部室に戻った後、わたしたちは大急ぎで教室に入る。
席につくと、隣の席の矢坂くんと目が合った。
わたしは思わず、慌てて逸らす。
目が合った瞬間、急に恥ずかしさがこみ上げてきたからだ。
ふと考える。
同時に教室に入って、一緒に席につく。
この光景を、他の人が見たらどう思うんだろうか。
変に思われるんじゃないだろうか。
もしかしたら、妙な噂が流れるかもしれない。
「おーい、浩二!」
そう考えていた矢先、教室のドアの向こうから聞こえてきた声に、わたしはびくりと身体を震わせた。
視線を向けると、矢坂くんと仲が良い隣のクラスの男の子がいた。
確か、一年三組の藤谷良夜くん。
いつも元気で面倒見の良い彼は、男女問わず人気者。
そこにいるだけで花が咲いたように、明るい雰囲気にさせてくれる。
まっすぐな笑顔が印象的な男の子だ。
矢坂くんと藤谷くん。
二人は中学に入学した早々、意気投合したらしく、一緒にいることが多い。
「悪い。数学の教科書、忘れた。貸して」
「良夜、またかよ」
矢坂くんの呆れ顔。
どうやら、忘れた教科書を借りにきたみたいだ。
「仕方ないじゃん! 忘れるものは忘れるんだし!」
「今後一切、忘れるな」
どっと、教室が沸く。
そんな二人のやり取りで、笑いともに、教室の雰囲気が変わるのを感じた。
どうやら、矢坂くんにとって、藤谷くんは気が置けない友人みたいだ。
「浩二、後で返すな」
教室から出ていく藤谷くんの後ろ姿を眺めながら、わたしは両手をぎゅっと握りしめる。
矢坂くんは一見、素っ気ないように見える。
だけど、実はほっとけない性格で、多くの人たちを惹きつけている。
わたしの命を二度、救ってくれた、優しい死神だ。
一番、心を許せる相手で片思い中。
そして、報われない初恋の相手だ。
わたしは人間で、矢坂くんは死神。
わたしたちは似ているけれど、実際はすべてが違う存在だ。
いつか必ず、別れの時がやってくる。
そう思うと、胸がちくりと痛んだ。
胸が苦しくて、もやもやして泣きそうになる。
矢坂くん……。
咄嗟にお守りのように胸に叫んだのは、大好きな人の名前だった。
矢先くんの名前に勇気をもらって。
わたしはその思考を振り払うように頭を振る。
別れの時。
せめてその時までは、彼のそばにいたい。
わたしは想いの果てにそう誓いを立てた。
*
朝のホームルームが終わった後、わたしは気持ちを切り替えるように深い息をつく。
美優さんと入れ替わった双葉さん、大丈夫かな。
隣のクラスの様子を窺っていたわたしの表情が曇る。
できることなら、双葉さんの死の運命を変えたかった。
でも、死神は本来、死が迫っている人間の運命を変えることは許されない。
『……たとえ、死神でもできないことはあるからな』
前に矢坂くんが言っていた言葉を思い出す。
死神パティシエである矢坂くんでも、できないことがある。
それでも……わたしたちは手探りで、自分ができることを探していくしかないんだ。
わたしはまだまだ、未熟な死神見習いだけど、これから実績を積み重ねていくしかない。
死神見習い。
これだけは手放しちゃダメだ。
矢坂くんとの繋がりだけは。
そう決意することは、わたしにとっては格別なものに違いなかった。
*
「わあっ!」
放課後、部室に訪れたわたしは歓喜の声を上げた。
色とりどりのヘルスイーツが並べられた机の上は、とてもにぎやかだったから。
「よし、これで完成だ!」
「ほえ~」
矢坂くんは、出来立てのお菓子をお皿の上に乗せる。
その手際の良さに、わたしは呆気に取られた。
「もしかして、食べてもいいの?」
わたしは目を輝かせて、机の上のヘルスイーツに釘付けになってしまう。
「ああ、前に食べたそうにしていたからな。すべて、身体に良いヘルスイーツだ」
「わああっ、ありがとう!」
矢坂くんはもはや、ヘルスイーツの神様だ。
「矢坂くんのヘルスイーツ。独り占めできて、すごく嬉しい」
わたしは早速、目星をつけていたお菓子、クレープロールに目をやる。
クレープロールは、クレープ生地にクリームやフルーツなどを包み込み、ロールケーキのように巻いたお菓子だ。
クレープ生地と生クリーム。
幾層にも重ねられたそれらの間には、ふんだんにイチゴが使われている。
このお菓子はどんな味で、どんな効果があるんだろうか。
