倉庫に積み上げられた段ボールを背に瑞樹はしゃがみこみ姿勢を低くした。右手に電子パルス銃を持ったまま、スマホの画面をのぞき込み地図を確認する。目的のエリアまで近くまでは来ている。
 低い姿勢のまま耳を澄ませてみる。近くに足音は聞こえない。瑞樹は通路から顔を出し左右の様子を確認する。やはり見張りはいないようだ。
 膝の抜きをうまく使って上下動を少なくして、できるだけ物音をたてないように物陰から物陰へと移動を行う。
 このまま目的のエリアまで抜けられると瑞樹が思った瞬間、積み上げられていた両側の段ボールが瑞樹に向かって落下する。落ちてくる段ボールを避けながら瑞樹は通路を駆け抜けた。
 完全に動きが捕捉されている。瑞樹の駆け抜けた先には行く手をふさぐようにワイヤーがいくつか張られている。
 目的のエリアに向かうには直進するのが一番早いが、これが警戒させてこの道を選ばさないためなのか、それともあえての陽動なのか判断がつかない。むしろこうやって迷わせることが目的なのかもしれない。
 瑞樹はワイヤーに引っかからないようこのまま進むことを選ぶ。最後のワイヤーをまたいだところで、瑞樹に向かって短刀のようなものが飛んでくる。前方に飛び込み回転をしながらそれを避け、飛んできた方向に体勢を立てなしながら銃口を向ける。
「ばーん!」
 瑞樹の背中にリンが銃口を突きつけながらおどけた。飛んできたゴム製の短刀は囮で、瑞樹の動きを予測してリンは先回りをしていた。
「はい、これで私の二十四勝目。これで勝敗はダブルスコアだよ」
「……これ、守りの方が有利じゃね?」
「こないだは攻めの方が有利だって言ってた!」
 言い訳する瑞樹にリンがぴしゃっと言い放つ。瑞樹はばつが悪そうに左手で頭をかいた。そこにノートパソコンを抱えた男が近寄ってきた。二人の訓練を担当している寺前という男だ。元自衛官というマナソニックの中では異色の経歴を持っている。角刈りの短髪に広い肩幅、迷彩柄の作業着の日に焼けた姿は現場が似合っていて、手にしたノートパソコンが異彩をはなっている。
「今のは瑞樹の動きも悪くはなかったんだけどな。リンの読みが一枚上手だったな」
「そうっすよね。なんかリンと訓練してると自信なくすなー」
「こら、私より動きのいい人なんていくらでもいるんだからしっかり練習しておかないといざっていうとき助からないよ」
 リンは母親が子ども叱るかのように瑞樹に言い聞かす。もちろん瑞樹もそんなことわかっているが、毎日リンに負けていては泣き言の一つも言ってみたくなる。
「まあ、リンの言うことも確かだけど瑞樹は訓練を始めてまだ二週間足らずだからな。基本的な動きはできてきたし、そんなに自信を無くすことはないよ」
 瑞樹のフォローをするように寺前が言った。強面な見かけによらず褒めて人を伸ばすタイプで瑞樹たちからも慕われている。
「もう! 寺前さんが甘やかすから瑞樹くんがつけあがるの」
「まあまあ、昼からは例の装置の訓練もあるんだろ? 早いとこ今の模擬戦の振り返りをやっておこう」
 寺前はノートパソコンのキーボードを右手で叩きながら言った。訓練のデータは録画していてすぐに振り返れるようになっている。
 瑞樹とリンが松上幸助に会ってからもうすぐ二週間が経とうとしていた。相変わらず重大事件の参考人として瑞樹と瑞樹の母はニュースをにぎわせていたが、マナソニックの厳重な警備のおかげで瑞樹たちが見つかることはなかった。
 マナソニックには社宅などの設備もあるが瑞樹とリンは万が一に備えて、地下施設を中心に生活していた。瑞樹の母もいずれこちらに移ってくる予定だが、しばらくは検問などを考慮して松上記念病院の地下施設で匿ってもらうことになった。瑞樹は電話では直接安否確認をできたので、あとは幸助や則の判断に任せている。
 則とも話すことがあるが、現場の指揮を任されている則は来るべき決戦の日に向けて忙しそうにしていてなかなかゆっくりと話す機会がない。瑞樹がたまに会うのもシロの通信網を使って改革党本部の情報を集めるときがほとんどだ。本当は、瑞樹は父の思い出話などを尋ねてみたいがさすがにそういう雰囲気では今のところない。
