
「瑞樹くん、真下! 左に避けて‼」
リンの声で左に回転するようにドローンの向きを変える。瑞樹たちのすぐ横を光線がかすめる。さらに小型ドローンがそのまま瑞樹たちの横を通り抜けた。小回りの利くドローンはそこで転回して背後から瑞樹たちを狙う。
「後ろをとられた! 回って‼」
リンが叫びながらローターの回転数を一気に落とす。自由落下の無重力の中、瑞樹は縦回転で体勢を入れ替える。空中戦は前後左右だけでなく高低も使った三次元の空間認識能力が必要だ。さらに落下中の無重力の時間は上下の区別さえもなくなる。
目まぐるしく動くドローンの中で方向感覚をつかむことは至難の業だが、瑞樹はドローンを手足のように扱った。小さい分細かな運動性は相手の方が上だが、それを上回る瑞樹の反応で、追いかけるドローンの真下を取る。
「リン‼」
「あたれっ!」
リンが機銃のトリガーを力一杯押し込む。連続した発射音と振動がトリガー越しにリンの手に伝わる。
「やったか?」
「だめ! 後ろの方をかすめただけ。態勢を立て直して浮上しよう。逆に後ろをとって、ターンするところを狙う」
リンの放った機銃は移動するドローンの後方をかすめたが、そのまま射線を通りすぎてしまった。瑞樹は操縦かんをグッとひきつけ機体を元通りに立て直し、ローターの回転数を上げ、急上昇する。無重力状態から一気に重力が両肩にかかり、操縦かんが重い。
腕だけではなく腰から引っこ抜くような感覚で操縦かんを引っ張る。先ほどとは逆に前を行く円盤型のドローンの後ろを取れた。だが細かに揺れ動くドローンに少ない弾数の機銃を無駄打ちできない。
リンは「右! 右! 左!」と指示を出しながら小型ドローンの軌道の後ろをピッタリとくっついていく。どこかで必ずターンする、そこが撃墜の狙い目だ。ドローンの動きでシロにもリンの狙いが伝わっていた。タワーからドローンに飛ばしている電波の強さでターン位置を予測する。
『電波が一気に弱くなりました。そろそろターンするはずです』
「瑞樹くん、曲がりはじめたら動きは止めていい。相手に正対するようにして」
「わかってる!」
瑞樹が叫ぶと同時に小型ドローンが向きを変えようと減速する。リンは機銃のトリガーに指を添えてタイミングを計る。
「止まって! ……少しだけ右、そこ!」
ドローンのターンする軌跡を予測して待ち構える。ドローンがターンして向きを変えきったところを狙い撃ちにする。リンのトリガーに反応して二か所から射出された機銃が次々と小型ドローンに撃ち込まれた。
一発一発の威力はそれほどないが連続して撃ち込まれた弾丸がドローンのボディやローターに風穴を開ける。甲高い金属音と連続した爆発音が空に響いた。最後に小型ドローンもレーザーを撃とうとするが、いくつも風穴があきバランスを崩したローターはそれが引き金になって、螺旋を描きながら海に墜落していった。
無駄弾を撃たないようすでに射撃は止めているが再び浮上してくる気配がなく、完全に海に墜落したことをリンは確認をする。
『電波の反応が消えました。目標は完全に動きを止めました』
シロがも瑞樹とリンに告げる。リンは額に流れた汗を自分の腕で拭った。
「シロ、ドローンはまだいそう?」
『いえ、今のところ新たな反応はありません。他の方々を追いかけている分ですべてだと思われます』
リンはチラッとコスモスタワーの奥の方に目をやった。まだ西本たちは交戦中のようだ。それぞれ二台のずつのドローンを引きつけながら戦っている。
「新たな援軍が出てこないとも限らないわ。今のうちに屋上に着陸する」
「西本さんたちの援護はいらないのか?」
「作戦の成功が優先よ……大丈夫、あの人たちはしぶといから」
最後の言葉はリンが自分自身も言い聞かすようだった。西本や六反のことが心配なのはリンも同じだ。つきあいの長さで言えば瑞樹よりリンの方がマナソニックメンバーとの交流は深い。それでもリンが心を鬼にして決断していることが瑞樹にも伝わったので、それ以上何も言わなかった。
リンの指示のもとコスモスタワーの海側から見て一番手前部分に着陸態勢を取る。着陸の際に残った機銃を屋上入口のドアに向けて放った。鋼鉄でできた頑丈そうなドアだったが至近距離から機銃の射撃を受けて、ドアはひしゃげて曲り、そこから中に侵入できそうだった。
ドローンから降りる際に荷台に積んでおいた携帯用の武器を仕込んだ防弾ベストを上から着込み、ドローンに備え付けたスマホの配線を外して胸ポケットに入れた。タワーの内部に入ってもシロの情報は必要なので、シロは起動したままだ。
リンは電子パルス銃をホルダーから外して左手に持ったまま、ドローンから飛び降りて、ドアの方に駆けていった。
瑞樹とリンは周囲に警戒しながら、至近距離からの射撃で破壊された扉の中をのぞき込む。コスモスタワーは直方体の通常のビルの上の部分にピラミッドを途中で輪切りにしてひっくり返したような建物がくっついている。中に入るとその逆ピラミッドの周の部分に廊下が配置されていて、真ん中は三階分ぐらいのスペースを使った吹き抜けになっている。
その吹き抜けの各階はエスカレーターと階段、東西にはシースルーのエレベーターでつながっており、吹き抜けの一階、つまり直方体とつながる部分はかなり広いホールのようなスペースになっている。
ところどころシースルーになり白を基調とした大理石のようなよく磨かれた廊下や壁は西暦のころによく作られた近未来的な設計だ。さらにそのホールの一番南側に見るからに特別仕様の部屋が見える。
八十年以上経っているので細かな内装は変わっているが、シロから聞き出したジョージ・サトウがハル・カンザキらと研究を行っていたころのデータと照らし合わせても、あそこがスーパーコンピューター「ゴッド」のある場所と考えて間違いない。
柱の陰となっている部分から、その部屋の様子をうかがう。このエリアそのものが通常は立ち入りできない区域なのか、見る限り警備はいない。もちろん先ほどのように機械による自動防衛システムはあるかもしれないが、人間を倒す必要がないのは瑞樹たちにとって余計なストレスがなくてよい。
「さてと……いよいよ敵の本丸は目の前だけどどうする?」
マナソニックでは様々な状況を想定して訓練が行われていた。当然、タワー内も多くの警備がいることを前提に突入訓練が行われていたが、ここまで拍子抜けするぐらいうまくいきすぎている。もちろん、うまくいくに越したことはないが、あまりに想定通りに事が進むことが瑞樹は気になった。
下層からは則たちがゴッドを目指して戦いを繰り広げている。上では西本や六反がまだドローンとの交戦を続けている。これを好機ととらえて瑞樹たちだけでも先を進むか、部隊の合流を優先するか。
リンは一度、グッと目を閉じた後、決心をしたように無言で一度うなずく。
「待ったところで状況が好転するとは限らない。先に進もう。仮に罠があったとしても後続のために私たちが道を切り拓く」
リンの言葉に瑞樹はため息を吐いて「……だよな」と返事をする。罠にかかるのはまっぴらごめんだが、ここで隠れていても機械相手では危険は変わらない。瑞樹は腰のホルダーからパルス銃を取り出し、胸ポケットのあたりに小声で「シロ」とつぶやいた。
『このあたりでは特殊な電波による命令は飛んでいません。もちろんゴッドからのすべての電波を傍受できるわけではありませんが』
「下りるルートは?」
『階段を使えば東西どちらでもかわりません。エレベーター、エスカレーターは丸見えで見の隠しようがないので避けてください』
「了解! リン、西側の階段から降りよう」
瑞樹は体をかがめて低い態勢のまま、階段を目がけて駆けだした。途中、通路の交差するところでは周囲の警戒も怠らない。身を隠しながらの潜入もずいぶんと板についてきた。
「なんで西側を選んだの?」
階段の陰にしゃがみ込みながらリンが聞く。不気味なほど周囲は静寂を保ったままだ。
「別に……ただの勘だよ」
「瑞樹くんの勘かぁ……あたるといいけど」
「勘で答えたテストの記号問題はたいがい外すけどな」
軽口をたたきながら階段を下りる。一気に下りられたらよかったが、渦を巻くように少しずつ下り口がずれている構造なので、いちいち通路に出る必要がある。一つ下の階に来て角度も変わった分、先ほど見えなかったホールの奥の様子が見える。ちらっと物陰のようなものが動いたのが見えたので、瑞樹は周りに警戒しながら身を乗り出してホールの様子を確認した。
「あれは?」
スマホのカメラを黒い機械の方に向けてシロに問いかける。
ゴッドのある部屋のまわりを何やら黒い円盤に支柱のようなものがついた機械が滑らかに動いている。先ほど目に入ったのはどうやらこれらしい。見ようによっては産業博物館で見た自動掃除機にも見える。
『多面的光線防衛装置、通称ガーゴイルと言われる代物です』
画像検索をかけたシロが瑞樹の質問に答えた。
「どういう装置だ?」
『防衛エリアに入るとあのガーゴイル本体から光線が出ます。それをリフレクターで乱反射させて侵入を防ぐ装置です。百聞は一見にしかず、何かあそこに投げ入れてみてください』
瑞樹はベストに仕込んでいた小型レンチを取り出した。シロの言うガーゴイルという装置がどれほどのものか興味がある。立ち上がって吹き抜けからレンチを投げ入れようとする瑞樹の防弾ベストのすその部分をリンがつかむ。
「ちょっと、わざわざ気づかれるようなことしないでよ」
『リン様、大丈夫です。あれはあくまでエリアを守るもので向こうから向かって来ることはありません。今のところ他の警備の反応はありませんので、一度ガーゴイルの性能を見ておいてもらった方がいいです。はっきりいってあれの攻略は至難の業ですから』
シロがそこまで言うのでリンは握っていた瑞樹の防弾ベストを離した。
瑞樹は改めて「行くぞ!」と声をかけて、レンチを思い切り投げる。勢いよく回転する銀色のレンチがガーゴイルに向かって飛んでいくが、瑞樹の遠投力では放物線を描いたレンチはガーゴイルのはるか手前で落ちそうだ。
