白怜の宣言に、辺りはしんと静まり返った。
 誰も言葉を発せなかった。
 静かな口調だが、そこに込められた意思は何よりも強い。
 白怜は机の上の砂金を視線で示す。そして、何でもないことのように壮馬に言った。

「この砂金、持って帰るがいい。女学校の学費として灯里さんが借りていた分だ。今ここで、私がお前に払ってやるよ」

「な……」

「余った分はくれてやる。迷惑料として取っておくといい」

 蔑むような口調に、壮馬は思わずカッとなった。

「──調子に乗るなよ化け物が! あやかしの当主だか知らんが、貴様らのようなクズなど、その気になればどうとでもなるのだぞ!」

「……ほう?」

「いくら金を持っていようが関係ない、こちらには術式があるのだ! この私に逆らうなら、使い手たちに命じて、貴様など塵のごとく消し去ってくれるわ!」

「ああ、それは怖いな」

 まるで相手にする様子のない返答。
 壮馬はさらに怒りを燃え上がらせた。

「どれだけ人の振りをしようが、所詮は野山の獣ども。我らの糧になるしかないクズが、調子に乗りおって……!」

「……糧、だと?」

 そこで白怜は、壮馬の言葉に反応する。

「糧とは……どういうことだ」

「言った通りの意味だ。お前たち妖怪の身体を解剖し、調べ尽くし、術式をより発展させる。今まで普通に行われてきたことだろうが」

「……何を言っている。お前が言うような人体実験じみたことは、すでに禁止されている。そもそも術式とは、古来よりあやかしと人の対等な契約によって結ばれるものだ」

「……は! 知ったことか。戸籍もない畜生が、どこで何匹消えようと、調べる(すべ)などない。貴様、まさか化け物との約束を、我々が律儀に守っているとでも思っていたのか?」

「! お前は……!」

 その瞬間、表情が逆転する。
 今度は白怜が怒り、壮馬が(わら)った。
 人ならざる者との契約により超常の力を発揮する技、術式。
 近年、研究のためにあやかしが人間に捕らえられる事案が頻発していたが、あやかしと人間との協議で、それは禁止されたはずだった。
 そもそも研究所が灯里に目を付けたのも、協定によってあやかしに手出しができなくなったからだ。
 だが、実態はそうではなかった。
 表面上、協定を守っているように見せていただけで、結局あやかしたちは捕らえられていた──壮馬の言葉は端的にそれを表していた。
 壮馬は弁解するどころか、その事実をもって白怜を挑発する。
 表情を一変させ、強くにらみつける白怜を見て、ようやく壮馬は一矢報いたとほくそ笑んだ。

(……馬鹿め! この男、ものごとの表層しか見ていないのか。 協定など、いかに抜け道を作るかの前提でしかない。そんなこともわからんとは、所詮はけだものの頭目に過ぎんわ……!)

 しかし、その直後、白怜はフッと息を吐き、短く言った。

「……言質(げんち)は取ったぞ」

「何?」

 続いて、左手の指を鳴らす。
 それはあらかじめ決めていた合図。背後で控えていた静と飛丸が、後ろの左右の(ふすま)を開ける。
 隣の部屋が明らかになり、その中から紋服を着た二人の人影が現れる。
 壮馬はその二人を見て、大きく目を見開いた。

「!?」

「──紹介しよう。黒白院(こくびゃくいん)家、十一代目当主──黒白院(こくびゃくいん)秀久(ひでひさ)氏と、その弟の恭二氏だ」

「なっ……こ、黒白院!?」

 黒白院。それは華族の中でも別格の家柄。最高位である公爵を叙した数少ない家の一つである。
 同家は(いにしえ)よりあやかしと深く結びついており、人間を代表して先の取り決めを結んだのも、この黒白院が代表になって行ったことだった。

 どうしてこの場に公爵家が、と壮馬は思う。
 そもそも人と協定を結んだあやかしは、天狗の里のような力のある集団だけだった。
 名目としてはすべてのあやかしが保護対象だったが、それはあくまで名目に過ぎない。
 だからこそ、それ以外のあやかしたちから一部を拉致しても問題はなかったというのに。

