加奈子との騒動から二週間が過ぎた。
 その後、何か問題が起きるでもなく、平穏な日々が続いている。
 白怜の事務所の事務員としての仕事も、しっかりできている──かどうかは自信はないが、毎日彼と一緒に出勤する、それが当たり前の日常になっていた。

 ただ、先の騒動の後、加奈子がどうなったのかについて、灯里はずっと気になっていた。
 思い切って白怜に聞いてみたところ、あの後すぐに病院に運ばれて、そのまま入院することになったと教えられる。
 今はある程度落ち着いたようで、神門市外の祖父母の邸宅に移され、そこで静養しているという。
 灯里はとりあえず安堵し、それについてきちんと把握している白怜にも感心した。

(さすが白怜さんだわ……。なんだかんだで関わった相手のことも、ちゃんと気にかけてくれている……)

 しかし、白怜は時折自らのことを卑下するような、あるいは自信のなさそうな表情を見せることがあり、灯里にはそれが気になっていた。
 灯里には積極的に好意を向けてくれる一方で、あやかしとしての彼自身を人とは線引きして見ているような表情。
 加奈子に化け物と言われる前から、彼はその呼び方を受け入れている節があった。まるで人に受け入れられるのを諦めているような。

 そんなことはないのにと、灯里は思う。
 自分を救い、進む道を示してくれた白怜。
 尊敬こそすれ、見下げるようなことは何もない。むしろ、最初に出会った時から、彼はずっと手本とすべき人だと灯里は考えている。

「──灯里さん、お静さんからお茶とお茶菓子いただいてきたので、読書会をしませんか。私の部屋で待ってますから」

「あ、はいっ。すぐに行きます!」

 そんな思いもあり、最近の灯里はより積極的に、白怜との時間を過ごすようにしていた。
 無論、彼と一緒にいることが楽しく、灯里自身がともにいたいと思っているからなのだが。





 そんなある日のこと、静が険しい面持ちで、二人宛ての手紙を持ってくる。
 彼女はそれを白怜に差し出すと、送り主の名を告げた。

「四条壮馬氏……灯里様のお父上からのお手紙です」

「!」

 灯里は戦慄する。
 同時に、ついに来たかという思いで、彼女はギュッと身を引き締めた。
 一方、切手が貼られていないのが気になったのだろう、白怜は静へと尋ねた。

「これは……郵便で送られてきたんですか?」

「いえ、使者の方が。正門前まで来られて『巽先生に渡してくれ』と」

「……なるほど」

 白怜はうなずき、中の手紙に目を走らせた。

「……」

「白怜さん。父からは何と……?」

「……灯里さんのことで、私と話し合いたいそうです。会談の場は、神門市内の料亭。日時は十日後を希望すると」

「話し合い……」

 穏便な言い方をしているが、結局のところ灯里の身柄を求めているのは明らかだった。
 ただ、あちらから見れば、巽一家は人外のあやかしたち。
 得体の知れない相手ゆえ、まずは表向き、話し合いという名目で──というところなのだろう。

「どうされますか、白怜様」

 静が緊張した様子で尋ねる。

「まあ、話し合いたいと求められた以上、断るわけにもいかないでしょうね」

「白怜さん……」

「大丈夫ですよ、灯里さん。あなたを彼らに渡したりなんかしません。それだけは絶対に約束します」

 白怜は灯里を不安がらせまいと、柔らかな微笑で応えた。
 
「……ただ、こちらとしても、それなりの準備をする必要がありますが」

 相手は軍にも顔が利き、力ずくで灯里を連れ去ることもいとわない連中だ。
 さまざまな状況、ともすれば最悪の場面まで想定しておく必要がある。

「白怜様、何かありましたら、わたくしたちにも何なりとご用命を」

 静は胸に手をやり、白怜に言う。
 白怜は「ありがとうございます」とうなずいて返す。
 静のみならず、山のすべてのあやかしたちが白怜と灯里に力を貸すだろう。その事実は、灯里にとっても心強いものだった。

「とはいえ、準備となると……これはどうするべきかな……」

 と、そこで白怜は何やら考え込むそぶりを見せる。

「地位ある人間……華族に対するわけだから、根回しは必須だが……。それならいっそのこと、『あの問題』と同時に詰めてしまうのも手か……」

「……白怜さん?」

「ああ、すみません、こちらの話です。うーん……けど、あまり世話になりっぱなしなのも、どうかな……」

 ぶつぶつと独りごとを言う白怜。
 一体、何のことを言っているのか。灯里にはわからない。
 静も同じなのか、きょとんとして彼の次の言葉を待つ。

「……うん、よし」

 そして、しばしの熟考の後、灯里に向き直って言った。

「灯里さん、久しぶりに明日、図書館に行きませんか? それで多分、準備は整うと思うので」

「……え?」