油断していた。
 きちんとスケジュールにも入れていたはずなのに。

「うそだろ……」

 クローズと札が裏返された扉の前で、咲也はは棒立ちになった。
 扉には内側から一枚の紙が貼られており、内容はいたってシンプル。

「今日臨時休業の日だったァー!!!」

 本日、喫茶ふなおかは店長雅の都合で臨時休業である。
 いつも温かく俺を迎える店内は照明が全て落ち、絵のうまい雅が描くブラックボード看板も店内にしまわれたままだ。明らかに店はやっておらず、人っ子一人いない。

「あ~やっちまった」

 頭をかきながら、スマホをいじる。早く連絡しなくては自分の二の舞になる。どうかまだ駅あたりにいてくれないか、という願いはかけられた声に打ち消された。

「シノさん?」
「あ」

 間に合わなかった。
 学校終わりだろう葵が、今まさに咲也のメッセージを開こうとしました、といった状態で立っていた。咲也の向こう、明らかに営業してない店内を見て訝しそうな顔をする。

「あれ、お店、なんで開いてないんです?」
「今日臨時休業なんだよ、すっかり忘れてた」
「あ!」
「お前も忘れてたよなぁ、てか、俺のせいだよな」

 丁度葵に連絡を取ろうとしていたので、メッセージアプリを立ち上げており、嫌でも葵とのやりとりが目に入った。勉強に関する質問がいくつかと、最後に咲也が送った【明日もよろしくな】なんて文面が目に痛い。

「ほんとごめん! 俺が明日~とか言ったら、そりゃ来るよな」
「いや、俺も忘れてたんで…! え、ていうか雅さん、教えてくれてないような」

 あれ、と言いながら葵がスマホをいじる。ステッカーはおろか、ケースにさえ入ってない葵のスマホは、殺風景ながらイケメンに許されしシンプル感のような気がした。ちなみに咲也のケースには、好きなキャラのステッカーや、どこぞで貰った入場券など、秩序なくあらゆる物がぶちこまれている。

「ど、どうします?」
「休業なもんはしょ~がないだろ。今日は解散するか」
「え」
「え?」

 葵を見る。何か言いたげに、スマホを片手で握りしめていた。おいおい壊れちまうぞ、という気持ちと、こいつ結構手がでかいな、なんてくだらないことを考える。

「どっかのカフェとかで勉強とか」
「あ~まぁでも、放課後を有意義に使うのも大事だろ? いつもバイトの日は俺が拘束しちゃってるし、たまには早く帰ってやりたいこととかさ」

 咲也からすれば罪悪感と親切心のつもりだった。
 社割でドリンクを奢っているとはいえ、ある程度葵の時間をもらってしまっている。その奢りですら争奪戦のように先に払われることもあり、葵は自分にも利があるような言い方をしていたが、年上としてはやっぱり少々気になっていた。

「やりたいこと……」
「あるだろ。部屋掃除とか、ゲームとか、寝たりとか」
「シノさん、部屋汚いんですか」
「キレイとはいえないかも。え、男子高校生なんてそんなもんじゃねぇの」

 会話を続けながら、自然と2人で歩き出す。向かう先は駅だ。

「あんまり、物がないので」
「ゲームとか漫画とか、服とか散乱してないわけ?」
「ゲームとか漫画、あんまり持ってなくて」
「意外! あ、でも勉強で忙しいよな」

 中学高校と、県内屈指の高偏差値の学校の葵だ。ゲームや漫画に興じる時間はないだろうし、そもそも興味もなかったかもしれない。普段の葵から感じる印象と実際の葵はかなり異なるので、会話にもこういったズレが生じることが多々あった。見た目も遊び人というわけではないが、利口かつ器用に世の中を渡り歩けそうである。

「見た目、遊んでそうなのにな」
「……これは、その、高校になってからなんで」
「まぁ金髪は中学は無理だろうけど、ていうか校則大丈夫なのか?」
「立花はわりと緩いんですよね。勉強するかわりに、校則も自分たちで作る、みたいな」
「頭いい学校は違うなぁ」

