「『カイリ』って名乗っていた」
「カイリ……」
その名前を聞いて、矢坂くんがはっとした後、目を伏せた。
予想外の反応だった。
もしかしたら、矢坂くんは、そのカイリさんのことを知っているのかもしれない。
ぐるぐると考え込んでいると、藤谷くんは先を続けた。
「ヘルスイーツを作ることができるのは、死神の弟子になれた人間だけ。俺には、作ることはできなかった。それ以降、カイリには会っていない」
そのことに後ろめたさを感じたように、藤谷くんは気まずそうにわたしたちから目を逸らす。
「俺はずっと、良夜に謝りたくて。ありがとうって言いたくて。正直、望みはないって分かっている。それでも、俺は良夜を生き返させたい」
藤谷くんの力になりたい。
それが最初にせり上がってくる感情だった。
だけど、この時になっても、わたしは矢坂くんが死神だということを話せなかった。
藤谷くんを信用していないわけじゃない。
ただ、胸の奥に重たい感情がのしかかって、言葉が出てこない。
きっと、死神パティシエである矢坂くんにも、その願いは叶えられない。
そのことに気づいてしまったからかもしれない。
藤谷くんは躊躇いつつも、意を決して切り出した。
「そっちは?」
「私は一週間ほど前。矢坂くんと桃原さんに出会ってから」
双葉さんの答えに、わずかに目を見開くと、藤谷くんは何か言いたげに目を細める。
「浩二と桃原さんに出会ってから?」
「……うん」
わたしたちの心情を察してか、双葉さんは詳しい事情は話さずにそのまま続けた。
「私、ずっと病弱で、家族からは疎まれていたの。余命宣告されてからは、さらに距離が遠くなった。だから、私がほしいもの、ぜんぶ持っている妹が――美優のことがうらやましかった。できることなら、代わりたいとすら思った。私はずっと、美優になりたかった」
双葉さんは寂しそうに微笑んで、全ての感情をその一言に込める。
「だから、その願いを期限付きで、死神に叶えてもらったの」
「そうだったんだな」
双葉さんの表情を見て、藤谷くんはどこか辛そうに微笑んでいた。
「双葉さん、聞いてもいいか?」
藤谷くんの声にはどことなく緊張感があり、空気が塗り替えられる。
わたしは表情を引きしめてじっと待った。
「その願いを叶えてくれた死神って、どんな奴なんだ?」
「それは、その……」
どう答えたらいいのか分からず、双葉さんは言葉尻をにごしてしまう。
その様子を見守っていた矢坂くんは、観念したようにため息をついた。
「俺だ」
「は……?」
眉根を寄せた藤谷くんは、矢坂くんの言葉に呆気に取られる。
「双葉さんの願いを叶えた死神は俺だ」
矢坂くんが言い直すと、藤谷くんの顔が強張っていく。
何かを疑っているみたいだった。
「な、何の冗談だよ、浩二……」
藤谷くんは裏があるのではないかと怪しむように、矢坂くんを見ている。
確かに、中学の頃から仲が良かった友達から突然、『自分は死神だ』と告げられても、すぐには信じられないだろう。
理解が追いつかなくて、困惑しているようだった。
「矢坂くんは本当に死神だよ。わたしは、彼の弟子で死神見習いなの」
わたしが言い足すと、藤谷くんは面喰ったように言葉に詰まった。
「それって、本当の本当?」
「本当の本当!」
冗談交じりに返すと、藤谷くんはようやくそのことを認めたようだった。
「それなら――」
「弟を生き返させることは、俺にはできない」
藤谷くんが言おうとしたことを先回りするように、矢坂くんはきっぱりと告げた。
「……そうか。……そうなんだな」
すべてを諦めたような笑顔が心苦しい。
このままじゃいけないという確信はあるのに、具体的に何をすればいいのか、全く分からない。
「……ごめん」
目の前でしゃがんだ藤谷くんが狼狽えているのが分かって、矢坂くんはどこか困った表情を浮かべている。
矢坂くんは優しい死神だ。
きっと、友達の願いを叶えることができなくて辛いのだと思う。
「……どうして、俺だったんだろう」
藤谷くんの顔は青白い。
どこか後ろめたそうで、居心地悪そうにも見えた。
「……どうして、俺だけが生き延びてしまったんだろう。俺じゃなくて、良夜が生きてくれたら良かった。そうすれば、俺は明日を恐れることはなかったのに」
