時折、幸せな夢を見ます。お父様がわたくしが外に出ることを許してくれる夢で、お母様がわたくしを抱きしめてくれる夢です。幸せな夢の中で二人はとても優しく、義弟の英介もまたわたくしに優しく、わたくしは同じ食卓を囲みながら笑うことが出来るのです。
覚えたばかりのロールキャベツなるものを失敗した時でさえ、彼等はわたくしの努力をたたえ、形の崩れたそれを許してくれるのでした。しかし幸せな夢とは現実で訪れないから幸せなのです。
皆はわたくしが望むように、現実で笑いかけてくれることはありません。わずかな温もりを与えてくれるのは、わたくしの涙から生まれた宝石が価値の高いものだった時だけです。だからこそ、その幸せな夢は悲しく、虚しく、わたくしは夢であることを呪うのでした。
目が覚めると、真っ暗な天井がわたくしを見下ろしていました。目元は乾いていましたが、目尻だけは濡れており、そこに先ほどまで涙があったことを示していました。
枕元に手探りで手を伸ばしますと固い粒がそこにいくつも転がっていて、指先を擦りました。それはわたくしの涙の数でした。
日輪の国、その都である暁都。その中央から外れたところにある桜台は宝石産業で栄えています。
わたくしが生まれる少し前までは、鉱山から紫水晶や黄水晶をはじめとする水晶、エメラルドなどが採れたそうで、昔から鉱山に入る者、宝石を研磨する者、装飾品に仕立て上げる者、売る者たちがいたそうです。
桜台の栄華は長いこと続いたそうです。しかし鉱山から掘り出せる宝石にも限りがあるもので。わたくしが生まれる少し前に鉱山は閉山となり、流通と加工を桜台の鉱山に依存していた彼等の多くが、食い扶持に困る事態となりました。その時ちょうど、お母様の胎に宿ったのがわたくしでした。
わたくしは涙が宝石に変わる病を持って生まれました。胎から産み落とされ、産声を上げた時、わたくしの涙は赤や緑をはじめとする宝石に変わったそうです。それを見たお母様は仰天し、わたくしを抱き上げることを拒みました。
お父様もまたわたくしを気味悪がり、産婆と女中たちにこのことを外に漏らさないようにと言ったそうです。それからお父様は宝石を拾い上げ、しげしげと観察しました。特に美しく輝くそれが翡翠だと分かると、打って変わってお父様は大喜びし、わたくしを「翠子」と名付けました。宝石を生む子、という意味だそうです。
わたくしの家は華族でありましたが、お母様が宝石屋の娘である都合で、宝石屋も営んでいました。その主人であるお父様は、わたくしが鉱山の代わりになると思ったようです。わたくしが生まれたことを家の者にしか伝えず、わたくしを家の中に閉じ込め、涙から生まれる宝石をすくいとるように女中に命じました。
生きるためにわたくしはお母様の母乳を求めたようですが、お母様はこれを拒みました。わたくしは牛の乳で育てられ、寂しい悲しい、抱いてほしいと泣いてはお母様に拒まれ、また泣きました。
女中のひとりがわたくしをあやしてくれたため、かろうじて愛の一切を知らぬ子にならずに済みましたが、その時からわたくしの心にはぽっかりと穴が開いたようになってしまったのです。
枕元の宝石をもう一度指先でなぞり、それから部屋の隅に置かれている箱に入れました。
宝石の種類は暗くてよくわかりませんが、薄闇でほのかに輝くのはわたくしの宝石である証です。何年か前と比べて色の濁り、くすんだ色しか示さなくなっているそれらですが、薄闇で放つ光だけはそのままです。
かつてはその光を眺めていると心が安らいだものですが、英介に人は宝石を陽光にかざして見るのが好きで、闇の中では眺めないと教えられてから、それらを眺めても心が休まらなくなりました。ただお父様によってお金に換えられるだけの、価値の低いものだと思うだけです。
これらを買う人にとってどのような価値があるものなのかは、わたくしには分かりません。価値があるにせよないにせよ、これらも朝になれば奉公人がお父様の元へ持っていき、それから職人たちの元に運ばれるのでしょう。わたくしの宝石は異国から取り寄せた宝石として、宝飾品に仕立て上げられているようですので、それらも同じ扱いを受けるに違いありませんでした。
宝石をすべて箱に入れて、わたくしはそっと部屋を抜け出しました。十二月の寒さは厳しく、縁側に出ただけで冷たい空気が肌を射ました。肩掛けを抱きしめて、しずしずと、ただし急いで庭のある場所に向かいます。
「ピィ太。ピィ太、いるかしら」
庭にはもう長いことあるらしい大木があるのですが、その洞に小鳥を隠していました。
近所の子どもが投げた石が運悪く当たったらしく、小鳥は小石と共に庭に落ちてきました。それはたまたまわたくしと女中しか家にいない時で、わたくしは女中の目を盗んで彼――雄なのか雌なのかわたくしには分かりませんでした――の手当をしました。
