「今日もお疲れ様、私」
私、橘涼音は今年で二十六歳になる。
結婚の予定はおろか、現在フリーである。
今日は残業で遅くなり、気づいたら日付が超えるまで仕事をしていた。そのせいで終電を逃してしまい、会社近くの公園で一人寂しくビールを片手にいたのだが、今日はいつもと違っていた。
「橘?」
それは数十年ぶりの再会だった。
「……佐々木くん?」
「やっぱり橘だ。ひさしぶり」
「久しぶり」
声をかけてきたのは忘れもしない、私が中学の頃に好きだった佐々木くんだった。まさかこんなところで再会するなんて思ってもみなかった。
佐々木くんは中学の頃よりもずっと身長が高くなっていた。身体付きも服の上からわかるほど筋肉質で、まさに大人の男性って感じ。
学生服の佐々木くんしか知らない私からするとスーツ姿の佐々木くんは新鮮だ。私たちはお互い大人になったんだな……って。
佐々木くんとは三年間同じクラスだったけど、昔の私は今よりも人見知りで結局、佐々木くんに想いを伝えることはできなかった。
それから数年後、佐々木くんのことを忘れようと何人もの男性と交際をしてきたが、どれも上手く行かなかった。
元カレの愛が足りなかったのか、プライベートの時間が取れず仕事ばかりを優先してしまったからか。私が佐々木くんのことを好きでいたからか。結果的に元カレにはひどいことをしてしまった。
結局、佐々木くんのことを忘れることはできなかった。未だに学生時代の恋を引きづっているなんて諦めが悪いだろうか。でも仕方ないじゃないか。
私にとっては初恋だったんだから。
「橘はあんまり変わらないな」
「そうかな?」
これでも化粧はしてるんだけどな……。
「学生時代の頃も童顔だったけど、今もそんなに変わらない。だからか、遠くから見ても橘だってすぐにわかった」
「佐々木くんもかわらないよ」
「えぇっ?」
「冗談だよ。あの頃より大人っぽくなった」
「それって老けたってこと?」
「男らしくなったってこと」
「なんだ、それならよかった」
「佐々木くんも終電逃したの?」
「まぁ、ね」
「……?」
なにか話せない事情でもあるのだろうか。
「橘が迷惑じゃなかったらさ、今から学生時代の話でもしない?」
「佐々木くんは帰らなくても大丈夫なの?」
好きな人からの誘いが迷惑なんて、そんなことあるはずない。こっちとしてはむしろ嬉しい。
「俺、今から帰ってもやることないし」
「そう、なんだ」
佐々木くんも独り身なのかな? だったら私と話したほうが寂しさも紛れたりする?
◇ ◇ ◇
「担任の青木さ〜、今思えば俺たちにひどかったよなぁ」
「教師になるつもりなんてなかったのにって愚痴ったり、本当は別のクラスの担任が良かったって嘆いてたよね。泣きたいのはこっちだよ」
「そうそう。あっ、そういえば田中、社長になったらしいぜ」
「うそっ……あんなに勉強できなかったのに?」
「橘って意外に毒舌なんだな」
「ごめん。社会人になってから言いたいことの半分も言えずに溜めてたせいか、毒吐いちゃってる」
「いいさ。せっかくクラスメイトに再会したんだし、言いたいことは言っちゃえよ。どーせ俺しか聞いてないんだし」
「それもそうだね」
私たちは学生時代の思い出を語り合った。今ではどれも懐かしい思い出だ。
学生時代に戻りたいなって思うこともあるけれど、社会人になったら自分のお金は自由に使えるし、今のほうがいいかもしれない。
だけど友人とは疎遠になるし、会社はブラック……とまではいかないけれどキツイことのほうが多いし、ストレスも溜まる。
無邪気な子供のままでいられたらどんなに良かったか。
私たちはいつまでも子供じゃいられない。嫌でも大人になっていく。時間は待ってくれない。それは私自身にも言えること。
卒業までの三年間あっという間だったな……。
高校はやりたいことが違って別々だったから、こうして話せるのが夢みたい。
