白雪(しらゆき)氷雨(ひさめ)、二十三歳。

 私は夜の街を歩いていた。今日は残業が長引いてしまい、終電を逃してしまった。
 
 時間を潰すためにコンビニで立ち読みをしていたら、ある記事が目に止まった。

【今話題の大人気作家、月宮蓮。無期限の活動休止を発表。休止の理由は未だわからず……】

 コンビニの雑誌や新聞に大々的に取り上げられた、そのページを見て、私は絶望のどん底へと叩き落とされた。

「ファンの期待に応えられない月宮先生なんて大嫌い……」

 購入したばかりの雑誌をゴミ箱に捨てた私はコンビニを出た。
 
 月宮蓮。さっきまで私の推し作家だった人だ。

【眠るアンドロイド】で大賞を取り、書籍化デビューを果たした。そして、瞬く間に小説界隈では知らない人がいないほど有名となり、メディアでも毎日のように取り上げられていた。

 その後、【片翼の天使と優しい悪魔】、【死神は二度死ぬ】を同時発売。どの作品も発売前から即重版がかかるほど大人気だった。
 洗練された文章と読者を引き込む内容に普段、本を読まない人も月宮先生の作品を一冊読めば、月宮先生の書く物語の虜になっていった。

 そして新作、【伝説の桜と六つの謎】の二巻が先月発売されたばかりだった。二巻の最後では一つの伏線が回収され、新たな展開が始まるってところで終わってしまったので、ファンの私は今か今かと三巻の情報を楽しみに待っていた矢先、活動休止の知らせを目にした。

 無期限ってことはいつ復活するかわからないってことだよね?もしかしたら、このまま作家を引退することだってありえるかも……。考えれば考えるほど頭が痛くなった。

 今日を機に別の推し作家を見つけよう。なにも月宮先生が私の全てってわけじゃないし。

 初めて月宮先生の作品を読んだときは電撃が走るほどの衝撃を受けたことを今でも覚えている。

 世の中にはこんな天才がいるんだなって。むしろ今まで作家じゃなかったの?って。そのくらい私にとっては驚きだったのだ。人生のバイブルといっても過言ではなかった。けど、それも今日で最後。

 月宮先生は私たちファンを裏切ったんだ。小説界隈の中心にいる人物……月宮先生の耳にも多少なりとも届いているはずだ。今が人気絶頂期なのに活動休止とか、そんな馬鹿な話が許されてたまるものか。

 物語を書くことが好きで作家になったのに、ファンに作品を届けるのが仕事なのに……。どうして自ら栄光を捨てるような行動をするの?


 ポチャン。ふと、頭の上に落ちてきた。

「雨……?」

 私がその言葉を発したと同時に雨は勢いを増し、ザーザーと豪快な音を立てて降り出してきた。

 仕事は残業だったし、そのせいで終電は逃すし、私の推し作家は活動休止するし、もう散々……。

 今日は何も考えたくない。だから、このまま最果てまで歩くのも悪くないかもなんて思ってしまった。最果てなんてどこにあるかもわからないのにね?自分で言ってて笑っちゃう。

こんなセンチメンタルな気分になったのも詩人みたいなことを言っちゃうのも全部、月宮先生の影響だ。

「喫茶店?こんな時間なのに空いてる?」

 雨でずぶ濡れな私の前に現れたのはまさに雨宿りにピッタリな喫茶店。名前はオアシス。ここに入れば濡れずに済むし、店名通り少しは癒されたりするのかな?

