季節はセミがうるさく鳴く、汗ばむ初夏。
 絃が天馬と夫婦になってから20日ほどが過ぎた。
 絃は自室にこもって、ピーちゃんを見つめたままずっと頭を悩ませていた。
 というのも、ずんぐりむっくりな団子のようなこの形は仮の姿で、ピーちゃんには本来の姿があると天馬から教わったのだ。
 ピーちゃんの正体は、四神として崇められる『朱雀』。
 神使の中でも最上位に位置する特別なものだ。
 ピーちゃんが本来の姿を取り戻すには、絃が名前を思い出す必要がある。
 朝比奈家の麒麟『雷蹄』のように、神使には1体1体に名前があり、契約した呪式と名前の一致で口寄せにて具現化する。
 つまり、“ピーちゃん”とは物心ついたときから絃が呼んでいる愛称であり、他にれっきとした名前があるのだった。
 だから、絃は一向に思い出せないでいた。
 絃はピーちゃんの正体を知らなかったが、天馬はひと目見たときからピーちゃんの小さな体に秘められた力に気づいたのだという。
 それはパーティーのお開きのあとに秀徳と佳代子も気づき、なにも感じ取れていなかったのは璃々子だけだった。
 ピーちゃんが呪式なしで好きなときに現れることができるのは、絃の体にすでに呪式が施されているためだった。
 それが、以前絃が菊江に漏らした“背中にある大きなアザ”。
 実はアザではなく、特別な呪式だったのだ。
 おそらく絃の両親が、絃を守るようにと願いを込めてピーちゃんを絃自身に封印したのだ。
「絃、近くの川に涼みに行かないか」
 天馬が部屋に入ってきた。
「ありがとうございます。ですが、もういつ闇影の日が訪れてもおかしくはないですし、朱雀の力が役に立つのであれば、早くピーちゃんの名前を思い出さなければ…」
「そんな眉間にシワを寄せて難しい顔をしていては、思い出せるものも思い出せないぞ。あまり根を詰めすぎるな。ずっと部屋にこもっていては気が滅入るだろ」
 そう言って、天馬は絃を連れ出した。
 ふたりは、大きな橋がかかる穏やかな流れの川にやってきた。
 絃は浅瀬で足だけ浸かり、天馬は服を脱いで泳いでいた。
 その天馬の体からは影鬼の呪印が消えていた。
 不思議なことに、あの日半鬼化した天馬が絃の血を吸ったあと、きれいさっぱり呪印がなくなったのだ。
 そのあと絃の血を調べると、なんと影鬼からの細菌を死滅される効果があることがわかった。
 まだ試験段階のため公にはされていないが、影鬼に毒された何人かの人に絃の血を注入したところ、皆症状の改善が見込まれた。
 呪血は特効薬になるかもしれないということで、絃は無理のない範囲で献血に協力している。
 絃と久々の休暇を楽しむ天馬だったが、口寄せのカラスにより軍からの文が届けられる。
 それに目を通した天馬は表情を固くした。
「今日、明日あたりが闇影の日になる可能性が高いそうだ。緊急召集で、今から軍に向かわねばならない」
 天馬は、素早く体を拭うと服に袖を通した。
「結局、わたしはお役に立てないのですね…」
「そんなことなど考えなくていい。屋敷まで送ってやれそうにないが、ひとりで帰れるか」
「はい、わたしなら大丈夫です」
 絃が微笑むと、天馬は口寄せでハヤブサを呼び出した。
「屋敷の者たちも優秀な異能者だが、なにがあるかわからない。皆で地下室へ隠れていろ」
「かしこまりました。朝比奈さまもどうかお気をつけて…!」
「ああ、行ってくる」
 天馬の腕を足でつかんだハヤブサは、空高く舞い上がっていった。
 絃は、天馬の姿が見えなくなるまで見守っていた。
 闇影の日はすぐそこまできている。
 この日のために、ふたりは婚姻関係を結んだ。
 よく知りもしない天馬との結婚生活だったが、これまでに感じたことがないくらい幸せな日々だった。
 日を追うごとに天馬の新しい表情を知り、できることならこんな毎日がもっとずっと続けばいいのにとさえ思うようになってた。
 闇影の日が過ぎ、戦いが落ち着けば、この婚姻は解消される。
 影鬼たちとの戦闘も、負傷者をひとりも出すことなく終えるのはほぼ不可能だろう。
