6時。

 空はすっかり明るくなっていた。
 けれど、光が強くなればなるほど、夜の魔法は静かに解けていく気がした。

 私たちは、駅へと向かって歩いた。

 肩が少し触れ合う距離。だけど、言葉はほとんどなかった。
 たった一晩の出来事なのに、何かが始まって、でも何かが終わるような、そんな不思議な沈黙だった。

 改札の前で、俊さんが立ち止まった。

 「俺、反対方向だから。……じゃーね、真央ちゃん」

 そう言って、いつものようににいっと笑う。
 その笑顔が、どうしようもなくまぶしくて、少しだけ苦しかった。

 「……はい。また」

 ぎこちなく手を振ったその瞬間、心のどこかがふっと浮いた気がした。

 電車が走り出しても、俊さんはホームに立ったまま、ずっと手を振っていた。
 朝日が彼の横顔を照らし、耳元の銀色のピアスが、きらりと光る。

 その輝きだけが、いつまでもまぶたに焼きついて離れなかった。

 *

 座席に身を預けてから、ようやくスマホを取り出す。

 画面は、真っ黒。
 0%のまま、うんともすんとも言わなかった。

 でも、不思議と息がしやすかった。

 何十件も来ているはずの着信も、叱責の言葉も、届かないこの静けさが、私にはちょうどよかった。

 ……そういえば。
 俊さんと、連絡先を交換するの、忘れてた。

 あれだけ長い時間を一緒にいたのに。
 あれだけ、心を開きかけていたのに。

 次、会える保証なんて、どこにもない。

 だけど私は、電車の揺れに身をまかせながら、
 どうしようもなく胸をときめかせていた。

 *

 家に着いた途端、母にこっぴどく叱られた。
 父には、呆れたようにため息をつかれた。

 「どういうつもりなの」「大学生になったからって大人になったつもり?」
 そんな言葉が、頭の中でいつまでも反響していた。

 だけど、私はただ静かにうなずいた。
 反抗する気力も、正当化する言い訳もなかった。

 でも、心のどこかで、こうも思っていた。

 ──これが、私の人生で、はじめての反抗だったのかもしれない。

 ネオンがちかちかと瞬く夜の街も、
 しんと静まり返った深夜のホームも、
 カラオケの密室でふたり叫んだロックバンドも、
 真っ赤に染まった朝焼けも。

 そして。

 少し寂しそうに笑った、金髪の彼も──

 ぜんぶ、ぜんぶ、私の「はじめて」だった。

 部屋のベッドに倒れ込んで、ぽろぽろと涙がこぼれた。
 でも、それは悲しみからじゃない。
 きっと……うれしかったから。

 *

 ──それから、すぐのことだった。

 インカレサークル『Miracles☆』は、解散したと風の噂で聞いた。

 たったひと晩だけ関わった、あの場所。
 俊さんの笑い声も、誰かの歌声も、もう戻らない。

 朝日を背にして「これからも一緒に楽しもうよ」って笑った彼は、もしかして、ほんとうはもう、何かを決めていたのだろうか。

 その笑顔が、思い出のなかでふいに遠くなる。

 すうっと、背中が冷えていくような気がした。

 ……自分でも驚いた。
 思っていた以上に、私は彼との未来に、期待してたんだ。

 でも、終電を逃したあの日が、
 ほんとうに「すれ違っただけの一夜」だったのだとしたら。

 もう二度と、彼と交わることはないのかもしれない。

 それでも。
 それでも私は、電車のホームに立つたび、
 あの朝みたいな空気を感じるたびに、

 つい探してしまうのだ。

 銀色のピアス。
 金色の髪。
 私に手を差し伸べてくれた、誰かの姿を。

 ──あえて、0%のスマホを手にしたまま。