いつか置き去りにしていた春の運命

「……藤谷旭か。相変わらず、弟を生き返させることを諦めていないみたいだな」
「当たり前だろ!」

宣言と同時に、藤谷くんはまっすぐに前を見る。

「俺はずっと、良夜を生き返させるために、がんばってきたんだからな」

藁にもすがる思いで叫んだ藤谷くんの心を見透かしたように、カイリさんは大事なことを付け足した。

「お主たちの事情は分かっている。『ヴァルト・メゾン・ショコラ』の対価で、救いたい者たちがいるのだな」
「……ああ」

痛みをこらえるような声音に、胸が苦しくなる。
藤谷くんが、想いを断ち切れずに苦しんでいるのが伝わってきたから。

「藤谷良夜が死んでから、だいぶ時間が経っている。現世と完全に切り離されているが、『ヴァルト・メゾン・ショコラ』の対価による奇跡で蘇生させることはできるだろう。だが、分かっていると思うが、『ヴァルト・メゾン・ショコラ』の対価で、救うことができる者は一人だけだ」

それは、わたしたちが最も聞きたくなかった言葉の一つだった。
一縷の望みが絶たれてしまった。
お父さんと双葉さんと良夜くん、みんなを救う方法はない。
もしかしたら、藤谷くんの弟、良夜くんも、その方法で救えるかもしれない。
そう思っていたけれど。
結局、何もかもが振りだしに戻ったような状態だった。
そんなわたしたちの心情をおもんぱかり、矢坂くんが切り出した。

「その様子だと、やっぱり、俺たちの事情をすべて知っているみたいだな」
「矢坂浩二か。懐かしいな、我が息子か」

そう言った際の矢坂くんの表情の変化を、カイリさんは見逃さなかった。

「ふむ。どうやら、わしのことを恨んでいるようだな」
「当たり前だろう。俺が生まれてから、ずっと姿をくらましていたんだからな」

吐き出すように言った矢坂くんの言葉に、カイリさんは考え込むような仕草をする。

「本来、死神と人間は結ばれてはいけないものだ。子どもを成すことなど、もってのほか。それを破ったわしは、お主たちとの接触を禁じられていた。今回は桃原晴花の父親の懇願があったから、姿を見せただけ」
「……接触を禁じられている」

そう吐き捨てた矢坂くんは、これまで以上に孤独な一面をのぞかせていた。

「お主が桃原晴花の死の運命を変えたように、わしもまた、病死するはずだったお主の母親の死の運命を変えた。死の運命を変えた場合、本来ならその人間の記憶を消さないといけない。だが、わしはそれすらも破ってしまったからな」

カイリさんは躊躇なく、淡々に返す。

「それに死神と人間が、子どもを成した場合、一心同体の双子が生まれてきてしまう。一つの身体を二人で共有する、互いの思考をトレース……写し取ったような双子がな」

その言葉を最後に、妙な雰囲気がわたしたちの間に満ちる。
不自然に思えるほど長い沈黙の後、言葉を口にしたのはわたしだった。

「あの、それって――」
「その話の続きは、少し待つがよい。そのことに関わる者を、ここに呼び寄せている」

言いかけたわたしの言葉を遮って、カイリさんはゆっくりと言葉を選ぶように告げる。

「関わる人……?」

嫌な胸騒ぎに、わたしは反射的に一歩、後退る。
切羽詰まった空気から、明るい話ではないような気がしたからだ。
だけど、静まり返った公園には、逃げ場はなかった。

「……桃原晴花」

辺りの空気を震わすような昂った声で呼ばれて、わたしは思わず、勢いよく振り向いた。
その瞬間、心臓がどきんと跳ねる。
そこにいたのは、生徒会書記の一人、矢坂先輩だった。
彼は何故か、明確な敵意をわたしたちに向けていた。

「兄さん……」

ちらりと横に目を向けると、矢坂くんは複雑な面持ちで矢坂先輩を見つめている。
まるで、以前から知っている人みたいに、その眼差しには親しみが込められていた。

どうして、敵意を向けられているのか分からない。
それに兄さんってことは……矢坂先輩はやっぱり、矢坂くんのお兄さんってことなのかな。

はっきりしたことは、何もかも分からない。
なのに何故だろう。
悪い予感がじわじわと迫り寄ってくる気がした。

「矢坂、先輩……」

絞り出すように言葉を紡ぐと、カイリさんは核心を突きつけるような間を空けて、おもむろに話し始めた。

「彼は矢坂奏。矢坂浩二の母親の再婚相手の連れ子で、矢坂浩二の義理の兄だ。そして桃原晴花、お主を救うために重い代償を支払った人間、矢坂霧也の義理の兄でもある」
「矢坂くんと、霧也くんのお兄さん……」

その瞬間、心臓が一瞬、停止する。
悪寒を覚えるほど、空気が張りつめた気がした。

「矢坂霧也が支払った重い代償は、自身の存在の完全な消滅。彼が今まで生きてきた人生。彼が本来、全うするはずだった残りの人生。そのすべてを、お主を救うために捧げた。もちろん、彼は生まれ変わることもなく、来世の人生もない」

カイリさんが告げる事実が、すとんと胸に落ちていく。

自身の存在の完全な消滅――。

わたしはその瞬間、世界がひっくり返ったような驚きと、底知れない恐怖に打ち震えていた。
霧也くんが支払った重い代償は、絶望的な対価。
だからこそ、矢坂くんは二度、わたしの死の運命を変えることができたのだろう。

「ちょっと待てよ! 矢坂先輩は、霧也くんのことを覚えているんだろ! 死の運命を変える場合は、対価――重い代償以外にも記憶の消去を必要とするはずだ。それなのに、矢坂先輩が覚えているのはおかしくないか?」

固唾を呑んで佇んでいると、藤谷くんがもっともな疑問を口にする。