次の瞬間、ガーゴイルが青白く光ったかと思うと光線があたりに乱反射し、光の軌跡がとんでいたレンチを一瞬で焼き尽くしてしまった。本当に一瞬のできごとで瑞樹の目には空中に青白い稲光が走ったかのように見えた。
「とんでもねえな……」
「何か攻略法はないの?」
さすがにあのスピードでは生身の人間では対応できそうにない。
「一応、手榴弾は三つ持っているけど、本体の破壊はどう?」
『いえ、あのガーゴイル本体はかなりの硬度を持っていますし、投げても届くまでに光線の餌食にされると思います』
「命令の解除はできないのか? スマホの電波を使って解除コードをおくれば……」
防衛ためのプログラムがセットされているのならそれを解除できれば、攻撃を止めることができるのではないのかと瑞樹は考えた。
『なるほど……少し待ってください』
シロが解除コードの検索を行う。今のところにリンも他に名案が浮かばないので、シロの検索を二人で待つ。
『ガーゴイルのシステム自体は理解したので、私自身で解除コードの作成はできそうです』
シロの言葉に瑞樹とリンは顔を見合わせる。うっすら見えた希望の光をかき消すようにシロがさらに言葉を続ける。
『ただ専用機器を使わずにコードを遠隔で飛ばすのは向こうの本体の受信の関係で難しそうです』
「電波で飛ばす以外の方法は?」
『私自身がコードを立ち上げた状態でのガーゴイル本体への直接接触でも防衛システムの解除は可能ですが……』
「ガーゴイルに近づくのが不可能って訳ね」
シロが濁した部分をリンが保管する。瑞樹は腕を組んで考えこんでいる。何とか突破する方法がないものかとリンも考えてみるがいい案が浮かばない。
リンがあきらめて他の方法を考えようとした時に、隣の瑞樹が急に立ち上がった。瑞樹はベストから先ほど投げたのと同じようなレンチや細かいドライバーなどを取り出して、二つ同時にガーゴイル目がけて投げ込んだ。
先ほどと同じように青白い光線が乱反射し、瞬く間にレンチを焼き尽くす。今度は一つドライバーを投げこんで、少し間をおいて二つ目を投げる。光線の乱反射が二度、数秒の間をおいて繰り返される。
納得したような顔の瑞樹は、今度は吹き抜けの柵から身を乗り出してキョロキョロと周りを見渡している。
「どうしたの? 何か手がかりでも見つけた?」
少し楽しそうな表情に変わった瑞樹にリンが尋ねる。そこまで長い付き合いではないが、瑞樹がこの顔をしているときは機械をいじっているときか、何かを発見した時だ。瑞樹はリンの声かけにうなずいて「もしかすると何とかなるかもしれない」と言った。
「どういうこと?」と聞き返したリンを置き去りにして、瑞樹は「周囲の警戒を頼む」と言って、シロと一緒にガーゴイルの配置されているホールの一つ上の階をかけだした。瑞樹は時々、立ち止まって吹き抜けの下の部分にスマホを向けて写真を撮ったり、物を投げ入れてガーゴイルを作動させながらぐるっと一周まわってリンのところに戻ってきた。
「おかえり。それでどうすればいいの?」
「うん、あのガーゴイルの性能をシロと確かめてきたんだけど……」
瑞樹は検証した結果と考えた作戦をリンに伝えた。
瑞樹の調べたところガーゴイルから出る光線は警戒領域に入った物体を正確に狙っている訳ではない。そもそも正確に狙って射撃できるのであれば乱反射させる必要はなく、直接狙う方が効率はいい。ガーゴイルについているセンサーは領域内に侵入したものがいるかどうか、さらにはその大まかな方向と位置を把握することしかできていない。
そして、ガーゴイルは大まかな目標の位置とガーゴイル本体、さらには守るべき対象の位置を通る直線を、リフレクターを使った乱反射によって何本も作り出すことで、侵入を防いでいる。つまりガーゴイル本体は無理でもリフレクターを破壊、あるいは傷つければ計算された乱反射を狂わせることができるかもしれないということだ。
「でもリフレクターの破壊がそもそも難しくない? 手榴弾投げてもそこまでに破壊されるんでしょ?」
リンのいうことももっともだ。当然、リフレクターのあるあたりはガーゴイルの防衛範囲内だ。リフレクターを破壊しようとしても先に光線に邪魔されてしまう。
だがその点についても瑞樹は対応策を考えていた。ガーゴイルの撃ち出す光線は確かに強力だが、あれだけ強力な光線を連続して出し続けることができるのだろうか? 同時攻撃や連続攻撃に対する対応は?
瑞樹が先ほどレンチやドライバーを同時に投げたり、連続して投げたりたのはこのためである。同時攻撃については一度の光線を乱反射させ、様々な角度を攻撃することで対応していた。連続攻撃については光線を複数回出すが、一度目の射出と二度目の射出には約二秒のタイムラグがあった。
つまり一度光線を射出させた後の二秒間はガーゴイルの領域内においてもこちらの攻撃が届く。ガーゴイル本体までは二秒では遠すぎるかもしれないが、壁沿いに設置されたリフレクターには攻撃が可能かもしれない。これが瑞樹の検証から得た結論だ。
「なるほど……やってみる価値はありそうね」
「さっき回ってきた時にリフレクターの位置を確認してきたんだけど、角度的に難しいところもあったけど、何か所かはこの階からでも狙えそうなところがあった」
瑞樹はスマホで撮った画像を見せながら、リンに場所を示した。確かに壁沿いのリフレクターのいくつかは壊せるかもしれない。
「悪いけどリフレクターの破壊はリンに頼んでもいいか?」
「瑞樹くんは?」
リンはてっきり二人でするものだと思っていた。時間差をつけて攻撃するなら二人の方が効率はいい。
「俺は一つ下のホールの階で、シロと一緒にガーゴイルの光線の軌道を間近で見ようと思っている」
「それで?」
「手榴弾は三つって言ってたよな? リフレクター三か所壊せれば完璧だけど、できれば二つは壊してほしい。多少なりとも光線の通らない隙間もできると思うんだ」
瑞樹はそこまで言うとベストに入れてあったレンチやドライバー、ニッパーなどの工具を全部リンの前に出した。この命がけの突入によくこれだけの工具を持ってきたものだとリンは半分あきれかえる。
「これは?」
「投げられそうなものは全部出したから、リフレクターの破壊が終わったら、俺がいるのと反対方向に回って、とにかくものを投げてガーゴイルを反応させてくれないか?」
「……瑞樹くん、もしかして」
瑞樹のやろうとしていることが想像できてしまったリンは青ざめる。瑞樹は力強く、うなずいた。
「ああ、命がけの『だるまさんが転んだ』だ!」
言葉の意味がちゃんとわかっているのかと疑いたくなるほどあっけらかんと言う瑞樹にリンは言葉をなくす。気休めにしかならないとわかりつつも瑞樹は「大丈夫! うまくやるよ」と言ってリンに軽く手を振った。リンも「ほんとにバカ」とだけつぶやいて、スマホの画像で見せてもらった場所目指して駆けていく。
西側の階段を下りて、ホールの手前の部分で中の様子をうかがう。磨かれた床や壁は照明の光を反射させている。そこにガーゴイルの作り出す影が黒く不気味に動いている。ガーゴイルまでの距離は約二十メートル弱、少なくとも十回ほどは光線を避けなければたどり着かない。
上の階から撮ったホール全体の写真にリフレクターの位置、予想される光線の軌跡を付け加えたものをシロが用意してくれた。ここからリフレクターが壊れた後の軌跡を足していく。まさに生き残るためのライフマップだ。
『もしもし、こっちの準備はできたよ。そっちは?』
アイナの携帯電話でリンが位置についたと連絡があった。
『こっちも大丈夫! さっそく頼む』
『了解!』
念のためスピーカーにして通話はつないだままにしている。目標のリフレクター目がけてまずは瑞樹から渡されたドライバー二本でタイミングを確認する。ドライバーやレンチも限りあるが、手榴弾は三つしかない。さすがにぶっつけ本番で臨む度胸はリンにはなかった。
瑞樹の言った通り一度目の光線と二度目の光線には二秒近くの間がある。タイミングを計って投げたリンのドライバーはリフレクターにぶつかり、コンと甲高い音をたてて、そのあとすぐに光線で焼き尽くされた。
ふーっと息を吐いてリンは集中力を高める。次はいよいよ本番だ。護身のために持たされた手榴弾をまさかこんな形で使うとは思っていなかったが、今のところこれ以外に方法はない。
レンチを投げて、一拍おいて手榴弾のピンを外し、リフレクターに向かって投げる。リンは一連の動作をもう一度イメージしてみた。あまりもたもたもしていられない。左手に持ったレンチを大きく振りかぶり、リフレクターに向けて投げつけた。力んだのか少し右側にそれるが問題はないだろう。
すぐに次の動作に集中する。素早く、かつ正確に安全装置のピンを外し、手榴弾を振りかぶる。乱反射する光線があたりを照らした。その光が消える瞬間にスナップを利かせて、リンの手元から手榴弾が放たれた。リンはすぐにその場に伏せて口を開けて気道の確保をする。
緩やかに放物線を描いた手榴弾がリフレクターの少し下あたりにぶつかったと同時に激しい爆発が起こった。飛び散る破片と爆風の嵐が空間を支配する。轟音がホールの中で反響した。下から見ていた瑞樹も視界が悪くリフレクターがどうなったか確認できない。
正確にリフレクターを狙うため、リンは爆発からわりと近い距離にいたので、たった一発で一気に体中が埃っぽい。頭と肩のあたりに降りかかった爆風が運んだ砂ぼこりを両手で払い落す。
『最悪……シャワー浴びたい』
『リン、大丈夫か⁉』
訓練で使い方ぐらいは習ったが、瑞樹は実際の手榴弾の爆発を目の前で見るのは初めてだ。思っていた以上の威力にリンのことが心配になる。
『大丈夫。それよりうまくいったよ! 少し下にあたったけど、それがかえってよかったみたい。壁ごとえぐり取ってリフレクターが下に落ちてる』
リンはがれきにまぎれて地面に落ちているリフレクターを見ながら言った。ガーゴイルの光線を反射させるだけあってリフレクターそのものは頑丈だ。少し欠けてはいるがほぼ原形を留めている。
