差し込む朝日で目が覚めます。わたくしは掛布を被り、朝日から自分の身を隠します。女中がわたくしを叩き起こしに来るまでもう少しの時間がありますから、今は朝というものから逃げていたいと思いました。

 朝は嫌いです。一日が始まるからです。朝になればわたくしは安らぎというものをすべて取り上げられ、女中に何を言われるのかと怯え、お父様とお母様が宝石欲しさに手を上げようとするのではないかと恐れ、英介がわたくしを跪かせようとするのではないかと、不安に思わなければなりませんでした。つまり、朝が来るのが怖いのです。
 一つひとつの悪意は束のようにわたくしの胸を刺し、杭を打ち込んでいくのですから、わたくしは歳を重ねるごとに夜の時間が長く続くことを望んでいったのでした。

 今日も夜まで耐えればピィ太の面倒を見ることが出来ます。昨日もなんとか夜まで悪意に飲まれても死ぬことはありませんでしたので、きっと今日も生きられると思い、わたくしは布団から抜け出しました。

 女中がわたくしを起こしに来る前に着替えを済ませ、髪を整えます。鏡にうつるわたくしの姿はとても醜く可愛げがありませんので、あまり見たくないのですが、身だしなみを整えるためには仕方ないのでした。

 わたくしの髪は物心がつく前に白く染まり、瞳の色は虹色を含んだ色に変わったそうです。それはまるで神やあやかしの類がわたくしにいたずらをしたかのようで、その頃わたくしの面倒を見てくれた女中を除いては、みな一様に気味悪がりました。
 ただひとりだけ、わたくしの髪と瞳を美しいと言って頭を撫でてくれましたが、その人はお父様が首を切ってしまいましたので、もう傍にはいません。わたくしの傍にいるのはわたくしを気味悪がり、そして同時に富のために期待をする者だけです。お母様も女中も、わたくしに鏡を押し付けてはひとと違う容姿をあざ笑うため、わたくしもこの容姿が醜いものだと思うようになっていました。

 女中と同じような服を着て、布団を片付け、部屋を掃除していますと、廊下がにわかに騒がしくなり、女中たちが部屋に訪れました。それから文句のつけどころのない部屋に文句を言い、わたくしを外に引っ張り出しました。

 朝餉の支度をするだけだったのに何遍も文句を言われ、時折突き飛ばされました。棚の角に腕を擦り、痛みで涙が滲みますと、彼女らは爛々と光る眼でわたくしの目元をじっと見つめ、その涙が零れ落ちるところを待ち構えているのです。その様子に耐えかねたわたくしが涙を零しますと、彼女らはきゃらきゃらと笑って青色の宝石を拾い、お父様の元へと持っていくのでした。

 朝餉の間は、お茶がぬるいとお母様に湯呑のお茶をかけられ、お父様にこの程度のこともできないのかと叩かれました。
 溢れそうな涙を手で拭おうとすると、英介が手を伸ばしてきて、先にわたくしの涙を拭います。それから「姉さんは可哀そうだね」とちいさく笑って、サファイアと瑠璃をお父様に渡しました。

 わたくしのことを人だと思っていないならば、関わらないでくれればいいのに、お父様とお母様にとって、わたくしとは鉱山以上でも以下でもありません。英介にとっては玩具です。鉱山とは掘るものであり、玩具とは遊ぶものですから、皆わたくしをひとりにすることはなく、気が向くままにいたぶるのでした。

 朝餉が終われば掃除です。ここでもわたくしは散々に詰られ、やがてお父様が仕事場に、お母様がお茶会に、英介が学校に向かってから、少しだけ解放されました。夕方までは女中だけに怯えていればいいのです。たったそれだけの解放ではありましたが、いくらか気が楽になるのでした。

 ある程度の家事が終わり、女中がわたくしを虐めるのに疲れた頃、わたくしは英介の部屋にそっと入りました。
 英介はわたくしと違って学校に行っていますから、たくさんの書物と触れあうことが出来ていました。わたくしはそれらの本を、彼のいない間にこっそり読むのが好きでした。どうやら彼もわたくしが本を読んでいることに気が付いたらしく、わたくしが好んで読んでいたものはある時処分されてしまったのですが、家から出られないわたくしは本を読むことで世界を知ることが出来るので、どんな本でも読みました。やがて女中が気力を取り戻した頃にわたくしは本を仕舞い、また息の詰まる生活に戻るのです。

 昼餉の支度は、わたくしが作った味噌汁が捨てられたことを除いては平穏でした。捨てられた味噌汁がいつもよりうまくいったものだったので、勿体ないとは思いましたが、彼女らも食べるものが減ったので、そう思えば耐えられました。しかし後になってからつらい気持ちが湧き上がってきて、部屋に戻ってから泣きました。
 今すぐピィ太を抱きしめたいと思いました。わたくしの手をつついてもいいから、わたくしを慰めてほしいと思いました。小鳥にわたくしの気持ちを理解してほしいと言っても、きっと伝わることはないのでしょうけれど、ただ、わたくしの傍に、わたくしの心を傷つけない誰かがいてほしいだけなのです。
 夜になれば、夜になれば、と心の中で唱えて、行き場のない気持ちを慰めていましたが、いつの間にかわたくしは眠りに落ちていたようです。夕日が射す頃になって、お母様の悲鳴で目を覚ましました。

「英介、なんて汚いものを持っているの」
「何って、小鳥だよ。姉さんが飼い始めた」
「私は小鳥なんて飼って良いって言ってないわ」

 しかも何よその血だらけの翼は。汚いわ、とっとと捨ててしまいなさい。再び響く悲鳴にはっとして、慌てて下駄をつっかけてそこに向かいますと、洞の前で、英介がピィ太を摘まみあげていました。ピィ太もじたじたと翼を動かしますが、片翼の折れた彼は思うように動かせないようで、逃げ出せないでいました。