 だれかが傷つき、または命を落とし、それに悲しむ人々が生まれる。
 だから、闇影の日なんて一生訪れなければいいのに。
 絃はそう思いながら、胸に当てた手をぎゅっと握りしめた。

 ――頬に感じる固く冷たい感触。
「いつまで寝てるつもりよ、このドブ女!」
 薄れた意識の中、突然頭から水が降ってきて、絃ははっとして目を覚ました。
 身動きが取れないと思ったら手足が縛られていた。
 そして見上げると、こちらを見下ろす璃々子と和久がいた。
「なぜ、ふたりが…。ここはどこ!?」
「ここは、長楽家が所有の別荘です。璃々子さんに頼まれて、あなたを誘拐しました」
「ゆう…かい?どうして…」
「“どうして”?そんなの、あんたが目障りだからに決まってるじゃない」
 璃々子は絃を蔑む。
 そのとき、遠くのほうから爆音が聞こえた。
「今のは…」
「影鬼との戦いが始まったようだね。ここは避難区域に指定されているから、すぐそこで戦闘が繰り広げられているんだ」
 それを聞いた絃は、窓の向こうにある光のない闇に包まれた空を見上げた。
「朝比奈さま…」
 あの空の下で天馬が戦っていると思ったら、胸が締めつけられた。
 すると、そんな絃の頬を思いきり璃々子が引っぱたく。
「天馬さまの嫁気取りなんかして、本当に腹立たしい!天馬さまの妻になるのは、このアタシよ!」
「璃々子、まだそんなこと言って…」
「うるさいわね!アタシはこの戦いで天馬さまに力を認めてもらうんだから。じゃあ和久さん、あとのことはよろしくね」
 優秀な異能家系の西条家も召集されているようで、璃々子は余裕綽々で出ていった。
「…和久さん、長楽家もこの戦いに呼ばれているのではないのですか。こんなところにいないで、早く応援に」
「ああ、そのつもりだよ。璃々子さんから頼まれた、キミをここで始末する用事を済ませたらね」
 それを聞いて、絃の顔から一瞬にして血の気が引いた。
 璃々子は朝比奈家の妻になるため、邪魔な絃には消えてほしかったのだ。
「だから、絃さんどれがいい?ぼくの手で殺すか、このまま放置して影鬼に食われるか、戦闘の巻き添えで死ぬか」
 避難区域に指定されているということは、とくに影鬼が多発的に出現する地域。
 留まっていれば、いずれは影鬼に見つかることだろう。
 また、激しい戦闘が予想されるため、この辺りの区域の人々は避難させた。残っていれば巻き添えは確実。
 絃は、どの選択肢を選んでも死しかないという絶体絶命な状況に追い込まれていた。
 だがここで、和久は4つ目の選択肢を与えた。
 それは、自分の妾になれということだった。
「妾になれば、なに不自由ない生活を保証してあげるよ」
 本当のところは、4つ目の選択肢を選んでほしかったのは和久自身だった。
 パーティーでの別人のように美しくなった絃に不覚にも見惚れてしまった和久は、どうにかして絃を自分のものにしたいと考えていた。
 そこに、璃々子から絃を攫い殺すようにと頼まれ、その作戦に乗るフリをしてかこつけたのだ。
「さあ絃さん、どれにする?まあ聞かなくても答えはわかっているけど――」
「嫌です。4つ目の選択肢だけは絶対に」
 和久は一瞬聞き間違いかと思った。
「…は?…なにを言っているんだ、キミは。つまりそれは、死にたいと言っているようなものなんだぞ!?」
「はい、死んでも構いません。あなたの妾になるよりはマシです」
 それを聞いてカッとなった和久は、絃を床に投げ飛ばした。
「調子に乗るなぁ!!ぼくが情けをかけてやっているというのにっ!!」
 そして、何度も何度と踏みつける。
 見ていられなくなったピーちゃんが絃を庇うが、あっけなく弾き飛ばされる。
「…ピーちゃん!」
「あれが噂の朱雀か。主同様、みにくい姿のくせにぼくに歯向かうな!」
 怒りの矛先はピーちゃんに向けられ、和久にこれでもかというほどに痛めつけられたピーちゃんは力尽きて具現化の力を失って消えた。
「あれだけやれば、しばらくは出てこられないだろう。次は絃さんの番だ、こいっ」
