神の領域とされる、帝都中央の林に囲まれた場所。一般人は立ち入ることのできないその場所で、顔見世の会は開かれる。
広い敷地に白い帳幕が張られ、その中に帝、軍の幹部、それから巫女家それぞれに三方幕が与えられる。
華子は由緒正しき巫女の格好をして、登喜和家の幕の中央前列に堂々と座っている。一方葉子は、皆の迷惑にならぬよう、後方の隅にちょこんと腰を下ろした。
だけど、そんな端のほうにいても、今日はやたらと登喜和家がざわついているのを感じていた。
巫女の名家のひとつ、登喜和家と同じほどの力を持つ瑞祥家の幕の前列に、軍の服に身を包んだ青年が座っていたのだ。
「あそこは巫女の場所でしょうに。軍人様を座らせるとは、瑞祥家はもう巫女を産む気もないのかしらね」
「仕方ないさ、瑞祥家はこのところ、男児しか生まれないと聞く。諦めたのかも知れないねえ」
あちらこちらから瑞祥家をせせら笑う声が聞こえた。
巫女になるには巫女の玉を持って生まれてくる必要がある。しかし、巫女の家系は代々女児しか巫女の玉をもって生まれてこない。
瑞祥家は優秀な名家だが、女児が生まれないとなると、巫女の世界では無能も同意だ。
「でもだからって、軍人様を、ねえ」
趣味が悪いと言いたげな登喜和家一同は、声をひそめてくすくす笑った。
きっと彼らは、瑞祥家はこのまま落ちぶれていくのに我慢ならず、巫女と婚姻を結ばせようと、身内の男児から軍の人間を育て上げたと思っているのだろう。
顔見世の会は、帝も出席する神聖な場だ。ここで婚姻相手を探そうとは、下衆の考えである。
しかし、葉子には違って見えた。
柔らかく凛とした表情をした彼は、軍の人間にも関わらず体の線が細い。軍隊といえば鍛えている強者ばかりな印象であるし、現に軍の三方幕内にいる人たちはそういう殿方だらけである。
(彼は一体、誰なのかしら)
不思議に思っていると、帝が現れ厳粛な雰囲気に包まれる。顔見世の会が、始まった。
各々の家の巫女が、巫女の玉を握り祝詞を唱え、軍の作り上げた模擬怪異を倒してゆく。
模擬怪異とは、怪異の形を模したかかしのようなもので、帝の力で動いている。色とりどりに塗られた木製の模擬怪異は、幼い頃に見た絵本に出てくる鬼に似ている。
最後から二番目に充てがわれた登喜和家は、他の家々を凌駕した。模擬怪異の動きを抑えるだけでせいいっぱいの他の巫女に比べ、華子の力は凄まじい。
土を隆起させ、巨木を生やし、蔦を使って怪異の動きを封じる。軍の援護なしでも、直接触れることなく次々と怪異を消滅させてゆく。
「さすが華子だわ!」
母が笑みを浮かべ、叫ぶ。他の家々の巫女たちも、羨望の眼差しで華子を見つめていた。
もちろん、葉子もそのひとりだ。
もしかしたら、自分にもあんな未来があったかもしれない。そんな想いが胸をよぎったけれど、腰袋に入れた巫女の玉〝だったもの〟の入ったお守り袋を握るにとどめた。
巫女の道を絶ったのは、葉子自身だ。
肩を落としたが、葉子はもう一度華子の活躍を目に焼き付けようと顔を上げた。
帝に〝戦える巫女〟として認められれば、もう顔見世の会での模擬戦は行わない。華子が実際に軍と共に戦うようになれば、葉子はもう華子の活躍を見ることは叶わない。
心が痛んだけれど、葉子はそれに気が付かないふりをした。
(私を、帝都を守ってくださる華子様のご活躍。しかと目に焼き付けなきゃ)
しかし、そんな葉子の目に飛び込んできたのは、良く見知った顔だった。
「ギーグ!」
なぜか、顔見世の会の会場内に、ギーグがいたのだ。一体どこからついてきていたのだろう。
「変な怪異がいるわね」
華子はそう言うと、視線をギーグに定めた。
「だめ、その子は怪異じゃない!」
華子の術に打たれては、ギーグは生きてはいられない。大切な友を庇おうと、葉子はまだ熱戦の繰り広げられている広場内へ駆け出した。
無我夢中でギーグを拾い上げ、その胸の中に抱きしめる。
「よかった、ギー――」
その瞬間、葉子の真下から土の壁が現れた。どうやら、華子の呪術らしい。
