決戦の日を明日に迎えてさすがにリンも目が冴えた。時間はまだ十時を過ぎたところだが、明日に向けて体を休める必要があるので作戦の最終的な打ち合わせも早い時間に終わった。マナソニックのメンバーもほとんどがそれぞれの部屋に戻って休んでいる。
リンは夜風に当たりたくなって甲板に出てきた。瑞樹と警官から逃げたあの夜以降はこうやって外の空気を吸うことはほとんどなかったので、外気に触れられることがうれしい。蒸し暑さも夜になってだいぶましになり、海からのいい風が吹いている。
ここからでも目的のコスモスタワーは見えるが、リンはもう少し高いところからそれを見ておきたくなって、階段を上った展望デッキを目指して歩き始めた。
ドローンの準備とコスモスタワーの突入の際、少しでも有利な位置を取るため、北港の対岸からではなく輸出入用の巨大なタンカーを使って洋上から出発することが決まった。マナソニックが外国の商社から買い取ったタンカーにすでに今日の昼、積み込みが済んでおり、明日の午後に港から出発する手はずになっている。
瑞樹とリンや屋上からの突入をはかるメンバーも積み荷に紛れてタンカーに乗り込んだ。一旦、タンカーに乗り込んでしまえばその後のチェックは甘く、瑞樹たちは久々の外の生活を味わうことができた。
あれからシミュレーターを使った訓練は一か月にわたり繰り返された。ドローンの操作性も改良され、操縦時にかかる負担も随分とましになったし、風の影響も受けにくくなった。特に実際に瑞樹が感じた操作性の意見はメカニックにとってかなり役に立った。
訓練の後、遅くまでメカニックと意見を交わしている瑞樹の姿をリンはよく見かけたし、シロを使って様々な技術を検索し、それを提案することもあった。則からは事後承諾をもらったが、いつの間にか瑞樹は仲のいいメカニックと自分が乗るための改良された専用機までつくってしまった。
瑞樹の改良したドローンはスマホをつなぐためのドッグが搭載されており、シロを使って位置情報や機体のバランスをとるための補助を受けられるようになっている。ちょうどバイクを使って瑞樹とリンの二人で逃走するときにシロの情報が役に立った経験からドローンにつなぐことも考えた。
調べてみると西暦の時代には人口知能を使って車などの機械を制御する方法は一般だったようで、シロの検索した情報とマナソニックに残っていた技術を使えばドローンと連携させることはさほど難しいことでもなかった。
この技術の効果は絶大なものがあったが使いこなすためには操縦者の力量も問われた。ためしに西本をはじめマナソニックのメンバーもシロを使ったドローンに乗ってみたが、そのパフォーマンスを十分に引き出すことはできなかった。
訓練の後半ではコスモスタワーの着陸まで到達できるようになるものも増えたが、瑞樹とリン、そしてシロの連携に勝る成績を残せるものはいなかった。名実ともに瑞樹たちはマナソニックのエースパイロットになり、専用機の使用も則が認めることになった。
今回の作戦も瑞樹とリンが軸になっている。瑞樹たちを合わせてコスモスタワーを屋上から攻略していくチームは三組、それ以外は地上からコスモスタワーの占拠を目指す。
目標はあくまで改革党が占拠しているスパコン「ゴッド」だ。ゴッドにシロを使ってアクセスし、ANSを完成させる。改革党によるネットワーク技術の独占を破ることが一番の目的だ。
人の血が流れる事態はできる限り避けたいというのが幸助の、そしてアイナの意向だった。そのため装備もあくまで制圧のためのもので殺傷力の高いものは避けられた。
もう一つ今回の作戦がうまくいくかどうかを占う重要な役割がある。その役割を担うのはマナソニック会長である松上幸助だ。今回の作戦が世の中を変えるものになるか、あるいはテロの一つとして片づけられるかは幸助の手腕にかかっている。
リンが幸助に最後にあったのは今朝だ。タンカーに乗り込むため出発する際に幸助に瑞樹と一緒にあいさつに行った。作戦の確認の後に交わした言葉はとりとめのない内容だったが、しわがれた声と裏腹にリンに見せた、透き通るような表情は幸助の死期が近いことを想像させた。
こうして一人で歩きながら今朝のことを思い出しながら歩いているともう二度と幸助と会えないような気がしてリンは不安になった。夜の海は穏やかで一定のリズムで波音を響かせている。満月から少し欠けた月が空に浮かんでいる。展望デッキへの階段をのぼりながら月を見上げたとき、波音に紛れて話し声がするのに気づいた。
リンは気づかれないようにそっと歩みを進め、階段を上りきると展望デッキに作られたベンチに腰かけた瑞樹の背中が見えた。
