巫女の結婚式は、内々で小さく行われる。白無垢に身を包んだ葉子は、赤い盃を手にしていた。
御神酒が注がれると、隣で羽織袴に身を包んだ碧高が、葉子のものと同じ盃に口をつける。
三献の儀。これが終われば、葉子は碧高と夫婦の契りを交わしたことになる。
大きな盃の御神酒を三度口に運び終えた時、葉子はちらりと碧高の様子を伺った。
目が合い、にこりと微笑まれる。その笑みにどきりと胸が鳴り、葉子は慌てて目線を元に戻した。
胸が鳴ったのは、きっと背後から感じる圧のせいだ。母と華子が、葉子の様子を伺っている。
(絆されてはだめよ。私の使命は、彼の巫女の玉を砕くこと)
葉子は儀を終え、碧高と共に体ごと後ろを振り返る。
少ない人数の両家の者のどちらもが、腹の中の読めない笑みをこちらに向けていた。
碧高と契りを交わした葉子は、もう今は瑞祥家の人間だ。
瑞祥は帝都の外れに大きな屋敷を構えている。登喜和家の屋敷は帝都でも中央部にあるから、大きな森の中に佇むこの屋敷は、まるで別世界のようだと葉子は感じた。
「ここが、私たちの部屋だよ」
碧高に案内されたのは、中庭に面した和室だった。
必要なものは全て彼が揃えてくれたらしい。部屋内には鏡台、文机など、必要そうなものがひと通りそろっている。
だけど葉子は一番に、縁側の向こうの庭に目を奪われた。その美しい庭には、縁側から直接下りることができる。
「ここなら、その雄鶏くんも元気に暮らせるだろう?」
碧高は、葉子の腕の中にいるギーグを見てそう言った。
ギーグは葉子の心の支えだ。連れてきても良いか尋ねたら、『大切な友ならぜひとも』と碧高が了承してくれたのだ。
「ありがとうございます、碧高様」
葉子はそっと、ギーグを庭に放した。芝の向こうには可憐な花々が咲き、その向こうには大きな木が新緑の葉を揺らしている。
「ぎぐ、ぐえっ」
ギーグはさっそく、そこにあった小石をついばみ、上を向いて飲み込んだ。
「それは……!」
碧高が慌てて素足のまま庭に飛び出そうとするから、葉子は思わずくすりと笑った。
「大丈夫ですよ、碧高様。いつものことですから」
葉子がそう言うと同時に、ギーグは石をぺっと吐き出す。それを見て、碧高はほっと安堵の息をついた。
思っていたよりもずっと、和やかな時間だ。彼は軍人ではあるが、顔見世の会の時に感じたように、優しくておおらからしい。
夕暮れに紅く染まる庭と、そこを歩き回るギーグ。ぼうっと眺めていると、碧高が縁側に腰を下ろした。
「君も座りな」
「はい」
促され、葉子は碧高から二歩ほど離れて正座をした。
「君はなぜ、この家に来るのを承諾したんだい?」
「それは……」
いきなりの核心を突く質問に、葉子はしどろもどろなってしまう。
その時、ギーグがまた変な風に鳴いたので、碧高はくすりと笑った。
「意地悪な質問だったね。きっと、才を持たない君が選べる状況じゃなかったんだろう。私と、同じだ」
「え?」
葉子は思わず彼を見た。夕日に照らされた紅い横顔は、どこか憂いと儚さを感じさせる。
「私も異端だからね。特別な何かを持っていないと、巫女の家系では生きていけない。だから私は、軍人になる道を選んだんだ。巫女の才があると知られてからは、軍の仲間は皆、私を気持ち悪がるけどね」
彼はそこまで言うと、自嘲するような笑みを浮かべる。それから、葉子を振り向いた。
「君は、嫌と言えずに私との結婚を強いられた。そうなんじゃないか?」
碧高の儚い瞳に見つめられ、葉子の胸はどくりと騒いだ。
彼は、私と似ているのかも知れない。
思わず同情しかけるが、葉子はここに来た使命を思い出し、ふるふると頭振った。
すると、碧高は庭に目をやった。ギーグがまた、小石をついばんでいる。
「何にせよ、私は君がこの結婚を受け入れてくれて嬉しいよ。瑞祥と登喜和が交われば、より強固な巫女が生まれる。怪異から帝都を守るには、巫女の力は不可欠だからね」
「あの」
葉子は思わず口を挟んだ。
「碧高様は、ご自身の力で帝都を守ろうとは思わないのですか?」
葉子の頭にあるのは、華子の姿だ。この帝都は自分が守ると、彼女は明言していた。