 しかし、壮馬は見誤っていた。
 取り決めを結んだ当事者の中には、白怜が率いる巽一家もいた。
 何故なら、白蛇としての白怜と黒白院家は古くからの縁がある。
 黒白院の白という字、それは白蛇を意味している。
 また、黒白院恭二(きょうじ)──当主の弟として紹介されたその青年は、何を隠そう灯里の文通を中継した図書館の司書、山城恭二だった。
 普段は母方の姓を名乗っている彼は、白怜と個人的な親交がある。
 壮馬からの手紙を受け取った翌日に話はさかのぼる。
 白怜は壮馬との対決に備えるため、図書館に赴き、恭二に話を通していた。



「──というわけだから恭二君、話し合いの時には、本家の人と一緒に同席をお願いできないかな」

「あ、ああ。もちろん構わないけど……。しかしまあ……最近、手紙の中継を頼まれないと思ったら、なんだかすごいことになってたんだなあ……」

「や、山城さん。その節はどうもありがとうございました。急なお願いで申し訳ありませんが……どうかよろしくお願いします」

「うん、任せといて。それよりも、灯里さんは……今は白怜君のところにいるんだね。なんというか、奇妙な縁だけど……これはもしかして、運命ってヤツなのかな?」

 あははと笑ってからかう恭二に、灯里と白怜は赤面する。
 山城恭二──黒白院恭二は、白怜があやかしであることも承知の仲だった。
 白怜と灯里は、そうして恭二に今までの経緯を説明し、黒白院家の協力を取り付けたのだった。


 なお、先刻まであやかしが拉致されていることに白怜が驚いていたのは、実は演技。
 最近、天厳山の外で、巽一家に属さない野生のあやかしたちが何者かにさらわれており、そのことは白怜も把握済みだった。
 その黒幕が術式研究所だという目星も付いていたが、白怜は最後の自白を引き出すためにわざと壮馬を怒らせ、また自らも怒った振りをしていたのだった。

「四条家当主、四条壮馬に申し渡す」

 恭二の兄、秀久が厳かな声で言った。
 
「黒白院家があやかしたちと結んだ協定を破り、己の利益のために多くのあやかしを傷つけた罪、到底許しがたい」

「……っ!」

「術式研究所は解体。当主のみならず四条家そのものにも、相応の処罰が下されるだろう。以後、沙汰下るまで自邸を出ることを禁ずる。追って連絡を待つように」

「おっ、お待ち下さい! これはあくまでも術式の発展のために行ったことで!」

「黙れ。お前は黒白院家の面子を潰したのだ。行為の後先も考えられぬ愚か者が……貴様に術式を語る資格はない」

 そこで秀久は、自らの人差し指を壮馬に向ける。
 すると、壮馬は雷にでも打たれたかのように、大きく痙攣して倒れ込んだ。

「がっ……!」

「黒白院家はあやかしとともに歩んできた家。この力も、あやかしあってのもの。人とあやかしとの信頼を壊す者は……我らの敵だ」

 そして、秀久は白怜の前に座し、彼に謝罪する。

「……申し訳ない。今回の件、監督に手落ちがあった私の責任だ。四条家当主は処断するが……私も甘んじて罰を受けよう」

 白怜は、畳に頭を着けようとする秀久を止める。
 これまでとは一転、穏やかな声で彼へと言った。

「……私は、多くの人間が尊敬すべき者であることを知っています。この一件だけで、これが人のすべてだとは思いません。頭を上げて下さい」

「……すまない……」

 白怜の言葉に、秀久は感じ入るように目を伏せる。
 白怜はうなずき、そして灯里の方を見ると彼女に言った。

「……もう、大丈夫です」

 灯里も白怜と目を合わせ、うなずく。
 術式研究所の解体と、壮馬への処罰。
 それぞれに裁きが下され、これで灯里がその身を狙われることもなくなるだろう。
 白怜の優しい表情を目にして、ようやくすべての問題が解決したことを灯里は悟ったのだった。