折れた翼を固定し、わたくしの食事から食べられそうなものを選んで分け与えました。治るまではわたくしが大切にしようと、英介やお母様、お父様の目に見つからないように、洞の中に隠したのです。
「ピィ太、ごはんよ。たんとお食べ」
鳥が何を食べるのか、わたくしにはよく分かりません。この鳥がなんという名前の鳥なのかも、わかりません。白飯やら鮭やらを与えていますが、それで正しいのかも分かりません。しかしピィ太はわたくしが与えたものをよく食べました。きっと良くなってねと願いを込めて、わたくしは彼の翼を撫で、彼に食べ物を与えました。
ほんとうは明るい時間に彼の元を訪れて、翼が良くなっているのか、それとも悪くなっているのかをきちんと確かめたかったのですが、昼の内は誰かかしらがわたくしを見張っています。
わたくしに付いている女中の仕事は、わたくしの世話をすることではなく、わたくしの涙から生まれる宝石をすべて取りあげることで、彼女たちのお給金は取り上げた宝石の数が多ければ多いほど増えるのだそうです。
彼女たちはお給金を増やすためにわたくしに意地悪をします。その意地悪はお父様とお母様と違って暴力的ではなく、英介と違って支配的ではなく、ただ陰湿でした。聞こえるか聞こえないかの声で陰口を言う、家事のできないわたくしに文句を言う時は必ず皆そろってわたくしを囲み、わたくしがどこがどのようにできないのかを懇切丁寧に、そして余計な悪口を添えて伝えてくるのでした。それからわたくしが大切にしていた本を切り刻む、思い出の品を壊すといった、確実にわたくしの心が傷つくようなことをしてくるのです。
ピィ太のことだって、見つかってしまえばどうなるかは分かりません。翼の折れたまま外に追い出されるかもしれないと思うと、彼女らに決して見つかってはいけないと思うのでした。
「また明日の晩来るわ」
最後に彼の翼を撫でると、ピィ太は「ぴぃ」と泣きました。
大切なものを作っても、奪われるか壊されるかのどちらかにしかならないのに、どうしてでしょう。大切なものを作り、それを拠り所にすることがやめられないのです。それはわたくしが空っぽで、何かに縋らなければ生きてはいけない寂しい人間だからなのかもしれませんし、人という生き物が皆そうなのかもしれませんでした。どちらにせよ、わたくしはピィ太がまた空を飛ぶようになることを夢見て、彼がこちらにすり寄るような気配に涙が出るほど安心して、また明日も会いに来ると誓うのです。
部屋に戻り、何事もなかったように布団にもぐります。人が抜け出していた布団は冷たくなっていて、しばらくの間かたかたと震えていましたが、やがてわたくしは眠りにつきました。
覚えたばかりのロールキャベツなるものを失敗した時でさえ、彼等はわたくしの努力をたたえ、形の崩れたそれを許してくれるのでした。しかし幸せな夢とは現実で訪れないから幸せなのです。
皆はわたくしが望むように、現実で笑いかけてくれることはありません。わずかな温もりを与えてくれるのは、わたくしの涙から生まれた宝石が価値の高いものだった時だけです。だからこそ、その幸せな夢は悲しく、虚しく、わたくしは夢であることを呪うのでした。
目が覚めると、真っ暗な天井がわたくしを見下ろしていました。目元は乾いていましたが、目尻だけは濡れており、そこに先ほどまで涙があったことを示していました。
枕元に手探りで手を伸ばしますと固い粒がそこにいくつも転がっていて、指先を擦りました。それはわたくしの涙の数でした。
日輪の国、その都である暁都。その中央から外れたところにある桜台は宝石産業で栄えています。
わたくしが生まれる少し前までは、鉱山から紫水晶や黄水晶をはじめとする水晶、エメラルドなどが採れたそうで、昔から鉱山に入る者、宝石を研磨する者、装飾品に仕立て上げる者、売る者たちがいたそうです。
桜台の栄華は長いこと続いたそうです。しかし鉱山から掘り出せる宝石にも限りがあるもので。わたくしが生まれる少し前に鉱山は閉山となり、流通と加工を桜台の鉱山に依存していた彼等の多くが、食い扶持に困る事態となりました。その時ちょうど、お母様の胎に宿ったのがわたくしでした。
わたくしは涙が宝石に変わる病を持って生まれました。胎から産み落とされ、産声を上げた時、わたくしの涙は赤や緑をはじめとする宝石に変わったそうです。それを見たお母様は仰天し、わたくしを抱き上げることを拒みました。
お父様もまたわたくしを気味悪がり、産婆と女中たちにこのことを外に漏らさないようにと言ったそうです。それからお父様は宝石を拾い上げ、しげしげと観察しました。特に美しく輝くそれが翡翠だと分かると、打って変わってお父様は大喜びし、わたくしを「翠子」と名付けました。宝石を生む子、という意味だそうです。
わたくしの家は華族でありましたが、お母様が宝石屋の娘である都合で、宝石屋も営んでいました。その主人であるお父様は、わたくしが鉱山の代わりになると思ったようです。わたくしが生まれたことを家の者にしか伝えず、わたくしを家の中に閉じ込め、涙から生まれる宝石をすくいとるように女中に命じました。