藤谷くんの心情がひしひしと伝わってきて、胸が苦しくなる。
「お願い! そんなこと、言わないで!」
「えっ……」
わたしが振り返ると、そこには双葉さんが何かを訴えるような、そんな顔をしていた。
「藤谷くん……。私、あなたがいたから、生きたいって思えたの」
双葉さんの声は縋るような切実さを孕んでいた。
「……私はずっと、いらない子だったから。美優みたいに家族に愛されたかった」
その言葉に、藤谷くんの表情が張り詰めたのが分かった。
「矢坂くんと桃原さんが、私の願いを叶えてくれた。本来なら、それだけで満足だったはずなのに。あなたと出会ってから、私はさらに欲張りになってしまった。あなたのことが好きになってしまったから」
「双葉さん……」
力のこもった声音に、藤谷くんは少し驚いた顔をする。
「美優のことを嫌いになりたかった。でも、どうしても憎めない。私も自分勝手で、後ろめたい気持ちを抱えているから」
藤谷くんに向ける双葉さんのまっすぐな瞳は変わらない。
紛うなき本音を晒しているのが窺えた。
「どうして、私の命は尽きてしまうんだろう。美優のように、普通に生まれてきたかった。そうすれば、私は明日を恐れることはなかったのに」
怖い、と。
体も心も、途方もなく独りになっていくような、恐ろしいほどの絶望と寂しさを、わたしはその声音からひしひしと感じた。
「藤谷旭くん。あなたと過ごした日々は、私の人生の中でも、特に濃いものになった」
双葉さんが必死の表情で、藤谷くんの手を強く握った。
その手で、大好きな人の存在を確かめるように。
「私は……来年も再来年も生きて、世界を見たい」
双葉さんの真意に、わたしは初めて触れた気がした。
「遠くに行って、みんなでいろんな場所で遊んだり、おいしいものを食べたりしながら……この目でぜんぶ見届けたい……」
涙色に染まる指先に。
この時間が永遠に続けばいいと――双葉さんは願っている。
だからこそ、今のままで過ごすわけにはいかない想いがある。
「カイリ……」
その名前を聞いて、矢坂くんがはっとした後、目を伏せた。
予想外の反応だった。
もしかしたら、矢坂くんは、そのカイリさんのことを知っているのかもしれない。
ぐるぐると考え込んでいると、藤谷くんは先を続けた。
「ヘルスイーツを作ることができるのは、死神の弟子になれた人間だけ。俺には、作ることはできなかった。それ以降、カイリには会っていない」
そのことに後ろめたさを感じたように、藤谷くんは気まずそうにわたしたちから目を逸らす。
「俺はずっと、良夜に謝りたくて。ありがとうって言いたくて。正直、望みはないって分かっている。それでも、俺は良夜を生き返させたい」
藤谷くんの力になりたい。
それが最初にせり上がってくる感情だった。
だけど、この時になっても、わたしは矢坂くんが死神だということを話せなかった。
藤谷くんを信用していないわけじゃない。
ただ、胸の奥に重たい感情がのしかかって、言葉が出てこない。
きっと、死神パティシエである矢坂くんにも、その願いは叶えられない。
そのことに気づいてしまったからかもしれない。
藤谷くんは躊躇いつつも、意を決して切り出した。
「そっちは?」
「私は一週間ほど前。矢坂くんと桃原さんに出会ってから」
双葉さんの答えに、わずかに目を見開くと、藤谷くんは何か言いたげに目を細める。
「浩二と桃原さんに出会ってから?」
「……うん」
わたしたちの心情を察してか、双葉さんは詳しい事情は話さずにそのまま続けた。
「私、ずっと病弱で、家族からは疎まれていたの。余命宣告されてからは、さらに距離が遠くなった。だから、私がほしいもの、ぜんぶ持っている妹が――美優のことがうらやましかった。できることなら、代わりたいとすら思った。私はずっと、美優になりたかった」
双葉さんは寂しそうに微笑んで、全ての感情をその一言に込める。
「だから、その願いを期限付きで、死神に叶えてもらったの」
「そうだったんだな」
双葉さんの表情を見て、藤谷くんはどこか辛そうに微笑んでいた。
