「……なぁ、カイバラ」
 昼休みになり、教室を出ようとすると。
 僕に山川(やまかわ)(しゅん)が、呼びかけてきた。

「なに海原(うなはら)? なんか用事なら、先いっとくよ?」
 隣で高嶺(たかね)が、僕の苗字を訂正しながら聞いてくるけど……。
 どうした山川?
 なんでそんなに、片眉あげてひきつってるんだ?

 もう、さすがに三作目なのに。
 毎度の苗字のいい間違いで、血祭りにするほど。アイツも鬼じゃないぞ。
 むしろ、お約束の展開すぎて。
 長年の読者なんて、気にもしていないだろう。

「よくわからんが、とりあえず先いっといてくれ」
「わかった。コイツ忙しいから。あんま邪魔しないでやってよ」
 高嶺が、まるで『保護者』のように。
 山川に釘を刺してから、廊下に出る。
 さっきから息でもとめていたのか、山川がゼーゼー息をしている。
 おそらく、早弁したんだろうけど。
 すっごくニンニク大量入り唐揚げみたいなにおいが、周囲に充満しはじめて。
 近くの女子たちが、思わず弁当のフタを閉めてこちらをにらんでいる。
 と、とりあえず。
 廊下にいこう、僕も外の空気が吸いたいんだ。


「な、なにぼ〜っとしてるんスか、師匠! どうなってるんスか!」
 山川の頭の中のほうが、どうにかなっているんじゃないか?
 そう思うけど、なんだその血走った目は。
 おまけにちょっと、顔が近いぞ……。
 せっかく外気に触れたんだ。
 た、頼むから離れてくれ……。

「いったい、どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたもネエっスよ!」
 あぁ、わかったから。ニンニクは勘弁してくれ……。
「高嶺さんが六組のヤツと、文化祭回るらしいんスょ!」
「だから?」
「だからって、なんスか!」
「……『巡回』とか頼まれたのか?」
 僕は高嶺が、『警備係』か『用心棒』でも頼まれたのかと思ったけれど。
「違いやすよ師匠。で、デ……、デ……」

 思わずうしろに、三藤(みふじ)先輩が腕を組んで立っているのかと思って。
「出た〜!」
 みたいな、これまたお約束の展開とか?



「……くしゅん!」
「あれ月子(つきこ)、もしかして風邪?」
「違うわよ、陽子(ようこ)。たぶん別のなにかね」
「なにかって、なに?」
 ……海原くん。
 いまなにか、いわなかったかしら?



「……もしかして巡回料とかって、デザートよこせとかいってもめてるのか?」
「ち、違いますよ師匠。……っていうか、ほんと自分のことは鈍いよなぁー」
 山川にまで、『鈍い』といわれて。
 おまけにいつまで、ニンニクを嗅がされていればいいのだろう?
 早くしないと、放送室で誰に怒られるかわからないのに……。

 ……中央廊下を、ひとり早足で歩きながら。
 僕は山川の情報を、整理する。

 昨日みんなが話していた、『文化祭デート』なるものに。
 どうやら高嶺が誘われて、了承したそうだ。
 ちなみに、お相手は六組にいるらしく。
 ふと思って、所属はバレー部かと聞いたところ。

「サ、サッカー部っス……」
 ……そうか、やっぱり。
 バレー部じゃないから、許可が出たのだろうと僕は思った。

 ……ちなみに。
 全国の男子バレー部のみなさんに、敵意はまったくなくて。
 ただ我が『丘の上』では、この山川が属するバレー部が。
 終わりの見えない『恋愛連敗記録』を、延々と更新中なのだ。


「し、師匠。なんで知ってるんスか?」
「えっ?」
「昨日も一昨日も、『演劇姫』に先輩たちが断られたんスよぉ〜」
 あぁ、玲香(れいか)ちゃんが話していたのはこれか。
 さすが、波野(なみの)姫妃(きき)
 おでこに包帯巻いてても、ちゃんと告白されるんだ……。
「それも、秒殺で。ふたりもっスよ……」
 しっかしバレー部、弱すぎだろう……。

 そういえば、中学のとき。
 高嶺は、いったい何人の男子を断ったんだっけ?
 まぁ、証明のない自己申告だから。
 そもそもアテには、ならない。
 おまけに高校入学後は、特に聞かされていないから。
 ひさしぶりで、うれしかったのかな?

