「あ、あんた……。巽一家の……」
短刀の男は、驚いた様子で白怜を見た。
どうやら男たちは白怜と顔見知りであったらしい。
白怜も男を見やると、「南町の喜八郎か」とつぶやく。
そして、白怜は周囲を一瞥した後、自らが灯里の壁となるように立ちふさがり、低い声で問いかけた。
「お前たち……自分が何をやっているか、わかってるんだろうな?」
「うっ……」
すべてを凍り付かせるような、冷たく響く声だった。
蛇に足を取られ、動くこともできず、短刀の男、喜八郎は息を呑む。
彼はなんとか気力を振り絞って白怜に尋ねた。
「む、娘についてる弁護士って、あんただったのかよ。ご、極道が、どうして弁護士なんて……」
「だから、うちは極道じゃないって前から言ってるだろうが。はぐれ者の寄り合い所帯だが、道を外れたことはしていない。お前たちと違ってな」
白怜はそう言って、ため息を吐く。
喜八郎が「こ、この蛇、何なんだよ」と指差すと、白怜はさらに答えた。
「ああ、私は妖術も使える弁護士だからね」
「って、何だよそりゃあ!?」
冗談とも本気ともつかない返答に、喜八郎は声を上げる。
白怜は表情を変えず、「蛇が嫌なら、凍らせることもできるぞ」と、左手の指を鳴らした。
すると、巻き付いていた白蛇が消え、みるみるうちに足元が凍り付いてゆく。
同じように、周囲の他の男たちにも冷気がまとわりつき、彼らの足を凍結させた。
「なっ……ど、どうなってんだよこれ!?」
「たっ、助けてくれ!」
「……いいかお前たち。この人は、私の大切な……客人だ。爪の先一つでも傷つけてみろ。その時は巽一家が全力を挙げて、お前たち南町の極道を潰しにかかるぞ」
まるで極寒の風雪のような冷たさで、白怜の声が響く。
「わかったなら早々にここを立ち去れ。いいな?」
続けてそう念を押され、喜八郎はこくこくとうなずいた。
白怜が再度指を鳴らすと一斉に氷が砕け割れ、男たちの拘束が解かれる。
「行け」
「ひっ、ひいぃぃっ!」
まだ氷のかけらが足に張り付いているのも構わず、皆、大通りへと駆けていく。
喜八郎も落とした短刀すら拾わずに、一目散に逃げ出していった。
「……大丈夫ですか、灯里さん」
「は、はい。ありがとうございます、白怜さん」
白怜は一度大きく息を吐き、険しい顔を戻してから灯里に振り返った。
「……これから出かけられる時は、ずっと竜胆のかんざしを持っていた方がいいかもしれませんね。今日は私も一緒だったので気にしていなかったのですが、こんな短い合間でも危険が生じるとは……」
「あっ、す、すみません」
偶然にも、今日の灯里は竜胆のかんざしを着けていなかった。
白怜いわく、灯里の戻りが遅いので気になって事務所に向かったところ、加奈子たちに襲われているのを見つけたのだという。
灯里は自分の軽率さと、白怜に心配をかけてしまったことを恥じる。
白怜は「お気になさらず」と、灯里の肩に手を置いた。
「……何よ、何なのよ、あんたたち!」
そこで加奈子が怨嗟の声をあげる。
白怜はその声に反応し、再び灯里をかばうような位置に立った。
男たちも逃げ出し、味方はいなくなったにもかかわらず、加奈子は灯里たちにひるむ様子は無い。
それどころか、さらなる恨みをぶつけるように灯里へと叫んだ。
「あんたさえ……あんたさえいなければ! 何もかも上手くいくはずだったのよ! どうして私の邪魔ばかりするのよ、この出来損ない!」
もはや自身の言動のおかしさにも気付いていないようだった。
そもそも、灯里は放っておいて欲しいと言ったのだ。それに聞く耳持たず、逆に害を加えようとしたくせに、邪魔を訴えるなど矛盾も甚だしい。
そして、怒りの矛先は灯里を助けた白怜へも向けられる。
つい今しがた、あやかしの力を見たにもかかわらず、加奈子は臆することなく白怜へ敵意を向けた。
「……お前のせいか、こいつが増長してるのは。薄汚れた化け物くずれがついてるせいで、調子に乗ってるってわけなのね?」
「……」
「姉さま!?」
加奈子の前に立つ白怜は表情を変えない。
一方、灯里は姉の言葉を耳にして、とがめる口調で声を上げた。
「何よ。あんたが言ったんでしょ。化け物たちといっしょに暮らしてるって。今言ったことの何がおかしいっていうのよ」
「違います。私は化け物ではなく、あやかしと言ったんです。それに、白怜さんたちは、そんな悪しざまに言われるような人じゃありません。いくら姉さまでも……それは、訂正して下さい!」
「はぁ? どう違うっていうのよ。化け物は化け物でしょうが」
灯里の気色ばむ様子に少しだけ留飲を下げた加奈子は、今度は二人へ侮蔑の言葉を投げかける。
「ああ、確かにあんたのような女は、化け物と暮らしてる方がお似合いよね。ええ、いいわ。そこは許してあげる。下賤の女と化け物、下層どうしで仲良くやってれば──」
「姉さまっ!」
灯里は加奈子を遮り、再び叫んだ。
許せないのは、仲間を侮辱されたこと。自分のことはいくらでもなじればいい。けれど、大切な人たちのことを悪く言うのは、どんな些細な言葉でも許せなかった。
思えば灯里には大切な人がいなかった。今まで自分のことを心から気にかけてくれた人はいない。彼女はずっと独りで生きてきた。
だが、今は違う。白怜に会い、屋敷のあやかしたちに会い、灯里は思いを通わせる者たちと出会うことができたのだ。
白怜を貶され思わず叫んでしまったこと──今までの彼女にはなかった行動に灯里自身も驚いていたが、大切な誰かのために声を上げるのは、ある意味自然なことだった。
「うるっさいわね。化け物が後ろについたからって、良い気になってんじゃないわよ!」
一方で、加奈子も灯里に負けじと怒鳴り返す。
自分より下だと思っていたはずの灯里。その灯里に反発された怒りも加わり、加奈子は白怜がいるにもかかわらず、灯里へと殴りかかった。
「灯里のくせに生意気なのよ!」
その手にはいつの間に拾ったのか、短刀が握られていた。
喜八郎の短刀。男たちが逃げていくどさくさの中で拾い上げたものだ。
最初から刺すつもりはなく、流れでそうなってしまっただけだった。
だが、振りかぶった右手の得物は、明らかに危険度が異なる。
灯里もハッとして手を前に出す。素手で防げるはずもないが、それは間にいる白怜をかばうため、とっさに取った行動だった。
「──白怜さん! 下がって!」
叫んだ瞬間、強い光が手の先で弾けた。
どこからか生じたその光は、加奈子の刃を跳ね返すように、大きな輝きを前方に放つ。
「えっ──」
「なっ──!?」
加奈子も灯里も動きを止める。
二人の間にあったのは氷。
まるで姿見のような大きな氷の板が、加奈子の眼前に出現していた。
そして、加奈子がそこに映し出された自身の姿を視界に入れた時──何故か彼女は呆けたように、がくりと地面に膝をついたのだった。