生きるためにわたくしはお母様の母乳を求めたようですが、お母様はこれを拒みました。わたくしは牛の乳で育てられ、寂しい悲しい、抱いてほしいと泣いてはお母様に拒まれ、また泣きました。
女中のひとりがわたくしをあやしてくれたため、かろうじて愛の一切を知らぬ子にならずに済みましたが、その時からわたくしの心にはぽっかりと穴が開いたようになってしまったのです。
枕元の宝石をもう一度指先でなぞり、それから部屋の隅に置かれている箱に入れました。
宝石の種類は暗くてよくわかりませんが、薄闇でほのかに輝くのはわたくしの宝石である証です。何年か前と比べて色の濁り、くすんだ色しか示さなくなっているそれらですが、薄闇で放つ光だけはそのままです。
かつてはその光を眺めていると心が安らいだものですが、英介に人は宝石を陽光にかざして見るのが好きで、闇の中では眺めないと教えられてから、それらを眺めても心が休まらなくなりました。ただお父様によってお金に換えられるだけの、価値の低いものだと思うだけです。
これらを買う人にとってどのような価値があるものなのかは、わたくしには分かりません。価値があるにせよないにせよ、これらも朝になれば奉公人がお父様の元へ持っていき、それから職人たちの元に運ばれるのでしょう。わたくしの宝石は異国から取り寄せた宝石として、宝飾品に仕立て上げられているようですので、それらも同じ扱いを受けるに違いありませんでした。
宝石をすべて箱に入れて、わたくしはそっと部屋を抜け出しました。十二月の寒さは厳しく、縁側に出ただけで冷たい空気が肌を射ました。肩掛けを抱きしめて、しずしずと、ただし急いで庭のある場所に向かいます。
「ピィ太。ピィ太、いるかしら」
庭にはもう長いことあるらしい大木があるのですが、その洞に小鳥を隠していました。
近所の子どもが投げた石が運悪く当たったらしく、小鳥は小石と共に庭に落ちてきました。それはたまたまわたくしと女中しか家にいない時で、わたくしは女中の目を盗んで彼――雄なのか雌なのかわたくしには分かりませんでした――の手当をしました。
折れた翼を固定し、わたくしの食事から食べられそうなものを選んで分け与えました。治るまではわたくしが大切にしようと、英介やお母様、お父様の目に見つからないように、洞の中に隠したのです。
「ピィ太、ごはんよ。たんとお食べ」
鳥が何を食べるのか、わたくしにはよく分かりません。この鳥がなんという名前の鳥なのかも、わかりません。白飯やら鮭やらを与えていますが、それで正しいのかも分かりません。しかしピィ太はわたくしが与えたものをよく食べました。きっと良くなってねと願いを込めて、わたくしは彼の翼を撫で、彼に食べ物を与えました。
ほんとうは明るい時間に彼の元を訪れて、翼が良くなっているのか、それとも悪くなっているのかをきちんと確かめたかったのですが、昼の内は誰かかしらがわたくしを見張っています。
わたくしに付いている女中の仕事は、わたくしの世話をすることではなく、わたくしの涙から生まれる宝石をすべて取りあげることで、彼女たちのお給金は取り上げた宝石の数が多ければ多いほど増えるのだそうです。
彼女たちはお給金を増やすためにわたくしに意地悪をします。その意地悪はお父様とお母様と違って暴力的ではなく、英介と違って支配的ではなく、ただ陰湿でした。聞こえるか聞こえないかの声で陰口を言う、家事のできないわたくしに文句を言う時は必ず皆そろってわたくしを囲み、わたくしがどこがどのようにできないのかを懇切丁寧に、そして余計な悪口を添えて伝えてくるのでした。それからわたくしが大切にしていた本を切り刻む、思い出の品を壊すといった、確実にわたくしの心が傷つくようなことをしてくるのです。
ピィ太のことだって、見つかってしまえばどうなるかは分かりません。翼の折れたまま外に追い出されるかもしれないと思うと、彼女らに決して見つかってはいけないと思うのでした。
「また明日の晩来るわ」
最後に彼の翼を撫でると、ピィ太は「ぴぃ」と泣きました。
大切なものを作っても、奪われるか壊されるかのどちらかにしかならないのに、どうしてでしょう。大切なものを作り、それを拠り所にすることがやめられないのです。それはわたくしが空っぽで、何かに縋らなければ生きてはいけない寂しい人間だからなのかもしれませんし、人という生き物が皆そうなのかもしれませんでした。どちらにせよ、わたくしはピィ太がまた空を飛ぶようになることを夢見て、彼がこちらにすり寄るような気配に涙が出るほど安心して、また明日も会いに来ると誓うのです。
部屋に戻り、何事もなかったように布団にもぐります。人が抜け出していた布団は冷たくなっていて、しばらくの間かたかたと震えていましたが、やがてわたくしは眠りにつきました。