 ……とにかく、珍しい。
 アイツが、男子の誘いにのるなんて。
 まぁ、多分。
 屋台の割引券かタダ券を、いっぱいもらえたのだろう。


「遅くなりました」
 そういいながら、部室に入ると。
 高嶺の大きな両目が、僕をじっと見つめてくる。
 ……まぁ、別に。
 僕が、どうこういうことでもない。

 アイツがたくさん働いてきたのは、揺るぎのない事実なので。
 文化祭の日は、自由時間が取れるようにしておこう。
 そう思った僕は、アイツの視線を外して。
 書類の続きを終えるべく、急いで食べ終えようと。
「いただきます」
 そう口にして、自分の弁当箱を開いた。




 ……目を、そらされた。
 海原はおそらく、あのおしゃべりな山川から。
 『今朝のこと』を、聞いたに違いない。
 でも、なにその態度?
 嫌味のひとことくらい、いうかと思っていたのに。

 あとのみんなの、反応も正直よくわからない。
 まぁ、所詮上級生の話題になるようなことじゃないだろうし。
 それにしても、いったいわたしは。
 どうしたらいいんだろう?
 わざわざ六組まで、断りにいくの?
 それか、委員会室にいけばいい?

 ちょうど、そのとき。
「もう! 昼休みの受付は、緊急だけっていってるのに〜」
 玲香ちゃんが、そういうと。
 ノックされた、放送室の扉を開けにいく。

 玲香ちゃんは、一度扉を閉めると。
「『由衣(ゆい)に』、書類の届け物だって〜」
 そういって、早々にお弁当をの続きを食べはじめる。

 あぁ、めんどくさ……。
 いま、こなくてもいいのに……。


「外で、話してもらえるかしら」
 そんなことを、サラリといえる月子先輩。
 この人は、いったいなにを考えているのだろう?
「いわれなくても、わかってます」
 この部屋に『他の誰か』なんて、絶対に入ってもらうつもりはない。
 わたしは、渋々席を立つと。
 扉を開き、段ボールを受け取りに出た。



「……え? 重いし、中に運ぶよ」
「大丈夫、ちょっと立て込んでるから。ここで受け取ります」
 六組の男子の箱は、確かに重たそうだ。
 でもだからといって、わたしたちの部屋には入って欲しくない。
「いいから、持てるから渡してくれない?」
 そう伝えて、手を伸ばしかけたところで。

「おい、本当に重たそうだから無理するな」
 慣れ親しんだ、気配がしたと思ったら。
 いつのまにか、アイツが現れて。
「あ、代わりに受け取ります。ありがとうございます」
 荷物をサッと手にして、放送室の中に戻っていく。

 その横では、姫妃先輩が扉を片手で抑えていて。
「……まだ治ってないんだから、無理しないでくださいよ?」
「だって海原君、両手ふさがってるじゃん。わたしの片手は自由だよ〜」
 ニコニコしながら、アイツに話しかけてから。
 その顔のまま、わたしを見る。

「由衣ちゃん、閉めとくね」
 姫妃先輩の声は、わたしにだけ伝わる冷たさで。
「そこの君も、ありがと」
 男子にかけた声は、とても社交的なものだった。

 それから、放送室の扉が閉まる直前。
 その声が一段高くなり、アイツの名前を呼んだ気がした。
 ……先輩は、いまのわたしを見て。
 いったい、どう思ったのだろう?


「……あの、朝のことなんですけど」
「あ、すいません。ついうれしくて。クラスとか部活の先輩に……」
「えっ?」
「いや、だって高嶺さんは。ハードル高いって思ってたから」
 で、なんなの?
「まさかOKもらえるなんて、思わなかったんで……」
 だからって。
 勝手にいいふらして、なにが楽しいの……?

 一瞬、どうしたらいいのかわからなくて。
「すいません、部室に戻らないと」
 わたしはとりあえず、背を向けようとしたのだけれど。

「あ、さっきのがカイハラ君だっけ?」
「はい?」
「同じ中学なんだよね?」
 その瞬間。


 ……わたしの中で、なにかのスイッチが入った。


 アイツの苗字は、海原(うなはら)だ。
 山川みたいに、友達になっても間違えるヤツは。
 わたしがずっと、直してあげる。
 でも、そちらのそれは。
 中途半端なわたしへのリサーチのおまけ、みたいな情報なわけ?


 だが、文句をいおうと開かけた自分の口を。
 わたしは、閉じるしかなかった。


「でもさ、彼氏じゃないんだよね? いったい、どんな関係?」


 ……答えたく、ない。
 ……いや、答えられない。

 彼氏じゃないのは、事実だ。
 でも、どんな関係かって?
 そんなの、わからない。
 全然知らないあなたにいえるわけない!
 そもそも、聞かないで!


「し、失礼します」
「ちょっと! 高嶺さん!」

 うしろから聞こえる声を、振り切ろうと。
 わたしはとにかく走って。
 追いつかれないように、階段を登って。
 曲がって、降りて。また登って。
 とにかく、その男子に見つけられないように。
 ずっと、ずっと走り続けた。



 ……そう。
 わたしの安全地帯は、すぐうしろにあったのに。

 放送室に戻れなかった、わたしは。


 ただひたすら、走り続けた。