「双葉さん、聞いてもいいか?」
藤谷くんの声にはどことなく緊張感があり、空気が塗り替えられる。
わたしは表情を引きしめてじっと待った。
「その願いを叶えてくれた死神って、どんな奴なんだ?」
「それは、その……」
どう答えたらいいのか分からず、双葉さんは言葉尻をにごしてしまう。
その様子を見守っていた矢坂くんは、観念したようにため息をついた。
「俺だ」
「は……?」
眉根を寄せた藤谷くんは、矢坂くんの言葉に呆気に取られる。
「双葉さんの願いを叶えた死神は俺だ」
矢坂くんが言い直すと、藤谷くんの顔が強張っていく。
何かを疑っているみたいだった。
「な、何の冗談だよ、浩二……」
藤谷くんは裏があるのではないかと怪しむように、矢坂くんを見ている。
確かに、中学の頃から仲が良かった友達から突然、『自分は死神だ』と告げられても、すぐには信じられないだろう。
理解が追いつかなくて、困惑しているようだった。
「矢坂くんは本当に死神だよ。わたしは、彼の弟子で死神見習いなの」
わたしが言い足すと、藤谷くんは面喰ったように言葉に詰まった。
「それって、本当の本当?」
「本当の本当!」
冗談交じりに返すと、藤谷くんはようやくそのことを認めたようだった。
「それなら――」
「弟を生き返させることは、俺にはできない」
藤谷くんが言おうとしたことを先回りするように、矢坂くんはきっぱりと告げた。
「……そうか。……そうなんだな」
すべてを諦めたような笑顔が心苦しい。
このままじゃいけないという確信はあるのに、具体的に何をすればいいのか、全く分からない。
「……ごめん」
目の前でしゃがんだ藤谷くんが狼狽えているのが分かって、矢坂くんはどこか困った表情を浮かべている。
矢坂くんは優しい死神だ。
きっと、友達の願いを叶えることができなくて辛いのだと思う。
「……どうして、俺だったんだろう」
藤谷くんの顔は青白い。
どこか後ろめたそうで、居心地悪そうにも見えた。
「……どうして、俺だけが生き延びてしまったんだろう。俺じゃなくて、良夜が生きてくれたら良かった。そうすれば、俺は明日を恐れることはなかったのに」
藤谷くんの心情がひしひしと伝わってきて、胸が苦しくなる。
「お願い! そんなこと、言わないで!」
「えっ……」
わたしが振り返ると、そこには双葉さんが何かを訴えるような、そんな顔をしていた。
「藤谷くん……。私、あなたがいたから、生きたいって思えたの」
双葉さんの声は縋るような切実さを孕んでいた。
「……私はずっと、いらない子だったから。美優みたいに家族に愛されたかった」
その言葉に、藤谷くんの表情が張り詰めたのが分かった。
「矢坂くんと桃原さんが、私の願いを叶えてくれた。本来なら、それだけで満足だったはずなのに。あなたと出会ってから、私はさらに欲張りになってしまった。あなたのことが好きになってしまったから」
「双葉さん……」
力のこもった声音に、藤谷くんは少し驚いた顔をする。
「美優のことを嫌いになりたかった。でも、どうしても憎めない。私も自分勝手で、後ろめたい気持ちを抱えているから」
藤谷くんに向ける双葉さんのまっすぐな瞳は変わらない。
紛うなき本音を晒しているのが窺えた。
「どうして、私の命は尽きてしまうんだろう。美優のように、普通に生まれてきたかった。そうすれば、私は明日を恐れることはなかったのに」
怖い、と。
体も心も、途方もなく独りになっていくような、恐ろしいほどの絶望と寂しさを、わたしはその声音からひしひしと感じた。
「藤谷旭くん。あなたと過ごした日々は、私の人生の中でも、特に濃いものになった」
双葉さんが必死の表情で、藤谷くんの手を強く握った。
その手で、大好きな人の存在を確かめるように。
「私は……来年も再来年も生きて、世界を見たい」
双葉さんの真意に、わたしは初めて触れた気がした。
「遠くに行って、みんなでいろんな場所で遊んだり、おいしいものを食べたりしながら……この目でぜんぶ見届けたい……」
涙色に染まる指先に。
この時間が永遠に続けばいいと――双葉さんは願っている。
だからこそ、今のままで過ごすわけにはいかない想いがある。



