ドレスの採寸、のために洋服屋の者たちがやってきたのですが、寝台に鎖に繋がれた女を見ても彼女たちは何も言わず、ただ憐れむような目でわたくしを見ただけでした。着物とは違い、洋服は身体にぴったり合わせて作るものらしく、身体のあちこちを測られていたのですが、その間英介は寝台に腰掛け、わたくしの身体がつくる線をじっと眺めていて、じっとりと背が汗ばみます。嫌な汗でした。

 こるせっと、やら、ばっするすたいる、など聞き慣れない単語がいくつも聞こえますが、ちっとも何の話をしているのかが分かりません。採寸された後は動く気力をなくして、部屋に置かれたものを見て気を紛らわしつつも、ただ座っていたのですが、英介にはわたくしが逃げる隙を伺っているように見えたようです。
 彼は途中からわたくしの腰のあたりに手を回し、いつでも抱きかかえられるようにしてきたので、ただ、下を向いて俯いていました。桜燐様のもとに輿入れする前よりも、ずっとひどい形で飼われてしまったのだと、その動作が伝えてくるようでした。ここでは自分の意思で生きることを許されず、ただ俯いて、彼らの嗜虐心を煽らないように、じっと俯いていることしかできないのです。それはあまりにも苦しく、つらいことのように思えました。

 逃げ出したい。そう、強く思いました。英介に口づけられた分、桜燐様に上塗りしてほしいと思いました。英介に触れられたり抓られたりした場所を、愛する人にやさしく触れてほしいと思いました。食事や湯あみのこともありますし、日に一度くらいは、鎖を解いてもらえることがあるかもしれません。
 椛田の家の外に抜け出せば、きっと、桜燐様が助けにきてくれます。そこまで逃げることが出来れば良いのだと思うと、なんだか勇気が湧いてくるようでした。桜燐様に会いたいと願うだけで、これまでの自分からは想像もできないほどの力が湧いてくるのです。きっと逃げ出してみせよう。英介に気が付かれないように拳を握り、そう心の中で誓いました。

「ドレスを作るほどのお金があるの?」
「姉さんが綺麗な宝石を作れるようになった、っていうのはもう聞いてるよ。宝石を売ったお金で払えるから平気さ」

 洋服屋の女たちがあれこれ布地について話し合っている前だというのに関わらず、英介はわたくしの唇を撫でました。たくさん泣いてね、とうっとりした様子で呟くものですから、背筋に冷たいものが走ったのですが、抵抗するようでは、彼が鎖を解いてくれないかもしれません。口づけを待っているように見えるように、大人しく目を閉じて彼の方を向けば、案の定彼の吐息が耳に響きました。

 幸い、桜燐様とは口づけを交わした後ですし、もう英介には唇を奪われた後ですから、せめて貞操さえ守れれば良いような気がしていました。口づけで彼を油断させられるのなら、少しくらい我慢しようと、唇の皮を噛むようにして這うそれを、耐えることにしました。

 やがて洋服屋の女たちが去り、入れ替わりに女中がやってきます。わたくしの嫁入り前から奉公していた彼女は、英介に籠絡されているわたくしを見て、軽蔑するような視線を向けてきました。食事だと冷ややかな声で伝えられ、英介は名残惜しそうにわたくしの唇を離し、寝台に繋いだ鎖の先を外すのでした。

 鎖の先を英介に持たれたまま、居間に向かいます。促されるまま席につきましたが、手足の鎖は外してもらえそうにありませんでした。

「翠子、久しぶりじゃあないか」

 お父様の声に顔を上げると、お母様を連れて、お父様が居間に入ってくるところでした。

「よく帰ってきたな」

 よく帰ってきたな、だなんて。わたくしは眠り薬を飲まされて、無理やりここに連れてこられたのです。まるで自分の足で望んで帰ってきたかのように喜ばれるのは、腑に落ちませんでしたが、ここでお父様を怒らせれば、それこそ逃げられなくなってしまいます。なんとか微笑みを浮かべ、「再び椛田のお役に立てるなら光栄にございます」と口にします。するとお父様は、上機嫌になり、声をあげて笑いました。
 これまで見たことないほどの機嫌の良さに驚いていると、英介はわたくしの肩に頭を乗せ、「約束通り、姉さんは僕がもらうからね」と言うのでした。