 絃は、般若のような形相の和久に髪を鷲づかみにされた。
 和久は別荘の台所の流し台に溜めた水の中に絃の顔を何度も押し込んでいた
 「どうだい、絃さん。目は覚めたかい?」
「…何度やっても同じことです。わたしは…あなたの妾にはなりません……」
「チッ。強情な女だ」
 絃の体力ももう限界で、飛びそうな意識の中で幻覚のようなものが見えた。
 幼い絃が母からピーちゃんを託された日の記憶だ。
『いい、絃?この子が絃をずっと守ってくれるから』
『わ〜、かわいい!ピーピーないてるから、あなたのなまえは“ピーちゃん”ね』
『ピピー!』
『ふふ、喜んでるみたいね。ピーちゃんもかわいくて素敵だけど、本当の名前も忘れないであげて』
『ほんとうのなまえ?』
『そう。この子の名前は――』
 そのとき、絃ははっとして我に返った。
 すると、目の前には包丁を握った和久が立っていた。
「もういいよ、絃さん。そんなに死にたいなら、ぼくが殺してあげる」
 絃はなんとか立ち上がり後退りをするが、狭い台所に逃げ場などない。
「死ねっ!!呪血のバケモノ!」
 包丁を振り上げた和久が絃に襲いかかる。
 絶体絶命の危機的状況の中、絃はなんとか身を翻し、包丁の切っ先から急所を外した。
 しかし、腕を切り裂かれる。ところが、なぜか絃は広角を上げていた。
 絃はこうなることを狙って、腕といっしょにその腕を縛っていたロープを切ったのだった。
 包丁が壁に突き刺さり、抜けずに和久がまごついている間に、絃は足のロープも解いた。
 ようやく包丁を抜いた和久が血眼になって絃に目を向ける。
「なにを勝ち誇ったような顔をしている。拘束が解けたからといって、ぼくから逃げられると思うなっ!」
「…逃げる?その言葉、そっくりそのままお返しします」
 絃は和久に傷つけられた腕から血を拭い取ると、もう片方の手のひらにその血を塗りたくった。
「その動きは…、まさか…!!」

 時を同じくして、ここは避難区域内にある戦場。影鬼との激しい戦闘が繰り広げられていた。
 天馬の雷蹄の力や召集された異能者たちの活躍により、影鬼の群れを制圧しつつあるという状況だ。
「天馬さま。災厄の年の闇影の日といっても、そんなたいしたことはないのですね」
 この戦いにおいて一役買っている璃々子が天馬のところへとやってきた。
「…絃の妹か。なんの用だろうか」
「わたくしの活躍、ご覧になってくださいましたか?わたくし、朝比奈家のいい妻になれると思うのですけれど」
「まだ言うのか。俺には絃がいる。ほかを当たってくれ」
 そんな天馬に、璃々子はニヤリと微笑む。
「へ〜、お姉ちゃんね〜。生きていたらいいですけどね」
「…なに?」
 璃々子の言葉に目尻がピクリと反応し、天馬が問い詰めようとしたそのときだった。
「…ギャーーーーー!!!!」
 突然、向こうのほうで悲鳴が上がった。
 天馬が目を向けると、山のように大きな影鬼が異能者たちを薙ぎ払っていたのだ。
 見たこともない規格外の大きさの影鬼にその場にいた者たち全員が恐怖に駆られ、その一瞬の遅れが影鬼に隙を与えた。
「…や、やめろぉ!!」
「お願いだ!助けてくれっ!!」
 異能者たちが次々に影鬼に襲われ、みるみるうちに陣形が崩れていった。
 傷を負った者たちは、傷口から発生した呪印がゆっくりと体を蝕んでいく。
「なにっ…あの気持ち悪い紋様は!?」
 初めて見る呪印に璃々子は顔を引きつらせた。
「影鬼によって負傷すると、あの呪印によりお前も影鬼になるぞ。油断するな!」
「…まっ!待ってください、天馬さま!」
 天馬は璃々子をその場に残して、山のような影鬼を倒すべく向かった。
「璃々子、ここにいたか!」
 そこへ、秀徳と佳代子が駆けつける。
「璃々子、お前はここから離れるんだ!」
「えっ!イヤよ!天馬さまに力を認めてもらうんだから!」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!影鬼に噛まれた元も子もな――」
