そして、話し合いの日はやって来た。
会談の場となる店の名は『花仙』。創業五十年、財界人も多数利用する、老舗の高級料亭である。
出席するのは、白怜と灯里。警護役として、飛丸と静も。
灯里はその場にふさわしいように、身なりを整えられ、着飾らされる。
女学生だった頃からは考えられない、上等な着物を着せられて。
巽の屋敷に来て以降、すでに彼女は日常着として白怜からさまざまな着物を買い与えられていたが、それに比べても今回はとびきりだった。
「は、白怜さん。こんな高価なもの、私、いただけません」
数日前。呉服店で反物を見せられ遠慮する灯里に、白怜は「いいえ」と言い、それを受け取らせた。
「お父上に対し、灯里さんはうちの屋敷で幸せに暮らしているのだと見せる必要があるのです。いわばこれは灯里さんの戦装束。着てもらわなければ困ります」
父、壮馬がどのようにして灯里を連れ戻そうとするかはわからない。
ただ、いかなる主張にも対応できるよう、白怜は法律上から道義上から、さまざまなパターンへの反論を想定していた。
たとえば、壮馬が娘の保護を名目に灯里の身柄を要求してきた場合、これまでの経緯と確立された生活実態を論拠として、引き渡しを拒むことになる。
「彼女は自ら養父から逃れ、望んで白怜のところにいる。すでに保護が成っている以上、その平穏な生活を侵すことは許されない」と。
なお、灯里が人体実験の材料にされかけたことについては、物的証拠がないため、それを主張しても水掛け論になるだろうと白怜は考えていた。
また、灯里を話し合いの場に連れて行くのは危険ではないかという懸念もあったが、彼女自身の意思を見せる必要があるため、これについては同行が不可欠だった。
白怜はそのことについて「すみません」と謝罪するが、灯里は白怜の傍にいることが何よりも安全だと思い、むしろ嬉しく思うくらいであった。
「お初にお目にかかる。四条家当主、四条壮馬です」
「巽白怜です」
両者が座卓で向かい合い、話し合いは当初穏やかに始まった。
いつも物腰柔らかな白怜はともかく、壮馬もまずはそれなりの礼節をもって白怜に自己紹介をする。
壮馬にしてみれば人外の者と同じ目線で話すなど、本来なら堪えられないことだろう。
しかし、灯里を取り戻すため、弁護士という立場の白怜に、形だけでも礼儀を見せる必要があった。
とはいえ、傲慢な気質を隠しきれないのか、彼は早々に本性をあらわにする。
「──それで、娘を引き渡してもらうためには、君は一体いくら欲しいというのかね」
「!?」
壮馬の言葉に、白怜は面食らった。
娘と目も合わさず、要求だけを述べる横柄さもだが、少なくとも親権などの親子関係を前提とした主張を展開してくると思っていたのだ。
だが、親子であることにすら触れず、彼はまるで雑事のように、ただ金でもって灯里を引き取ろうとする。
それで不利になるわけではないが、白怜が思うのとは真逆の親のあり方に、彼は言い様のない不快感を覚えた。
(この男は……!)
そして、壮馬のやり方は、灯里の心にも暗い影を落とした。
わかっていたことだが、改めてその事実にショックを受ける。
父は灯里のことを娘としてなど見ていない。やはり、ただの道具、金でどうにかなる程度の存在としか捉えていないと。
「いくらでもいい。そちらの欲しいだけの金額を出そう。それで今回の件は手打ちだ。今ここで、金と娘を交換して、終わりにしてもらいたいと思っている」
壮馬はそう言って、後ろに控えていた秘書に鞄を持ってこさせる。
中に入っていたのは、鞄からはみ出すほどの札束の山。
「……!」
「聞くところによると、君はどこぞの山を買い上げて、そこを妖怪たちの住処にしているそうだね。何でも、はぐれの妖怪を保護するためだとか。どうかね、この金があれば、山林の維持や新たな山の購入など、さまざまなことに使えると思うのだが」
普段表情を変えない壮馬だが、そこでかすかに片方の口の端を上げた。
ただ、その笑いは白怜を見下すもの。
人に非ざる化け物が、人の真似をして山中に家を建て、暮らしている。
壮馬にしてみれば下らなく、興味もないことだが、それならば仲間を守るため、金は喉から手が出るほど欲しいだろうと考えたのだ。
壮馬は思う。野山で暮らす妖怪などに稼ぐ口などあるはずがない。弁護士一人の収入で山林の維持などできるはずもなく、そもそもその肩書すら疑わしい。人の皮を被ったこの化け物は、容易に娘を見捨てて金を取るだろうと。
──だが。
「……悪手だな」
「うん?」
白怜のつぶやきに壮馬はピクリと眉を動かした。
白怜の顔に浮かぶのは失望。深いため息を吐いて、気怠げに壮馬を見据える。
「仮にも灯里さんの父親だから、もう少しまともかと思っていたが……真面目に交渉しようとした私が馬鹿だったわけか」
「……何だと?」
聞き返す声に苛立ちが混じる。
白怜は無機質な声音で語りかけた。
「あなたが何に価値を置き、何を軽視しているのか、今の言葉だけでもよくわかる。……だが、その価値観がどんな者にも通用するとは思わないことだ」
白怜は立ち上がり、秘書の男に鞄を投げ返す。
「うおっ」という当惑の声とともに、秘書はなんとか鞄を受け止めた。
「……何の真似だ」
「こんな紙屑など我々には何の価値もないと言っているんだ。父親として、灯里さんに心から謝罪するなら話くらいは聞くつもりでいたが……この程度の者と話すことなど何もない」
「! 貴様っ!」
にらみ上げる壮馬を制するように、白怜はバッと右手を突き出した。
その牽制に、壮馬は「うっ」と怯みを見せる。
白怜は続いて、開いた右手を握り込む。するとどうしたことか、指の隙間からぽろぽろと砂金の粒がこぼれ落ちた。
「……!?」
「私は白蛇の化身でね。蛇というのは金回りが良いもので、何もしなくても自然と金が集まってくるんだよ。そちらが持って来た金額程度なら……このひと握りで事足りる」
白怜は再度手を開く。かがみながら、座卓に這わせるように腕をゆっくりとスライドさせる。
すると、動かした手のひらからざらざらと砂粒がこぼれ、手品のように机に砂金の山が積み上がった。
「な……!?」
「えっ……!?」
ひと握り──とはいうが、どう考えても手の中に入る量を超えていた。
その光景に、壮馬のみならず灯里も驚きの声を上げる。
「まだあるぞ」
白怜は体を起こし、腕を横に振り払う。
かき分けるような仕草の後、空間が歪み、彼の傍に金塊の山が出現した。
「……っっ!?!」
それは、空間を操作するあやかしとしての力。
白怜はあらかじめ今日のために、彼の周囲数メートル四方をいつでも屋敷とつなげられるようにしていた。
もともとは緊急避難のために用意した空間術だが、今、彼は付近の空間を屋敷の倉庫内に接続し、それを壮馬に見せている。
ちなみに、竜胆のかんざしの転移能力もこの空間術を利用したものだ。
「そちらも家に帰って、もう少し札束を持ってくるか? 私を満足させる金額を出せるか、試してやってもいいが……」
白怜は鋭い目つきで見下ろす。
彼は「だがな」と続けて、呆れと怒りの混じった声で壮馬に言った。
「……本当に大切なものは金じゃ買えないんだよ。それを理解しないお前には……灯里さんは絶対に渡さない」