そして、顔見世の会で見た、碧高の実力。彼ほどの力があれば、ひとりでも容易にこの世を守り抜くことができると思う。
「たとえ私ひとりで守れたとしても、今の代だけだ。次の代がいなければ、いずれ守りたくても守れなくなる。怪異も賢いからね。やつらはどんどん強くなっている」
碧高は一瞬視線を落としたが、「ぐえっ」というギーグの鳴き声に顔を上げ、けらけら笑った。
「そろそろ夕餉の時間かな。早々で申し訳ないんだけれど、私は今晩から任務があってね。軍の宿舎に泊まるから、しばらくは君ひとりでここで寝泊まりしてほしい。昼間は、自由に過ごしてくれて構わないよ」
碧高はそう言って立ち上がる。葉子も慌てて立ち上がった。
「あの、ひとつだけ」
勇気を奮い、口を開く。
「なんだい?」
振り返った碧高の優しい顔に、一瞬ためらいが生まれた。だけど、葉子は意を決し、胸元からお守り袋を取り出した。
「私の〝巫女の玉〟を、瑞祥家の神棚に置いてはもらえませんか?」
粉々に砕けてしまったけれど、元は巫女の玉。置くべき場所は、ひとつだ。
それに、葉子は瑞祥の神棚の位置を知らなければならない。華子に与えられた、あの使命を実行するために。
葉子は揺れそうな本心を隠し、じっと碧高を見つめる。
「分かったよ。ついておいで」
碧高は優しい笑みを崩さずそう言うと、部屋の襖をそっと開けた。
「ぐえ!」
いきなり、ギーグが大きな声で鳴き、こちらに飛ぶようにやってきた。
「ギーグ、だめよ。あなたの居場所は、この部屋の中かお庭だけ。お屋敷内をうろつかれて、瑞祥家の大切なものを飲み込んだら大変だもの」
葉子はそう言ったけれど、ギーグは首を傾げるだけだ。
葉子はしゃがんでギーグの背を撫で、「待っていてね」と言い聞かせた。言っても無駄かもしれないけれど。
「なあ、君は――」
碧高がそう言ったので、葉子は慌てて立ち上がり彼を振り向いた。
「大丈夫です、きっと伝わりました!」
――鶏に言葉が通じると思っているのか?
そう言われるような気がしたのだ。
すると碧高はけらけら笑って、襖の向こうへと足を向ける。
ギーグは利口なことに、それ以上葉子たちについては来なかった。
御神酒が注がれると、隣で羽織袴に身を包んだ碧高が、葉子のものと同じ盃に口をつける。
三献の儀。これが終われば、葉子は碧高と夫婦の契りを交わしたことになる。
大きな盃の御神酒を三度口に運び終えた時、葉子はちらりと碧高の様子を伺った。
目が合い、にこりと微笑まれる。その笑みにどきりと胸が鳴り、葉子は慌てて目線を元に戻した。
胸が鳴ったのは、きっと背後から感じる圧のせいだ。母と華子が、葉子の様子を伺っている。
(絆されてはだめよ。私の使命は、彼の巫女の玉を砕くこと)
葉子は儀を終え、碧高と共に体ごと後ろを振り返る。
少ない人数の両家の者のどちらもが、腹の中の読めない笑みをこちらに向けていた。
碧高と契りを交わした葉子は、もう今は瑞祥家の人間だ。
瑞祥は帝都の外れに大きな屋敷を構えている。登喜和家の屋敷は帝都でも中央部にあるから、大きな森の中に佇むこの屋敷は、まるで別世界のようだと葉子は感じた。
「ここが、私たちの部屋だよ」
碧高に案内されたのは、中庭に面した和室だった。
必要なものは全て彼が揃えてくれたらしい。部屋内には鏡台、文机など、必要そうなものがひと通りそろっている。
だけど葉子は一番に、縁側の向こうの庭に目を奪われた。その美しい庭には、縁側から直接下りることができる。
「ここなら、その雄鶏くんも元気に暮らせるだろう?」
碧高は、葉子の腕の中にいるギーグを見てそう言った。
ギーグは葉子の心の支えだ。連れてきても良いか尋ねたら、『大切な友ならぜひとも』と碧高が了承してくれたのだ。
「ありがとうございます、碧高様」
葉子はそっと、ギーグを庭に放した。芝の向こうには可憐な花々が咲き、その向こうには大きな木が新緑の葉を揺らしている。
「ぎぐ、ぐえっ」
ギーグはさっそく、そこにあった小石をついばみ、上を向いて飲み込んだ。
「それは……!」
碧高が慌てて素足のまま庭に飛び出そうとするから、葉子は思わずくすりと笑った。
「大丈夫ですよ、碧高様。いつものことですから」