私たちは場所を変えて、夜の喫茶店にやってきた。そこには私が昔ハマっていたアニメコラボがやっていて私は思わずそのコラボパフェを注文した。今でもオタクな私が好きなアニメコラボを見逃すなんて……これも仕事が忙しいせいだ。
「橘って昔もアニメすきだったけど、今も変わってないんだな。今もなんか見てるの?」
「今期のアニメも面白そうなのはあるんだけど、仕事が忙しくて見れないんだよね」
「俺も同じ。自分の時間取ったのもいつだったっけってかんじ」
「社会人ってそうだよね。中には結婚したり子供ががいたりもするんだよね」
「……」
「佐々木くん、それって……」
「入ったばかりなのにごめん。さっきの公園で俺の話を聞いてほしいんだ。いいかな?」
私がパフェを食べ終わると同時にそんなことを言われた。私が食べ終わるまで待ってくれたのだろうか。佐々木くんは優しいな。
本当はもっとこの空間を楽しみたかったけれど、佐々木くんの真剣な表情を見たら、とてもじゃないけどコラボカフェを楽しめる雰囲気ではなかった。
「うん」
佐々木くんの左手の薬指がキラリと光った。それは紛れもなく結婚指輪。今まで気付きもしなかった。見なければよかった。気づかなければ良かった。見ないフリをすれば傷つかずに済んだかもしれないのに。
◇ ◇ ◇
「……佐々木くん、結婚してたんだね」
「驚いた?」
「ううん。この年齢なれば珍しくないよ」
「実は娘もいるんだ」
「え! おめでとう」
「……ありがとう」
心にも思ってない祝福をした。……本当は私だけを見てほしい。すでに家庭を持ってる佐々木くんに何を言おうとしているのか。私の入る隙間なんてどこにあるの?
佐々木くんと私はただのクラスメイトでそれ以上でもそれ以下でもない。私が学生時代に告白していたら今とは違う未来があったのかな? もしかしたら佐々木くんと付き合っていたり? そんな、ありえもしない妄想をしていたら余計に心が苦しくなった。
「実は俺、妻とうまくいってないんだ」
「話ってそのこと?」
「ごめん、橘にとってはつまらない話かもしれないから聞き流してくれるだけでいい。ただ、誰でもいいから話を聞いてほしくて」
「いいよ。私なんかでよければ」
優しくてお人好しな、もう一人の私はそう答えた。だけど、悪魔の私はチャンスとばかりに奥さんと別れればいいって思ってる。醜い感情なんて消えてしまえばいいのに……。
私の本性を知ったら、佐々木くんもきっと私のことを嫌いになる。でも元々眼中にもないだろうから今更どう思われてもいいや。
いっそのこと、全て話してしまおうか。そう思ったが、やっぱり留まってしまう。好きな人の前では自分を良く見せたい。これは恋をする人なら誰しもが共感してくれるはず。
「妻からそろそろ二人目を作ろうっていわれて……」
「……」
「俺、妻が一人目を産んだ時に立ち会ったんだ。妻の出産を見たら、二人目を作るなんてとてもじゃないけど無理だって思った」
「そっか」
私は出産したことはないから想像でしかないけれど、出産は命懸けだ。子供を産むことができない男性にとっては、よりキツイ光景だろう。
「それなら次は立ち会わなければいいじゃんって言われたけど、あの日から俺の身体は妻を見ても反応しなくなって。男としての機能を失ったなら、今よりもお金を稼いで自分と子供にもっと贅沢な暮らしをさせてって言われたんだ」
「……うん」
「家族のために残業を増やしたはずなのに、今度はプライベートも大切にしろって言われた。最近、妻との会話も減ってきているせいで、娘からはお母さんのことを大事にしないお父さんなんか大嫌い! って冷たい言葉をかけられて。家庭を持ってるなら仕事とプライベートを両立させるのは当たり前なんだけど、今の俺には家族を満足させることは難しくて……俺って情けないよな」
「そんなことないよ」
佐々木くんはこんなに頑張ってるのに奥さんは佐々木くんの何を見てるの? 普通、夫婦っていうのは支え合うものじゃないの?
