だけど、矢坂くんと出会って、そこで生まれた数えきれない感情。
それらは、わたしの日常をいとも簡単に輝かせてみせた。
矢坂くんのいる景色は、鮮やかな色をわたしに教えてくれた。

お菓子を作ること。

何でもないことが、幸せだと実感できた。
ありふれた何気ない日常こそが救いなのだと、他の誰でもないわたしだけが知っている。
だから、どんな困難なことだとしても諦めたくなかった。

「お菓子への情熱だけでも、強みって思ってもいいのかな」
「いいんじゃないの」

藤谷くんの即答に、わたしは目を瞬かせた。

「それが、桃原さんの武器なんだから。浩二が、おまえを死神見習いにした理由、何となく分かった気がする」
「わたしの武器……」

……そうだ。
お菓子が大好きだということと、おいしく食べることは、わたしの取り柄。
これがわたしの武器だ。

「……わたし、お菓子写真部が大好き。廃部になってほしくない」

廃部の危機という一大事に、わたしは素直な本音をこぼす。
……そうだ。
幸せは続いていく。
自分が意図して止めなければ、どこまでだって連鎖する。
だったら、途中で諦めたら、そこで終わってしまうかもしれない。
何も手を打たなかったら、廃部決定になってしまうかもしれない。

「諦めたくない! 死神見習いとして、お菓子写真部の存続、がんばってみたい!」

わたしは意気揚々と弾けるように宣言した。
お菓子写真部。
これからどんな部になっていくのか、大切に育てていきたいものが増えた気分だった。

「その意気だ! だけど、廃部の危機。どうしたら、いいんだろうな」
「うーん、そうだな。部室が安全だという立証と、活動実績が必要だ」

藤谷くんの戸惑いに、矢坂くんも困り顔になる。
そんな思い悩んでいる二人に対して、わたしは突拍子のないことを告げた。

「じゃあ、わたしたちのたちのやるべきことはお菓子作り。つまり、ヘルスイーツ頼みだよ!」
「ヘルスイーツ……」

矢坂くんはぽかんと口を開いていた。
それはきっと、廃部の危機という宣告よりも、さらに突拍子のない提案だったのだろう。
まるでイタズラが成功したような瞬間だった。

「なるほど、ヘルスイーツか。つまり、俺たち、お菓子写真部が死神パティシエを取材したことにして、ヘルスイーツの写真を撮ってきたってことにするんだな」
「うん。『ヘルスイーツ写真展』を開いたら、みんな、興味を惹かれると思う。それに活動実績にもなって、一石二鳥だよ」

矢坂くんが納得したようにうなずくと、わたしは言い足した。

遊園地に行った時、矢坂くんは写真を撮るのが上手だった。
ピントのズレもなく、きれいな写真。
気がつくと、わたしはその写真に魅入っていた。
だから、矢坂くんが撮った写真を、他の人にも見てほしい。

その思いを、わたしはどうしても捨て切れなかった。
思案していた矢坂くんはやがて、嬉しそうに目を細める。

「確かにその案はいいな。残りの問題は、部室が安全だという立証だ」

矢坂くんが今までの話を纏める。
すると、藤谷くんは両手を天高く突き出して意気揚々に言った。

「おっしゃー。それなら、今から生徒会室に行って、そのことを踏まえながら相談しようぜ。『ヘルスイーツ写真展』のことを話したら、生徒会の奴らも驚くぞ!」
「ああ、そうだな」
「うん!」

藤谷くんの満足げな笑顔に、わたしと矢坂くんは顔を見合わせて力強くうなずく。
矢坂くんの周りには、いつだって優しくて甘い空気が存在している。
矢坂くんが楽しそうに笑うと、わたしまで嬉しくなった。



廊下を歩いていると、何とはなしに心が弾む。
『ヘルスイーツ写真展』。
我ながら、いいアイディアだと思う。
素敵な予感に、足取りまでも軽くなった。
これで、何もかも順調パーフェクトにいくはずだ。
生徒会室に行くまでは、わたしはそう思っていた。

「話は分かった」

話を聞いた生徒会長は、わざとらしく咳払いする。
彼は、高校三年生の喜多見(きたみ)高史(たかし)先輩。
容姿端麗。頭脳明晰。
彼は、この学校の生徒たちの憧れだ。
壇上での弁舌は、さわやかで先生の信頼は厚いが、問題を起こした生徒には容赦ない。

「却下だ」

そんな喜多見先輩が、にこやかな笑みを浮かべたまま、わたしの目論見をきれいに一刀両断した。

「なんでですか? 『ヘルスイーツ写真展』、絶対に活動実績になると思います!」

わたしは納得いかなくて、必死にまくし立てた。
すると、喜多見先輩は改めて、状況を説明し始める。

「確かに、活動実績にはなるだろう。だが、現実問題、怪現象が多発している部の写真展を見に行こうと考える物好きはいない」
「ふええー!!」

その原因の一端を担っていたわたしの悲鳴が、生徒会室に響き渡る。
ヘルスイーツの失敗の連続が、ここまで尾を引くとは思ってもいなかった。
お菓子写真部の存続作戦が、わたしの失態のせいで、まさかの破綻の危機に陥っていた。

「話を聞くと、おまえたちは死神パティシエと知り合いのようだな」

頭を抱えていると、喜多見先輩はそう前置きして切り出した。

「僕の妹の千紗(ちさ)がつい先日、死神から死の告知をされたそうだ。何でも、この町で死ぬ予定の魂の中に、千紗の名前が入っていると」
「死の告知……」

似たような状況に遭遇したわたしは、思わず前のめりになる。

「死神は、千紗の死因も分かると言ったらしい。だが、結末を変えることはできないから話せないと」

喜多見先輩は藁にもすがる思いで尋ねる。

「僕は、千紗を死なせたくない。妹を救ってくれるように、君たちの知り合いの死神パティシエに頼んでくれないか?」
「無理だ。その死神パティシエにも、死の運命を変えることはできない」
「――っ」

矢坂くんの返答に、喜多見先輩は辛そうに表情を曇らせた。
少し間を置いた後、喜多見先輩は確認するように言葉に乗せる。

「本当に無理なのか?」
「方法がないわけじゃない。だが、千紗さんはきっと、その方法を拒むと思う」

矢坂くんは千紗ちゃんの心情を察して、曖昧に答えた。
誰かを身代わりして、生き延びる。
恐らく、喜多見先輩は千紗ちゃんのために入れ替わる選択を選ぶと思う。
だけど、残された千紗ちゃんは、お兄さんの命と引き換えに生き延びた現実を目の当たりして、悲しみに暮れてしまうだろう。
その事実を噛みしめるように、藤谷くんは少し寂しそうに視線を落としていた。

「……そうか」

矢坂くんの表情を見て、悟ったのだろう。
喜多見先輩は何かを考えるように一瞬、視線を外す。
やがて、決心したように口を開いた。