作戦通りリフレクターを取り除くことができたのは大きい。これで乱反射させても途中で途切れてしまう可能性が高くなった。ホール内で瑞樹の確認する限り十六のリフレクターを発見したがそのうちの最大三つが破壊できたとなると、光線の乱反射を駆け抜ける作戦の成功率もかなり上がる。
『あーあ、後二回も埃まみれにならなきゃいけないわけね……』
リンがぼやきながら移動を始める。リンが移動している間、瑞樹は撮影していた動画を確認する。瑞樹の目では追いきれない速度で光線が走るがシロがそのデータを分析してくれる。すでにかなりの数のデータは取れている。
あとはリフレクターのなくなった場所がどのような影響を与えるかだが、できる限りリフレクターを破壊する場所は同じ方向に固めておいて、その方向からリンがものを投げてくれた方が光線に影響の出る可能性が高い。もちろんそのために手榴弾をあてにくい場所を狙って失敗してもいけないが、リンにはなるべくさっき破壊した場所の近くのリフレクターを狙うように瑞樹は指示をした。
二度目のリンの攻撃は少し狙いにくい角度で、少し通路の陰にもなっている場所だったので、一度目ほどうまくリフレクターを落とすことはできなかった。壁にはリフレクターが残ったままだったが、崩れたがれきによって大きく角度が狂ったので、多少は反射を狂わすことができるだろう。
三度目は他に遮るものもなく距離的にも一番近かったので、問題なくリフレクターを落とすことができた。先ほどの角度が狂ったリフレクターが一度明後日の方向に光線を反射させて、リンのいる上階まで飛んできて危険なことはあったが、何とかリンは瑞樹の考えた作戦の第一段階を終えることができた。
直撃はないにしろ、何度も伏せたそのうえを爆風が通り抜ける経験にさすがのリンも疲労感を感じた。あとは瑞樹がいるのと反対方向、壊した三つのリフレクターの中心あたりから連続して物を投げこむだけだ。
そこからは瑞樹を信じるしかないが、本当にうまくこの光線の中を駆け抜けることは可能なのだろうかとリンは心配になる。光線の威力を間近でみたが、直撃すれば一発でアウトだ。リスクは大きいが、かと言って別の方法は思いつかない。
『リン、光線の軌道を確認したい。何回かガーゴイルを反応させてくれないか?』
瑞樹はスマホをガーゴイルの方に向けて構えながら言った。画面にはシロが計算した安全地帯がマーキングされている。この場所の確認とガーゴイル目がけて進むべきルートの確認だ。
『いいけど、そんなに投げ込むものの余裕がないわ。二回ぐらいでも大丈夫?』
『ああ、問題ない』
瑞樹の返事を聞いて、リンは少し間を空けて二度、ガーゴイルの防衛領域にドライバーやレンチを投げ込んだ。回転するレンチが一定の領域に入ったのを確認して、ガーゴイルの本体が光り輝き、青白い光線を発射する。目にも止まらない速度で光線がホールの中を反射して進むが、破壊されたリフレクターの影響か光線の守備範囲に明らかに偏りができている。
リフレクターを壊すために何度もレンチを投げているからわかるが、光線がレンチに当たるまでの所要時間も長くなっている。リンから見てもガーゴイルの鉄壁の守りに小さな綻びができているのは明白だった。もちろん、だからといってガーゴイルの光線の隙間を縫うことは簡単なことではない。
瑞樹もスマホの画面を見つめながらその難易度の高さを痛感していた。だからといって不可能なことではない。一歩間違えれば命を落とすことになるが、シロのサポートがあれば付け入る隙がないわけではない。
ただ瑞樹にはそのことに一抹の不安を感じていた。
……なぜ付け入る隙があるのだろう?
確かにガーゴイルの性能はガーゴイルの性能は優れている。ガーゴイルだけでも十分強固なセキュリティーとなるだろう。だがガーゴイルの性能を考えれば何か他の防衛システムと組み合わせればいくらでももっと堅固なシステムが作れそうだ。
もちろんガーゴイルは堅固な防衛システムであるし、それで十分と考えたのかもしれない。それでも瑞樹は何かひっかかる感じがしていた。
『瑞樹くん……瑞樹くん!』
リンの呼ぶ声で我に返って返事をする。
『ちょっと、大事なとこなんだからしっかりしてよね! こっちの準備はいつでも大丈夫。そっちは?』
『ああ、画像に計算した安全地帯を入れてある。シロのサポートもあるし何とかなると思う』
『……瑞樹くん』
『ん?』
『死なないでね』
リンの言葉に瑞樹は『ああ』と力強くうなずいた。
こんなところで死ねない‼ 瑞樹は心の中で強く念じた。
「行くぞ! シロ!」
シロに声をかけて一度目の光線発射を待つ。何度かガーゴイルを見ていてもう一つ分かったことがある。ガーゴイルが光線を放つより一瞬早く、発射の準備を行う黒光りした本体も青白く輝く。本当に一瞬のことだが、その一瞬が瑞樹にとっては生死を分ける大切な一瞬だ。
リンの投げたドライバーがガーゴイルの防衛領域に到達する。ガーゴイルの本体が青白く光った。乱反射された光線が瑞樹のすぐ前にも稲妻のように走る。目の前を通ったと思った瞬間には瑞樹はもうスタートを切っている。シロが示してくれたポイントまで二秒以内にたどり着かないとゲーム―オーバーだ。
膝の力を抜き、できるだけ無駄な力を使わず加速し、決められたポイントで姿勢を低くしてしゃがみこむ。ガーゴイル本体が再び光った。瑞樹の床に着いた手のわずか数十センチのところを光線が通過していく。その恐怖に耐えながらも次のポイントに目をやる。
リフレクターを破壊したおかげで、光線の通らないポイントは増えたが、二秒以内で行ける範囲にあるかというとそれは別だ。ルート選びを間違うとそこに到達するまでにガーゴイルの光線の餌食にされてしまう。
光線が通過するたびに瑞樹は次のポイントに移動する。じっくりと考える時間も余裕もない。ただシロのことを信頼して、シロの指示に合わせて動くのみだった。ポイントに到達しても気は抜けない。そこでしゃがみこまなければいけないこともあれば、気をつけの姿勢で動けないこともある。その安全地帯となるポイントでとる姿勢すらも間違うことができない。
金属のレンチを一瞬で消滅させてしまうほどのエネルギーが瑞樹の身体のすぐ横を通り抜ける。その熱量や空気感、さらには極度の緊張から汗が止まらない。それでもその汗を拭う余裕すらない。
半分ぐらいは来ただろうか? 瑞樹の疲労は十メートルほど進むだけでもかなり積もっていた。しかし、大変なのはここからだ。ガーゴイル本体も光沢のある床の上をすべるように移動している。そこまで移動速度は速くはないが、移動するということはそれだけゴールまでのルートの選別が難しいということだ。
ガーゴイルにシロを接触させて防衛解除コードを読み込ませるのに約一秒かかるという。つまり、最後の一手は光線照射から一秒以内にガーゴイルに接触させる必要があるということだ。ゴッドのある部屋を守るように周回するガーゴイルの動きも視野に入れながらシロは計算結果を瑞樹に伝え続けた。
ガーゴイルに近づくにつれてどうしても瑞樹の視界はその動きをとらえてしまう。その結果、判断が一瞬遅れそうになることもある。コンマ数秒動きが遅れて、瑞樹の肩口を光線がかすめた。幸い支給された服の生地を焼いただけだったが、ほんのわずかズレていたら瑞樹の左腕はなくなっていた。
リンの位置から瑞樹の表情までは見えなかったが、その緊張感は伝わってきた。とにかく途切れないようにガーゴイルの防衛領域にものを投げ込むことしかできないが、心の中で『がんばれ』『がんばれ』と繰り返しエールを送っていた。
スーパーコンピューター「ゴッド」のある入り口を弧を描くようにガーゴイルは行ったり来たりしている。ちょうどついさっき瑞樹の正面を通り過ぎて、そこから遠ざかっていく。
『予定では次にこちら向かってきてすれ違う時がガーゴイルに接触するチャンスです』
安全地帯で光線の乱反射から身を隠している瑞樹に向かってシロが報告した。
「それを逃したら?」
瑞樹が聞き返しながら次の安全地帯に身を移す。それと同時にガーゴイルが青白く光る。
『次にうまく安全地帯とガーゴイルの動くが重なるまでに時間がかかります。おそらくその前にリン様の攻撃が尽きます』
ガーゴイルから発射された光が次々とリフレクターに反射し、しゃがみこんだ瑞樹のすぐ上も通過した。
「……つまりチャンスはその一回ってことだな」
瑞樹のつぶやきにシロは返事をしない。低い姿勢からそのままスタートを切って次の安全地帯を目指す。奥でガーゴイルがターンするのが視界に入った。
『あと二回安全地帯に入った次でガーゴイルと接触します。ガーゴイルは瑞樹様の右を抜けていきますので、右手に私を持って最短距離で接触させてください。時間的に解除できるかどうかのぎりぎりになると思います。スタートが大事です。一瞬でも早くガーゴイルと接触してください』
次の安全地帯に向けてスタート中でもおかまいなしにシロが話しかけてくる。それだけぎりぎりのタイミングだということだろう。ガーゴイルの解除が間に合わなければ、そのまま光線の射撃を受けて即死になる。そのイメージが瑞樹の脳裏に浮かび安全地帯に飛び込むのがギリギリになった。
他のことに気をまわしている余裕はない。かえってそれが瑞樹の集中力を高めた。次の安全地帯に入って、反射する光線をやり過ごしたら勝負開始だ。
火照る身体とは逆に頭は冷静に光線の反射を確認して次の安全地帯を目指す。ガーゴイル本体も瑞樹にかなり接近してきた。光沢のある本体に青白い光が灯り、光線の発射準備に入る。次が最後の発射になる。瑞樹はスマホを右手に持ち替えてスタートの準備をする。一瞬でも早くガーゴイルに接触しなければならない。
ガーゴイルから光線が発射される。リフレクターを使って反射を繰り返しながら、ホール全体に光線の結界を張る。これまでも何度も見てきた光景だ。瑞樹は繰り返しそれを見ながら、光線の結界を認識してから消えるまでの拍子を計っていた。
完全に光線が消えるか消えないかの刹那に瑞樹の脳は出発の信号を足に伝えていた。ガーゴイルまで五メートルもない。その短距離を今日一番の瞬発力で加速していく。ガーゴイルまであと一メートル!
