加奈子との騒動から二週間が過ぎた。
その後、何か問題が起きるでもなく、平穏な日々が続いている。
白怜の事務所の事務員としての仕事も、しっかりできている──かどうかは自信はないが、毎日彼と一緒に出勤する、それが当たり前の日常になっていた。
ただ、先の騒動の後、加奈子がどうなったのかについて、灯里はずっと気になっていた。
思い切って白怜に聞いてみたところ、あの後すぐに病院に運ばれて、そのまま入院することになったと教えられる。
今はある程度落ち着いたようで、神門市外の祖父母の邸宅に移され、そこで静養しているという。
灯里はとりあえず安堵し、それについてきちんと把握している白怜にも感心した。
(さすが白怜さんだわ……。なんだかんだで関わった相手のことも、ちゃんと気にかけてくれている……)
しかし、白怜は時折自らのことを卑下するような、あるいは自信のなさそうな表情を見せることがあり、灯里にはそれが気になっていた。
灯里には積極的に好意を向けてくれる一方で、あやかしとしての彼自身を人とは線引きして見ているような表情。
加奈子に化け物と言われる前から、彼はその呼び方を受け入れている節があった。まるで人に受け入れられるのを諦めているような。
そんなことはないのにと、灯里は思う。
自分を救い、進む道を示してくれた白怜。
尊敬こそすれ、見下げるようなことは何もない。むしろ、最初に出会った時から、彼はずっと手本とすべき人だと灯里は考えている。
「──灯里さん、お静さんからお茶とお茶菓子いただいてきたので、読書会をしませんか。私の部屋で待ってますから」
「あ、はいっ。すぐに行きます!」
そんな思いもあり、最近の灯里はより積極的に、白怜との時間を過ごすようにしていた。
無論、彼と一緒にいることが楽しく、灯里自身がともにいたいと思っているからなのだが。
◇
そんなある日のこと、静が険しい面持ちで、二人宛ての手紙を持ってくる。
彼女はそれを白怜に差し出すと、送り主の名を告げた。
「四条壮馬氏……灯里様のお父上からのお手紙です」
「!」
灯里は戦慄する。
同時に、ついに来たかという思いで、彼女はギュッと身を引き締めた。
一方、切手が貼られていないのが気になったのだろう、白怜は静へと尋ねた。
「これは……郵便で送られてきたんですか?」
「いえ、使者の方が。正門前まで来られて『巽先生に渡してくれ』と」
「……なるほど」
白怜はうなずき、中の手紙に目を走らせた。
「……」
「白怜さん。父からは何と……?」
「……灯里さんのことで、私と話し合いたいそうです。会談の場は、神門市内の料亭。日時は十日後を希望すると」
「話し合い……」
穏便な言い方をしているが、結局のところ灯里の身柄を求めているのは明らかだった。
ただ、あちらから見れば、巽一家は人外のあやかしたち。
得体の知れない相手ゆえ、まずは表向き、話し合いという名目で──というところなのだろう。
「どうされますか、白怜様」
静が緊張した様子で尋ねる。
「まあ、話し合いたいと求められた以上、断るわけにもいかないでしょうね」
「白怜さん……」
「大丈夫ですよ、灯里さん。あなたを彼らに渡したりなんかしません。それだけは絶対に約束します」
白怜は灯里を不安がらせまいと、柔らかな微笑で応えた。
「……ただ、こちらとしても、それなりの準備をする必要がありますが」
相手は軍にも顔が利き、力ずくで灯里を連れ去ることもいとわない連中だ。
さまざまな状況、ともすれば最悪の場面まで想定しておく必要がある。
「白怜様、何かありましたら、わたくしたちにも何なりとご用命を」
静は胸に手をやり、白怜に言う。
白怜は「ありがとうございます」とうなずいて返す。
静のみならず、山のすべてのあやかしたちが白怜と灯里に力を貸すだろう。その事実は、灯里にとっても心強いものだった。
「とはいえ、準備となると……これはどうするべきかな……」
と、そこで白怜は何やら考え込むそぶりを見せる。
「地位ある人間……華族に対するわけだから、根回しは必須だが……。それならいっそのこと、『あの問題』と同時に詰めてしまうのも手か……」
「……白怜さん?」
「ああ、すみません、こちらの話です。うーん……けど、あまり世話になりっぱなしなのも、どうかな……」
ぶつぶつと独りごとを言う白怜。
一体、何のことを言っているのか。灯里にはわからない。
静も同じなのか、きょとんとして彼の次の言葉を待つ。
「……うん、よし」
そして、しばしの熟考の後、灯里に向き直って言った。
「灯里さん、久しぶりに明日、図書館に行きませんか? それで多分、準備は整うと思うので」
「……え?」