 癒されなくともお腹を満たす何かはあるはず。残業帰りでちょうど小腹も減ってるし。

 ―――カラン。私は喫茶店オアシスに入った。

「一人なんですけど空いてますか?」

「いらっしゃい。……あぁ、空いてるよ。どこでも好きな席に座りな」

「はい」

「それと濡れているようだからこれで拭きな。お嬢さんが風邪を引くと親御さんも心配するよ」

「……ありがとうございます」

 お髭が素敵なダンディなおじ様……制服を着ているし、ここのマスターだろうか。マスターは私にタオルを手渡してきた。

 深夜にふさわしい、落ち着いたジャズが店内には流れていた。カウンター席が全部で七つ。テーブル席が三つ。私はテーブル席に腰を下ろした。

 各席には本が置いてあり、その作者は私が愛してやまない推し作家、月宮蓮先生のだった。デビュー作から新作まで全て揃っていた。

「これはサービスのホットミルクだ。冷えた身体をあたためるといい」

「マスターさん、ありがとうございます。その……マスターさんは月宮先生がお好きなんですか?」

「あぁ、蓮くんのことかい?蓮くんはこの喫茶店の常連なんだよ。ここだけの話、蓮くんはデビューする前からここに通ってててね?ボクはそれが自慢なんだ」

「つまり、この店が無かったら月宮先生のデビューは無かったってことですか?」

「そうかもしれないね。でも、蓮先生がこの店の常連じゃなかったとしても、蓮くんの才能はいずれどこかで見つかっていたさ」

「そんなことは……」

 マスターさんは月宮先生と知り合いなんだ……。それなら活動休止の話も当然知っているはず。

「君も蓮くんの書く話が好きなのかい?」

「……好きでした」

「でした?ってことは今は?」

「マスター、初めての客に喋りすぎた」

「おっと、ごめんよ。お嬢さん、なにか食べたいものはあるかい?」

「えっと……ナポリタンと紅茶のセットで」

「少し待ってて、作ってくるよ」

 そういってマスターは奥の部屋に入っていった。

 カウンター席の端っこに一人、男性が座っていた。マスターとの会話に集中していたのか、今まで居ることに気が付かなかった。

 サラサラの黒髪にアーモンド色の瞳。端正な顔立ちで思わず二度見するほど整った顔面をしている。それでいて、どこか不思議なオーラを感じる。私と同じ20代くらいに見えるのに私よりもずっと大人びていて……バチッと目があったその瞬間、男性の瞳に吸い込まれそうになった。

「……なに?」

「こんな時間に喫茶店にいるってことはあなたも終電を逃されたり?」

 視線があったので何か話しかけないと失礼な気がして話題を出したが、男性はどうやら機嫌がよくないらしい。テーブルには何やら大量の原稿用紙が積まれていて、今も作業中のようだ。

「お仕事中だったんですね、邪魔してすみません」

 私はペコッと頭を下げ、テーブルに置いてある月宮先生の本に手を伸ばそうとした。嫌いだと言ったばかりなのに読みたくなるのは、まだ月宮先生のファンでいたいからか。

 それとも、私が読むことで貴方の活動復帰を待ってるファンがいます……と伝えるためか。たぶん、どちらも正解。私がこんな場所で月宮先生の本を読んだって月宮先生に届くわけもないことは私が一番よくわかってる。だから、これは私の自己満足だ。

「月宮蓮が好きなのか?」

「へっ?」

 話が終わったとばかり思っていたのだが、まさか男性から話しかけてくるなんて驚きだ。私と会話するのが嫌でぶっきらぼうな態度をとっていたわけではないの?

「月宮蓮が好きなのかと聞いている」

「……さっきまではそうでした。けど、月宮先生はバカです。あれだけ人気があるのに活動休止するなんて。人気がある今こそ頑張るべきじゃないでしょうか?」

 この男性には嘘をついてはいけない。仮に嘘をついても、男性にはその嘘を見抜かれる、そんな気がした。

「嫌いになったのなら何故、月宮蓮の本を読もうとしているんだ?」

「こ、これは……」

 見られていた……。しまった!とばかりに私は月宮先生の本を棚に戻した。

「……も、くせに」

「え?」

 男性が小声で何か言っている気がしたが私には聞き取れなかった。

「何も知らないくせに偉そうなことばかり言うな」

 その言葉が男性の口から出ると同時にバンっ!と机を叩く音がした。

 男性が叩いたんだよね?すごい音がしたけど手とか痛くないのかな?それよりも大人しそうな人に見えて当然怒り出すとか何事!?と内心怖がっていた。

 だけど、もしかすると男性もまた私と同じように月宮先生のファンかもしれない。月宮先生のプライベートもよく知らない私がバカだとか言ったのが男性の気分を悪くしたのかも。

 私もそれなりに月宮先生のファンだけど、男性は私なんかとは比べ物にならないくらい熱狂的なファンなのかも。だとしたら男性には悪いことをした。

「すみません……私、月宮先生のプライベートとかなにも知らなくて。月宮先生ってSNSも個人ではしてないようですし、普段から何をしてるかも謎で。月宮先生のことだから一日中小説のことばかり考えているのかな?って勝手な妄想ですけど」

 男性の気分が少しでも落ち着けるようにと月宮先生の話題を出すもこれは逆効果なんじゃないだろうか。どれもこれも苦し紛れの言い訳というか……はたからみたら月宮先生のにわかじゃん。

 男性を喜ばせるなら自分語りじゃなくて、ファンしか知らないような月宮先生のことについて話せば良かった。と嘆いても月宮先生はプライベートはほぼ謎に包まれているし……。

「……いきなり怒鳴ったりして悪かった。今のは俺が悪いからお前は気にしないでくれ」

「は、はい」

「月宮蓮が癌だったり、心の病気になっていたとしても活動休止をするのは馬鹿な行動だと思うか?」

「月宮先生が癌!?」

「例え話だ」

「だとしたら咎めるのは少し違いますけど、だったらそれはそれで活動休止の理由で書くと思うんです。話せない理由があるから未だに休止した理由がわからずじまいっていうか……」

