それから、およそ二週間ほどの時が過ぎた。
 先の騒動において暴走した禍石は、龍神の力──神気によって浄化され、ひとかけらの取りこぼしもなく完全に消失した。
 街の被害に関しては、幸いにも死者は出ず、泥に取り込まれた者たちも後遺症などが残ることはないという。
 具体的な損害は、建物の損壊と、それによって軽傷を負った者が十数名。あとは泥の中心部に取り込まれていた壮馬の負傷。
 唯一、壮馬だけは泥に長時間捕らわれていたため、身体への侵食度合いが大きく、完全回復は難しいと彼を診た医者は診断した。
 とりあえず意識は戻ったが、車椅子が必要なほどに下肢は弱まり、今後は立って歩けるかもわからないらしい。
 何より、その精神は大きく衰弱し、黒白院家による取り調べすらまだ受けられる状態ではないという。
 たとえ心が治っても、待っているのは処罰と各方面からの責任追及。
 自らの利益に固執して他者の命すら軽んじた、そのツケはあまりにも重い。
 白怜は図書館の山城司書に随時連絡を取ってこれらの情報を得ており、おそらく四条家は取り潰されるだろうと考えていた。
 
 同家の長女、加奈子については、不幸中の幸いというべきか、郊外で静養中であったため、泥の暴走には巻き込まれていなかった。
 ただ、今もまだ静養中だが、元の生活に戻るのは、金銭面からも彼女の精神面からも難しいとのことだ。
 父方の祖父母はすでに他界し、世話をしているのは亡き母方の祖父母である。
 あるいは回復後、彼女が自分を省みて、家柄ではなく大事なものは他にあると気づけたなら、質素ながらも穏やかな生活が手に入るかもしれない。そこは彼女次第であり、唯一残された望みといってよかった。

 ちなみに、肩書の上では灯里も四条家の娘ではあるが、今回の騒動において当然灯里に罰が課されることはない。
 黒白院家も灯里に関する経緯は白怜から聞かされて知っているし、何より白怜がそれを望まないからだ。
 彼は今後もそのようにして、灯里を守り続けるだろう。
 その一方で、白怜自身はこうも考えていた。
 灯里は強い心の持ち主だ。たとえ自分がいなくても、彼女は立派にやっていけるだろうと。
 とはいえ、白怜がそれを望むはずもなく、灯里も白怜なしの生活など、もう想像すらできないのだが。





「……いつ来ても、ここは静かで良いところですね、白怜さん」

「そうですね……私も、屋敷の方で暮らすようになって、かなり経ちますが……ここは、何ものにも代えがたい場所だと思っています」

 天厳山の奥、竜胆(りんどう)の花畑の中で。
 灯里と白怜はその美しさに目を細め、しみじみとそんな言葉を交わした。
 二人はいつかのように連れ立ってここに来ている。改めて話したいことがあると、白怜が灯里を誘ったのだ。
 話したいこと。少しためらいつつも決意を秘めたその表情で、灯里はそれが何なのか、自ずと察してしまう。
 それでも、急かすことなく穏やかな気持ちで、彼女は白怜の言葉を待つ。
 ややあって、白怜は灯里に向き直ると、心を決めたように彼女へと呼び掛けた。

「……灯里さん」

「はい」

「ずっと……あなたに伝えたかったことがあります。あなたが……好きです。同居人や、単なる仕事の仲間としてではなく、男として……あなたとともに在りたいと思っています。傍に……いさせてもらえませんか」

 それはどこかぎこちない告白だった。
 流麗な風貌には似つかわしくない、初々しさすら感じさせる声で、彼は灯里へと心を伝える。
 それでも、精一杯の真心と真剣さが感じられるもので。
 何より灯里自身が求めていたその言葉に、彼女は迷うことなく思いを告げ返した。

「……私もです。私も、白怜さんのことが好き。あなたと、同じ道を歩んでいきたいです。私もあなたの傍に……あなたとずっと一緒に……いたいです」

「灯里さん……!」

 二人はどちらともなく抱き合い、唇を触れ合わせる。
 風が吹き、竜胆の花々が揺れる。
 涼やかな空気が辺りに満ち、花畑一帯が二人を祝福しているかのようだった。
 そして、静寂の中で身を寄せ合った二人は、しばらくの間おだやかな喜びの時間を共有する。
 ややあって、手をつないで入り口の(ほこら)へと戻って来た時、その場所には静、飛丸、火十郎、霧矢の四人がいた。

「え、み、皆さん……?」

「おめでとうございます、白怜様、灯里様! ついに……ついに、お二人の恋が結ばれたのですね!」

 誰よりもはしゃいだ様子で、静が二人へと拍手をする。

「お、お静さん。どうして……」

「……すみません、若。お静さんが『女の勘で、絶対に今日だ』って、これ以上抑えられない感じだったんで……花畑には入らないことで譲歩してもらって、ここで待たせてもらいました」

 静の代わりに、申し訳なさそうに飛丸が言う。
 つまり、先の騒動のせいでデートでの告白ができず、それを見られなかったことにより、静はずっと次の機会をうかがっていたのだという。
 しかし、さすがに全部を覗き見るのは良くないということで、飛丸たちに祠の前で留められ、灯里と白怜が出てくるのを待っていたのだった。
 ちなみに、飛丸の羽根は今はまたなくなっている。彼の翼をはじめ、各々の力が復活、あるいは全開するのは、灯里が近くにいて異能を発動させている時に限られるらしい。
 そのことを気にした様子もなく、むしろ晴れやかな表情で飛丸は謝罪し、二人を祝福をする。
 そんな飛丸の言葉を受けて静が言った。

「わ、わたくしだって、そのくらいの分別はわきまえてますわよ? だからこうして、お花畑には入らずにいたんですし……。あ、それでもう接吻はなさったんですか? お二人は」

「「「お静さんっ!」」」

 飛丸、火十郎、霧矢の三人が一斉に彼女をたしなめる。
 静は「おほほ、失礼しました」と、高笑いでごまかした。

 灯里はそんな彼らを見て、どこかあたたかい気持ちになる。
 白怜だけではない。皆を守るために力を合わせて戦った、彼ら四人はもうかけがえのない戦友たちなのだった。
 静の質問に、灯里は人差し指を立て、それを自らの唇に添え当てる。
 そして、いたずらっぽく「秘密です」と答えた。

「……おお」
「へえ……!」
「まあ……!」
「……なるほどね!」

 四人は納得の笑みで灯里を見る。
 灯里が白怜を見上げると、彼も照れ臭そうに「まあ、そういうことで」とうなずいた。

 ──そうして、灯里たちの日々は続いていく。
 灯里は思った。白怜と自分、二人が偶然同じ本を借りたことから始まった縁が、こうして大きな絆となって今を形作っている。
 あの時、勇気を出して良かった。
 図書館の貸出しカードを見て、ただ友達になりたいと願った。その小さな勇気こそ、尊ぶべきものだったのだろう。

「灯里さん」

 昔を思い返して立ち止まっていた灯里に、白怜は手を差し伸べる。
 灯里は感謝の思いとともに、その手を取った。
 先を行く四人の仲間たち。そして、隣で灯里を待っていてくれる愛しき人。
 灯里は改めて、彼らと歩む希望に満ちた一歩を踏み出したのだった。


<神堕ち白蛇の恋の贄 ~あやかし一家の若当主様は恋物語で縁を紡ぐ~ -了- >