「え、英介。ピィ太を離してあげて。怪我をしているの」

 英介に歯向かったのは数年ぶりで、声が震えました。しかしピィ太はわたくしの大事な小鳥です。やすやすと手放すわけにはいきません。

「こんな鳥、手当するのは姉さんしかいないと思った」
「英介、鳥なんて汚いのよ。早く捨ててしまいなさい。大事な跡取りのお前がそんな汚いもの触るんじゃありません」

 英介が口の端をつりあげて、お母様を見て、それからわたくしを見ました。それは何かひどいことを企んでいる時の彼の顔であることを、わたくしは知っていました。
 英介が小鳥を地面に落とすよりも早く、わたくしは走り出します。手を離された小鳥が地面に落ちる寸前に、わたくしはピィ太の身体の下に手を伸ばしました。ざっと地面を滑ったわたくしの腕は砂で擦れ、痛みを訴えましたが、指先には、ちいさな命がしがみつくように乗っていました。

 身体を曲げ、その隙間にピィ太を隠しました。このままでは踏まれてしまうと思ったのです。ピィ太が英介に何かされていないかが不安でたまりませんでしたが、わたくしの見ていないところで怪我を負わせるのは、英介のやり方ではありません。
 これから彼はどうするつもりなのかと思い見上げますと、彼は微笑を浮かべ、わたくしの傍に座りました。それからわたくしの髪を撫で、顎にそっと手を添えます。

「その小鳥を僕に渡しておくれ。そうしたら父さんにも母さんにも、女中の皆にも、しばらくは姉さんを虐めないように言ってあげるよ」
「ピィ太をどうするつもりなの」
「野良猫の餌にでもしようかな。鳥でもいいね」
「それはだめ」
「じゃあ姉さんはずっとこのままでいいの」

 それはいや、細い声が洩れました。しかし、わたくしが虐げられているのはいつものことです。ピィ太を諦めてわたくしが数日の間救われたとしても、待っているのは今までと同じ地獄です。
 一度救われてしまえば、また同じ地獄に耐えることはできないでしょう。それならば、救いなどなくていいのです。同じ地獄を耐え続けることのほうが、いくらか良いように思うのです。それなら、わたくしが慈しんでいる小鳥を守って、拠り所にし続ける方が、よほど良いと、そう思いました。

「小鳥をちょうだい」
「嫌よ。この子だけはだめ」
「そう」

 英介の目から、ほんの少し表情が抜け落ちました。それから再び同じように口の端が吊り上がって、お母様を見ました。丸めた身体の間に手が無理やりに差し込まれ、その間から小鳥が掴まれたような気配がしました。わたくしが身体を丸める力を強くしても、彼が手を引き抜く力の方が強く、ピィ太は彼の元に渡ってしまいました。

「返して」
「英介、離しなさい、汚いわ」

 わたくしが膝立ちで彼の元に寄りますと、彼は片足をあげてわたくしの肩を抑えました。それからわたくしの目の前でピィ太を地面に落とし、わたくしを抑えていた足で、小鳥を踏みつけたのです。

 ぐしゃり。命がつぶれる音がしました。ぴぃと鳴く声を最後に、ピィ太は動かなくなりました。
 英介は最後にピィ太をさらに潰し、それからわたくしに見せつけるように足を離します。ピィ太が助かる見込みが捨てられず、わたくしは何か縋る思いでそこを見つめたのですが、彼の足の下には翼がひしゃげ、首が捻じれたピィ太がいました。じわりじわりと広がる血の海は、もう彼の命が戻ってこないことを示していました。

「そんな」

 わたくしはその場で崩れ、ピィ太の亡骸を抱き上げました。ピィ太、ピィ太。呼んでも彼は鳴きません。胸からこぼれた血をわたくしの手に垂らすだけです。そんな姿はわたくしの心に真っ暗な色を添えて、閉ざしました。
 心の底から溢れた何かは棘を持ち、わたくしの胸を刺し、涙がとめどなく溢れて、止まりませんでした。宝石に変わったそれが、血の海の上に落ちます。少しでも慰めになれば良いと願いましたが、もう彼には届かないのでした。

「姉さん」
「どうして。ひどいわ」
「父さんにも母さんにも言っておいてあげるよ。女中の皆にも」
「こんなことされても嬉しくないのよ」

 英介は小鳥の上に落ちた血まみれの宝石を拾い上げて、手の上で転がしました。お母様がわたくしから零れる宝石が血で汚れる前に拾い上げて、それから驚愕の声を零します。

「なんて色の濁った宝石なの」

 大切にしていた小鳥を殺された悲しみに寄り添うわけでもなく、お母様はただ宝石の心配だけをしていました。宝石が血と砂で汚れないように気を配り、その品質がひどいものであることを憂いているのです。

「これでは貧民にしか売れないじゃない」

 はあ、とため息をつき、お母様はせっせと宝石をかき集めます。それから血と砂で汚れたわたくしと膝に置かれた小鳥を見て「汚いだけの役立たず」と言いました。その言葉はまるでひどく叩かれた時と同じようにわたくしの心を打ち、心に苦しく重たいだけの何かを吊り下げていきました。
 わたくしはピィ太と一緒に消えてしまいたくなり、ピィ太を抱きしめて蹲ります。すると価値の低い宝石でも欲しいお母様がわたくしの髪を掴んで持ち上げ、英介が目の端から涙をすくっていくのでした。

 これほど苦しいことがあるでしょうか。舌を噛み切って死んでしまう方が、楽なのではないでしょうか。そうは思えどもわたくしにそんな勇気はなく、ただ真っ暗な中に身を落とすのでした。