葉子の体はギーグもろとも、空に投げ出される。
(ああ、だめ。こんなに高く飛んだら――)
葉子は目をつむり、心の中で祈った。
〝神様、こんな阿呆な私たちを、どうかお助けください〟
その瞬間、葉子の体が優しく光った。ふわりとした風に包まれる。温かさに包まれている感覚がして、葉子はそっと目を開けた。
目の前にいた者と瞳が重なる。葉子は思わず目を見開いた。
「怪我はないかい、登喜和家のお嬢様」
葉子はギーグを抱いたまま、瑞祥家のあの軍人の腕の中にいたのだ。
優しそうな瞳。はたから見ていた時よりもずっと男性らしい筋肉質な腕が、葉子を抱いている。
「あ、あの、えっと……」
何が起きたのだろう。
そう思うと同時に、自分が今、男性の腕に抱かれているという事実に気が動転し、葉子は目をしばたたくことしかできない。
葉子は男性に触れられたことなど、一度もない。ましてや、こんな年頃の男性の腕の中なんて。
どぎまぎしていると、男は一度くすりと笑い、口を開いた。
「君もその雄鶏も無事でよかった。雄鶏は、神の使いだからね」
誰にも向けられたことのない優しい笑みに、葉子の胸はひときわ大きく鳴った。
「さすが瑞祥家、男巫女の力がこれほどとは」
口を開いたのは帝だ。
会場全員の視線が帝に向けられる。帝はその眉目秀麗な顔を、満足そうに和らげていた。
次の瞬間、会場全員の視線が、もう一度彼に向く。葉子ももちろん、その一人だ。
「おとこ、みこ……」
そんなの、聞いたことも見たこともない。
葉子が口の中でそう呟くと、男は朗らかに葉子に笑いかけ、自身の左側に優しく下ろした。
それからそっと立ち上がり、丁寧な所作でお辞儀をする。
「初めてお目にかかります。瑞祥家初の男巫女、瑞祥碧高と申します」
会場全体が静寂に包まれる。
しかし一瞬の沈黙の後、どこかしこから「男巫女」という疑問や疑念の声が聞こえた。
「巫女の家の者たちよ、静まれ。瑞祥家の巫女殿の手腕、しかと見せてもらおう」
帝がそう言って、意味深な笑みを碧高に向けた。
広い敷地に白い帳幕が張られ、その中に帝、軍の幹部、それから巫女家それぞれに三方幕が与えられる。
華子は由緒正しき巫女の格好をして、登喜和家の幕の中央前列に堂々と座っている。一方葉子は、皆の迷惑にならぬよう、後方の隅にちょこんと腰を下ろした。
だけど、そんな端のほうにいても、今日はやたらと登喜和家がざわついているのを感じていた。
巫女の名家のひとつ、登喜和家と同じほどの力を持つ瑞祥家の幕の前列に、軍の服に身を包んだ青年が座っていたのだ。
「あそこは巫女の場所でしょうに。軍人様を座らせるとは、瑞祥家はもう巫女を産む気もないのかしらね」
「仕方ないさ、瑞祥家はこのところ、男児しか生まれないと聞く。諦めたのかも知れないねえ」
あちらこちらから瑞祥家をせせら笑う声が聞こえた。
巫女になるには巫女の玉を持って生まれてくる必要がある。しかし、巫女の家系は代々女児しか巫女の玉をもって生まれてこない。
瑞祥家は優秀な名家だが、女児が生まれないとなると、巫女の世界では無能も同意だ。
「でもだからって、軍人様を、ねえ」
趣味が悪いと言いたげな登喜和家一同は、声をひそめてくすくす笑った。
きっと彼らは、瑞祥家はこのまま落ちぶれていくのに我慢ならず、巫女と婚姻を結ばせようと、身内の男児から軍の人間を育て上げたと思っているのだろう。
顔見世の会は、帝も出席する神聖な場だ。ここで婚姻相手を探そうとは、下衆の考えである。
しかし、葉子には違って見えた。
柔らかく凛とした表情をした彼は、軍の人間にも関わらず体の線が細い。軍隊といえば鍛えている強者ばかりな印象であるし、現に軍の三方幕内にいる人たちはそういう殿方だらけである。
(彼は一体、誰なのかしら)
不思議に思っていると、帝が現れ厳粛な雰囲気に包まれる。顔見世の会が、始まった。
各々の家の巫女が、巫女の玉を握り祝詞を唱え、軍の作り上げた模擬怪異を倒してゆく。