 シロを使って調査に協力したり、スマホの解析以外の時間の多くは幸助に言われた通り、瑞樹はリンと共に訓練にあてた。寺前から教えられたのはパルス銃の使い方や最低限の護身術に始まり、目的の場所にたどり着くための潜入訓練、さらに目的の場所まで逃げ延びる訓練など今後の作戦を見越して必要となるスキルだった。
 寺前は最低限の身を守るための教育しか命令されていなかったが瑞樹とリンがそれ以上の訓練を志願した。もともと来るべきいつかを想定して訓練を積んでいたリンは護身術や潜入などのスキルは瑞樹よりだいぶ先を進んでいた。
 瑞樹も決して運動能力が低いわけではなかったが、リンの運動能力や格闘のセンスは人並みを外れている。瑞樹も純粋な力の勝負以外ではリンに太刀打ちできなかった。
 だがすべてにおいて瑞樹がリンに劣るわけではない。運動能力ではリンに分があるが、機械の取り扱いについて瑞樹は天才的な才能を発揮した。特に以前のバイクのときもそうだったが、機械の操作の正確さや判断力はマナソニックの社員の中でも瑞樹の右に出るものはいない。
 コスモスタワー突入の際に使用する目的でマナソニックでは人間二人程度まで搭載可能なドローンが開発されていた。ある程度の重量を運搬しつつも、小回りの利く操作性を実現するため、開発されたドローンの操縦はかなりの困難を極めた。
 マナソニックの社員の熟練者でも数カ月の練習が必要だったそれを瑞樹はわずか三日ほどで乗りこなして見せた。本社の使わなくなった工場内での実物を使った飛行訓練も終わり、今日からはシミュレーターを使ってのコスモスタワーへの模擬潜入訓練だ。
 できれば実物を使って外での訓練も行えればよかったが、コスモスタワー突入用の切り札とされているものなので秘密の漏洩を考えると大っぴらには訓練ができなかった。インターネットなどのネットワークがないとは言え、人を乗せたドローンの外観は目立ちすぎて噂になる可能性が高い。
 昼からのシミュレーターを使った訓練には幸助と則も立ち会った。何しろこの訓練の可否によって大きく作戦の変更が余儀なくされる。
 シミュレーションを行う設定はコスモスタワーの対岸からドローンを使い、コスモスタワーの屋上に着陸する。今までの室内の工場での訓練と違って、開けた北港での環境を再現しているので風の影響も考慮しないといけない。さらにシミュレーションではコスモスタワー内からの狙撃とドローンによる妨害がプログラムされている。
 設定としてはかなり高難易度のものだが、本番では一発勝負の突入の訓練としてはやりすぎなぐらいを想定しておいて損はない。
 訓練は二人一組でシミュレーターに乗り、一度に三組ずつ、それを合計四サイクル行う。瑞樹はリンと組んで最終の四サイクル目に訓練を行うことになった。他の組が訓練をしている様子はモニターに映し出され、待っている間はそれを見ていてもいいし、コスモスタワーのステージのないドローンのみのシミュレーターは控室にも置いてあったので、操作の確認をすることもできた。
 瑞樹は一組目の訓練の様子をリンと並んでモニターで眺める。やはり風があるとかなり違うようだ。遮るもののない海辺の風はかなり強く吹きつけていて、うまく風を読まないと海に向かって真っ逆さまに落ちてしまう。
 一組目の三つのドローンのうち二つがコスモスタワーに着くまでに制御不能に陥り、海に墜落してしまった。何とかタワー近くまで到達したドローンも何とか姿勢を制御しているのがやっとで、コスモスタワーからの銃撃の的になって墜落してしまった。
「かなり難しそうね。自信はどう?」
 モニターに映る銃撃がエンジンに当たり、螺旋を描きながら墜落していくドローンを見ながらリンが瑞樹に訊いた。シュミレーターとは言え、墜落の体験などしたくはない。
「んー、どうだろ? 自信なんてないよ。ただ……」
 紙パックのカフェオレのストローを咥えながら瑞樹が返事する。
「ただ?」
「うまいこと風を読みながらドローンの操縦は楽しそうだ」
 思いもよらない瑞樹の返事にリンは目を丸くする。
「この乗り物バカ!」