「うむ。好きにするが良い。それは気味が悪くて娘だとは思えん。叩いても犯しても一向に構わん」
「私のお腹から化け物が生まれちゃったなんて信じたくないもの。宝石さえ作れるのなら、何でも良いわ」

 お父様が豪快に笑い、お母様が上品に笑います。二人とも優しそうに笑っているのに、目だけはわたくしのことを冷ややかに見ているのは、気味が悪く思いました。
 きっと彼らは、凛が言い続けていた、嬉しいことのために出来る宝石の方が美しいという話を、信じることにしたでしょう。わたくしを大切にする気なんてひとつもないくせに、笑顔だけは向けてやろうと思っていることが伺えました。ああ、なんて冷たくて、自分勝手な人たちなのでしょう。

「翠子、箸が進んでいないぞ」
「好き嫌いはだめだって言ってるでしょ」

 彼らを騙して逃げるためには、ここに囚われていることを嫌がっていないと示す必要があることは分かっているのに、食欲が湧きません。一口ひとくちをどうにか飲み下しますが、ほんの少しで気持ちが悪くなってしまいました。立ち上がろうとすると、手枷を英介が掴みます。気持ちが悪いから厠に行かせてほしいと言うと、彼は渋々、立ち上がることを許してくれました。

 母屋を出て、厠に向かう途中で蹲りました。幸い、吐くほどの吐き気ではなくなっていたのですが、立つことが苦しく、視界に靄がかかるようです。暮れ始めている陽の光は眩しく、わたくしの目を鋭く刺します。見上げれば、赤々とした陽は空を橙色に染め、雲との境界をはっきりと際立たせていました。この空を、桜燐様と共に見たい。そう思いました。

「姉さん、部屋まで運んであげる。僕に捕まって」

 わたくしの肩と膝の裏に手を回すために、英介が鎖を手放しました。今だ、と思いました。

 残った力を振り絞って、英介を突き飛ばします。立つと視界が歪みましたが、これを逃せばいつ逃げられるか分かりません。足枷のせいでもつれながらも、門に向かって走ります。門まであともう少し、というところで、じゃらり、音が響きました。足枷から伸びる鎖を強く引かれ、派手に転んでしまいます。
 うぅ、と地面に転がるわたくしを起こし、彼はため息をつきました。

「これからは、鎖を外してあげない。食事も部屋で取る。身体は僕が綺麗にしてあげる。どうせ、ぐちゃぐちゃにするのは僕だし」

 砂で汚れたわたくしの頬を撫で、彼はわたくしを抱き上げようとします。

「やだ、いや。離して」
「姉さんは僕のものだって、今から教えるから。どれだけ泣いても、やめないよ」

 門まで、あと少しなのに。あと少しで、桜燐様の元に行けるのに。英介の胸を押すと、視界がぐるりと回って、仰向けに寝かされました。帯をとられ、腰紐をほどかれます。じたばたと暴れますが、露わになった肌に乱暴に触られて、声にならない悲鳴が零れました。

「いい。ここでする」
「桜燐様、おうりんさま」
「姉さんのかみさまは来ないって、言ってるでしょ」

 英介が嘲笑った時でした。かしゃん、軽い音が響きました。見れば宙を光り輝く粒子が舞っています。何のことかと英介が手を止めたとき、待ちわびていた声が、真っすぐに耳に飛び込んできました。

「翠子」

 涙を拭って、声のした場所を見上げると、傷だらけになった桜燐様が立っていました。裸を晒されているわたくしを呆然と見た後、みるみると怒りをそのかんばせに浮かべ、英介を見ます。

「俺の愛する妻を返してもらおう」
「どうやって、入ってこられた」
「お前が取引した者は殺した。塵となって消えたぞ。次は、お前だ」

 英介が飛びのくよりも早く、桜燐様が刀を振り下ろしました。それは英介の髪を掠め、何かを斬りました。すると彼の身体の中から靄が噴き出し、はらはらと消えていきます。靄の勢いが収まると、彼はぐったりと力を喪って、倒れました。

「おうりんさま」
「気を喪っただけだ。じきに目を覚ますだろう」

 彼は地面に転がされたわたくしを助け起こし、ぎゅっと抱きしめてくれました。それはずっと待っていた、やさしい温もりです。恐ろしかったことから解放されて、やっとどれだけ自分が怖い思いをしていたのかに気が付き、また、ほっとして、涙が止まりませんでした。彼はわたくしの背をあやすように撫で、もう離さないというように、きつく抱きしめるのです。