 緩い会話を続けながら、たらたらと歩く。
 かつては土曜日の2人シフトの終わりも、咲也と葵は店前で解散してバラバラに帰っていた。最近ではこんな風に話しながら帰れるようになって、告白保留(先方希望)という決まづさがあるものの、咲也にとっては嬉しい変化だ。葵の歩幅が女子のように遅いことも許せる程度には。

「シノさんは、部活とかやってないんですか?」
「やってないやってない。中学までバスケ部だったけど、高校あがった時に辞めちまったよ~もうついていけねぇ~ってなってさ」

 ダラダラと話す咲也の話にも、葵は嬉しそうに逐一相槌を打つ。咲也の一言一句取りこぼさんとする姿にも見えて、少々恥ずかしい気さえした。こいつといると恥ずかしいことばかり起きる、と思っているうちに段々と駅が見えてくる。
 電車で帰る葵と違って、俺は駅から数分の所に住んでいるのでここで本当に解散だ。

「悪かったな今日」
「いえ、俺も気づかなくて」
「じゃあまた次のシフトで」

 軽く手をあげて、別れを促す。
 背を向けて歩き出したけれど、葵の反応が気がかりで咲也は後を振り返った。瞬間、息が詰まる。

「あ」

 振り返ったそこには、別れた場所から一歩も動くことなく、後ろ姿見ていただろう葵がいたからだ。振り返ると思っていなかったのか、ひどく驚いた顔をしている。咲也の脳内には【楽しみです】と返してきた、昨日のメッセージが思い浮かんでいた。

「……あ、あのさぁ」

 緊張を唾を飲んで誤魔化す。

「暇だったら、遊びにとか、行く?」

 分かりやすく、葵の目が輝いた。


                         +++


 映画でも見るか。何見たい?
 え、なんでもいい? 好きな俳優とかいないの、いないかぁ。
 じゃあ時間丁度いいし、このアクション見るか
 ポップコーンいらない? 俺もいらない派。見るのに必死で食べるの忘れちゃうから。
 てか、思ってたんだけどお前手でかくね⁉ 足もでかい!

 駅直結型の大型ショッピングセンター。
 とくに当てもやりたいこともない時はここにかぎる。2人は足を運び、流れで映画館を訪れていた。
 葵はやはり映画についてもほとんど知らず、映画館に来るのも十年ぶりだといって咲也を驚かせた。映画初心者はやはりアクション、という謎のこだわりで流行りのアクション映画を選んだのが数時間前のことだ。

「おもしろかったな! ド派手で!」
「はい。久しぶりだったので、耳がびっくりしましたけど」
「確かに。映画館って、やっぱ家とは違うよな」

 会場内から出る人々の流れに沿いながら、興奮さめやらぬ様子で咲也は感想を述べる。対する葵は本当に同じ映画を見たとは思えない落ち着きで咲也を見ていた。

「じっくり、色々みれたのもよかったです」
「アクション映画なのにじっくり……?」

 じっくり見るところなんてあっただろうか、と思い返すものの、やはり高学歴は映画を見る視点も違うのかもしれないと言葉を飲み込む。久々の映画がよほど良かったのか、葵は目に見えて上機嫌だった。

「腹減った?」
「いえ、そんなには」
「俺もなんだよなぁ、もうちょっとどっかで暇つぶし——」

 ふと、視界に煌びやかな一角が目に入る。
 眩しいほどに明るいそこは、いわゆるゲームセンターだ。

「ゲーセンでも見るか」
「はい」
「ゲーセンとかもあんまり来ないの?」
「……入るの、初めてかもです」
「嘘だろ⁉」

 毎日女子にプリクラに付き合わされてます、みたいな顔をしておいて、本当に意外な男だと思わず声が大きくなる。咲也の反応を勘違いしたのか、葵はひどく申し訳なさそうに肩をすぼめた。