 リンが瑞樹の肩をバシッと叩く。瑞樹の機械好きはわかっていたつもりだったが、この数日、一緒に生活をしていてそれが想像以上のものだったことをリンは思い知る。ドローンの操縦もさることながら、その原理に至るまで瑞樹は興味深々で、いつの間にかマナソニックのメカニックに混じってドローンの操縦性の微調整までできるようになっていた。
 この間のバイクでの逃走劇も瑞樹の運転でなければ逃げ切れたかどうかわからない。そのことをリンもちゃんとわかっているので、ドローンのメイン操作は瑞樹に任せて、サブコクピットでのナビゲートに徹するつもりだ。
 リンはモニターを食い入るように見つめている瑞樹の横顔を見て、やっぱり変わり者だと思う。父がマナソニックの社員だったとは言え、本来この戦いには無関係だ。スマホを手に入れたせいで改革党から狙われているにしても、マナソニックに匿ってもらっておいて自分自身が戦う必要はない。
 でも、瑞樹は違う。技術革新の抑制とネットワーク技術の独占に対する怒りは幸助やアイナに近しいものさえあるのではないかとリンは感じている。
 機械の操作は上手いがそれ以外に特段、戦闘が得意であるとか潜入能力があるわけではないが、瑞樹と共に行動することにリンは不思議な安心感を覚えていた。
「ん? なんかついてるか?」
 リンの視線に気づいた瑞樹が問いかける。慌ててリンは「何でもない」と言ってモニターの方に視線を移した。
 モニターには二組目がちょうど出発したところが移されている。結局、一つもコスモスタワーに着陸できなかった一組目よりは順調な滑り出しだが、やはり海風に苦戦している。
「室内訓練でも姿勢保持のためのバランスがシビアだったもんね。結構、あの風は厄介かも」
「そうだな、ある程度通常の飛行はいけても、タワーからの射撃の射線を切ろうと思ったらきついかもな」
 画面を見ながらつぶやく瑞樹はすでに頭の中でも操縦のシミュレーションを行っていた。
「風だけなら何とかなると思うけど、他のドローンやタワーからの射撃があるとそれを見てから反応していたら風の読みを誤ってしまう。ある程度先読みした情報がいるから目と手は切り離したほうがいいだろうな」
「目と手を切り離す?」
「ああ、俺は基本的に操縦に集中。見るのと指示はリンの仕事。分担しよう」
 瑞樹は軽い口調で言うが、リンはそれを懐疑的に返す。
「そんなことできるの?」
「さあ、どうだろ? でも、やってみないことには、ほら」
 瑞樹がモニターを指さす。敵の攻撃を避けようとしたドローンがバランスを崩して海に落ちていく。
「操作がかなりシビアだから、操縦者は操縦に集中したほうがよさそうだろ?」
 それに対してはうなずいただけで、リンは海に墜落するドローンを目で追った。今はシミュレーションだが、実際のことを考えると背筋が冷たくなる。
「あ、西本さん、どうでした?」
 モニター室に入ってきた三十過ぎぐらいの男に瑞樹が声をかける。
「あかん、あかん、あれは厳しいわ」
 右手で手を振りながら男は瑞樹の隣に座った。リンも「お疲れ様です」と会釈をした。
「風が入るだけで室内と全然感覚がちゃう。何とかタワーまでは来たけど、飛ぶのがやっとで射撃まで入るとかなりきびしいで!」
 西本は身振り手振りを交えながら、シミュレーションの様子を語る。西本はドローンの訓練を受けている中では瑞樹たちと一番年が近く、こうして雑談のようなものも交わせる仲になった。今日は一つ目の組シミュレーションに参加したが、コスモスタワーからの銃撃で墜落してしまった。
「もう少し練習したら少しはましになるかもやけど、これはドローン使う作戦の根本から考え直す必要があるかもな」
「でも、スパコンの『ゴッド』はタワーの上部にあるんでしょ? 下から突入じゃかなり厳しいと思いますよ」
 マナソニックはできるだけ被害の少ない方法を計画している。下からタワーを占拠する方法も検討はされたがその被害の大きさから計画から外れた。
「いっそのことパラシュートで落下とか?」
「バカ! それこそ狙い撃ちにされるで」
 軽口をたたくリンに西本は的確にツッコミを入れる。もちろんリンも本気でパラシュートでいけるとは思っていない。
