「だったら、せめて、千紗の願いを叶えてくれないか」
「願い?」
矢坂くんがつぶやくと、喜多見先輩は躊躇うように続けた。
「千紗は解離性味覚障害で、甘みが分からない。だが、ヘルスイーツの中には、その症状を緩和する効果があると聞いた。千紗を担当した死神は、普通の死神でヘルスイーツは作れないらしい」
喜多見先輩は目を伏せて、祈るような口調で言った。
解離性味覚障害は、五つの基本の味(甘味、苦味、酸味、塩味、旨味)のうち、特定の味だけが分からなくなる状態のことだ。
千紗ちゃんの場合は、甘味だけが感じられない。
甘いお菓子を食べても、そのとろけるような甘さが分からないのだ。
「頼む。千紗の味覚を治してくれないか。引き受けてくれたら、生徒会長権限で、お菓子写真部の廃部はなかったことにする」
「その死神パティシエが、千紗さんの味覚を治しても問題ないかを確認してからになると思う」
「それでも構わない」
「分かった」
念を押すように頼み込む喜多見先輩に、矢坂くんは真剣な眼差しでうなずいた。
*
千紗ちゃんの味覚を治すことを引き受けた後、わたしと藤谷くんは再び、部室に戻っていた。
矢坂くんはやることがあると告げて、小等部にいる喜多見先輩の妹、千紗ちゃんの様子を見に行っている。
「そういえば、藤谷くんのクラスの様子は、どうなっているの?」
「いつもどおりだな。双葉さんがいたという痕跡はあるけれど、誰もそれを気に留めない。まるで、最初から美優さんの身に何事もなかったように、みんな、普通に過ごしている」
わたしの質問に、藤谷くんは腑に落ちないように答えた。
どうやら、物事というのは、辻褄が合うように、うまく調整されているらしい。
もしかしたら、矢坂くんがみんなの記憶を塗り替えたのかもしれない。
「双葉さん……」
わたしは噛みしめるようにつぶやく。
前に、双葉さんが入院していた病院に行ってみたけれど、双葉さんの姿は見えなかった。
矢坂くんの話だと、死神見習いとして経験を積めば、幽体の双葉さんの姿が見えるようになるらしい。
死神見習いの仕事をして、想いを積み上げていけば、わたしにもいつか、双葉さんが見えるようになるのかな。
そう思っていると、藤谷くんがさらりと降りこぼれるように言った。
「まあ、美優さんだけは、双葉さんと入れ替わったという現象を覚えているみたいだけどな。いつも、不満そうにわめき散らしている」
「美優さんだけは、入れ替わり現象を覚えている……」
わたしは改めて、藤谷くんが語った事実を咀嚼する。
「もしかしたら、双葉さんがそれを望んだのかもしれないな」
景色ではなく、目の前のわたしだけを見つめて。
藤谷くんは決然とした表情で言った。
双葉さんが最後に託した願い――。
熱さが、熱が思考を狂わせる。
不意に視線を窓の向こうへと投げれば、夏の兆しを感じられる空があった。
「もうすぐ、夏だな……」
藤谷くんが唐突につぶやいた。
「夏は嫌いだ。良夜を連れ去ってしまったから」
在りし日の想いをさらけ出すように。
いつもの明るい笑みに、少しだけ雲がかかっている気がした。
立ち止まって振り向く過去は一瞬だ。
そこに早いも遅いもない。
死はすべてを奪い去っていく。
その事実に強く強く、心がわしづかまれる。
「喜多見先輩と千紗ちゃんには、俺たちのような後悔をしてほしくない」
まるで胸にぽっかりと穴が開いたような気分。
そんな心残りが蘇るように、藤谷くんは言った。
「そうだね。わたしも、自分のできることをせいいっぱい頑張りたい」
わたしは少しはにかんだ表情でうなずいた。
できないことはたくさんある。
知らないことは山積みで、もっといろんなことを知らなくてはならない。
わたしたちは手探りで、自分ができることを探していくしかない。
わたしがそう決心していると、矢坂くんはいつの間にか、部室に戻ってきていた。
既に、ヘルスイーツ作りに取りかかろうとしている。
死神パティシエの補佐をするのは、死神見習いであるわたしの役目。
わたしは慌てて、矢坂くんのもとに一目散に駆け寄った。
「矢坂くん。千紗ちゃんの味覚を治すことができるヘルスイーツって、どんなお菓子なの?」