「すみません、つまんない奴ですよね」
「急になにがはじまった?」
「よくわかってないノリが悪い奴ときても、楽しくなくないですか?」

 己を恥じるような言い方に、咲也は”意味不明です”といった表情になる。

「ゲーセンにノリがいいとか悪いとかないだろ、何をわけわからんことを言ってるんだお前は」
「でも」
「ゲーセンに夢みすぎだわ。こんなんもん暇つぶしだから」

 言い方は乱暴ながら、ニカっと音がするほどに快活に咲也は笑い、遠慮する葵を無理やりゲームセンター内へと引っ張りだした。
 ガヤガヤとうるさい音が2人を迎え、葵は馴染みがないせいか驚いたように目を見開いている。

「暇つぶしなんて、何をするかじゃなくて誰とするかなんだよ。仲いい奴とするならなんでもいいわけ、わかる?」

 けしからん、と少しふざけながら咲也はセンター内を吟味する。
 押せ押せの雰囲気を出す姿はどこへ行ったのか、遠慮がちにしていた葵は、なんだか嬉しそうな表情に戻っていた。

「ここはいっちょ、俺がお前のゲーセンデビューを華々しく導いてやろう」
「いいんですか?」
「いいとも。まかせろよな!」

 初ゲームセンターののモデルケースを頭で想像しながら、咲也はあれやこれやと葵の手をひいてやった。
 エアーホッケーからシューティング、バスケットボールをゴールに入れるゲーム、あらゆるゲームを、財布と相談しながら進めていく。咲也が元バスケ部ということを目ざとく覚えていた葵からのリクエストで、勿論バスケゲームはやるはめになったが中々に渋い結果となった。おっかなびっくり参加していた葵も、だんだんと慣れてきたようで「あれは何、これはどういう遊び?」と自分から主張するようになってくる。

「あぁいうのは、やっぱり取れないものなんですか?」

 葵の指さす先にあるのは、大量のUFOキャッチャーだ。何人か遊んでいる人がいるが、取って喜んでいるような姿はない。

「難しい。だが、お前はラッキーなことに俺と一緒に来た」
「はぁ」
「達人といわれた俺のUFOキャッチャー技術を見せてやろう!」

 一か月分のバイト代、全てをUFOキャッチャーに溶かした思い出が咲也に大げさな振る舞いをさせた。
 UFOキャッチャーには狙いの台というものが存在するので、うろうろと歩きながら目当ての物を探す。葵は漫画やアニメに疎いので、それらの商品はあまり喜ばないだろうと辺りを付けた。

「まずは手始めに、小さい奴からいくか」

 キーホルダーやお手玉サイズのぬいぐるみが取れる、小さな台の前で足を止める。

「かわいいが禁句な葵くんには、かわいいうさちゃんを取ってあげよう」
「ちょ! シノさん!」
「まぁまぁ、見てろって」

 選んだ台には、恐らくキーホルダーだろうカラフルなうさぎのぬいぐるみが積み上げられていた。あまり手の込んでない製法をしており、重さもなさそうで何よりストラップ部分が非常に取りやすそうだ。

「胴体部分は狙わないほうが得策だ。ストラップとか、タグとかにひっかけるようなイメージで」

 さすがに一発じゃとれないかと思ったが、ラッキーなことにうまい具合にフックに引っかかり、あぶなげなく一体のうさぎが景品口へと運ばれてくる。音をたてて落ちて来たそれを拾って、咲也は得意げにピースをした。

「ほら! 言っただろ~!」

 てことで、これはお前にプレゼント、と葵の手にさうぎを乗せる。ラベンダー色をしたうさぎのぬいぐるみは、今更ながら男が持つにはちょっと違和感がある代物だった。

「あ、いや、まぁ試しに取っただけだから! 捨てたりとか、誰かにあげてもらって—」
「いえ」

 力強く、葵が否定する。

「大事にします」

 本当に大事そうに嬉しそうに、葵がうさぎを両手で包む。
 なんでもない、たかが1プレイ200円でとれたうさぎ相手に大げさで、また恥ずかしい気持ちにさせられたと、咲也は照れ隠しをすることしかできない。

