しかも、あり得ないくらい静かだ。
先程まで、町を満たしていた喧騒がすべて消えていた。

「なに、これ……?」

わたしはぽつりとつぶやく。
不可解な現象。
だけど、以前も、同じ光景を見たことがあるような……?

「桃原、驚かせてごめんな」

その時、矢坂くんがわたしに声をかけてきた。
思わず、どきりとした。

「矢坂くん。今までどこにいたの?」

頭に浮かんだ疑問をそのまま、ぶつけてみる。
その瞬間、矢坂くんは気まずそうにした。

「……その、突然、いなくなってごめんな。死の運命を変えた場合、本来ならその人間の記憶を消さないといけない。……そういう決まりなんだ」

そう口にする矢坂くんの表情はどこか苦しそうだった。

「本当は何も言わずに、このまま、記憶を消して別れようと思ってた」

その言葉が、胸に突き刺さる。
言い知れない衝撃に心が震えた。

「だけど、記憶を消したら、桃原がまた、俺から離れていくんじゃないかって、怖くて……」

迷った挙げ句、矢坂くんが結論づけるように言ったのは、そんな言葉で……。

「また……?」

頭の中が真っ白になる。
だんだんと意味を理解していくに連れて、わたしの瞳にじわじわと涙が滲んでいった。

……そうだ。
わたしは以前、この光景を見たことがある。

何かに突き動かれるようにして、胸の奥で行き場のない感情が暴れ回る。
響く。
わたしの頭の中でずっと響いている。
懐かしいと。
微かに。思考を過ぎる何か。
それはとても大切だったはずのもの。
そして……悲しい。切ない。やるせない。
行き場のない気持ちが体中を巡る。

『運命というものがある。定めが来たから死をまとうんだ』

あの頃のことを思い出している。
目を閉じて浮かぶのはただ一人。
あの日、置き去りにした過去を思い出す。
それは、わたしたちがまだ、出会ったばかりだった頃。
矢坂くんはわたしが呼べば、いつだって、どこにいたって駆けつけてくれた。
わたしはきっと、そんな彼の存在に救われていたんだと思う。
わたしが彼の言葉を信じるのは当然だった。
だって、誰よりもわたしを一番に想ってくれたのは矢坂くんだったから。
わたしはきっと、今も『あの瞬間』から抜け出せていない。

「運命……。あっ、そっか。だから、矢坂くんは……」

今までの出来事の数々が、真実を浮き彫りにしていく。
心を大きく揺さぶり、自分の中で眠っていた何かがざわりと騒ぎ出した。

「矢坂くん。あのね、わたし、矢坂くんと初めて出会った時のことを思い出したよ。あの時、言われた言葉も……」

矢坂くんは一瞬、躊躇ったけれど、意を決して訊いた。

「全てを思い出したのか?」
「……うん。矢坂くんは死神だったんだね。だから、わたしの死の運命を知っていたんだ」

わたしは噛みしめるようにしてうなずいた。

「死神は死を司る」

言葉に力がこもる。

「わたしの死の運命を変えたのは『二度目』だよね。最初は病死。そして、今回は事故死」

はっきりと自信を持って口にすると、それは自分の胸にすとんと落ちてくる。
もやもやが薄れていくように。
矢坂くんは観念したように息を吐いて、ちらりとわたしを見た。

「ああ。死神はもうすぐ死ぬ人間が分かる」

矢坂くんが語る事実が、ゆっくりとわたしの中で弾けていった。

「その人の死因も分かる。本来なら、結末を変えることはできない。残された時間を一緒に過ごし、悔いなく逝けるようにする。それが俺の役目だった」

それは突拍子のない話だけど、信じるしかなかった。
大好きな矢坂くんが告げた言葉は全て、信じたいから。

「だけど、桃原と過ごすうちに、死なせたくないと思うようになった。桃原は、かけがえのない大切な存在だったから。このまま、生きてほしいと願った」
「矢坂くん……」

それは矢坂くんが死神であるという告白よりも、さらに突拍子のない事実だった。
これから死ぬ人間がどうやって死ぬのか。
それを教えるのは、本来なら禁止されているのだろう。
今回のわたしのように、死を回避されてしまうから。
だけど、矢坂くんはわたしのために、そのルールを破ってくれたんだ。

それに……すべてを思い出した。

矢坂くんに以前、出会っていたことを。
そして、それに関する記憶を矢坂くんに消されていたということを。
彼と初めて出会ったのは、中学二年生の時じゃない。
小学五年生の春だ。
わたしは小さい頃から心臓を患っていて、長期入院を繰り返していた。
その頃は、今みたいに思うように身体は動かなくて。
いつも死が隣り合わせにあった。
終わりを待つだけの日々。
何も果たせないまま、命が尽きようとしていた時、わたしの目の前に矢坂くんが現れたんだ。

『初めまして、俺は死神だ』
『しにがみ……?』
『ああ。あとわずかで、君は死ぬ。俺の役目は、君の残された時間を一緒に過ごし、悔いなく逝けるようにすることだ』

わたしの疑問に、矢坂くんは淡々とした口調で答えた。

『それって……よく分からないけど、最期の時まで、あなたが一緒にいてくれるってことなの?』
『ああ』

吐き出すように言った言葉に、矢坂くんは優しい眼差しでうなずいてくれた。

――その後の出来事は永遠に忘れない。

わたしにとっての病院生活は、矢坂くんに出会う前のそれと大きく変わっていったから。