「まあ、なんかしらええ方法考えんと今のままじゃきついな。技術の方にも何とかならんか言うてるけどなかなか厳しそうやな。何か対策は考えてるんか?」
「瑞樹くんは目と手を切り離すって言ってますけど……」
 リンは瑞樹の方に視線を移す。西本は「はぁ?」と大げさにリアクションをとって驚いて見せた。
「どういうことや?」
「操縦と外の状況を見て指示を出すのを分担しようと思ってるんです。俺は一切、敵の攻撃を気にせず、風を読みながら指示された方向に動く……どう思いますか?」
 瑞樹の言葉に驚いた西本だったが、すぐさま腕を組んで考え込む。確かに外の状況の確認の動作を省いて、操作だけに集中すればもう少し粘れるかもしれない。
 瑞樹もリンも西本の結論を待っていた。シミュレーターを実際に経験した西本ならより正確な判断を下してくれるかもしれない。
 しばらく考え込んだ後、ようやく西本から出た言葉は「……悪くはない」だった。
「でも、それを成功するためにはかなりシビアな連携がいるで。操縦側は自分の目で見んわけやから、指示するものに百パーセントの信頼を置かなあかん。口で言うのは簡単やけどやるのは難しいことや」
「それは大丈夫です。俺なんかよりリンの判断力はずっと上ですから」
 あまりにもきっぱりと宣言する瑞樹に西本は噴き出して笑いだす。
「なんや! もう尻にしかれとるやんけ」
 手をたたいて爆笑する西本に対して、リンは横でそれを必死に否定する。ただリンは不思議とそれを嫌な気持ちはしなかった。形はどうであれ瑞樹が自分のことを信頼してくれていることがリンにはうれしかった。
 少し前まではただの変わり者のクラスメイトだと思っていた瑞樹の存在がこの数日でリンの中で少しずつ大きくなっていた。それはまだ恋心のようなものではなかったが、いざというときに頼りになる瑞樹に対してのリンの見方は変わっていった。
 瑞樹は「そんなんじゃないですよ」と否定しているが、西本はしつこく瑞樹にからんでくる。どうやらマナソニックの一部のメンバーの中では二人はつきあっていることになっているらしい。
 西本が瑞樹にヘッドロックをしてじゃれているのをリンは自分にからかいの矛先が向かないように見ていた。こういうところはいくつになってもクラスの男子と変わらない。瑞樹も適当に西本をあしらいながら応戦しているところに、オペレーターが声をかけに来た。
「原くん、リンちゃん、そろそろ準備に入ってくれる?」
 会長室の中では母親的な役割をしている小泉だ。年齢だけでいうと則より年上で、みんなからも慕われている小泉の呼びかけにリンが「はーい」と返事をした。
「お呼びのようやな。それじゃあ、がんばっといでや! ここから見といたる」
 西本はヘッドロックを解いて、グーに握った拳を突き出した。それに瑞樹も拳を合わせてグータッチをする。大げさなくらい手を振る西本に見送られながら、瑞樹とリンは小泉に案内されて、シミュレーションの準備に向かった。
 ヘルメットとゴーグルを渡されシミュレーターの前で順番待ちをする。かなり大掛かりな装置だ。本番でも使う実際のドローンを特殊なクレーンを数本使って釣り上げ、海風や銃撃を受ける動作を再現する。周囲の様子は前面に貼ったスクリーンとゴーグルで再現され、操作性やその反応もできるかぎり本物に近い形がとられた。
 まさにマナソニックの技術の粋が集められたものだと言えるだろう。もちろん実際に外でのテスト飛行ができればいいが、できない分を補うだけの装置ができたと則も自画自賛していた。
 瑞樹も初めてそのシミュレーターを目の前にして興奮が隠せなかった。普通に高校に通っていた頃から瑞樹にとって西暦のころの技術はあこがれだった。ANSにより失われてしまった技術もあるが、それでもこのマナソニックでは通常では考えられない技術が目の前に広がっている。
 不謹慎なのはわかっているがドローンの技術やシミュレーターも瑞樹にとってはこの上ない玩具のようなものだった。もちろん改革党を倒す大義は忘れていないが、同時に未知の技術を前に瑞樹は笑みを浮かべていた。