全速力からスライディングのような形で、こちらに向かってくるガーゴイル本体にギリギリで速度を落としながら、右手に持ったスマホを打ちつけるように接触させた。慣性で右手が離れそうになるのを無理やり右手に力を入れて押し込める。
瑞樹はたった一秒がこの上なく長い時間に感じた。シロも必死に解除コードをガーゴイルに転送している。
……頼む、間に合ってくれ‼
右手を伸ばしたまま、祈るような気持ちでガーゴイルと接触するスマホを見つめる。瑞樹の想いも虚しくガーゴイルが光を集めて青白く輝きはじめる。次の光線を発射する準備が完了した。
その様子を上から見ていたリンは両手を胸の前で強く握る。
もう駄目かと瑞樹は目をつむった。
白い光が今にも発射しようと中央に集まったところで突然、光がはじけて霧散した。恐る恐る瑞樹が目を開けると、ガーゴイルは元の光沢のある黒色を浮かべ動きを止めていた。
『防衛システムの解除に成功しました』
人口知能のシロの言葉すらもどこかほっとしたように聞こえる。本当にきわどいタイミングだった。ガーゴイルの中央に集まった光の束は、あと少し遅ければ瑞樹の存在を消し去っていた。
さすがの瑞樹もそこに座り込んでしまった。スマホからは瑞樹を呼ぶリンの声が聞こえる。疲れて座り込んだまま、瑞樹が首を横に動かすと階段を走って下りてくるリンの姿が見えた。
瑞樹もぼろぼろだが、何度も爆風にさらされたリンも大概な見た目になっている。瑞樹はリンと目が合うとグッと右手の親指を突き出した。そんな瑞樹の首元にリンが飛び込んできた。目に涙をためて抱き着くリンの頭を瑞樹は軽くぽんと叩いた。
本当はこのまま力一杯リンのことを抱きしめたいとも思ったが、その前にもう一仕事残っている。瑞樹はガーゴイルが守っていた部屋の扉の方に目をやった。
……この中に「ゴッド」がある。
幸助から聞いたアイナとマナソニックの話、そこに勤めていた瑞樹の父、ジョージ・サトウの残したスマートフォン。いろんな縁がつながりあって瑞樹とリンはこの場所にたどり着いた。そして、ついに二人はその扉を押し開けた。
「カウントダウンが始まる。準備はええか?」
「大丈夫です」
「瑞樹とリンが到着せんことにはどうしようもないからな、しっかり援護するから頼むで」
西本が発破をかける。瑞樹はシロのセッティングを確認しながらうなずいて返事をした。
「突入一分前です。カウントダウンを始めます」
オペレーターの小泉のカウントダウンが始まる。こちらのサイドの指示は小泉が行っている。則は地上組だ。同時刻に突入を始めるが地上組は派手に動いて陽動が目的となっている。できる限り警備を引きつけて高層階への侵入を容易にさせたい。
そもそも今日は普段に比べると警備も手薄になっている。世界主要国による首脳会議が改革党本部であるコスモスタワーから少し離れた国際会議場で本日より始まる。そのため首相の吉本をはじめ改革党の主要な人物はそちらに移っている。当然、警備もそちらに重点が割かれているだろう。
世界の首脳が集まるのも好都合だった。コスモスタワーの攻略と同時に松上幸助と則が考えた作戦は首脳会議の占拠である。もちろん一筋縄でいくことではないが幸助は幸助で自分ができることをこの数カ月進めていた。
その場で改革党の不正を暴くべく、水面下で自公党、さらにはアメリカの政府筋とも接触していた。改革党の一党体制を変えたい自公党の上層部は幸助の策に飛びついた。国際会議場内での手引きは自公党が行ってくれる。アメリカに対しても世界のマナソニックブランドとその会長の話には耳を貸してくれた。
首脳会議が始まるのが十三時、つまりちょうどコスモスタワーの突入が始まる時刻だ。瑞樹やリンといった若い力だけに任せておけない。幸助は幸助にしかできない戦いを始める。
必ず無事で帰ってこい……会議場の扉が開く前、幸助はコスモスタワーの方角を振り返り、心の中で念じた。
手元のデジタル時計で十秒前のカウントダウンが始まる。コスモスタワーの入口を取り囲んだ人数はわずか十五人だ。三秒前で則が立ち上がり大きく右手を振った。それと同時にコスモスタワーの入口にバズーカーが撃ち込まれる。
落雷のような轟音があたりに響いた。耳栓をしていても脳天まで届く大きな音だ。あくまで陽動が目的で、敵味方関係なく無駄な死傷者を出すつもりは則にもないので見た目は派手だが火薬の量は抑えてある。
慌てて中から警備の者たちが出てくる。一政党の警備にしては大人数だが日本の中で銃火器を用いた突入を想定して警備しているわけではない。そこにさらに催涙弾が数発撃ちこまれる。たちまちあたりは大混乱となった。
「必要以上に攻撃を加えるな! ほっといて中に突入する。中には人間じゃない機械の兵士もいると思え、パルス銃は手に持っておけ」
則の指示があたりにとぶ。今出てきた連中はあくまで普通の警備を行っているもの達だ。上階には人工知能を搭載した機械の警備兵がいることは把握している。瑞樹たちのためにもできるだけこちらがそれらを受け持つ必要がある。
催涙弾に合わせて煙幕が張られる。コスモタワーの正面入口はたちまち大混乱になった。その隙に乗じてガスマスクをつけた隊員が五人一組で突入していく。第一陣、第二陣が無事に突入したのを確認して則の第三陣も入口に向かって駆けていった。
コスモスタワーには南北二つの階段と中央に六基のエレベーターと要人用の特別エレベーターが一つある。第一陣と二陣は南北の階段を抑えて上階を目指す。則の第三陣はホールから一階を奥に突き進み、要人用のエレベーターで一気に上に進む計画だ。
もちろん非常事態になればエレベーターが止まることも考慮している。エレベーターの天井を破壊してワイヤーを伝っていくための装備を第三陣のメンバーは準備してある。
トランシーバーで第一陣、第二陣が順調に南北階段に到達したことが則に報告される。非常用のサイレンがタワー内にうるさいぐらい鳴り響くがここまでは大きな抵抗はない。
ここまでは則の想定通りだ。改革党員の中でも通常立ち入れるのは七階までだ。そこから上は党内の様々な機密事項が隠されており、セキュリティもきつくなる。
則は改革党が一般の者に隠している七階以上からが機械の兵士が配置されていると考えていた。瑞樹たちが屋上に突入するまでには七階に到達していたい。
要人用のエレベーター前を警護していた四人をパルス銃で気絶させ、拘束した第三陣のメンバーはエレベーターの天井に仕掛けた小型爆弾を爆発させた。則ともう一人が背後の警戒をする中、残った三人はむき出しになったワイヤーの強度を確かめ、ベルトのバックルに仕込んだ安全装置をワイヤーと連結させた。そして、順番に両手の袖口から日本の鋼線を射出して一人ずつ上っていく。
全員の作業が終わるまで、周囲の警戒を続け、最後に則が上を目指す。十三時ちょうどに突入が始まってからここまでまだ五分も経っていなかった。
則たち地上組の突入が始まったことは空からでもうかがうことができた。シミュレーションの時に何度も試した結果、コスモスタワーぎりぎりで高度を上げるより、先に高度を上げて降下しながら屋上を目指す方が成功率は高かった。
本番でも同じように先に高度を上げたので地上で起こった爆発も豆粒の様な大きさだ。何度も行ったシミュレーションの効果もあってか、高度を上げて風の影響が強くなっても三機とも順調にコスモスタワーに向かえている。
「このまま順調に飛ばしてもらえるとええんやけどな」
瑞樹たちの前を行く西本が誰に言うでもなく通信でつぶやく。西本のドローンを操作しているのは西本の同期の村田という寡黙な男だ。西本がよくしゃべる分、つりあいはとれている。
「西本さん、無駄口叩いている暇ありませんよ」
「わかってるて、そないカリカリすんなよ、リン。前衛の俺ら二機は左右に広がって両側から着陸を試みる。リンは俺らの軌道見て安全そうな方選んでくれ。六反さんも頼んます」
「了解!」
西本の指示で西本の乗るドローンともう一機の六反、加藤ペアの乗るドローンが左右に分かれる。コスモスタワー側の応戦があっても、それを広く分散させて薄くなった部分に本命である瑞樹たちのドローンを進ませる予定だ。
前を行く二機のドローンが大きな弧を描き、コスモスタワーの側面を目指す。すぐ近くで重なっていたローター音が遠くになっていく。どちらの軌跡も順調にコスモスタワー目がけて伸びていく。リンもどちらのルートを取るか迷っていた。そこに突然、シロからの警告音が鳴る。
『タワーの警戒区域です! 電波を受信しました。来ます! ドローンです!』
「西本さん! 六反さん!」
