いつか置き去りにしていた春の運命

「矢坂くん。お昼休みの件を伝えたことによって、岩見沢先輩の死因は変わらないのかな?」

わたしがおそるおそる発した疑問に、藤谷くんは殊更もなく同意する。

「確かにな。思い詰めた表情をしていたし、早まって自殺とかしないよな……」
「大丈夫だ。彼女の死因は変わっていない」

その返答に、わたしははっとした。
今までの出来事を手繰ったところで、岩見沢先輩が自殺する可能性がないと断言できないはずだ。
それなのに、矢坂くんはそれが分かっているのような口ぶりだった。

「それって……岩見沢先輩の死因は自殺じゃないってことだよね?」
「おっ! 確かにそうだな!」

わたしの率直な意見に、藤谷くんはにっと笑みを浮かべた。
その途端、矢坂くんは決まりが悪そうな顔をする。

「…………っ」

うっかり失言したことに戸惑ったのか、矢坂くんは照れくさそうに視線を逸らした。
ほんのり赤くなっている頬はきっと、気のせいではない。

「浩二ってさ、やっぱり、死神っていうよりは人間らしいよな」

そっぽ向いた矢坂くんを見て、藤谷くんは穏やかに笑う。

「うーん。確かにそうかも」

わたしも大いに、その言葉に同意した。
すると、矢坂くんは不本意そうに尋ねる。

「何でだ?」
「押しに弱いから」

冗談交じりに返すと、矢坂くんは力が抜けたようにため息をついた。

「押しに弱い……か」

矢坂くんは繰り返すと、うーんと頭を悩ませた。
矢坂くんは一見、素っ気ないように見える。
だけど、実はほっとけない性格で、多くの人たちを惹きつけている。
わたしの命を二度、救ってくれた、優しい死神だ。
そんな矢坂くんは案外、思っていることが顔に出やすいのかもしれない。
同じ死神であるスバルさんは何となく、感情が分かりづらい雰囲気がある。
だけど、矢坂くんは、死神の仕事に徹するスバルさんよりも、よっぽど人間らしく、生き生きしていた。
矢坂くんはいつだって、笑顔でわたしの心を照らしてくれて。
ころころと表情を変える矢坂くんに、いつも心が休まってしまう。

死神と人間。
実らない恋。
だけど、諦めたくない。
これから何があろうと、わたしは矢坂くんのそばにいたい。

こうして話していると、矢坂くんを好きだと思う気持ちが溢れて止まらない気がする。
目の前にいる彼の存在が、愛しくてたまらなかった。



靴を履き替えて、わたしたち、三人が学校を出た頃には日が傾き始めていた。

「あれ……?」

信号待ちをしていたその時、見覚えのある二人の男性が視界の端に映った。
お父さんと、ふらふらとおぼつかない足取りで歩いている、季節外れの黒いコートに身を包んだ男性の姿。
その光景に、わたしは目を見張った。

「お父さんと……今朝、駅のホームで見かけた死神さん!」
「マジか!?」

わたしが指さして告げると、藤谷くんは面喰ったように言葉に詰まった。

「あいつ、カイリだ!」

思いもかけない藤谷くんの言葉に、わたしは思考停止する。

「あの人が……カイリさん……」

口の中で何かが絡まったように、うまく次の言葉が出てこない。
心臓が不安に駆られて早鐘を打っていると。
矢坂くんは一息ついてから、努めて冷静な口調で言う。

「……桃原。桃原のお父さんには、死が迫っている」
「……そんな」

その緊迫したような声音に、わたしは居ても立ってもいられなくなって訊いた。

「ねえ、矢坂くん! シナモンクッキーを食べたら、すぐにお父さんのところに行けるんじゃ……!」
「……人目がある。この状況で、瞬間移動するのはまずい……」

焦ったように聞けば、矢坂くんの眉がきつく寄せられる。
交差点の近くには、多くの人たちが行き交っている。
わたしたちが突然、姿を消したら、大騒ぎになるだろう。
だからといって、お父さんたちから目を離せば、また見失ってしまうかもしれない。

早く、早く! 信号、変わって!

焦っても、信号はまだ、変わらない。
車道には、車がたくさん走っている。
歩道では、仕事終わりの男性やお店を渡り歩いていた人たちが一緒に青信号を待っている。
しかも、ぽつりぽつりと雨が降り始めてきた。
わたしたちは持ってきていた傘をぱっと開いて、一歩、前に踏み出す。

「なあ、浩二、桃原さん。このままじゃ見失ってしまう。追いかけようぜ!」

信号が青になったのを見計らって、藤谷くんが声を上げる。

「ああ、そうだな。桃原、行こう!」
「うん!」

矢坂くんの真剣な眼差しに見つめられ、わたしは迷う間もなく答えてしまう。
張りついていた心が一気に緩む。
放課後の喧騒も、予想外の出来事も、みんながいれば苦じゃない。

「待って! お父さん、待って!」

わたしは急いで、お父さんたちの後を追った。
交差点を通り過ぎ、大通りを駆け抜け、お父さんたちの後ろ姿を追いかける。
傘に降り落ちる雨の音が絶えず鳴っていた。
雨の日の独特の匂いが、足元から強く濃くのぼってくる。
息を切らしながら走っていると再び、信号待ちに出くわした。

「お父さんーー!!」

そう叫んだわたしの前を、大きなトラックが通過する。
トラックが走り去った後、わたしは改めて、前を見据えた。
だけど、その時には、お父さんたちの姿はどこにも見当たらなかった。
先程まで、確かにそこにいたというのに。
まるで、きつねにつままれた気分だった。

「そんな……」

予想外の展開に、わたしは愕然とする。

……ただ、雨音が響く交差点。

わたしの中の何かが騒ぎ出そうとしていた。
その時、突風が吹き荒れ、傘が飛ばされる。
持ち手を失った傘が、ふわりと風に流されていった。