「ちょっと、訓練なんだから笑ってないでちゃんとやってよね。完全に楽しむ気満々でしょ?」
 隣で瑞樹の笑みに気づいたリンは注意をする。
「わかってるよ。そんな楽しそうな顔してた?」
「してるわよ。これでもかってぐらい目を輝かせてる」
 鏡があればみせてやりたいとリンは思った。シミュレーターを見る瑞樹の目は三歳児のように輝いている。
「大丈夫。そりゃ、全く楽しみじゃないかって言えばそうでもないけど、ちゃんとやるべきことはやるよ。ナビゲート頼むな」
 満面の笑みで返す瑞樹にリンは大げさに溜息をついてみせた。
 前の組が終わって、瑞樹たちの番が回ってくる。シミュレーターに乗り込むとき、リンは訓練の様子を少し離れたところで指示を出しながら見ている幸助と則の方に目をやった。メカニックやオペレーターに指示を飛ばしていて、二人はリンの視線に気づかない。
 瑞樹やリンを直接的にコスモスタワーの突入作戦に加えることは、幸助も則も反対していることをリンは知っていた。自分たちが作戦に参加するには訓練で自分たちの力を見せつけるしかないとリンは思っている。目の前で幸助や則の見ている今回の訓練はまたとないチャンスだ。
 狭い操縦席の後部座席に乗り込んだリンは気合を入れるように両手で自分の頬を一度たたいた。
 訓練開始の合図と共に三台のシミュレーターに乗ったそれぞれが動きだした。瑞樹より先に他の二台が動き始めたが、少し浮き上がり始めるとさっそく風の影響でふらついている。
 瑞樹も操縦かんをしっかり握り、二枚のローターの回転数を上げていく。回転数が上がるとともに耳元で空気の渦を切り裂く爆音が響く。
「リン、離陸した後からは指示を頼む」
 爆音で周囲の音はかき消されるが、ヘルメットに内蔵されたインカムでお互いのコミュニケーションは取れる。
 陸上移動用の車輪が地面から離れ、離陸する。コスモスタワーの高さに対して、直線距離はそれほど長くないので、ここから一気に高度を上昇させていく。高度が上がるにつれ、一気に風の影響が強くなった。斜め前方から吹きつける風に気を抜くと瑞樹の握っている操縦かんが一気に持っていかれそうになる。高度上昇のための姿勢保持ですらなかなかきつい。
「少し右に流されてる。もう少し高度を上げて!」
 リンの指示に瑞樹は「了解」と答えて、左右のローターの回転数の調整を行う。この作業はサブコクピットの人間が行うことが多いが瑞樹たちは完全に操縦と指示を分担していた。風を考えながら操縦かんを握っている人間のほうが肌で感じた回転数の微調整を行いやすいからだ。
 作業にひと手間加わっている分、周囲を見渡す余裕がないため、外部の情報はすべてリン頼りだ。リンも操作については瑞樹を信じて自分に与えられた役割に集中する。瑞樹の目として周囲の情報を一早くつかむべく集中を三百六十度に広げる。
 瑞樹たちより先に離陸したドローンのうち一機がすでに崩れたバランスを立て直せないまま、大きく右に旋回し、海の上に不時着していた。
 この風の中、一度大きくバランスを崩すと立て直すのは難しい。わずかに傾きかけた機体をそのたびに修正し続ける作業は精神的にも体力的にも削られるが、少しずつその「起こり」の部分をとらえることで、機体も安定してきた。
「少しコツつかんできた。このまま前進で大丈夫か?」
「このまままっすぐで大丈夫。ただもう少し高度を上げられる?」
 返事をするリンの視線を先はまだコスモスタワーの側面だけで屋上は見えない。
「たぶん大丈夫だ」
「可能な限り高度を上げて! 妨害にあっても地面まで距離があるほうが立て直しやすいし、屋上にも着陸しやすい」
 先ほどの西本がタワーに近づいたときは割と低い位置から最後にグッと上昇しようとした。だが、そうするとどうしてもタワーからの銃撃の射線を切りにくい。高度を増すほど風の影響で操作はシビアになるが、最終的にコスモスタワーの屋上にたどり着く可能性は高いとリンは判断した。
「簡単に言ってくれちゃって!」
 瑞樹は右手でローターの回転数を上げながら、左手の操縦かんが持っていかれないよう力を込めた。回転数が上がった振動と風で操縦かんがガタガタ揺れる。それを無理やり力で抑え込む。