リンが叫ぶのに、西本が冷静に返事する。
「わかっとる。ちゃんとこっちにもシロの声も聞こえとる」
「目視でも確認しました。迎撃できそうなら迎撃します」
「こっちはこっちで俺と六反さんで対応するから、リンはリンで集中しいや。シロの情報だけつながる限りは、つなげといてくれるとありがたい」
最後の西本の言葉には雑音がまぎれていた。トランシーバーで使うような電波帯での通信だ。通信可能範囲もせいぜい百メートルほどだし、雑音もひどい。この後、乱戦に入ると通信が途切れて、連携が取りにくくなることは必至だ。ここからは当初のシナリオに沿いながら個々の判断で動くしかない。
『解析できました。西暦の頃の偵察用無人ドローンです。出力は小さいですがレーザーを射出します。耐久力はないのでこちらの装備でも迎撃可能です』
「了解!」
シロの説明に一斉に返事する。本番用のドローンには二枚のローターの下部に機銃が備え付けられた。指示を出すサブコクピットにトリガーがあり、最大四十秒間の攻撃が可能だ。ただし機体の軽量化のため銃弾のサイズや残弾の数は抑えられている。
シロの画面にコスモスタワー上空の状況が映し出される。敵のドローンから出る微弱な電波を拾って大まかな位置が把握できる。六反組のドローンがすでに交戦に入っているようだ。二機の小型ドローンに囲まれながらも、狙いを定められないよう動き回って応戦している。時々、レーザーの射線がまぶしく輝く。
西本の方は敵ドローンと距離を取りながら大きく弧を描くように相手の出方を見ている。どうやらコスモスタワーと一定の距離以上に近づくと無人ドローンは反応するようだ。西本は相方の村田に指示を出しながらうまくドローンが反応するぎりぎりの位置を探っていく。
「リン……ねら……‼」
瑞樹たちのいる側とちょうど反対方向に回っていき距離が開いたため、西本との通信が途切れる。西本はうまくドローンとの間合いに出たり入ったりを繰り返しながら、右向きに大きく旋回する。
通信は途切れたがリンには西本の意図が伝わった。六反もそれに気づきできる限り奥側で交戦を続ける。
「瑞樹くん、右側のルートを進んで! 西本さんがドローンを引きつけてくれた!」
「了解!」
瑞樹は操縦かんをグッと右に傾ける。西本に二機のドローンがついて行ったので右手前のルートががら空きになっている。少しずつ高度を下げながら着陸のタイミングをうかがう。
『気をつけてください! 信号を受信しました。もう一機来ます!』
シロの音声とほぼ同時に円盤状の本体に二枚の羽根を平行につけたドローンがタワーの屋上から射出された。飛び出してきたドローンはレーザーを出しながら真っすぐ瑞樹たちの方に向かって来る。
「瑞樹くん、真下! 左に避けて‼」
リンの声で左に回転するようにドローンの向きを変える。瑞樹たちのすぐ横を光線がかすめる。さらに小型ドローンがそのまま瑞樹たちの横を通り抜けた。小回りの利くドローンはそこで転回して背後から瑞樹たちを狙う。
「後ろをとられた! 回って‼」
リンが叫びながらローターの回転数を一気に落とす。自由落下の無重力の中、瑞樹は縦回転で体勢を入れ替える。空中戦は前後左右だけでなく高低も使った三次元の空間認識能力が必要だ。さらに落下中の無重力の時間は上下の区別さえもなくなる。
目まぐるしく動くドローンの中で方向感覚をつかむことは至難の業だが、瑞樹はドローンを手足のように扱った。小さい分細かな運動性は相手の方が上だが、それを上回る瑞樹の反応で、追いかけるドローンの真下を取る。
「リン‼」
「あたれっ!」
リンが機銃のトリガーを力一杯押し込む。連続した発射音と振動がトリガー越しにリンの手に伝わる。
「やったか?」
「だめ! 後ろの方をかすめただけ。態勢を立て直して浮上しよう。逆に後ろをとって、ターンするところを狙う」
リンの放った機銃は移動するドローンの後方をかすめたが、そのまま射線を通りすぎてしまった。瑞樹は操縦かんをグッとひきつけ機体を元通りに立て直し、ローターの回転数を上げ、急上昇する。無重力状態から一気に重力が両肩にかかり、操縦かんが重い。
腕だけではなく腰から引っこ抜くような感覚で操縦かんを引っ張る。先ほどとは逆に前を行く円盤型のドローンの後ろを取れた。だが細かに揺れ動くドローンに少ない弾数の機銃を無駄打ちできない。
リンは「右! 右! 左!」と指示を出しながら小型ドローンの軌道の後ろをピッタリとくっついていく。どこかで必ずターンする、そこが撃墜の狙い目だ。ドローンの動きでシロにもリンの狙いが伝わっていた。タワーからドローンに飛ばしている電波の強さでターン位置を予測する。
『電波が一気に弱くなりました。そろそろターンするはずです』
「瑞樹くん、曲がりはじめたら動きは止めていい。相手に正対するようにして」
「わかってる!」
瑞樹が叫ぶと同時に小型ドローンが向きを変えようと減速する。リンは機銃のトリガーに指を添えてタイミングを計る。
「止まって! ……少しだけ右、そこ!」
ドローンのターンする軌跡を予測して待ち構える。ドローンがターンして向きを変えきったところを狙い撃ちにする。リンのトリガーに反応して二か所から射出された機銃が次々と小型ドローンに撃ち込まれた。
一発一発の威力はそれほどないが連続して撃ち込まれた弾丸がドローンのボディやローターに風穴を開ける。甲高い金属音と連続した爆発音が空に響いた。最後に小型ドローンもレーザーを撃とうとするが、いくつも風穴があきバランスを崩したローターはそれが引き金になって、螺旋を描きながら海に墜落していった。
無駄弾を撃たないようすでに射撃は止めているが再び浮上してくる気配がなく、完全に海に墜落したことをリンは確認をする。
『電波の反応が消えました。目標は完全に動きを止めました』
シロがも瑞樹とリンに告げる。リンは額に流れた汗を自分の腕で拭った。
「シロ、ドローンはまだいそう?」
『いえ、今のところ新たな反応はありません。他の方々を追いかけている分ですべてだと思われます』
リンはチラッとコスモスタワーの奥の方に目をやった。まだ西本たちは交戦中のようだ。それぞれ二台のずつのドローンを引きつけながら戦っている。
「新たな援軍が出てこないとも限らないわ。今のうちに屋上に着陸する」
「西本さんたちの援護はいらないのか?」
「作戦の成功が優先よ……大丈夫、あの人たちはしぶといから」
最後の言葉はリンが自分自身も言い聞かすようだった。西本や六反のことが心配なのはリンも同じだ。つきあいの長さで言えば瑞樹よりリンの方がマナソニックメンバーとの交流は深い。それでもリンが心を鬼にして決断していることが瑞樹にも伝わったので、それ以上何も言わなかった。
リンの指示のもとコスモスタワーの海側から見て一番手前部分に着陸態勢を取る。着陸の際に残った機銃を屋上入口のドアに向けて放った。鋼鉄でできた頑丈そうなドアだったが至近距離から機銃の射撃を受けて、ドアはひしゃげて曲り、そこから中に侵入できそうだった。
ドローンから降りる際に荷台に積んでおいた携帯用の武器を仕込んだ防弾ベストを上から着込み、ドローンに備え付けたスマホの配線を外して胸ポケットに入れた。タワーの内部に入ってもシロの情報は必要なので、シロは起動したままだ。
リンは電子パルス銃をホルダーから外して左手に持ったまま、ドローンから飛び降りて、ドアの方に駆けていった。
瑞樹とリンは周囲に警戒しながら、至近距離からの射撃で破壊された扉の中をのぞき込む。コスモスタワーは直方体の通常のビルの上の部分にピラミッドを途中で輪切りにしてひっくり返したような建物がくっついている。中に入るとその逆ピラミッドの周の部分に廊下が配置されていて、真ん中は三階分ぐらいのスペースを使った吹き抜けになっている。
その吹き抜けの各階はエスカレーターと階段、東西にはシースルーのエレベーターでつながっており、吹き抜けの一階、つまり直方体とつながる部分はかなり広いホールのようなスペースになっている。
ところどころシースルーになり白を基調とした大理石のようなよく磨かれた廊下や壁は西暦のころによく作られた近未来的な設計だ。さらにそのホールの一番南側に見るからに特別仕様の部屋が見える。
八十年以上経っているので細かな内装は変わっているが、シロから聞き出したジョージ・サトウがハル・カンザキらと研究を行っていたころのデータと照らし合わせても、あそこがスーパーコンピューター「ゴッド」のある場所と考えて間違いない。