「危ない、佳代子!!」
 佳代子に襲いかかろうとした影鬼から、秀徳が身を挺して守った。
 しかし、秀徳は腕を影鬼に噛まれてしまった。
「…キャー!!パパーッ!」
「あなた…、腕がっ…」
 噛まれた傷口からさっそく呪印が広がる。
「心配するな。今すぐに影鬼になるわけじゃない」
「…でも!」
 気づいたら、3人は影鬼の集団に取り囲まれていた。
 なんとか口寄せの神使で応戦するが、精神が揺らいでいる今の状況では神使はすぐに消滅してしまった。
「い…、いやぁぁぁああああ!!」
 璃々子の悲痛な叫び声が響き渡る。
 3人とも致命的な傷は負ってはいないが、かすり傷から呪印に冒されていたのだった。
 頬に擦り傷がついた璃々子は、自慢の顔が呪印に侵食され、命をかけた戦いの最中だというのに手鏡で確認して発狂していた。
 力が有り余っている璃々子は完全に戦意喪失で、秀徳と佳代子はほぼ力を使い果たしていた。
「璃々子、頼む!!お前だけが頼みの綱なんだ!なんとかして戦ってくれ!」
「こんな顔はアタシじゃない…。そうよ、これは夢よ」
「璃々子、こんな状況でなに言ってるの!目を覚まして!」
 極限の状態に、3人は精神が錯乱する寸前だった。
 そんな3人に影鬼たちが襲いかかった、――そのとき。目の前に、まるで朝焼けかの如く輝く大鳥が現れた。
 その羽ばたきにより、影鬼の集団が一瞬にして粉々になって吹き飛んだ。
「…た、助かったのか?」
「いったいなにが起こったの…?」
 秀徳たちはぽかんとして呆気に取られている。
「よかった。なんとか間に合って」
 そんな声が頭上から聞こえたと思ったら、大鳥の首元からたれかが滑り降りてきた。
 その人物を見て、3人は目を丸くする。一番驚いていたのは璃々子だ。
 なぜなら、そこに現れたのは見違えるくらい凛々しく佇む絃だったのだから。
「絃…なのか?この鳥は、まさか…」
「わたしの神使、朱雀の『朱蓮(しゅれん)』です」
「す…朱雀?あの団子みたいな鳥が…?」
 璃々子は開いた口が塞がらない。
 和久に殺されそうになったあのとき、絃は過去のの記憶からピーちゃんの本当の名前『朱蓮』を思い出した。
 和久への鬱憤がたまっていた朱蓮は、自分と絃がやられた100倍返しで和久をボロ雑巾のようになるまでにコテンパンにした。
 そして、絃を乗せてこの戦場へとやってきたのだった。
「朝比奈さま!」
 絃が巨大影鬼とひとりで戦う天馬のところへ向かうと、天馬は驚きながらも安堵したように微笑んだ。
「…絃、無事でかった。それよりも、朱雀の名前を思い出したんだな」
「はい!朱蓮といいます。わたしもぜひお手伝いさせてください」
「國防隊隊長、朝比奈天馬から直々にお頼み申し上げる。朱蓮がいれば百人力…いや、千人力だ」
 その天馬の言葉どおり、朱蓮が巨大影鬼をなんなく撃破。
 絃と朱蓮の活躍により一瞬にして逆境が覆り、影鬼は一掃され、闇影の日は幕を閉じたのだった。
 影鬼たちを殲滅し、幸い死者は出なかったが、多くの異能者が影鬼の呪印に苦しめられていた。
 そんな人々のもとへ、軍の医療班たちが手分けしてワクチンを注射していた。投与された人々の体からは徐々に呪印が消えていった。
 それを見ていた秀徳は声を荒げる。
「医療班!ワクチンがあるというのなら、先にこっちにこんか!」
「アタシたちをだれだと思ってるの!?生粋の麗血である西条家よ!」
 一度は死にそうな顔をしていたが、3人とも実に元気そうだった。
 やれやれというふうにワクチンを持って西条家のところへ走ってやってくる医療班の前に、天馬が立ちふさがった。そしてなにかを伝えると、医療班は別の異能者のところへ行ってしまった。
「ちょっと!あの医療班、どこへ行くつもり!?」
「朝比奈殿、いったいなにを言った!」
 睨みつける3人のところへ、天馬は絃の手を引いて向かった。
「あのワクチンは、最近見つかった抗ウイルス薬です。これまでは治療法のなかった影鬼の毒素を打ち消す効果があります」