「大丈夫、信じてる!」
 前を向いたまま瑞樹の方に視線を移さず、リンが言った。
 ぐんぐんと高度が上がっていく。気圧が下がったせいか少し頭がふわふわする。
 瑞樹とリンのドローンは高度を保ったままコスモスタワーに近づいていく。ここまでは西本たちもたどり着くことができた。問題はコスモスタワーから攻撃が始まるここからだ。
コスモスタワーの側面に設置された砲台が一斉に反応を始める。このシミュレーションではタワー内からの射撃を想定して側面に八台の砲台と、屋上に三台のドローンが設置され侵入者の妨害を行うようにプログラムされている。
設定としては厳しすぎる部分もあるが、本番は一発勝負なのでシミュレーションとしてはこれぐらいを想定していてちょうどいいだろう。もちろん砲撃なども映像を駆使したもので実弾ではないが、ドローン部分に当たると衝撃や振動が伝わるようになっている。
 一つの面に二台ずつ、中央部と上部に砲台が設置されていて中央部の砲台は瑞樹たちの少し先をいくドローンを狙って射撃を行う。風の影響の少ない低空を進んでいたドローンが大きく左側に旋回しながらその射撃を躱す。
 旋回するドローンを追うように乾いた射撃音の後に水柱が上がる。白く飛び散る水滴が日に照らされて輝く。その隙間を抜けてドローンが急上昇しようとするが風にあおられて一瞬バランスを崩した。そこに射線が追ってくる。
 的を絞らせないよう上下左右に機体を動かすが、やがて砲撃に追いつかれ、ローター部分に直撃する。片方のローターを失ったドローンは制御不能な不規則な軌跡をたどりながら墜落していった。
 その様子を視界の端でとらえながらリンは瑞樹に情報を与え続ける。墜落していったドローンには申し訳ないが、中央部の砲台があちらを狙っている今がチャンスだ。
「瑞樹君、上下に機体を動かしながら十一時の方向に進んで! 砲台が一つ狙っているから細かく動いて的を絞らせないで」
 瑞樹はローターの回転数を一気に落としてほとんど墜落するように高度を落とす。体が浮き上がりそうになる無重力の感覚の中、操縦かんで必死にバランスをとりながら、本当に墜落してしまわないようぎりぎりの飛行を続ける。ちょうど先ほどまで瑞樹たちのいたあたりを砲撃の射線が通る。
「まだ! 高度を上げて、五十メートルぐらいのところで大きく右に旋回! タワーの角を取って砲台の継ぎ目を狙って!」
 リンが言うや否や今度は一気に高度が上がる。瑞樹の「舌かむなよ!」の声と同時に二人の両肩を押しつけるように重力がかかる。気を抜くと意識を持っていかれそうになる。瑞樹は前腕が異様に張り詰めているのを感じた。操縦かんを握っている感覚が少しずつ薄れてきた。
「あと三十……二十……十……曲がって‼」
 操縦かんを引っ張りながら大きく右に旋回する。速度を緩めると射線に追いつかれてしまう。機体自体を右斜めに傾けながら瑞樹は力一杯、操縦かんを引っ張った。遠心力で体が大きく外側に投げ出されそうになる。リンもグリップを握り、必死に体を支える。
 何とか体勢を立て直したところに二つの側面から砲撃が襲い掛かるが、ちょうど射線の死角に入っていて、瑞樹たちのドローンの横を抜けた砲弾が振り返ったリンの視線のすぐ後ろの部分で交差した。少しでも左右にぶれると途端に砲撃の餌食になる。できるだけ動き回って的を絞らせなかったさっきまでと違って、今度はコスモスタワーの頂点の一つ目指して真っすぐに進み、射線の死角から出ないようにする。
 風と砲撃の中、ドローンの操縦かんは相当な振動をしているそれを無理やり抑え込んでいる瑞樹の腕はそろそろ限界なはずだ。
「まだ大丈夫? もう少しで着くから」
 大丈夫なはずはないことは百も承知だがそれでもリンは気休めの言葉をかけずにはいられない。
「ああ」と返事をする瑞樹の額は汗でびっしょりと濡れている。
 二人のドローンの様子を幸助や則も固唾を呑んで見守っている。今日の訓練でここまで来られたのは瑞樹たちが初めてだ。かなり厳しい設定は確かだがこれが成功しないようでは作戦に組み入れることは難しい。
