「違う、違う違う違う!」
 華子は怪異の消えた第三地区の端で、叫んだ。
 全て華子の手柄になるはすだった。それなのに。
「才なしのお姉様が、力を使うなんてあり得ない! 帝都を守るのは、この私なのに!」
 叫び、先ほどまで怪異がいた場所へと術を放った。地面が割れ、木々が焼ける。
「やめるんだ、登喜和!」
 碧高が叫ぶけれど、華子は止まらない。
「私が奪ったはずなのに! 粉々に砕いたはずなのに!」
 叫びながら、華子は血走った目でむしゃらに術を放つ。碧高は彼女の術を止めようと手をかざすが、力が切れて何もできない。
「帝都を壊す気か!」
 碧高の声など聞こえないかのように、華子の破壊行為は止まらない。
 その時、辺りに強いつむじ風が巻き起こり、砂ぼこりが立ちこめた。
 華子の動きが止まる。同時に、低く威厳のある声が辺りに響いた。
「登喜和家の新巫女は、怪異と同じ志なのか?」
 瞬間、華子の目から光が奪われた。声の主は帝だ。いつからそこにいたのか、凛とした姿で立っている。
 彼の手には、お守り袋が握られていた。朱色で、登喜和家の文様が入っている。あれは、華子の巫女の玉だ。
「力を無闇に使い、帝都を崩壊に導く。そなたの志は、巫女のそれにそぐわない」
 そう言うと、帝はその手にお守り袋を握り、そのまま隠した。
「これは我が預かる。しかと話してもらおうか。そなたの、戦術を」
 帝はひどく冷たい声でそう言うと、その鋭い眼光を華子に向けた。
「私は……一番になりたかっただけよ」
 華子はその場に膝をつき、力の使えなくなった自身の手のひらを見つめた。その表情は、絶望に満ちている。
「その欲望は、帝都には必要ない」
 帝が冷たく言い放った時、向こうから駆けてきた足音が華子の目の前でぴたりと止んだ。
「この役立たず!」
 聞こえたのは、母の声だ。戦いを終えた母も、ここに駆けつけたらしい。
 母は青筋を立て、振り上げた手で華子の頬を叩いた。ぱちん、と乾いた音が辺りに響く。
 華子は何も言い返さなかった。母にすがる気はない。憎いのはたったひとり。葉子だけだ。
「あいつのせいで、全てが狂ったじゃない」
 華子はぽつりとつぶやくが、その声も母が手を振り下ろす音にかき消されてしまう。
「才なし! お前なんか、育てなければ良かった!」
 母は叫び、再びその手を振り上げる。華子は母の言葉に、顔を歪めた。 
(結局、私も母の駒だったのね)
 生まれた家、才、美貌。恵まれた環境の下、一番は自分だと思い込んでいた。母より、帝よりも一番上になれると思っていた。
 ため息をこぼしかけたその時、母が急に狼狽えた。
 碧高の腕の中から立ち上がった葉子が、母の手を止めたのだ。
「頬に感じるのは、心の痛みです」
 華子ははっとして葉子を見つめた。彼女は震えながらも、目を見開いた母の腕をしっかりと掴んでいた。

 ***

  母の怒号が聞こえ、葉子は力を振り絞り、母の手を掴んだ。体が、そうしろと動いたのだ。
 頬を打たれても、痛むのは心だ。葉子はギーグがいたからそれに耐えられたけれど、華子には母しかいない。
「なによ、分かったような口をきかないで」
 華子がぽつりと言い捨てる。
 激昂の収まった母の腕を解くと、葉子は一度呼吸をして妹に向き合った。華子はそれでもなお、葉子を鋭く睨む。
 葉子は胸がぞわりと震えるのを感じたが、負けては駄目だとそっと口を開いた。
「華子様を助けたかったわけではありません。誰かが私と同じ想いをするのが、嫌だっただけです」
 胸に負った傷はなかなか癒えない。今の葉子には碧高がいてくれるが、華子には誰かがいてくれるのだろうか。
 じっと見つめていると、華子は心底嫌そうに顔を歪め、「けっ」と葉子から視線を逸らせた。
 だがその時、帝が再びその口を開いた。
「軍で改めて聞かせてもらおう。そなたの戦術と、その他の思惑についても」
 華子と母は軍に連行されてゆく。
「諦めないんだから」
 軍の車へ収容される瞬間、華子は誰にも聞こえない、だけど憎しみに満ちた声でそう呟いた。