「ブリュレプリンだ」
「ええっ、ブリュレプリン! わたし、お父さんから作り方を教えてもらったことがある!」
思った以上に食いついてしまった。
矢坂くんは苦笑して、噛みしめるように声に出す。
「なら、ブリュレプリンは、桃原に作ってもらう」
「うん!」
矢坂の付言に、わたしはぱあっと花咲くような笑みを浮かべる。
「よーし、今度こそ、ヘルスイーツ作り、成功してみせる!」
決意を固めたわたしは早速、下準備を整えて、耐熱容器に入っているバニラアイスをレンジで加熱した。
そして、目の前の耐熱容器に入っているバニラアイスをぐるぐるとかき混ぜる。
「……できるはず。やるんだ。わたしがやらなきゃ」
わたしは必死の思いで、作業を進める。
かき混ぜた耐熱容器。
さらにそれを耐熱カップに入れた後、フライパンで加熱、手早く粗熱をとって冷蔵庫に入れた。
「ブリュレプリンなら、千紗さんを助けられる!」
わたしは熱い想いを胸に、両手を強く握りしめた。
続いて、フライパンの水気を拭き取り、グラニュー糖を入れて熱し、中火で加熱する。
カラメル色になったら、一時間ほど冷やしていた耐熱カップにそれをかけた。
「よし、今だ!」
最後の仕上げとばかりに、矢坂くんが死神の力をトッピングする。
その出来映えはしっとりふわふわ。
濃厚な味わいと、パリッとした軽やかな食感が特徴のブリュレプリンが出来上がった。
「わあっ! 初めて、ヘルスイーツが成功した!」
想いが、ぎゅうぎゅういっぱい詰まったブリュレプリン。
きらきら輝くヘルスイーツを前にして、わたしは感銘を受ける。
見た目や作り方は、普通のブリュレプリン。
だけど、このブリュレプリンは食べると、味覚が治る効果がある。
そんなすごいヘルスイーツを完成させたことに感動した。
「やったな、桃原。信じていたぞ」
「――っ!!」
矢坂くんからの称賛に、わたしははっとする。
みるみるうちに、ぱあっと嬉しさが増幅した。
「……うん!」
目元をごしごしと拭い、花咲く笑顔を弾かせた。
「願い?」
矢坂くんがつぶやくと、喜多見先輩は躊躇うように続けた。
「千紗は解離性味覚障害で、甘みが分からない。だが、ヘルスイーツの中には、その症状を緩和する効果があると聞いた。千紗を担当した死神は、普通の死神でヘルスイーツは作れないらしい」
喜多見先輩は目を伏せて、祈るような口調で言った。
解離性味覚障害は、五つの基本の味(甘味、苦味、酸味、塩味、旨味)のうち、特定の味だけが分からなくなる状態のことだ。
千紗ちゃんの場合は、甘味だけが感じられない。
甘いお菓子を食べても、そのとろけるような甘さが分からないのだ。
「頼む。千紗の味覚を治してくれないか。引き受けてくれたら、生徒会長権限で、お菓子写真部の廃部はなかったことにする」
「その死神パティシエが、千紗さんの味覚を治しても問題ないかを確認してからになると思う」
「それでも構わない」
「分かった」
念を押すように頼み込む喜多見先輩に、矢坂くんは真剣な眼差しでうなずいた。
*
千紗ちゃんの味覚を治すことを引き受けた後、わたしと藤谷くんは再び、部室に戻っていた。
矢坂くんはやることがあると告げて、小等部にいる喜多見先輩の妹、千紗ちゃんの様子を見に行っている。
「そういえば、藤谷くんのクラスの様子は、どうなっているの?」
「いつもどおりだな。双葉さんがいたという痕跡はあるけれど、誰もそれを気に留めない。まるで、最初から美優さんの身に何事もなかったように、みんな、普通に過ごしている」
わたしの質問に、藤谷くんは腑に落ちないように答えた。
どうやら、物事というのは、辻褄が合うように、うまく調整されているらしい。
もしかしたら、矢坂くんがみんなの記憶を塗り替えたのかもしれない。
「双葉さん……」
わたしは噛みしめるようにつぶやく。
前に、双葉さんが入院していた病院に行ってみたけれど、双葉さんの姿は見えなかった。
矢坂くんの話だと、死神見習いとして経験を積めば、幽体の双葉さんの姿が見えるようになるらしい。