 コスモスタワー攻略はマナソニックの者たちにとっての悲願だ。幸助たちだけでなく他の訓練生たちも祈るような気持ちでモニターを見つめた。ここからが最後の難関だ。
 もう間もなくコスモスタワーの屋上の真上に差し掛かろうとするところで、リンの耳にも空気を切り裂く回転音が聞こえてきた。屋上に設置された三台のドローンだ。二か所に取り付けられた黒い四枚の羽根が高速で回転しながら高度を上げてこちらに向かってくる。
「瑞樹くん、高度を上げて! ドローンが来る!」
 三台のドローンのうち二台が挟み込むように瑞樹たちのドローンの両側に迫ってくる。もう一台は瑞樹たちの出方をうかがうように低空で待機している。
「囲まれたら動きが取れない! 高度を上げながら左に旋回して! 連携を乱すの!」
 迫ってくる二台のドローンに追いつかれないよう一気に高度を上げる。慌てて高度を上げたのでバランスを崩し、機体が二回転するが、そのまま真横を向いたまま大きく左に旋回する。
 敵のドローンを追いかけて左に舵を取る。もともと左右に距離を置いていた分、大きな円と小さな円を描き、今度は縦二列の状態で向かって来る。
 無茶な操縦をしているので右に左にと重力がかかり、自分が今どちらの方向を向いているのかもわからなくなる。それでもリンは瑞樹に操縦を任せている分、必死にコスモスタワーを視界の端に入れ続けて現在位置を把握する。
 追いかけてくる二台のドローンと待機しているドローンの位置関係を計算しながら、自分たちのとるべき軌跡を瑞樹に指示し続ける。瑞樹も完全に操縦かんにだけ集中し、リンの言葉を頼りに感覚で機体を操っていた。
「瑞樹くん……私を信じてね」
 リンはそういうと操縦席の横のローターの回転数のスイッチを落とし、一気に機体を急降下させた。
「……なっ⁉」
「相手のドローンの隙間を抜ける! 機体の操作だけ集中してて!」
 瑞樹が言葉を発しようとしたところをリンが被せる。こうなったらリンの判断を信じ切るしかないと瑞樹も腹をくくる。
「このまま真っすぐ機体を保って急降下……だめ! 左に十度ほど傾いて! そう! 五秒後に急上昇しながら大きく右に旋回」
 レールのないジェットコースターのような軌道を取りながらドローンは低空で待機している機体向けて突っ込んでいく。コンピューターで制御されてるとは言え、後からついてくる二台のドローンもよくついてくる。
 ぎりぎりまで引きつけないと対応されてしまう。瑞樹もリンも心の中でカウントダウンを進める。ゼロの合図と共にリンはローターの回転数を上げ、瑞樹は操縦かんを力一杯引っ張る。
 無重力状態から一気に重力の壁に押し付けられる。バランスは崩れ、機体がジャイロ回転で右側にぶれていくのを瑞樹は最後の力を振り絞って体勢を整える。もうこれ以上の余力は残っていない。
 天地がひっくり返るような視界の中でリンは追いかけてきた二台のドローンと待機していたドローンがぶつかり爆発を起こすのを見た。そのままリンの意識は遠のいていく。三台のドローンのかけらが火の玉のように海に落下した。ジュッと花火の燃えカスをバケツの水につけた時のような音が聞こえた。
 瑞樹の操縦するドローンは落下寸前で屋上にぶつかりそうなところを何とか体勢を保ち、最後は胴体着陸のような形でコスモスタワーの上に降り立った。無事に着陸できたのを確認したところで瑞樹の意識も途切れてしまった。
 モニターを見ていた訓練生から歓声があがる。則も思わずガッツポーズをした。二人が結果を残したことを幸助はうれしく思いながらも同時にこれで二人を危険な任務に巻き込まなければならなくなったと複雑な表情を浮かべた。
 シミュレーターの電源が切られ、ようやく意識を取り戻した瑞樹とリンが疲労困憊の様子でドローンから降りてきた。駆け寄り祝福の言葉を浴びせるマナソニックの社員たちの奥にリンは幸助の姿を見つける。
 乗り込む時と違い今度は確実に目が合った。結果は出した……リンは瞳に力を込める。リンの視線の意味に気づいた幸助はしばらく考え込んだが、やがて静かにうなずいた。
 幸助の中でも一つの覚悟が定まったのはこの時だった。