 葉子は軍人に連れられてゆく登喜和の家族を、複雑な感情で見届けていた。
 過去の悪事も、いずれ暴かれるだろう。登喜和家はもう、没落していくかもしれない。
 思わずぶるりと体を震わせると、碧高がやってきて葉子の肩を抱いた。
「あまり落ち込まないで。君のそばには、私がいる」
 碧高を見上げる。彼は優しく、穏やかな笑みを向けてくれた。
「そうですね」
 葉子はそう言うと、一息ついてから続けた。
「あなたが、今の私の家族ですもんね」
 葉子は、瑞祥の人間だ。彼の笑みに、そのことを改めて胸に刻み込む。
「瑞祥家、あっぱれじゃ」
 見つめ合っていると、帝がそう言って笑った。途端に葉子の頬は熱くなり、つい目線を泳がせる。
 しかし、帝が急に深刻な空気を纏うから、葉子は背筋をしゃんとした。
「瑞祥葉子。よく聞きなさい」
 帝はそう前置きをすると、真剣な瞳で葉子を見た。神秘的な瞳。葉子は畏れ多くも、それをじっと見返した。
「帝都は今、かつてないほどの怪異の脅威に晒されている。そなたも見たあの状況が、断続的に続いているのじゃ。このままでは、帝都の滅亡ものっぴきならない」
 葉子はごくりと唾をのんだ。脳裏に、巨大で不気味な怪物の姿が浮かぶ。
「そなたの力を、貸してはくれぬか。帝都の、未来のために」
「私の力……」
 葉子はぽつりとこぼした。大きな力を使ったようだけれど、葉子自身は何をどうしてああなったかはよく分からない。
「そなたは、帝都を守るほどの力を秘めている。失われていたらしい、その力。帝都のために、尽くしてほしい」
 そんなことを言われても、自分が力を使いこなせるか分からない。
「ですがまだ、私には――」
「君のためなら、私は力を貸すのを惜しまないよ」
 葉子の言葉を遮り、碧高がそう言って微笑んだ。
「私に、できるでしょうか」
 そう言うと、碧高はすぐに口を開いた。
「できるさ、君なら」
「そうだとも」
 碧高と帝に背を押され、葉子はこぶしを握る。決意とともに、下げてしまった視線を上げた。
「精一杯、つとめさせてください」
 すると、帝がふっと優しく微笑む。彼はそのまま、道の向こうへと姿を消した。
「葉子、ありがとう。君の決意は、この帝都をきっと変えてくれる」
 碧高の笑みは、葉子に自信をくれる。
「はい。でも、不安です」
 ついぽつりとこぼすと、碧高はふわりと優しく笑って、唐突に葉子の唇に口づけた。
「大丈夫。君の隣には私がいる。私は、君の夫だからね」
 葉子が目を丸くしているうちに、碧高はそう言ってくすりと笑う。
 頬が熱い。初めての口づけに、葉子の心臓は早鐘を打つ。
「あ、あの……」
「私たちは夫婦だ。助け合い、愛し合って生きてゆきたい」
 碧高はそう告げると、満面の笑みで「嫌かい?」と葉子に首を傾げる。
「嫌だなんて、そんなはずありません!」
 想いのままに必死に告げると、碧高はくすりと笑って葉子をその胸に抱き寄せた。
 どきどきと胸が鳴る。緊張するけれど、心地よい。
「碧高様。これからもずっと、おそばにいさせてください」
 ついそう言うと、碧高は葉子を抱く腕に力を込める。
「もちろんだ。共に支え合い、帝都を守ってゆこう」
 碧高の言葉は、とんでもないことのようだ。でも、彼とならそれも実行できる気がする。
「はい」
 葉子がそう言ったとき、何かが葉子の腕をつんつんと突いた。
「ぐえっ、ぐえっへ!」
 ギーグだ。
「ギーグは、私に嫉妬してしまったのかな」
 碧高がそう言うと、葉子の頬は早急に熱くなる。しかし碧高はそれを厭わずに、ギーグの背を撫でた。
「もちろん、君も私たちの大切な家族だよ」
 それから、碧高はギーグもまとめて、葉子をぎゅっと抱きしめる。
 ――このお方と、永遠に共に。
 葉子は、帝都を守るのは自分で、このお方なのだと、自身に言い聞かせる。同時に押し寄せる幸福感を、たっぷりと胸に抱きしめた。
 この世の安泰を、この幸福を、永遠にと願って。

【終】