「そこまで月宮蓮を理解してるのに嫌いなのか?」

「なっ……!」

 鼻で笑われた。なんて失礼な人!とは思ったが、男性は月宮先生のことを私なんかよりも知っているように見えた。

「だって、せっかく人気なのに活動休止なんてもったいない!睡眠を削ってまで書けとは言いませんが、月宮先生の新作を待っているファンがいることもわかってほしいんです。あんないいところで終わらせて続きが読めないとかひどすぎます!」

「……」

「だってさ、月宮先生。お嬢さんもここまで言ってるわけだし、少しくらい話してもいいんじゃないかい?」

「……あぁ」

「マスターさん?今、月宮先生って……」

 私は男性を指差しながら口を大きく開けた。驚きのあまり塞がりそうにない。私の予想が外れていなければ、今まで会話をしていた男性は……男性の正体は……でもまさか、そんなことあるはずがない。

「彼は月宮蓮くん。お嬢さんがファンだと言っていた今人気絶頂期の大人気作家さ」

「え、えぇぇぇ!?」

「これだけ話してて気付かないとかお前こそアホだろ」

「なっ……!月宮先生は女性に優しいって聞きました。インタビューの時は女性と目を合わせてるし、素敵な笑顔で受け答えしてましたって」  

 普段は顔出ししていないものの、ラジオのゲストでは度々登場していて、そこでは常に笑顔で誰に対しても分け隔てなく優しかったとアーカイブで聴いたのをよく覚えている。

「あんなの営業スマイルに決まってんだろ」

「ひ、ひどい……」

 あんなに好きだった月宮先生のイメージが一気に崩れ、私はショックをうけた。

「酷いのはお前のほうだ。俺のファンのくせによくも馬鹿だのアホだの言ってくれたな」

「お嬢さん、本物の蓮くんを見て幻滅しないでおくれ。本当は君みたいな綺麗な女性にファンだと言われて内心喜んでいるんだよ」

「綺麗な女性?私が?」

「……普通だろ」

「今、照れました?」

「馬鹿言うな」

「月宮先生こそ私のことを散々バカ扱いしてるじゃないですか」

 目を逸らして一瞬だけど顔が赤くなった月宮先生を見て照れたのかな?可愛い……なんて思った私を殴りたい。

「お前、名前は?」

「白雪氷雨です。月宮先生は?」

「月宮蓮」

「えっ?本名をそのままペンネームに使っていたんですか?」

「悪いか?」

「別に悪いとは言ってません」

「ペンネームが本名だろうと関係ない。ファンが見てるのは作品の面白さだ。物語で引き込めればファンは自ずと増える。名前なんて、それなりに有名になったあとにでも覚えてもらえればいい」

「それはそうかもですけど……」

 名前よりもまずは自分の物語を見てもらおうとする姿勢。コンテストで受賞を果たし、その後も作品をどんどん書き上げている月宮先生だからこそ言える言葉だ。実際、それでファンは増えているし、説得力としては十分すぎるくらいだ。

「……えが、」

「月宮先生?」

「お前がどうしても聞きたいっていうなら俺が活動休止した理由を話してやってもいい」

「……!ホントですか。私、聞きたいです」

「もう俺のファンじゃないんだろ」

「それとこれとは別です。個人的に気になるので話してください」

「むしろファンじゃなくなったお前だからこそ話せる、か」

「……」

 さっきとは打って変わってどんよりもした空気が流れた。まるで外で振り続ける雨のようだ。

「ボクは席を外すよ。ナポリタンと紅茶のセット、ここに置いておくから」

「ありがとうございます」

 私がマスターにお礼を言うと同時にマスターは奥の部屋へと入っていった。残されたのは私と月宮先生の二人。

「癌なんていうのは本当に例え話だ。……本当はファンからの期待に応えられなくなったのが原因だ」

「そんなことは言っても次々と新作は出してるし、どの作品も素敵でした。ファンからの期待にも十分応えられてると思います」

「これは俺自身の問題なんだ。コンテストで大賞に選ばれてからというもの、次の作品は今よりももっとクオリティの高いものにしないといけないといつもプレッシャーに駆られた。もし、次の作品が前作と比べられて駄目だったら?そんなことを考えていたら、いつの間にか書けなくなってしまった。いくらファンが俺の作品を褒めようとも俺の中でそれはいつしか雑音に変わっていって……。俺はなんて無能な作家なんだ……くそっ」

「月宮、先生……」

 月宮先生がこんなにも悩み、苦しんでいたなんて知らなかった。私ってば、なんてことを言ってしまったの?逆の立場になって考えれば簡単にわかったことなのに。……馬鹿は私のほうだ。

