いつか置き去りにしていた春の運命

「桃原晴花の父親の死を回避すること。藤谷良夜の魂を救うこと。双葉あずさの魂を救うこと。我が息子の半身、矢坂霧也の魂を救うこと。お主らが本当に願うものはなんだ?」

カイリさんが改めて、そう問いかけたけれど、そんなの答えようがなかった。
だって、すべて叶えたい願いだったから。
だからこそ、今の苦しさの原因があらわになる。
カイリさんが告げた、たった一人しか救えない現状に。

「桃原が願いたいと思ったことを口にすればいい」

導くようなその言葉に、心をわしづかみにされる。
だけど、先程の矢坂先輩の言葉が頭が離れない。

『あの日、霧也じゃなくて、桃原晴花、おまえが消えれば良かったのに……!』

――怖い。
そうだ。
わたし、怖いんだ。
霧也くんのいない未来に飛び込むのが。
でも、霧也くんの命を奪ったのはわたしだ。
その事実は変わらない。
わたしは涙を堪えきれなくなって、矢坂くんを見る。

「でも……」
「大丈夫だ。霧也も、そう願っている」

矢坂くんの温かな手のぬくもりが、わたしの心の奥でくすぶっていた感情を溶かしてくれた。

「霧也は、桃原だったから、きっとこの手を握ったんだ。自分の手で、未来を切り開いてほしかったから」
「……矢坂くん」

あの春の木漏れ日と霧也くんの笑顔が忘れられない。
どうあがこうと、事実は決して変わらない。
それでも、いいのかな。
未来を求めても。
みんなの未来に繋がる、明確な希望を抱いても。

「……だったら、ぜんぶ、願うよ!」
「はあ……?」

突拍子もない提案に、矢坂先輩は面食らった。
わたしはお構いなしに続ける。

「助けられるかもしれないのに、その人たちを見過ごすことなんて、わたしにはできない。目の前の人たちを助けたい」

そうだ。
答えは既に、自分の中にあったんだ。
わたしはわたし。
自分で選んだ人生を生きるしかない。
繰り返し繰り返す目覚めの果てに、わたしは選んだ。

「死神の仕事は、悲しい事実に直面することもあるけれど。それでもヘルスイーツは……人を幸せにするためにあるんだと思う」

それが現状、まとまりのない感情をかき集めた結果、出せる唯一の答えだった。

「目の前の人を助けたいのに……でも、どうにもならなくて……。そんな時にいつも、ヘルスイーツはその人の力になってくれたから」
「あ、そうか!」

その瞬間、藤谷くんは何かを思いついたように手をぽんっと叩いた。

「だったら、みんなで同じ願い事をすればいいじゃん! みんな、助けたいって!」
「ふええ……」

唐突な提案に、わたしの胸に衝撃が突き抜ける。

「『ヴァルト・メゾン・ショコラ』は、ヘルスイーツの最高峰なんだろ?」
「確かにな。ヘルスイーツの中でもっとも効果的に、プラシーボ効果を最大限に活かせるはずだ。プラシーボ効果は思い込みの力。その想いが強ければ、効果が作用される」

仮説だけど、辻褄が合う。
藤谷くんの言い分に、矢坂くんはうなずいた。

「たった一人という制限はあるが、試してみる価値はあるな」
「うん」

矢坂くんらしい返答に、わたしも身体の芯から自然と笑みが込み上げてくる。
みんなのがんばりが今、報われるんだ。
これ以上は足を引っぱらない。
切り込みを入れると、同時にカカオの香りと生チョコが溢れ出した。

「……すごくおいしい」

上質なチョコが口の中で溶けていき、ゆっくりと広がるのは芳醇なカカオ。
生チョコが絶妙にハーモニーを奏で、さらに酸味のあるフランボワーズソースと共に口元に運べば、また別の味わいが楽しめる。
わたしたちはあっという間に食べきってしまっていた。
ふっと何か飲み物が欲しいと思ったわたしたちの意を汲んだように、ティーポットが空中に浮く。
ティーポットが勝手に、紅茶をカップに注ぎ始めたのだ。
なんだ、このプレミアムな体験は。
こんな奇跡、見たことない。

「幸せいっぱいな味……」

わたしは紅茶を飲みながら、感嘆の吐息をこぼす。
場を和ませるティータイムの後、わたしは宣言した。

「みんなで、同じ願い事をしよう!」
「本当に願うつもりか?」
「矢坂先輩も本当に叶うか、興味あるよね?」

矢坂先輩の一言に添えて、わたしはすがるように声を弾ませる。

「興味ない。おまえたちがどんな願い事をしようと、俺は霧也を生き返させる願い事をする」

身も蓋もない返答に、わたしは思わず、言葉を詰まらせる。
でも、矢坂先輩はお構いなしに続けた。

「だけど、おまえの覚悟は、この場にいる奴ら全員に響いたんじゃないのか」

わたしの覚悟が嘘じゃないこと。
それを目の当たりにして、矢坂先輩は小さくうなずいた。

「……うん!」

わたしは喜びを噛みしめるように目を閉じて、願い事をする。
その瞬間、光がふわりと舞うように感じた。
その願掛けの光は、まるで春を告げる強い風のように、わたしたちの願いをすくい上げて空へと舞い上がっていった。

固く結んだ願い。

不意に、岩見沢先輩が遺した写真を思い出す。
空を染め上げる満天の星空。
星空の向こうには――宇宙の果てには一体、何があるのだろう。
それはきっと、まだ誰も知らない。
ただ――。

『もし、死を迎えた際に空に還るなら、命が尽きる瞬間もこんなきれいな星空に包まれたい。そして、坂井くんを照らす星の一つになりたい。それは、とても幸せなことに思えるのですよ』

まるで、あの写真は、世界を自分好みに切り取れたみたいで。
こんなふうに浮かんだ星々を、奇跡の一場面として大事に仕舞っておけるなら、きっと宝物はたくさん残っていたと思う。

――そうだ。
奇跡が起こるのを待っているだけでは、何も変わらない。
わたしは未来に向けて、全力で前に進みたいと思った。