「助けるのが遅くなって、すまない」
「ぁ、わたくし、攫われても戻るって、言ったのに」
「怖かっただろう」
「こわかった、です」

 わたくしに口づけようとする彼は、わたくしが半分裸体でいるのを思い出し、胸が触れる感触がいつもと違うことに戸惑ったようでした。わたくしに着物を慌てて着せ、抱き上げてくれました。

「俺の考えが甘かったばかりに、お前に怖い思いをさせた」
「もう、助けてくれたなら、それで十分です」

 泣きじゃくるわたくしの額に口づけて、桜燐様は門を出ます。わたくしはもう椛田の屋敷と英介のことを見ないように、彼の胸にしがみつき、ただ泣き続けるのでした。

「凛とうめも無事だぞ。もう俺の屋敷についた頃だろう」
「よかった、ほんとうに、良かった」

 遅れて到着した桜庭の者が、鎖を外してくれます。軽くなった手足は、自由の証でした。

「帰ろう。翠子」



 屋敷につくと、桜庭の者たちに迎えられ、凛とうめさんに何度も頭を下げられました。凛は死んでお詫びすると言ってきかず、困ったのですが、無事でよかったと抱きしめると、わあわあ泣き出してしまいました。彼女も実の母親に眠り薬を飲まされて、利用され、随分苦しい思いをしたようでした。わたくしも桜燐様も、無事に戻ってきたから良いと言ったのですが、凛もうめさんも罰を与えられなければ気が済まないようでしたので、砂だらけになった着物を綺麗にするように言うと、二人ともすぐさま引き受けてくれました。

「お夕飯はみんなで美味しいものを食べましょうね」
「ええ、準備させていただきます」
「みんなも、わたくしのためにありがとう」

 皆へのお礼が済んだ頃、桜燐様に手を引かれ、寝室に連れていかれます。着物を部屋の外で待っていた凛さんに渡すと、彼は手早く襖を閉め、濡れた手ぬぐいで、わたくしの頬や腕を拭いてくれました。

「ああ、ひどい。傷ができている」
「転ばされた時のものですね。でも、すぐに治るかと」

 砂を拭き終わった彼が、そっと傷のついた腕を持ち上げて、恐る恐る舌を伸ばしました。傷口を撫でられる痛みとくすぐったさに、ふふと笑うと、彼は静かに顔を上げて、わたくしの唇に自らの唇を寄せました。彼の指が、わたくしの瞼をかすめます。

「こわくないか」
「いいえ。もっと、してほしいです」

 甘えた声で言い、彼の首に腕を回すと、耳たぶを甘く噛まれました。すると英介にされたことを思い出して、止まっていたはずの涙が、またぽろりと零れます。英介にされたことをぜんぶ、桜燐様にもしてほしい。出来た傷を埋めてほしい、桜燐様だけで満たしてほしい。そう懇願すると、彼は頷いて、わたくしの襦袢の紐をほどきました。

 わたくしの身体には、もうどうして傷になったのかも忘れてしまった傷跡がいくつもいくつも残っていました。唇に、首に、腹に、足に口づけながら、その傷が何なのかを尋ねられ、あるものは分からないと答え、あるものは鞭で打たれたのだと答えました。そうしているうちに、それらの傷がどうして出来たのかを思い出すようになり、涙が頬を伝います。

「あと、口の中を、えと」

 どう言葉にするか躊躇っていると、わたくしの足の傷の具合を確かめていた彼が、そっと唇に手を伸ばしてきました。口を開けると、舌を触られて、優しく引き出されて、彼の舌先がちろりと触れます。

「わたくし、もう、桜燐様以外の、誰のものにもなりたくない」
「お前は、俺のものだ」

 あいしている。彼は確かにそう言いました。その言葉はわたくしの傷を撫で、そっと心臓に染み込んでいくような、そんな優しさがありました。今日英介にされたことも、これまでに椛田の家でされたことも、すべてその言葉が溶かしてくれるような気がして、わたくしはもう一度、とねだります。

「愛している」
「わたくしも、お慕いしています」

 ぎゅうと彼の身体を抱きしめると、素肌はその温もりをよく伝えてくれました。穏やかな優しさに包まれて、幸せですと呟きました。