葉子がそう言うと同時に、ギーグは石をぺっと吐き出す。それを見て、碧高はほっと安堵の息をついた。
思っていたよりもずっと、和やかな時間だ。彼は軍人ではあるが、顔見世の会の時に感じたように、優しくておおらからしい。
夕暮れに紅く染まる庭と、そこを歩き回るギーグ。ぼうっと眺めていると、碧高が縁側に腰を下ろした。
「君も座りな」
「はい」
促され、葉子は碧高から二歩ほど離れて正座をした。
「君はなぜ、この家に来るのを承諾したんだい?」
「それは……」
いきなりの核心を突く質問に、葉子はしどろもどろなってしまう。
その時、ギーグがまた変な風に鳴いたので、碧高はくすりと笑った。
「意地悪な質問だったね。きっと、才を持たない君が選べる状況じゃなかったんだろう。私と、同じだ」
「え?」
葉子は思わず彼を見た。夕日に照らされた紅い横顔は、どこか憂いと儚さを感じさせる。
「私も異端だからね。特別な何かを持っていないと、巫女の家系では生きていけない。だから私は、軍人になる道を選んだんだ。巫女の才があると知られてからは、軍の仲間は皆、私を気持ち悪がるけどね」
彼はそこまで言うと、自嘲するような笑みを浮かべる。それから、葉子を振り向いた。
「君は、嫌と言えずに私との結婚を強いられた。そうなんじゃないか?」
碧高の儚い瞳に見つめられ、葉子の胸はどくりと騒いだ。
彼は、私と似ているのかも知れない。
思わず同情しかけるが、葉子はここに来た使命を思い出し、ふるふると頭振った。
すると、碧高は庭に目をやった。ギーグがまた、小石をついばんでいる。
「何にせよ、私は君がこの結婚を受け入れてくれて嬉しいよ。瑞祥と登喜和が交われば、より強固な巫女が生まれる。怪異から帝都を守るには、巫女の力は不可欠だからね」
「あの」
葉子は思わず口を挟んだ。
「碧高様は、ご自身の力で帝都を守ろうとは思わないのですか?」
葉子の頭にあるのは、華子の姿だ。この帝都は自分が守ると、彼女は明言していた。
そして、顔見世の会で見た、碧高の実力。彼ほどの力があれば、ひとりでも容易にこの世を守り抜くことができると思う。
「たとえ私ひとりで守れたとしても、今の代だけだ。次の代がいなければ、いずれ守りたくても守れなくなる。怪異も賢いからね。やつらはどんどん強くなっている」
碧高は一瞬視線を落としたが、「ぐえっ」というギーグの鳴き声に顔を上げ、けらけら笑った。
「そろそろ夕餉の時間かな。早々で申し訳ないんだけれど、私は今晩から任務があってね。軍の宿舎に泊まるから、しばらくは君ひとりでここで寝泊まりしてほしい。昼間は、自由に過ごしてくれて構わないよ」
碧高はそう言って立ち上がる。葉子も慌てて立ち上がった。
「あの、ひとつだけ」
勇気を奮い、口を開く。
「なんだい?」
振り返った碧高の優しい顔に、一瞬ためらいが生まれた。だけど、葉子は意を決し、胸元からお守り袋を取り出した。
「私の〝巫女の玉〟を、瑞祥家の神棚に置いてはもらえませんか?」
粉々に砕けてしまったけれど、元は巫女の玉。置くべき場所は、ひとつだ。
それに、葉子は瑞祥の神棚の位置を知らなければならない。華子に与えられた、あの使命を実行するために。
葉子は揺れそうな本心を隠し、じっと碧高を見つめる。
「分かったよ。ついておいで」
碧高は優しい笑みを崩さずそう言うと、部屋の襖をそっと開けた。
「ぐえ!」
いきなり、ギーグが大きな声で鳴き、こちらに飛ぶようにやってきた。
「ギーグ、だめよ。あなたの居場所は、この部屋の中かお庭だけ。お屋敷内をうろつかれて、瑞祥家の大切なものを飲み込んだら大変だもの」
葉子はそう言ったけれど、ギーグは首を傾げるだけだ。
葉子はしゃがんでギーグの背を撫で、「待っていてね」と言い聞かせた。言っても無駄かもしれないけれど。
「なあ、君は――」
碧高がそう言ったので、葉子は慌てて立ち上がり彼を振り向いた。
「大丈夫です、きっと伝わりました!」
――鶏に言葉が通じると思っているのか?
そう言われるような気がしたのだ。
すると碧高はけらけら笑って、襖の向こうへと足を向ける。
ギーグは利口なことに、それ以上葉子たちについては来なかった。