模擬怪異とは、怪異の形を模したかかしのようなもので、帝の力で動いている。色とりどりに塗られた木製の模擬怪異は、幼い頃に見た絵本に出てくる鬼に似ている。
最後から二番目に充てがわれた登喜和家は、他の家々を凌駕した。模擬怪異の動きを抑えるだけでせいいっぱいの他の巫女に比べ、華子の力は凄まじい。
土を隆起させ、巨木を生やし、蔦を使って怪異の動きを封じる。軍の援護なしでも、直接触れることなく次々と怪異を消滅させてゆく。
「さすが華子だわ!」
母が笑みを浮かべ、叫ぶ。他の家々の巫女たちも、羨望の眼差しで華子を見つめていた。
もちろん、葉子もそのひとりだ。
もしかしたら、自分にもあんな未来があったかもしれない。そんな想いが胸をよぎったけれど、腰袋に入れた巫女の玉〝だったもの〟の入ったお守り袋を握るにとどめた。
巫女の道を絶ったのは、葉子自身だ。
肩を落としたが、葉子はもう一度華子の活躍を目に焼き付けようと顔を上げた。
帝に〝戦える巫女〟として認められれば、もう顔見世の会での模擬戦は行わない。華子が実際に軍と共に戦うようになれば、葉子はもう華子の活躍を見ることは叶わない。
心が痛んだけれど、葉子はそれに気が付かないふりをした。
(私を、帝都を守ってくださる華子様のご活躍。しかと目に焼き付けなきゃ)
しかし、そんな葉子の目に飛び込んできたのは、良く見知った顔だった。
「ギーグ!」
なぜか、顔見世の会の会場内に、ギーグがいたのだ。一体どこからついてきていたのだろう。
「変な怪異がいるわね」
華子はそう言うと、視線をギーグに定めた。
「だめ、その子は怪異じゃない!」
華子の術に打たれては、ギーグは生きてはいられない。大切な友を庇おうと、葉子はまだ熱戦の繰り広げられている広場内へ駆け出した。
無我夢中でギーグを拾い上げ、その胸の中に抱きしめる。
「よかった、ギー――」
その瞬間、葉子の真下から土の壁が現れた。どうやら、華子の呪術らしい。
葉子の体はギーグもろとも、空に投げ出される。
(ああ、だめ。こんなに高く飛んだら――)
葉子は目をつむり、心の中で祈った。
〝神様、こんな阿呆な私たちを、どうかお助けください〟
その瞬間、葉子の体が優しく光った。ふわりとした風に包まれる。温かさに包まれている感覚がして、葉子はそっと目を開けた。
目の前にいた者と瞳が重なる。葉子は思わず目を見開いた。
「怪我はないかい、登喜和家のお嬢様」
葉子はギーグを抱いたまま、瑞祥家のあの軍人の腕の中にいたのだ。
優しそうな瞳。はたから見ていた時よりもずっと男性らしい筋肉質な腕が、葉子を抱いている。
「あ、あの、えっと……」
何が起きたのだろう。
そう思うと同時に、自分が今、男性の腕に抱かれているという事実に気が動転し、葉子は目をしばたたくことしかできない。
葉子は男性に触れられたことなど、一度もない。ましてや、こんな年頃の男性の腕の中なんて。
どぎまぎしていると、男は一度くすりと笑い、口を開いた。
「君もその雄鶏も無事でよかった。雄鶏は、神の使いだからね」
誰にも向けられたことのない優しい笑みに、葉子の胸はひときわ大きく鳴った。
「さすが瑞祥家、男巫女の力がこれほどとは」
口を開いたのは帝だ。
会場全員の視線が帝に向けられる。帝はその眉目秀麗な顔を、満足そうに和らげていた。
次の瞬間、会場全員の視線が、もう一度彼に向く。葉子ももちろん、その一人だ。
「おとこ、みこ……」
そんなの、聞いたことも見たこともない。
葉子が口の中でそう呟くと、男は朗らかに葉子に笑いかけ、自身の左側に優しく下ろした。
それからそっと立ち上がり、丁寧な所作でお辞儀をする。
「初めてお目にかかります。瑞祥家初の男巫女、瑞祥碧高と申します」
会場全体が静寂に包まれる。
しかし一瞬の沈黙の後、どこかしこから「男巫女」という疑問や疑念の声が聞こえた。
「巫女の家の者たちよ、静まれ。瑞祥家の巫女殿の手腕、しかと見せてもらおう」
帝がそう言って、意味深な笑みを碧高に向けた。