死神見習いの仕事をして、想いを積み上げていけば、わたしにもいつか、双葉さんが見えるようになるのかな。
そう思っていると、藤谷くんがさらりと降りこぼれるように言った。
「まあ、美優さんだけは、双葉さんと入れ替わったという現象を覚えているみたいだけどな。いつも、不満そうにわめき散らしている」
「美優さんだけは、入れ替わり現象を覚えている……」
わたしは改めて、藤谷くんが語った事実を咀嚼する。
「もしかしたら、双葉さんがそれを望んだのかもしれないな」
景色ではなく、目の前のわたしだけを見つめて。
藤谷くんは決然とした表情で言った。
双葉さんが最後に託した願い――。
熱さが、熱が思考を狂わせる。
不意に視線を窓の向こうへと投げれば、夏の兆しを感じられる空があった。
「もうすぐ、夏だな……」
藤谷くんが唐突につぶやいた。
「夏は嫌いだ。良夜を連れ去ってしまったから」
在りし日の想いをさらけ出すように。
いつもの明るい笑みに、少しだけ雲がかかっている気がした。
立ち止まって振り向く過去は一瞬だ。
そこに早いも遅いもない。
死はすべてを奪い去っていく。
その事実に強く強く、心がわしづかまれる。
「喜多見先輩と千紗ちゃんには、俺たちのような後悔をしてほしくない」
まるで胸にぽっかりと穴が開いたような気分。
そんな心残りが蘇るように、藤谷くんは言った。
「そうだね。わたしも、自分のできることをせいいっぱい頑張りたい」
わたしは少しはにかんだ表情でうなずいた。
できないことはたくさんある。
知らないことは山積みで、もっといろんなことを知らなくてはならない。
わたしたちは手探りで、自分ができることを探していくしかない。
わたしがそう決心していると、矢坂くんはいつの間にか、部室に戻ってきていた。
既に、ヘルスイーツ作りに取りかかろうとしている。
死神パティシエの補佐をするのは、死神見習いであるわたしの役目。
わたしは慌てて、矢坂くんのもとに一目散に駆け寄った。
「矢坂くん。千紗ちゃんの味覚を治すことができるヘルスイーツって、どんなお菓子なの?」
「ブリュレプリンだ」
「ええっ、ブリュレプリン! わたし、お父さんから作り方を教えてもらったことがある!」
思った以上に食いついてしまった。
矢坂くんは苦笑して、噛みしめるように声に出す。
「なら、ブリュレプリンは、桃原に作ってもらう」
「うん!」
矢坂の付言に、わたしはぱあっと花咲くような笑みを浮かべる。
「よーし、今度こそ、ヘルスイーツ作り、成功してみせる!」
決意を固めたわたしは早速、下準備を整えて、耐熱容器に入っているバニラアイスをレンジで加熱した。
そして、目の前の耐熱容器に入っているバニラアイスをぐるぐるとかき混ぜる。
「……できるはず。やるんだ。わたしがやらなきゃ」
わたしは必死の思いで、作業を進める。
かき混ぜた耐熱容器。
さらにそれを耐熱カップに入れた後、フライパンで加熱、手早く粗熱をとって冷蔵庫に入れた。
「ブリュレプリンなら、千紗さんを助けられる!」
わたしは熱い想いを胸に、両手を強く握りしめた。
続いて、フライパンの水気を拭き取り、グラニュー糖を入れて熱し、中火で加熱する。
カラメル色になったら、一時間ほど冷やしていた耐熱カップにそれをかけた。
「よし、今だ!」
最後の仕上げとばかりに、矢坂くんが死神の力をトッピングする。
その出来映えはしっとりふわふわ。
濃厚な味わいと、パリッとした軽やかな食感が特徴のブリュレプリンが出来上がった。
「わあっ! 初めて、ヘルスイーツが成功した!」
想いが、ぎゅうぎゅういっぱい詰まったブリュレプリン。
きらきら輝くヘルスイーツを前にして、わたしは感銘を受ける。
見た目や作り方は、普通のブリュレプリン。
だけど、このブリュレプリンは食べると、味覚が治る効果がある。
そんなすごいヘルスイーツを完成させたことに感動した。
「やったな、桃原。信じていたぞ」
「――っ!!」
矢坂くんからの称賛に、わたしははっとする。
みるみるうちに、ぱあっと嬉しさが増幅した。
「……うん!」
目元をごしごしと拭い、花咲く笑顔を弾かせた。