「そんなの見ていればわかる!だから、さっさと打てと言っているんだ!」
「本当にいいのですか?あの奇跡のようなワクチンの正体は、絃の血。つまり呪血です」
 それを聞いた3人は、一瞬にして表情を変えた。
「ド…ドブ女の血…!?そんな汚らわしいものを体の中に入れろっていうの!?」
 璃々子は鳥肌が立ち、体をガクガクと震わせる。
「ふざけないで!私たちは麗血よ!?どうして、呪血なんかを――」
「なにも無理にとは言いません。ワクチンを打つか打たないかはご本人たちにお任せしていますから。ただ、打たなければ遅かれ早かれ知能のないバケモノに成り下がるだけですが」
 秀徳たちは歯を食いしばる。
 影鬼になるのは嫌だ。しかし、呪血を投与されるのは彼らにとっては耐え難い屈辱だった。
「わ…、わかった。ワクチンを…投与してくれ」
「…パパ!?」
「あなた!なにを言って――」
「仕方ないだろう!?ほかに手立てがないのだから!」
 秀徳が折れたことにより、佳代子と璃々子も渋々承諾した。
「だから、さっさとワクチンをよこせ」
「それが人にものを頼むときの態度ですか」
 天馬は呆れたようにため息をつく。
「わ、悪かった…。ワクチンの投与を頼む」
「西条さん、そもそも頼む相手が違います。俺にではなく、絃に言ってください。ワクチンが必要な方全員が、誠意を持って」
 天馬の言葉に、3人はおそるおそる絃を見上げた。
「い…絃、これまでにしたことはすべて謝る。だから、どうかワクチンをください…」
「絃…、お願いします。私たちを助けてください」
 秀徳と佳代子は深々と頭を下げる。
 だが、真ん中にいる璃々子はふたりを軽蔑した目で見ていた。
「パパもママも、みっともないことするのはやめて!どうして、ドブ女なんかに頭を下げないと――」
「「いいから、お前もやりなさい!!」」
 次の瞬間、璃々子は両隣にいるふたりから鷲づかみにされるように頭を押さえつけられていた。
 こうして、もう二度と関わらない絶縁という条件のもと、絃はすべてを許した。

 戦場となった地域の復興にはまだ時間はかかるが、闇影の日から10日ほどがたつころには國はいつもの平穏な日常を取り戻していた。
 西条家の呪縛から解放され、晴れやかな気持ちの絃ではあったが、闇影の日が終わり、いつ天馬に婚姻解消を言い渡されるのだろうとずっと気がかりでいた。
「絃!」
 夜、部屋に入ってきた天馬に驚く絃。
 ついにそのときがきたと思いきや――。
「ちょっと外に出よう」
「え?」
 なぜか手を引かれ、静かな屋敷の庭へとやってきた。
 そして、天馬に促され上を見上げると、夜空にはいくつもの流れ星が見えた。
「わあ、きれい!」
「ペルセウス座流星群だそうだ。去年は曇っていて気づかなかったが、毎年この時期に見られるらしい」
「そうなのですね。知らなかったです」
「俺もだ。だから、また来年もこうしてふたりで見られたらいいな」
 流れ星を眺める天馬のつぶやきに、絃はキョトンとして顔を向けた。
「え、来年も?」
「ああ、来年も」
「来年も、…ここにいていいのですか?朝比奈さまとの婚姻は、闇影の日を過ぎたら解消されるはずでは…」
 それを聞いた天馬は、はっとした表情をした。
「言われてみれば…、たしかにそう…だったな。自分で言ったはずがすっかり忘れていた。まさか、ずっとそのことを気にしていたのか…?」
 天馬の言葉に、絃はぎこちなくこくんとうなずいた。
「それは不安な思いをさせてしまったな…、すまない。俺の中で、絃がそばにいることが当たり前となっていた」
「朝比奈さま…」
「なあ、絃。その呼び方、そろそろやめないか?もうれっきとした夫婦なのだから」
 天馬は恥ずかしそうに頬をかく。
 暗がりでも顔が赤くなっていることがわかった。
 そんなかわいらしい一面もある天馬が愛おしくて、絃は満面の笑みで天馬を抱きしめた。
「はい、天馬さん。ずっとそばにいさせてください」
 寄り添うふたりの様子を、ピーちゃんが微笑ましそうに眺めていた。