柱の陰となっている部分から、その部屋の様子をうかがう。このエリアそのものが通常は立ち入りできない区域なのか、見る限り警備はいない。もちろん先ほどのように機械による自動防衛システムはあるかもしれないが、人間を倒す必要がないのは瑞樹たちにとって余計なストレスがなくてよい。
「さてと……いよいよ敵の本丸は目の前だけどどうする?」
マナソニックでは様々な状況を想定して訓練が行われていた。当然、タワー内も多くの警備がいることを前提に突入訓練が行われていたが、ここまで拍子抜けするぐらいうまくいきすぎている。もちろん、うまくいくに越したことはないが、あまりに想定通りに事が進むことが瑞樹は気になった。
下層からは則たちがゴッドを目指して戦いを繰り広げている。上では西本や六反がまだドローンとの交戦を続けている。これを好機ととらえて瑞樹たちだけでも先を進むか、部隊の合流を優先するか。
リンは一度、グッと目を閉じた後、決心をしたように無言で一度うなずく。
「待ったところで状況が好転するとは限らない。先に進もう。仮に罠があったとしても後続のために私たちが道を切り拓く」
リンの言葉に瑞樹はため息を吐いて「……だよな」と返事をする。罠にかかるのはまっぴらごめんだが、ここで隠れていても機械相手では危険は変わらない。瑞樹は腰のホルダーからパルス銃を取り出し、胸ポケットのあたりに小声で「シロ」とつぶやいた。
『このあたりでは特殊な電波による命令は飛んでいません。もちろんゴッドからのすべての電波を傍受できるわけではありませんが』
「下りるルートは?」
『階段を使えば東西どちらでもかわりません。エレベーター、エスカレーターは丸見えで見の隠しようがないので避けてください』
「了解! リン、西側の階段から降りよう」
瑞樹は体をかがめて低い態勢のまま、階段を目がけて駆けだした。途中、通路の交差するところでは周囲の警戒も怠らない。身を隠しながらの潜入もずいぶんと板についてきた。
「なんで西側を選んだの?」
階段の陰にしゃがみ込みながらリンが聞く。不気味なほど周囲は静寂を保ったままだ。
「別に……ただの勘だよ」
「瑞樹くんの勘かぁ……あたるといいけど」
「勘で答えたテストの記号問題はたいがい外すけどな」
軽口をたたきながら階段を下りる。一気に下りられたらよかったが、渦を巻くように少しずつ下り口がずれている構造なので、いちいち通路に出る必要がある。一つ下の階に来て角度も変わった分、先ほど見えなかったホールの奥の様子が見える。ちらっと物陰のようなものが動いたのが見えたので、瑞樹は周りに警戒しながら身を乗り出してホールの様子を確認した。
「あれは?」
スマホのカメラを黒い機械の方に向けてシロに問いかける。
ゴッドのある部屋のまわりを何やら黒い円盤に支柱のようなものがついた機械が滑らかに動いている。先ほど目に入ったのはどうやらこれらしい。見ようによっては産業博物館で見た自動掃除機にも見える。
『多面的光線防衛装置、通称ガーゴイルと言われる代物です』
画像検索をかけたシロが瑞樹の質問に答えた。
「どういう装置だ?」
『防衛エリアに入るとあのガーゴイル本体から光線が出ます。それをリフレクターで乱反射させて侵入を防ぐ装置です。百聞は一見にしかず、何かあそこに投げ入れてみてください』
瑞樹はベストに仕込んでいた小型レンチを取り出した。シロの言うガーゴイルという装置がどれほどのものか興味がある。立ち上がって吹き抜けからレンチを投げ入れようとする瑞樹の防弾ベストのすその部分をリンがつかむ。
「ちょっと、わざわざ気づかれるようなことしないでよ」
『リン様、大丈夫です。あれはあくまでエリアを守るもので向こうから向かって来ることはありません。今のところ他の警備の反応はありませんので、一度ガーゴイルの性能を見ておいてもらった方がいいです。はっきりいってあれの攻略は至難の業ですから』
シロがそこまで言うのでリンは握っていた瑞樹の防弾ベストを離した。
瑞樹は改めて「行くぞ!」と声をかけて、レンチを思い切り投げる。勢いよく回転する銀色のレンチがガーゴイルに向かって飛んでいくが、瑞樹の遠投力では放物線を描いたレンチはガーゴイルのはるか手前で落ちそうだ。
次の瞬間、ガーゴイルが青白く光ったかと思うと光線があたりに乱反射し、光の軌跡がとんでいたレンチを一瞬で焼き尽くしてしまった。本当に一瞬のできごとで瑞樹の目には空中に青白い稲光が走ったかのように見えた。
「とんでもねえな……」
「何か攻略法はないの?」
さすがにあのスピードでは生身の人間では対応できそうにない。
「一応、手榴弾は三つ持っているけど、本体の破壊はどう?」
『いえ、あのガーゴイル本体はかなりの硬度を持っていますし、投げても届くまでに光線の餌食にされると思います』
「命令の解除はできないのか? スマホの電波を使って解除コードをおくれば……」
防衛ためのプログラムがセットされているのならそれを解除できれば、攻撃を止めることができるのではないのかと瑞樹は考えた。
『なるほど……少し待ってください』
シロが解除コードの検索を行う。今のところにリンも他に名案が浮かばないので、シロの検索を二人で待つ。
『ガーゴイルのシステム自体は理解したので、私自身で解除コードの作成はできそうです』
シロの言葉に瑞樹とリンは顔を見合わせる。うっすら見えた希望の光をかき消すようにシロがさらに言葉を続ける。
『ただ専用機器を使わずにコードを遠隔で飛ばすのは向こうの本体の受信の関係で難しそうです』
「電波で飛ばす以外の方法は?」
『私自身がコードを立ち上げた状態でのガーゴイル本体への直接接触でも防衛システムの解除は可能ですが……』
「ガーゴイルに近づくのが不可能って訳ね」
シロが濁した部分をリンが保管する。瑞樹は腕を組んで考えこんでいる。何とか突破する方法がないものかとリンも考えてみるがいい案が浮かばない。
リンがあきらめて他の方法を考えようとした時に、隣の瑞樹が急に立ち上がった。瑞樹はベストから先ほど投げたのと同じようなレンチや細かいドライバーなどを取り出して、二つ同時にガーゴイル目がけて投げ込んだ。
先ほどと同じように青白い光線が乱反射し、瞬く間にレンチを焼き尽くす。今度は一つドライバーを投げこんで、少し間をおいて二つ目を投げる。光線の乱反射が二度、数秒の間をおいて繰り返される。
納得したような顔の瑞樹は、今度は吹き抜けの柵から身を乗り出してキョロキョロと周りを見渡している。
「どうしたの? 何か手がかりでも見つけた?」
少し楽しそうな表情に変わった瑞樹にリンが尋ねる。そこまで長い付き合いではないが、瑞樹がこの顔をしているときは機械をいじっているときか、何かを発見した時だ。瑞樹はリンの声かけにうなずいて「もしかすると何とかなるかもしれない」と言った。
「どういうこと?」と聞き返したリンを置き去りにして、瑞樹は「周囲の警戒を頼む」と言って、シロと一緒にガーゴイルの配置されているホールの一つ上の階をかけだした。瑞樹は時々、立ち止まって吹き抜けの下の部分にスマホを向けて写真を撮ったり、物を投げ入れてガーゴイルを作動させながらぐるっと一周まわってリンのところに戻ってきた。
「おかえり。それでどうすればいいの?」
「うん、あのガーゴイルの性能をシロと確かめてきたんだけど……」
瑞樹は検証した結果と考えた作戦をリンに伝えた。
瑞樹の調べたところガーゴイルから出る光線は警戒領域に入った物体を正確に狙っている訳ではない。そもそも正確に狙って射撃できるのであれば乱反射させる必要はなく、直接狙う方が効率はいい。ガーゴイルについているセンサーは領域内に侵入したものがいるかどうか、さらにはその大まかな方向と位置を把握することしかできていない。
そして、ガーゴイルは大まかな目標の位置とガーゴイル本体、さらには守るべき対象の位置を通る直線を、リフレクターを使った乱反射によって何本も作り出すことで、侵入を防いでいる。つまりガーゴイル本体は無理でもリフレクターを破壊、あるいは傷つければ計算された乱反射を狂わせることができるかもしれないということだ。
「でもリフレクターの破壊がそもそも難しくない? 手榴弾投げてもそこまでに破壊されるんでしょ?」
リンのいうことももっともだ。当然、リフレクターのあるあたりはガーゴイルの防衛範囲内だ。リフレクターを破壊しようとしても先に光線に邪魔されてしまう。
だがその点についても瑞樹は対応策を考えていた。ガーゴイルの撃ち出す光線は確かに強力だが、あれだけ強力な光線を連続して出し続けることができるのだろうか? 同時攻撃や連続攻撃に対する対応は?