一気に想像が膨らみ、頬がほのかに色づいた。
「いただきます!」
感動を噛みしめながら、わたしは一口頬張った。
甘く優しく、口の中に広がる。
その味は、今この時は世界に一つだけの味だ。
「ん~! おいしい!! とっても甘くてしっとりふんわり……」
おいしく食べることは、わたしの取り柄。
これがわたしの武器だと思うから。
「クレープロールは、疲労回復に効果があるんだ」
「すごーい! でも、小麦粉アレルギーなどがあったら、ヘルスイーツは食べられないのかな?」
「そんなことない。小麦粉などを使わないアレルギー対応のヘルスイーツがある」
矢坂くんの導くような答え。
それだけで、無意識のうちに胸にたまっていた何かが、溶けていくようだった。
「そうなんだー。わたしも早くヘルスイーツ作りを極めて、みんなを幸せにするヘルスイーツを作りたいな!」
決意を固めると、心臓がぎゅっと締めつけられる。
その瞬間、わたしを襲ったのはあまりに強烈な感情の奔流だった。
『晴花。お菓子は、みんなを幸せにするんだ』
パティシエのお父さんが作ったお菓子は、みんなを幸せにした。
だから、わたしも、そんなお父さんのようになりたい。
自分の思うがままに生きたい。
ヘルスイーツで、幸せのおすそ分けをしたい。
お菓子が奏でるスイートハーモニー。
誰かから『好き』をおすそ分けしてもらうのって、きっとすごく楽しい。
ワクワクと楽しそうな様子が気になったのか、矢坂くんは不思議そうに訊いた。
「桃原はどうしてそんなに一生懸命なんだ? いつも、他人のことで忙しそうにしている」
「それは矢坂くんもだよ」
わたしの切り返しに、矢坂くんはふと何かを考え込むようにわずかに眉を寄せる。
「俺の場合は、『約束』があったからだ」
「約束……?」
思いがけない発言に、わたしは言葉を詰まらせる。
そう告げた矢坂くんの顔が、今にも泣き出してしまいそうだったから。
まるで、自分の感情を持て余しているような、そんな雰囲気。
正直、好きな人の悲しそうな顔というのは、見ているだけで痛い。
苦しくなる。切なくなる。心の震えが止まらなくなる。
その理由が分からないから、なおさら気になってしまう。
席につくと、隣の席の矢坂くんと目が合った。
わたしは思わず、慌てて逸らす。
目が合った瞬間、急に恥ずかしさがこみ上げてきたからだ。
ふと考える。
同時に教室に入って、一緒に席につく。
この光景を、他の人が見たらどう思うんだろうか。
変に思われるんじゃないだろうか。
もしかしたら、妙な噂が流れるかもしれない。
「おーい、浩二!」
そう考えていた矢先、教室のドアの向こうから聞こえてきた声に、わたしはびくりと身体を震わせた。
視線を向けると、矢坂くんと仲が良い隣のクラスの男の子がいた。
確か、一年三組の藤谷良夜くん。
いつも元気で面倒見の良い彼は、男女問わず人気者。
そこにいるだけで花が咲いたように、明るい雰囲気にさせてくれる。
まっすぐな笑顔が印象的な男の子だ。
矢坂くんと藤谷くん。
二人は中学に入学した早々、意気投合したらしく、一緒にいることが多い。
「悪い。数学の教科書、忘れた。貸して」
「良夜、またかよ」
矢坂くんの呆れ顔。
どうやら、忘れた教科書を借りにきたみたいだ。
「仕方ないじゃん! 忘れるものは忘れるんだし!」
「今後一切、忘れるな」
どっと、教室が沸く。
そんな二人のやり取りで、笑いともに、教室の雰囲気が変わるのを感じた。
どうやら、矢坂くんにとって、藤谷くんは気が置けない友人みたいだ。
「浩二、後で返すな」
教室から出ていく藤谷くんの後ろ姿を眺めながら、わたしは両手をぎゅっと握りしめる。
矢坂くんは一見、素っ気ないように見える。
だけど、実はほっとけない性格で、多くの人たちを惹きつけている。
わたしの命を二度、救ってくれた、優しい死神だ。
一番、心を許せる相手で片思い中。
そして、報われない初恋の相手だ。
わたしは人間で、矢坂くんは死神。
わたしたちは似ているけれど、実際はすべてが違う存在だ。
いつか必ず、別れの時がやってくる。
そう思うと、胸がちくりと痛んだ。
胸が苦しくて、もやもやして泣きそうになる。
矢坂くん……。
咄嗟にお守りのように胸に叫んだのは、大好きな人の名前だった。
矢先くんの名前に勇気をもらって。
