葉子は碧高に連れられ、長い廊下を進む。
「こっちだよ」
 そう言われてたどり着いたのは、屋敷の中心部分。薄暗い祠のような場所だ。おそらくここに、瑞祥家の神棚がある。
 葉子は、自分の心臓がうるさく騒ぐのを感じた。彼の巫女の玉は、きっとこの中だ。
 祠の中の、小さな扉の前に碧高は歩み出る。彼がそこを開くと、そこにはやはり、葉子のと同じようなお守り袋が丁寧に並べられていた。
「君のものは、私の隣にしようか」
 彼はそう言って、神棚の中に手を伸ばした。
「この袋が、私のだよ」
 彼が指し示したそれは、光沢感のある白い織物を使ったお守り袋で、瑞祥家の文様が金糸の刺繍で施されている。
 実際に玉を見たわけではないが、その袋の膨らみを見て、葉子の心臓がざわめいた。
(私が割るのは、この袋の中の玉――)
 葉子は自分のお守り袋を、震える指先でそっとその隣に置いた。確認できたのだから、早くここから出たい。
 だけど、その瞬間、葉子は動きを止めてしまった。
 ――自分のものだけ、違う。
 袋の色こそ同じだが、朱糸で刺繍のほどこされた登喜和家のそれは、異様だ。だけど、葉子がそれを異様だと感じたのは、そのせいだけじゃない。
(私のものだけ、膨らみがないのよね)
 当たり前だ。葉子のお守り袋の中にあるのは、粉々になった巫女の玉なのだから。
 除け者で、異端。才なし。能無し。それは、どこの巫女の家に行こうが変わらない。
(私は、役立たず)
 だからこそ、彼の巫女の玉を割らなければならない。彼を役立たずの、能無しにするために。
(鍵の場所も、神棚の位置も覚えた。あとは、実践するだけね)
 華子に背くなんて、母に背くなんてできない。彼の巫女の玉を割るために、葉子はここに来たのだ。
「もう、閉めてもいいかな?」
 碧高の声に、震える指先をこぶしの中に閉じ込め頷いた。
「はい」
 彼がそっと扉を閉める。その音が祠の中に響き、葉子の心を締め付けた。
(彼は『同じ』言ったけれど、同じなんかじゃない。彼は巫女よ。私とは違う)
 登喜和家のため。同情しそうになる自分にそう言い聞かせ、これから行う罪を正当化させる。
 葉子が祠を出ると、碧高がそっと彼女の肩に触れた。
「祠の中、寒かったかい? 確かにあそこは、周りよりも少し温度が低いけれど」
 彼の言葉で、自分が震えていたのだと気づいた。
「いえ、大丈夫です」
 そう言ったけれど、彼のこの温もりを奪うのは自分なのだと余計に自覚させられるようで、葉子の胸はずきりと痛む。
「温かいご飯を食べたら、きっと冷えも治るよ」
 優しい碧高の言葉に、葉子の心は余計に重くなった。
 夕餉は、葉子がいつも物置小屋で与えられるような粗末な麦や粟ではなかった。白米に、具沢山のお味噌汁。尾頭付きの焼き魚、卵焼き、お浸し、お漬物までついている。
 葉子は久しぶりに見る食台の上に拵えられた夕餉を、機械のように口に運んだ。おいしいはずなのに、味が分からない。お腹が空いているのかどうかも、分からない。
 華子に、実行に移すのは次の満月の夜と言われていた。直ぐに動くと瑞祥に怪しまれ、巫女の玉を割る前に気付かれてしまうかもしれないからだ。
(次の満月まで、あと五日ね)
 五日後、夜の明ける頃までに、葉子は祠へ赴き彼の巫女の玉を割らなければならない。

「それじゃあ、行ってくるよ」
「行ってらっしゃいませ」
 夕餉を終えると、葉子は軍服に着替えた碧高を見送った。それから湯浴みを終えると、部屋の布団に横になる。
 庭で遊んでいたギーグが枕元にやって来て、丸くなった。きっと良い餌をもらったのだろう。背の羽が、心なしか艷やかに見える。
 葉子はその背を撫でながら、碧高のことを考えていた。
(もしこのまま、この場所にずっといられたら。私は、幸せになれるかしら?)
 穏やかに過ぎた今日を思い起こしてそう思ったけれど、すぐに無理だと思い直した。
 葉子が動かなければ、華子が怪しむ。華子が怪しめば、葉子が何もしていないことは、直ぐに登喜和家に露見してしまう。
 そうなったら最後、待っているのは地獄だ。
(きっと、彼の巫女の玉を割れば、私は登喜和家で少しはましな扱いをさせてもらえるはず)
 胸が痛んだけれど、葉子はぎゅっと目をつむりそれをたえた。