瑞樹が先ほどレンチやドライバーを同時に投げたり、連続して投げたりたのはこのためである。同時攻撃については一度の光線を乱反射させ、様々な角度を攻撃することで対応していた。連続攻撃については光線を複数回出すが、一度目の射出と二度目の射出には約二秒のタイムラグがあった。
つまり一度光線を射出させた後の二秒間はガーゴイルの領域内においてもこちらの攻撃が届く。ガーゴイル本体までは二秒では遠すぎるかもしれないが、壁沿いに設置されたリフレクターには攻撃が可能かもしれない。これが瑞樹の検証から得た結論だ。
「なるほど……やってみる価値はありそうね」
「さっき回ってきた時にリフレクターの位置を確認してきたんだけど、角度的に難しいところもあったけど、何か所かはこの階からでも狙えそうなところがあった」
瑞樹はスマホで撮った画像を見せながら、リンに場所を示した。確かに壁沿いのリフレクターのいくつかは壊せるかもしれない。
「悪いけどリフレクターの破壊はリンに頼んでもいいか?」
「瑞樹くんは?」
リンはてっきり二人でするものだと思っていた。時間差をつけて攻撃するなら二人の方が効率はいい。
「俺は一つ下のホールの階で、シロと一緒にガーゴイルの光線の軌道を間近で見ようと思っている」
「それで?」
「手榴弾は三つって言ってたよな? リフレクター三か所壊せれば完璧だけど、できれば二つは壊してほしい。多少なりとも光線の通らない隙間もできると思うんだ」
瑞樹はそこまで言うとベストに入れてあったレンチやドライバー、ニッパーなどの工具を全部リンの前に出した。この命がけの突入によくこれだけの工具を持ってきたものだとリンは半分あきれかえる。
「これは?」
「投げられそうなものは全部出したから、リフレクターの破壊が終わったら、俺がいるのと反対方向に回って、とにかくものを投げてガーゴイルを反応させてくれないか?」
「……瑞樹くん、もしかして」
瑞樹のやろうとしていることが想像できてしまったリンは青ざめる。瑞樹は力強く、うなずいた。
「ああ、命がけの『だるまさんが転んだ』だ!」
言葉の意味がちゃんとわかっているのかと疑いたくなるほどあっけらかんと言う瑞樹にリンは言葉をなくす。気休めにしかならないとわかりつつも瑞樹は「大丈夫! うまくやるよ」と言ってリンに軽く手を振った。リンも「ほんとにバカ」とだけつぶやいて、スマホの画像で見せてもらった場所目指して駆けていく。
西側の階段を下りて、ホールの手前の部分で中の様子をうかがう。磨かれた床や壁は照明の光を反射させている。そこにガーゴイルの作り出す影が黒く不気味に動いている。ガーゴイルまでの距離は約二十メートル弱、少なくとも十回ほどは光線を避けなければたどり着かない。
上の階から撮ったホール全体の写真にリフレクターの位置、予想される光線の軌跡を付け加えたものをシロが用意してくれた。ここからリフレクターが壊れた後の軌跡を足していく。まさに生き残るためのライフマップだ。
『もしもし、こっちの準備はできたよ。そっちは?』
アイナの携帯電話でリンが位置についたと連絡があった。
『こっちも大丈夫! さっそく頼む』
『了解!』
念のためスピーカーにして通話はつないだままにしている。目標のリフレクター目がけてまずは瑞樹から渡されたドライバー二本でタイミングを確認する。ドライバーやレンチも限りあるが、手榴弾は三つしかない。さすがにぶっつけ本番で臨む度胸はリンにはなかった。
瑞樹の言った通り一度目の光線と二度目の光線には二秒近くの間がある。タイミングを計って投げたリンのドライバーはリフレクターにぶつかり、コンと甲高い音をたてて、そのあとすぐに光線で焼き尽くされた。
ふーっと息を吐いてリンは集中力を高める。次はいよいよ本番だ。護身のために持たされた手榴弾をまさかこんな形で使うとは思っていなかったが、今のところこれ以外に方法はない。
レンチを投げて、一拍おいて手榴弾のピンを外し、リフレクターに向かって投げる。リンは一連の動作をもう一度イメージしてみた。あまりもたもたもしていられない。左手に持ったレンチを大きく振りかぶり、リフレクターに向けて投げつけた。力んだのか少し右側にそれるが問題はないだろう。
すぐに次の動作に集中する。素早く、かつ正確に安全装置のピンを外し、手榴弾を振りかぶる。乱反射する光線があたりを照らした。その光が消える瞬間にスナップを利かせて、リンの手元から手榴弾が放たれた。リンはすぐにその場に伏せて口を開けて気道の確保をする。
緩やかに放物線を描いた手榴弾がリフレクターの少し下あたりにぶつかったと同時に激しい爆発が起こった。飛び散る破片と爆風の嵐が空間を支配する。轟音がホールの中で反響した。下から見ていた瑞樹も視界が悪くリフレクターがどうなったか確認できない。
正確にリフレクターを狙うため、リンは爆発からわりと近い距離にいたので、たった一発で一気に体中が埃っぽい。頭と肩のあたりに降りかかった爆風が運んだ砂ぼこりを両手で払い落す。
『最悪……シャワー浴びたい』
『リン、大丈夫か⁉』
訓練で使い方ぐらいは習ったが、瑞樹は実際の手榴弾の爆発を目の前で見るのは初めてだ。思っていた以上の威力にリンのことが心配になる。
『大丈夫。それよりうまくいったよ! 少し下にあたったけど、それがかえってよかったみたい。壁ごとえぐり取ってリフレクターが下に落ちてる』
リンはがれきにまぎれて地面に落ちているリフレクターを見ながら言った。ガーゴイルの光線を反射させるだけあってリフレクターそのものは頑丈だ。少し欠けてはいるがほぼ原形を留めている。
作戦通りリフレクターを取り除くことができたのは大きい。これで乱反射させても途中で途切れてしまう可能性が高くなった。ホール内で瑞樹の確認する限り十六のリフレクターを発見したがそのうちの最大三つが破壊できたとなると、光線の乱反射を駆け抜ける作戦の成功率もかなり上がる。
『あーあ、後二回も埃まみれにならなきゃいけないわけね……』
リンがぼやきながら移動を始める。リンが移動している間、瑞樹は撮影していた動画を確認する。瑞樹の目では追いきれない速度で光線が走るがシロがそのデータを分析してくれる。すでにかなりの数のデータは取れている。
あとはリフレクターのなくなった場所がどのような影響を与えるかだが、できる限りリフレクターを破壊する場所は同じ方向に固めておいて、その方向からリンがものを投げてくれた方が光線に影響の出る可能性が高い。もちろんそのために手榴弾をあてにくい場所を狙って失敗してもいけないが、リンにはなるべくさっき破壊した場所の近くのリフレクターを狙うように瑞樹は指示をした。
二度目のリンの攻撃は少し狙いにくい角度で、少し通路の陰にもなっている場所だったので、一度目ほどうまくリフレクターを落とすことはできなかった。壁にはリフレクターが残ったままだったが、崩れたがれきによって大きく角度が狂ったので、多少は反射を狂わすことができるだろう。
三度目は他に遮るものもなく距離的にも一番近かったので、問題なくリフレクターを落とすことができた。先ほどの角度が狂ったリフレクターが一度明後日の方向に光線を反射させて、リンのいる上階まで飛んできて危険なことはあったが、何とかリンは瑞樹の考えた作戦の第一段階を終えることができた。
直撃はないにしろ、何度も伏せたそのうえを爆風が通り抜ける経験にさすがのリンも疲労感を感じた。あとは瑞樹がいるのと反対方向、壊した三つのリフレクターの中心あたりから連続して物を投げこむだけだ。
そこからは瑞樹を信じるしかないが、本当にうまくこの光線の中を駆け抜けることは可能なのだろうかとリンは心配になる。光線の威力を間近でみたが、直撃すれば一発でアウトだ。リスクは大きいが、かと言って別の方法は思いつかない。
『リン、光線の軌道を確認したい。何回かガーゴイルを反応させてくれないか?』
瑞樹はスマホをガーゴイルの方に向けて構えながら言った。画面にはシロが計算した安全地帯がマーキングされている。この場所の確認とガーゴイル目がけて進むべきルートの確認だ。
『いいけど、そんなに投げ込むものの余裕がないわ。二回ぐらいでも大丈夫?』
『ああ、問題ない』
瑞樹の返事を聞いて、リンは少し間を空けて二度、ガーゴイルの防衛領域にドライバーやレンチを投げ込んだ。回転するレンチが一定の領域に入ったのを確認して、ガーゴイルの本体が光り輝き、青白い光線を発射する。目にも止まらない速度で光線がホールの中を反射して進むが、破壊されたリフレクターの影響か光線の守備範囲に明らかに偏りができている。
リフレクターを壊すために何度もレンチを投げているからわかるが、光線がレンチに当たるまでの所要時間も長くなっている。リンから見てもガーゴイルの鉄壁の守りに小さな綻びができているのは明白だった。もちろん、だからといってガーゴイルの光線の隙間を縫うことは簡単なことではない。
瑞樹もスマホの画面を見つめながらその難易度の高さを痛感していた。だからといって不可能なことではない。一歩間違えれば命を落とすことになるが、シロのサポートがあれば付け入る隙がないわけではない。
ただ瑞樹にはそのことに一抹の不安を感じていた。
……なぜ付け入る隙があるのだろう?