わたしはその思考を振り払うように頭を振る。
別れの時。
せめてその時までは、彼のそばにいたい。
わたしは想いの果てにそう誓いを立てた。
*
朝のホームルームが終わった後、わたしは気持ちを切り替えるように深い息をつく。
美優さんと入れ替わった双葉さん、大丈夫かな。
隣のクラスの様子を窺っていたわたしの表情が曇る。
できることなら、双葉さんの死の運命を変えたかった。
でも、死神は本来、死が迫っている人間の運命を変えることは許されない。
『……たとえ、死神でもできないことはあるからな』
前に矢坂くんが言っていた言葉を思い出す。
死神パティシエである矢坂くんでも、できないことがある。
それでも……わたしたちは手探りで、自分ができることを探していくしかないんだ。
わたしはまだまだ、未熟な死神見習いだけど、これから実績を積み重ねていくしかない。
死神見習い。
これだけは手放しちゃダメだ。
矢坂くんとの繋がりだけは。
そう決意することは、わたしにとっては格別なものに違いなかった。
*
「わあっ!」
放課後、部室に訪れたわたしは歓喜の声を上げた。
色とりどりのヘルスイーツが並べられた机の上は、とてもにぎやかだったから。
「よし、これで完成だ!」
「ほえ~」
矢坂くんは、出来立てのお菓子をお皿の上に乗せる。
その手際の良さに、わたしは呆気に取られた。
「もしかして、食べてもいいの?」
わたしは目を輝かせて、机の上のヘルスイーツに釘付けになってしまう。
「ああ、前に食べたそうにしていたからな。すべて、身体に良いヘルスイーツだ」
「わああっ、ありがとう!」
矢坂くんはもはや、ヘルスイーツの神様だ。
「矢坂くんのヘルスイーツ。独り占めできて、すごく嬉しい」
わたしは早速、目星をつけていたお菓子、クレープロールに目をやる。
クレープロールは、クレープ生地にクリームやフルーツなどを包み込み、ロールケーキのように巻いたお菓子だ。
クレープ生地と生クリーム。
幾層にも重ねられたそれらの間には、ふんだんにイチゴが使われている。
このお菓子はどんな味で、どんな効果があるんだろうか。
一気に想像が膨らみ、頬がほのかに色づいた。
「いただきます!」
感動を噛みしめながら、わたしは一口頬張った。
甘く優しく、口の中に広がる。
その味は、今この時は世界に一つだけの味だ。
「ん~! おいしい!! とっても甘くてしっとりふんわり……」
おいしく食べることは、わたしの取り柄。
これがわたしの武器だと思うから。
「クレープロールは、疲労回復に効果があるんだ」
「すごーい! でも、小麦粉アレルギーなどがあったら、ヘルスイーツは食べられないのかな?」
「そんなことない。小麦粉などを使わないアレルギー対応のヘルスイーツがある」
矢坂くんの導くような答え。
それだけで、無意識のうちに胸にたまっていた何かが、溶けていくようだった。
「そうなんだー。わたしも早くヘルスイーツ作りを極めて、みんなを幸せにするヘルスイーツを作りたいな!」
決意を固めると、心臓がぎゅっと締めつけられる。
その瞬間、わたしを襲ったのはあまりに強烈な感情の奔流だった。
『晴花。お菓子は、みんなを幸せにするんだ』
パティシエのお父さんが作ったお菓子は、みんなを幸せにした。
だから、わたしも、そんなお父さんのようになりたい。
自分の思うがままに生きたい。
ヘルスイーツで、幸せのおすそ分けをしたい。
お菓子が奏でるスイートハーモニー。
誰かから『好き』をおすそ分けしてもらうのって、きっとすごく楽しい。
ワクワクと楽しそうな様子が気になったのか、矢坂くんは不思議そうに訊いた。
「桃原はどうしてそんなに一生懸命なんだ? いつも、他人のことで忙しそうにしている」
「それは矢坂くんもだよ」
わたしの切り返しに、矢坂くんはふと何かを考え込むようにわずかに眉を寄せる。
「俺の場合は、『約束』があったからだ」
「約束……?」
思いがけない発言に、わたしは言葉を詰まらせる。
そう告げた矢坂くんの顔が、今にも泣き出してしまいそうだったから。
まるで、自分の感情を持て余しているような、そんな雰囲気。
正直、好きな人の悲しそうな顔というのは、見ているだけで痛い。
苦しくなる。切なくなる。心の震えが止まらなくなる。
その理由が分からないから、なおさら気になってしまう。