何を話しているのだろうと少し近づいてみる。瑞樹の手もとが光っているのが見えた。どうやらシロと話しているようだ。
「瑞樹くん」
リンが背中に声をかけると右手にスマホを持ったまま瑞樹が振り返った。
「リン……どうしたんだ? こんな時間に」
「うん、早く寝ようとしたんだけど寝付けなくて……瑞樹くんは?」
リンは瑞樹の隣に腰かけながら聞き返す。
「まあ、似たようなものかな。せっかく外に出られたし、夜風にあたりながらシロとしゃべってた」
瑞樹はリンの方にスマホの画面を向けた。スマホの灯りでさっきよりお互いの顔がよく見える。
『こんばんは、リン様』
「こんばんは。今日は何の話をしていたの?」
あいさつをくれたシロにリンが聞き返す。今までも時間があれば瑞樹はシロと話をしていた。たいていは西暦のころの技術について瑞樹が聞き倒していることがほとんどだ。
『最初は明日のゴッドへの接続の確認などでしたが、途中からはいつもの話です』
「あなたも大変ね」
同情するようにリンが言った。人工知能のシロまでもが瑞樹の技術への熱の入りように辟易しているようなのがリンにはおかしかった。
「大変ってなんだよ。もしかしたら使えそうな技術があるかもしれないだろ?」
「もしかしたらね。でも、ほとんどは個人的な興味でしょ?」
「まあ、それはそうだけど……」
瑞樹は鼻のあたりを書きながら言葉を濁す。言い合いではリンに勝てる気がしない。
『でも、好奇心旺盛なのはいいことですよ。ジョージ博士も同じようによく私と世界の在り方について話していました』
「ジョージ博士が?」
『ええ、博士はすばらしい技術者であると同時に哲学者でもありました。技術をいつも人々の幸せの側面から捉えていた』
ジョージ・サトウについて語るシロの言葉は人工知能とは思えないほどやさしい響きを含んでいた。表向きはいつもながらの無機質な機械が作り出した音声だが、もしかしたら人工知能が感情を持つことだってできるんじゃないかという可能性すら瑞樹に抱かせた。
『だから、人工知能の私がこんなことを言うのもおかしいですが、私はジョージ博士の技術を悪用するものを許せない。瑞樹様、リン様、明日はがんばりましょう。私の精一杯のサポートをさせていただきます』
「うん、がんばろうね」
シロの言葉に励まされてリンも少し元気が出た。その横で瑞樹は暗い顔をしている。
「どうしたの?」
リンの言葉に我に返った瑞樹は「いや……」と言葉を濁してから、「何でもない。明日はがんばろう」と切り替えて返事をする。
「それじゃあ、明日に備えてそろそろ寝るよ! おやすみ」
瑞樹はベンチから立ち上がって、リンに向かって片手を振るとその場から離れていった。最後の瑞樹の様子が気になったが、何の言葉をかけていいかもわからず「おやすみ」とだけ返して、去っていく瑞樹の背中を見送った。
波の音が遠くに聞こえる。布団に潜り込んだ後も瑞樹は最後にシロに聞きそびれたことを考えていた。瑞樹なりにもずっといろんなことを考えてきた。この時代においてジョージ博士が改良したシロは完全なオーバーテクノロジーだ。それでもシロにいろいろな質問を重ねて瑞樹は一つの推論にたどり着いた。
このスマホの端末はあくまでシロの音声認識や本体とつながるためのもので、シロそのものというかデータの結晶部分はゴッドと同じく「クラウド」上に存在するのではないか?
そして、もしであるのならANSの完成は同時にゴッドだけでなく、シロの存在を消すことになるのではないか?
あくまで瑞樹の推論の域を出ないし、もちろん人類全体のことと天秤にかけるような問題ではない。それでも瑞樹にとってシロはこの非日常の生活の中で、ただのAIを越えた相棒のような存在になっていた。
シロも瑞樹の微妙な感覚に気づいているのか、それとも自分の役割を果たすためか、瑞樹の微妙な質問について濁すような答えをすることがあった。きっと瑞樹がさっきANSの完成がシロの存在を消すことになるのかという質問をしていたところでうまくはぐらかされていたかもしれない。
寝返りをうった瑞樹は枕元に置いてあったスマホを一度タップする。時間はそろそろ日付が変わろうとしていた。
あと半日後には大きく時代の歯車が動き出す。
いろいろ考えすぎて熟睡とは行かなかったが、うとうとと浅い眠りの中で瑞樹は夢を見た。夢の中で久々に父に再会した。小さいころ父と一緒にラジコンカーをつくっている時の夢だ。
夢の中の幼いころの瑞樹と父は完成したラジコンカーを動かしながら微笑んでいる。写真で見たジョージ・サトウと若いころの松上幸助がなぜかそこに現れる。
「技術は人を幸せにするためにある」幸助の言葉で瑞樹は決戦の朝、目を覚ました。