確かにガーゴイルの性能はガーゴイルの性能は優れている。ガーゴイルだけでも十分強固なセキュリティーとなるだろう。だがガーゴイルの性能を考えれば何か他の防衛システムと組み合わせればいくらでももっと堅固なシステムが作れそうだ。
もちろんガーゴイルは堅固な防衛システムであるし、それで十分と考えたのかもしれない。それでも瑞樹は何かひっかかる感じがしていた。
『瑞樹くん……瑞樹くん!』
リンの呼ぶ声で我に返って返事をする。
『ちょっと、大事なとこなんだからしっかりしてよね! こっちの準備はいつでも大丈夫。そっちは?』
『ああ、画像に計算した安全地帯を入れてある。シロのサポートもあるし何とかなると思う』
『……瑞樹くん』
『ん?』
『死なないでね』
リンの言葉に瑞樹は『ああ』と力強くうなずいた。
こんなところで死ねない‼ 瑞樹は心の中で強く念じた。
「行くぞ! シロ!」
シロに声をかけて一度目の光線発射を待つ。何度かガーゴイルを見ていてもう一つ分かったことがある。ガーゴイルが光線を放つより一瞬早く、発射の準備を行う黒光りした本体も青白く輝く。本当に一瞬のことだが、その一瞬が瑞樹にとっては生死を分ける大切な一瞬だ。
リンの投げたドライバーがガーゴイルの防衛領域に到達する。ガーゴイルの本体が青白く光った。乱反射された光線が瑞樹のすぐ前にも稲妻のように走る。目の前を通ったと思った瞬間には瑞樹はもうスタートを切っている。シロが示してくれたポイントまで二秒以内にたどり着かないとゲーム―オーバーだ。
膝の力を抜き、できるだけ無駄な力を使わず加速し、決められたポイントで姿勢を低くしてしゃがみこむ。ガーゴイル本体が再び光った。瑞樹の床に着いた手のわずか数十センチのところを光線が通過していく。その恐怖に耐えながらも次のポイントに目をやる。
リフレクターを破壊したおかげで、光線の通らないポイントは増えたが、二秒以内で行ける範囲にあるかというとそれは別だ。ルート選びを間違うとそこに到達するまでにガーゴイルの光線の餌食にされてしまう。
光線が通過するたびに瑞樹は次のポイントに移動する。じっくりと考える時間も余裕もない。ただシロのことを信頼して、シロの指示に合わせて動くのみだった。ポイントに到達しても気は抜けない。そこでしゃがみこまなければいけないこともあれば、気をつけの姿勢で動けないこともある。その安全地帯となるポイントでとる姿勢すらも間違うことができない。
金属のレンチを一瞬で消滅させてしまうほどのエネルギーが瑞樹の身体のすぐ横を通り抜ける。その熱量や空気感、さらには極度の緊張から汗が止まらない。それでもその汗を拭う余裕すらない。
半分ぐらいは来ただろうか? 瑞樹の疲労は十メートルほど進むだけでもかなり積もっていた。しかし、大変なのはここからだ。ガーゴイル本体も光沢のある床の上をすべるように移動している。そこまで移動速度は速くはないが、移動するということはそれだけゴールまでのルートの選別が難しいということだ。
ガーゴイルにシロを接触させて防衛解除コードを読み込ませるのに約一秒かかるという。つまり、最後の一手は光線照射から一秒以内にガーゴイルに接触させる必要があるということだ。ゴッドのある部屋を守るように周回するガーゴイルの動きも視野に入れながらシロは計算結果を瑞樹に伝え続けた。
ガーゴイルに近づくにつれてどうしても瑞樹の視界はその動きをとらえてしまう。その結果、判断が一瞬遅れそうになることもある。コンマ数秒動きが遅れて、瑞樹の肩口を光線がかすめた。幸い支給された服の生地を焼いただけだったが、ほんのわずかズレていたら瑞樹の左腕はなくなっていた。
リンの位置から瑞樹の表情までは見えなかったが、その緊張感は伝わってきた。とにかく途切れないようにガーゴイルの防衛領域にものを投げ込むことしかできないが、心の中で『がんばれ』『がんばれ』と繰り返しエールを送っていた。
スーパーコンピューター「ゴッド」のある入り口を弧を描くようにガーゴイルは行ったり来たりしている。ちょうどついさっき瑞樹の正面を通り過ぎて、そこから遠ざかっていく。
『予定では次にこちら向かってきてすれ違う時がガーゴイルに接触するチャンスです』
安全地帯で光線の乱反射から身を隠している瑞樹に向かってシロが報告した。
「それを逃したら?」
瑞樹が聞き返しながら次の安全地帯に身を移す。それと同時にガーゴイルが青白く光る。
『次にうまく安全地帯とガーゴイルの動くが重なるまでに時間がかかります。おそらくその前にリン様の攻撃が尽きます』
ガーゴイルから発射された光が次々とリフレクターに反射し、しゃがみこんだ瑞樹のすぐ上も通過した。
「……つまりチャンスはその一回ってことだな」
瑞樹のつぶやきにシロは返事をしない。低い姿勢からそのままスタートを切って次の安全地帯を目指す。奥でガーゴイルがターンするのが視界に入った。
『あと二回安全地帯に入った次でガーゴイルと接触します。ガーゴイルは瑞樹様の右を抜けていきますので、右手に私を持って最短距離で接触させてください。時間的に解除できるかどうかのぎりぎりになると思います。スタートが大事です。一瞬でも早くガーゴイルと接触してください』
次の安全地帯に向けてスタート中でもおかまいなしにシロが話しかけてくる。それだけぎりぎりのタイミングだということだろう。ガーゴイルの解除が間に合わなければ、そのまま光線の射撃を受けて即死になる。そのイメージが瑞樹の脳裏に浮かび安全地帯に飛び込むのがギリギリになった。
他のことに気をまわしている余裕はない。かえってそれが瑞樹の集中力を高めた。次の安全地帯に入って、反射する光線をやり過ごしたら勝負開始だ。
火照る身体とは逆に頭は冷静に光線の反射を確認して次の安全地帯を目指す。ガーゴイル本体も瑞樹にかなり接近してきた。光沢のある本体に青白い光が灯り、光線の発射準備に入る。次が最後の発射になる。瑞樹はスマホを右手に持ち替えてスタートの準備をする。一瞬でも早くガーゴイルに接触しなければならない。
ガーゴイルから光線が発射される。リフレクターを使って反射を繰り返しながら、ホール全体に光線の結界を張る。これまでも何度も見てきた光景だ。瑞樹は繰り返しそれを見ながら、光線の結界を認識してから消えるまでの拍子を計っていた。
完全に光線が消えるか消えないかの刹那に瑞樹の脳は出発の信号を足に伝えていた。ガーゴイルまで五メートルもない。その短距離を今日一番の瞬発力で加速していく。ガーゴイルまであと一メートル!
全速力からスライディングのような形で、こちらに向かってくるガーゴイル本体にギリギリで速度を落としながら、右手に持ったスマホを打ちつけるように接触させた。慣性で右手が離れそうになるのを無理やり右手に力を入れて押し込める。
瑞樹はたった一秒がこの上なく長い時間に感じた。シロも必死に解除コードをガーゴイルに転送している。
……頼む、間に合ってくれ‼
右手を伸ばしたまま、祈るような気持ちでガーゴイルと接触するスマホを見つめる。瑞樹の想いも虚しくガーゴイルが光を集めて青白く輝きはじめる。次の光線を発射する準備が完了した。
その様子を上から見ていたリンは両手を胸の前で強く握る。
もう駄目かと瑞樹は目をつむった。
白い光が今にも発射しようと中央に集まったところで突然、光がはじけて霧散した。恐る恐る瑞樹が目を開けると、ガーゴイルは元の光沢のある黒色を浮かべ動きを止めていた。
『防衛システムの解除に成功しました』
人口知能のシロの言葉すらもどこかほっとしたように聞こえる。本当にきわどいタイミングだった。ガーゴイルの中央に集まった光の束は、あと少し遅ければ瑞樹の存在を消し去っていた。
さすがの瑞樹もそこに座り込んでしまった。スマホからは瑞樹を呼ぶリンの声が聞こえる。疲れて座り込んだまま、瑞樹が首を横に動かすと階段を走って下りてくるリンの姿が見えた。
瑞樹もぼろぼろだが、何度も爆風にさらされたリンも大概な見た目になっている。瑞樹はリンと目が合うとグッと右手の親指を突き出した。そんな瑞樹の首元にリンが飛び込んできた。目に涙をためて抱き着くリンの頭を瑞樹は軽くぽんと叩いた。
本当はこのまま力一杯リンのことを抱きしめたいとも思ったが、その前にもう一仕事残っている。瑞樹はガーゴイルが守っていた部屋の扉の方に目をやった。
……この中に「ゴッド」がある。
幸助から聞いたアイナとマナソニックの話、そこに勤めていた瑞樹の父、ジョージ・サトウの残したスマートフォン。いろんな縁がつながりあって瑞樹とリンはこの場所にたどり着いた。そして、ついに二人はその扉を押し開けた。