「書くのがつらいなら、私のために書いてください」

 私は気付けば月宮先生の手を握っていた。推し作家には笑っていてほしい。私はそんな願いをこめた。

「お前、何言って……。俺はファンからの応援がツラいって言ってんだぞ」

「だったら平気です。私はもう月宮先生のファンじゃありませんから。今の今まではファンでしたけど」

「そうだったな。でも、そりゃあ屁理屈ってもんだろ」

「どうとでも言っちゃってください。ファンではない私をファンにさせるって相当頑張らないといけないんです。でも、天才と呼ばれた月宮先生なら出来ますよね?」

「俺を誰だと思ってる?」

「その意気です。やる気、出てきたんじゃありません?」

「お前もよく言うな……」

「人をやる気にさせるのは得意ですから」

「本当は俺のファンなんだろ?」

「私、月宮先生のことなんて嫌いです」

「本当に嫌いならどこが嫌いか言ってみろよ」

「まず現実と作家のときのイメージが違います」

「作家なんてそんなもんだ」

「それに愛想もクソもないです」

「なっ……」

「普通はこんなに綺麗な女の子が夜中に店に入ってきたら口説くもんじゃないんですか?」

「美人を見たらホイホイ声をかける月宮蓮が見たいのか?」

「それはチャラくてなんか嫌です」

「だったら最初から言うなよ。そもそも、さっきから俺のこと嫌いなわりに悪口になってねぇし……」

「っ……」

「ちょ、お前なんで泣いてっ……」

「私は本当に月宮先生が大嫌いなんですっっ!」

 ファンからの応援が苦しいなら、私は月宮先生のことが嫌いのままでいい。月宮先生がそれで続きが書けるなら私は月宮先生に嫌われる悪役にだってなってやる。

「小説を書くことしか眼中になくて、レディーファーストのレの字もないくらい女性の扱いになれてなくて、初対面の私に対して容赦なくバカだのアホだの言ってきて人間として性格悪いし、それに……」

「お前が俺のことを嫌いなのはわかったから一旦落ち着け。なっ?」

「……はい」

 さりげなくハンカチを渡してくる月宮先生。本当は優しい人なんだ。そんなのは初めからわかっていたこと。

 私が推しになった作家なんだよ。……私が初めて好きになった人が悪い人なんて、そんなことあるはずない。無愛想でも私のことをバカ扱いしても、作品から伝わってくる月宮先生の優しさ。

 こんなにあたたかい文章を書ける人物が他にいるだろうか。他にいたとしても私は月宮先生しか知らない。

 私はどう足掻いたって月宮先生を嫌いになることができない。たとえ、拒絶されても月宮先生への想いは揺るがない。

「続き、待ってます。いつか書ける時が来るまで何年だって待ちます。たとえ何十年先になったとしても。それと最後にもう一つ、私は月宮先生のファンなんかじゃありませんから」

「ちょ……おい……!」

「っ……」

 私は決して振り向かない。ここで振り返ってしまったら私が月宮先生のファンだって認めることになってしまう。

 だから、この気持ちは全部、手紙に残そう。
 そうだ、ファンレターを書こう。

◇  ◇  ◇

 あれから‪月日が流れた。私は今日もいつも通りに仕事を終えて、帰路についた。

「……やっぱり書いてる内容と本人のイメージが一致しないなぁ」

 私は一冊の本を手に取り、そう呟いた。
 それは月宮先生の新作だった。

【拝啓、私の嫌いな推し作家様へ。】

『貴方は私のことなんて忘れているかもしれませんが、ある雨の日、夜の喫茶店でお会いした者です。
新作、読みました。スランプで悩んでいる少年の元に一人の少女が現れ、少年の心を癒して、いつしか二人は恋に落ちていく。もしかして、少女のモデルって私ですか?私は貴方のことがずっと好きだったんです。あ、勘違いしないでくださいよ?私はあくまでもファンとして貴方のことが好きなんですから。どんな形であれ、貴方の力になれて嬉しいです』

「ふん、誰が勘違いするか。あの時は追いかけられなくて悪い。……少し時間はかかったが、お前との約束は守ったぞ。これで満足か?白雪氷雨」

『私、本当は貴方の大ファンなんです』

「あれで隠してたつもりか?あの日、お前に出会っていなかったら、俺はスランプから抜け出すことは出来なかった。……ファンからの応援が雑音だと思っていたが、そうじゃなかった。ファンの立場に立ってみれば簡単にわかったことなのに、あの時の俺は何も見えてなかった。ファンがどれだけ俺の力になるか、お前の言葉で気付かされたよ。お前にはいくら感謝しても足りない。俺はもう大丈夫だ。だから、これからも俺のファンでいろよ……なんて、手紙に言っても聞こえねぇか」