「このブリュレプリンを食べてもらったら、千紗ちゃんの味覚は治るんだよね」
「ああ。ヘルスイーツは、プラシーボ効果を最大限に活かしたお菓子だ。千紗さんの想いが強ければ、味覚は治るだろう」

矢坂くんは噛みしめるようにそう口にする。

「味覚が治る……」

そこではたと、藤谷くんは重大なことに気づいた。

「ふと思ったんだけど、味覚が治ることで、千紗ちゃんの死の運命が変わることはないのか?」
「ああ、変わることはない。ただし、病死だった場合、別の死因に変わることがある」

藤谷くんの素朴な疑問に、矢坂くんは真剣な口調で答えた。

「死神は、もうすぐ死ぬ人間が分かる。そして、その人の死因も分かるんだよね」

わたしは以前、矢坂くんが告げた言葉をそのままなぞる。

「もしかして、千紗ちゃんの死因を確認するために、小等部に行っていたの?」
「ああ。千紗さんの死因が変わらないか、確認する必要があったからな。彼女の死因は、味覚が治っても変わることはない」

その渦巻く疑問すら、矢坂くんは予測していたように言った。

「矢坂くん。本当に……千紗ちゃんの死の運命は、ブリュレプリンを食べても変わることはないんだね……」
「ああ。千紗さんの死の要因は、別のことにある」

わたしの気持ちを汲み取ったのか、矢坂くんは悲しげに小さく息を吐いた。

「死の運命は、容易に変えられないか。死神って……万能そうに見えて、意外と不便だよな……」

矢坂くんの説明を聞いても、藤谷くんは納得できていないようだった。

「だけど、カイリさんのように、上位の死神なら、別の方法で死の運命を変えることができるんだよね」
「ああ」

わたしが念を押すように聞くと、矢坂くんは神妙な面持ちでうなずいた。
上位の死神なら、そのルールをねじ曲げることができる。

「あ、そうか!」

その瞬間、藤谷くんは何かを思いついたように手をぽんっと叩いた。

「なるほどな。上位の死神なら、決まりごとやルールの縛りは少ない。だったら浩二、早く、その上位の死神とやらになっちまえよ。そうすれば、目の前の人をすぐに助けられるじゃん!」

そのまっすぐな眼差しに射抜かれて、矢坂くんは一瞬、言葉を失った。
当たり前のことを当たり前に言う藤谷くんは、とてもまぶしい。

「……そう簡単になれるものなら、なっている。でも、そうだな……。目の前の人をすぐに助けられる。そんな死神パティシエになりたいと思う」

驚きと喜びで、矢坂くんの目はきらきらと輝いている。
それはまるで宝石のようだ、とわたしは思った。

「なんていうか、親しみやすいっていうか。浩二ってさ、死神っていうよりは人間らしいよな」

楽しそうに言った矢坂くんを見て、藤谷くんは破顔した。

「そうなの?」
「カイリはもっと、淡々として事務的だった」

意外な事実に、わたしはちらりと矢坂くんを見る。

「俺は、普通の死神とは違うからな。だから、今こうして桃原たちのそばにいることができる」

矢坂くんはそう言って苦笑した。
もう一度、あの時の言葉を借り、繰り返すとしたら。

『桃原は、俺に出会うために生まれてきたんだ。俺と一緒に、死神の仕事をするために』

と云うように――。

「普通の死神とは違う? それって、矢坂くんが前に言ってた約束に関係しているの?」

少し間を置いた後、わたしはあの時と同じ質問をする。
どうしても追い出せない、もやもやが胸の中に残っていたからだ。

「桃原、ごめん。今は話せない。いつか、話せる時が来たら、必ず話すから」
「あ、矢坂くん、待って!」

わたしの度重なる質問に答えることもなく、矢坂くんは踵を返すと、そのまま部室から出ていってしまった。

「矢坂くん……」

残されたわたしはぽつりとつぶやく。
静寂に包まれる中、藤谷くんが躊躇うように言った。

「浩二、思い詰めたような顔をしていたな。大丈夫かよ?」
「――分からないけど、きっと大丈夫。わたし、矢坂くんのことを信じている」

気を取り直したように、わたしは明るく振る舞った。
正直、矢坂くんの言った言葉が気になる。
だけど、矢坂くんは前も、そのことを話したくなさそうだった。
だったら、そのことを矢坂くんが話してくれるまで待とうと思う。

『俺は、普通の死神とは違うからな』

正直、矢坂くんが普通の死神と違っていて良かった。
そのおかげで、わたしは矢坂くんと巡り合ったのだから。
病室で過ごした日々。
それは心の一番、大切な場所にある記憶。
思えばこの時だ。
矢坂くんという男の子が、頭から張り付いて離れなくなったのは。
矢坂くんの見ている世界を知りたくて、その視界に入りたくて。
だけど、今は死神見習いという一番、近くにいる。

そう……一番近くに。

こんなにも膨らんでしまった『大好き』が、胸の中で弾けてしまいそうになる。
もし、矢坂くんが離れていってしまったなら、もう一人では立てないと思ってしまうほどに。

……矢坂くんの弟子に……死神見習いになれて良かった。

わたしはそう考えることで、自分の心に折り合いをつけた。