「双葉さん、ごめんなさい……」
「ごめん……」

わたしと藤谷くんが、どうにかやっと紡げた言葉はひどく月並みで。
これではダメだとわかっているのに、それ以上の言葉が出てこなかった。

「はあ……」

八方塞がりのわたしたちを前にして、矢坂くんは強張っていた表情を緩ませた。

「相変わらず、桃原も、良夜……いや、旭も強引だな。二人とも、この状態のまま、双葉美優さんを犠牲にしてという発想はなさそうだ」
「だって、美優さんを犠牲にしたら、双葉さんは一生、後悔すると思う。たとえ、許せない相手でも……」

わたしは縮こまった声をごまかすように、指をごにょごにょさせる。

「それは、桃原と旭の場合も同じだろう。いや、双葉さんにとっては、美優さん以上にかけがえのない存在だ」
「ふええ……」

矢坂くんの思いがけない切り返しに、わたしは慌てふためく。
わたしが動揺している間に、矢坂くんは双葉さんと向き合った。

「双葉さん、どうする? このまま、美優さんとして生きれば、死の運命を回避することができる。双葉さんは、美優さんになりたかったんだろう?」
「うん。私はずっと、美優になりたかった。私がほしいもの、ぜんぶ持っている美優のことがうらやましかった」

矢坂くんの問いかけに、双葉さんはその唇に純粋な言葉を形取らせた。

「でも、私は私のまま、双葉あずさとして生きていきたい」
「えっ……? どうして?」

予想外の返答に、わたしは思わず、疑問を口に出していた。

「桃原さんが言ったとおり、後悔すると思うから」

そう告げた双葉さんは悲しげに瞳を潤ませる。

「それに美優は自尊心が高いせいで、いろいろな人に恨みや反感を買っているみたいなの……」

噛みしめるように、双葉さんは続けた。

「毎日、すべてが、初めてのことだらけで楽しい。だけど、その反面、いろいろな人たちに恨まれて、すごく生き苦しいの。……変よね。あんなに憧れていたのに、美優の人生は思っていたようなものじゃなかった……」

だから、藤谷くんは、双葉さんが美優さんとして生きることを望まなかったんだ。
そう思うと、自分の胸にすとんと落ちてくる。

「それに、これからもずっと、不幸を盾にして生きていきたくない。私は、自分の力で前に進みたいの……!」
「双葉さん……」

わたしは必死に涙をこらえる。
言葉に刻まれた双葉さんの想いを一滴も零してしまわないように。

「……これからも、双葉さんの家庭環境は変わらない。それでもいいのか?」
「家庭環境は変わらなくても、あなたたちがそばにいれば、変わっていくものはある。私にはもう、前を向くための心の支えがあるから」

矢坂くんが重ねて尋ねると、双葉さんは噛みしめるように答えた。

「私、美優として生きたことで気づいたことがあるの。いつも私を助けてくれる、桃原さんたちのことが好き……。それを教えてくれたのは、桃原さんたちだよ」
「ふええ……。そんなふうに思ってくれるなんて、幸せだよ……」

双葉さんの思いがけない切り返しに、わたしは慌てふためく。
双葉さんがそう思ってくれたように、わたしも、自分の『好き』を大事にしたいと思った。

「俺は、死の運命を容易に変えることはできない。だが、上位の死神は別だ」
「上位の死神……」

矢坂くんの言葉を反芻する。
それは未来がある前提の言葉だ。
視界の中で、希望という光がきらきらと弾ける。

「それって、上位の死神さんなら、双葉さんの死の運命を変えることができるの?」
「ああ。旭が出会った死神、カイリ。俺より上位の死神であるカイリなら、別の方法で死の運命を変えられるはずだ。ただし、カイリは『世界最高峰のヘルスイーツ』という対価を求める」

矢坂くんは弛緩した笑みを浮かべて断言した。

「双葉さんは、あとわずかで死ぬ。だが、亡くなってもまだ、双葉さんの魂はしばらくの間、現世と完全に切り離されることなく、繋がっている状態だ」
「つまり、幽霊の状態が続くってこと……?」

あまりに現実味がない話だった。
だが、わたしは既に死神見習いとして、現実味がない出来事をたくさん経験している。

「双葉さんの魂が、現世と完全に切り離される前に、カイリを探し出せばいい。そして、彼が長年、求める『世界最高峰のヘルスイーツ』を交換条件として提示すれば、双葉さんを救ってくれるはずだ」
「つまり、カイリがあの時、俺に告げた対価と同じか。良夜が死んでから、だいぶ経つ。その条件だと、良夜はもう、その方法じゃ救えないってことだよな」

藤谷くんは目を瞬き、少し考える素振りをみせる。

「カイリさんが求める『世界最高峰のヘルスイーツ』って……?」
「『ヴァルト・メゾン・ショコラ』。世界でも指折りの死神パティシエしか作れないという、ヘルスイーツの最高峰の一つだ」

矢坂くんが持ちかけた思わぬ提案。
天を仰ぐわたしの肩が小刻みに震えた。

「世界でも指折りって……。世界にその名を轟かせている死神パティシエさんたちのことだよね? そんなすごい人たちしか作れないお菓子を作らないと、双葉さんを救うことはできないの?」
「ああ。カイリは、かなりのスイーツ通だからな」

悲壮感と焦りが交じった気持ちになる。
わたしは助けを求めるように矢坂くんを見た。
だが、その目は明らかに、それしかないと言っている。
恐らく、その条件をみんなと一緒に達成することが、死神見習いであるわたしの役目なのだろう。
難攻不落な課題に、深呼吸を何度か繰り返す。
少し躊躇ってから、わたしは意を決して口にした。

「わたし、作ってみせる! ヘルスイーツの最高峰、ヴァルト・何とか……えっと?」
「ヴァルト・メゾン・ショコラだ」

慌てるわたしに、矢坂くんは冷静に返してくる。

「ヘルスイーツの最高峰、『ヴァルト・メゾン・ショコラ』。桃原ならきっと、作ることができるはずだ」
「ふええ……」

そう言ってもらえたことに、嬉しさとくすぐったさを感じて、心が宙に浮かぶような気持ちになる。
ただ、胸中の奇妙な引っかかりは残ったままだった。
やっぱり、矢坂くんはカイリさんのことを知っている。
それになし崩し的に、わたしたちはヘルスイーツの最高峰、『ヴァルト・メゾン・ショコラ』を作ることになってしまった。
正直、気持ちは定まっているわけじゃない。
これからもヘルスイーツ作りに苦悩する。
それでも……届けたい想いを、少しでも形にできればと願う。

大切な友達である双葉さんを救うために――。

そんなわたしたちを見て満足そうにうなずくと、双葉さんは小指を差し出してきた。