結婚もしたことがない私が夫婦のなんたるかを語るのは早いかもしれない。けれど言わずにはいられなかった。
「奥さんと離婚とか考えたりはしないの?」
一度は好きになった相手に別れを切り出すことは難しいこともわかっていた。けれど、ここで無事に離婚してくれれば私にもチャンスが巡ってくるかもしれない。
「俺、妻のことが本当に好きなんだ。だから別れたりしたくない。でもこのままじゃ妻から別れを切り出されそうで、俺、怖くて……っ」
「……」
ここで「私なら佐々木くんを幸せに出来るよ」って言えたらどんなに楽だろう。
どんなに望んでいても、私は佐々木くんの一番にはなれない。佐々木くんの中に私はいない。それなら、私が思うことは一つだ。
「奥さんとしっかり話し合うことが必要だと思う」
「もし、うまくいかなかったら?」
「娘さんも含めて、三人で話す。それで今の本音をぶつけあうの。自分は仕事とプライベートを両立させるのが難しいし、出産を見たときから二人目を作るのが怖くなったって。だから次はどうやったら夜の営みが出来るか、しっかり話し合うの」
佐々木くんに相談されて苦しくて悲しくて、本当はその場から逃げ出したかった。でも、佐々木くんが、初恋の人が困っているなら私は助ける。佐々木くんが幸せになれたら私はそれだけで嬉しいから。
私と結ばれないなら、せめて佐々木くんだけでも笑ってほしい。本当は私の隣は佐々木くんがいい。だけどそれは夢物語。
いつまでも叶わない夢を見ていたって、本当の幸せは掴めないのだから。私もいい大人なんだから、そろそろ夢から覚めなくちゃ……。わかっているつもりなのに、簡単には諦めきれない。
ずっと、好きだったんだから……。
「橘ありがとう。橘に相談したお陰で俺、家族とちゃんと話ができそう」
「それはよかった」
「橘は俺に話したいこととかない? 俺ばかりが相談聞いてもらうのも悪いからさ」
「……私、佐々木くんのことが好きだったんだ」
どうせ叶わないなら、私の本音もぶつけよう。それで佐々木くんと会うのはこれで最後にしよう。
「え?」
「ふふっ、気付かなかったでしょ?」
「うん、ぜんぜん……ってわるい」
「私が黒板を消してたら隣に来て、橘の長い髪も見てみたい、橘なら絶対似合うよって言ってくれたんだ。それから髪を伸ばしてるの」
「俺、そんなこと言ったっけ?」
「もう十年以上前のことだから忘れても仕方ないよ」
「でも橘は覚えてるんだよな」
「……うん。今日佐々木くんと再会したときは運命だって思った。もし、佐々木くんがフリーなら思い切って告白しようって。学生時代に伝えられなかった気持ちを伝えるんだって思ってたの」
「そう、なんだ」
返答に詰まっている佐々木くん。私を傷つけないようにどう返そうか迷ってるの? これ以上優しくしないで。時に優しい言葉はすごく痛いんだよ。
いっそのこと、強い言葉で傷付けてくれたなら……。そしたら綺麗さっぱり佐々木くんのことを忘れて、次の恋に踏み出せるのに。
「でも、今更告白しても遅かった。あーあ、こんなことなら学生時代に告白しておけばよかったなぁ〜」
足をその場でバタバタしながら嘆いた。
「ねぇ、もし私が学生時代に佐々木くんに告白してたら佐々木くんは私と付き合ってた?」
「どうだろう」
「ただのクラスメイトとしてしか見てなかったよね?」
「……ごめん」
その謝罪にはどんな意味が込められているんだろうか。私の気持ちに応えられない罪悪感なのか。それとも学生時代に告白しても可能性は無かったという謝罪なのか。
「もう気にしてないからいいよ。……佐々木くんは幸せになってね」
「俺は? 橘は幸せになれないの?」
「佐々木くん、その言葉はズルいよ」
「ごめ……」
「私、そろそろ行くね。ネカフェで朝まで時間潰すから」
「送っていこうか?」
「いらない」
「そっか」
「またね」
「あぁ、また……。橘、元気でいろよ」
「うん、ありがとう。佐々木くんは家族を大事にしてね」
そして、私たちは逆方向に歩き出した。それは今の私たちの関係みたい。私たちは決して交わることはない。
私はふと空を見上げながら昔、仲の良かった友人の言葉を思い出していた。
……初恋は叶わない。