「男がうさぎのぬいなんかもらって喜ぶな」
「嬉しいです。シノさんからもらえるものなら、なんでも」
「っう」

 真正面から向けられる熱意に、胸が詰まる。
 こんなにカッコイイのに、どうしてこいつはこんなに可愛いのか。

「俺も、一回やってみていいですか」
「許可なんていらねぇって」

 ワクワクしたように、葵は台にお金を投入する。
 まさか、ここからあんな地獄に発展するとは咲也は思いもよらなかった。


+++

「な、なぁ葵! もうやめておこうぜ? 俺がもっとでかいの取るし! 初心者にはちょっと難しかったかもしれないから!」
「いいえ。いいえシノさん。俺はこのままじゃ終われません」

 投入された金額は、もうすぐ一番高い紙幣まで届くだろう。
 最初のうちは良かった。

 惜しい。
 あともう一息。
 さっきのここが良かった。
 次で取れそう。

 あらゆるポジティブな言葉を投げかけながら、初めてのUFOキャッチャーならこれくらいのものだろうと眺めていられた。段々と雲行きが怪しくなってきたのは、葵が三度目の両替に向かった頃だ。

「あ、葵? 別にこれに固執しなくても、ほら、あのお菓子セットとかもいいぞ」
「いいえ。俺はこれが取りたいんです」
「ほら、店員さんが取りやすい位置にお手伝いしてくれるって言ってるし」
「俺の俺の力で取って見せます。シノさんみたいに」

 何を言ってるんだお前、なんて言葉は聞く耳を持ってもらえるはずもなく。
 湯水のようにお金をつぎ込んで行く姿はどこか狂気的で、普段クールで、少しダウナーさまである葵からは想像できない姿だ。意外と負けず嫌いなのかもしれなかった。

「お前、金かけすぎだって」
「あと1回、あと1回で諦めますから!」
「さっきもそれ聞いたって! もうこれで諦めて——」

 ぽとり。久しく聞いていなかった音がした。
 2人でそちらを見れば、景品口にはなんだか哀愁のある姿で、青色のうさぎが倒れこんでいた。

「と、取れたー!!!」

 葵よりも先に咲也が叫ぶ。
 周囲から視線を集めたが、様子を見守ってくれていた人もいたのか、疎らに拍手すら起きていた。

「ほら葵! お前の約1万円うさぎだぞ」

 景品口を開けてやれば、恐るおそるといったように葵がうさぎを手にする。
 執着に青色を狙っていたせいか、哀愁漂うだけでなく少々くたびれている気さえした。葵は咲也があげたラベンダーのうさぎと、青色のうさぎを並べて、感慨深そうに眺めている。

「大事にしろよ」
「いえ、これは」
「?」

 ずいっと手渡されたのは、青色の葵が苦労してとった方のうさぎだ。

「シノさんにあげます」
「は⁉」
「もらってください」
「もらえるかよ! お前、何のためにあんなに金かけて」
「シノさんと」

 葵は、俺の言葉を遮るように強く、少し照れるようにしながら言った。

「シノさんと、お揃いがよくて」

 息を呑む。
 うるさいはずのゲーセンの音が聞こえない気さえして、時間が止まってしまったのかと錯覚するほどだった。じわじわと熱が広がっていく。それは勿論葵も一緒で、咲也は照れ隠しも込みで大声で叫んだ。

「て、照れるなー!!!! こっちが恥ずかしいだろ!!」
「すみません」

 付き合いたてのカップルでもこんなことはしない。
 そもそも自分たちは付き合ってすらいない。
 
「百歩譲ってお揃いはいいとして、逆がいいだろ! せっかくお金かけたほうをお前が持った方がいい」
「いえ、俺はシノさんが取ってくれたのがいいので。そして、シノさんに俺が取ったほうをもってほしかったから」
「乙女か!!!」

 ゲーセンデビューだとこんな思考になるものか!? と脳内で叫び散らす。
 けれど、目の前で本当に嬉しそうにうさぎをいじる葵を見れば、どんな言葉も野暮にしかならないと思えた。自分の手の中にあるうさぎのほっぺをウリウリをつつく。

「シノさん! これはどうやって取るんですか?」
「お前、まだ散財するつもりか⁉」

 目を離した隙に、葵は別の台の前に移動しており、既に財布に手を伸ばしている。
 やめておけ、お前にそれはまだ早いと、咲也は必至に説得するハメになった。


                          +++


【今日は本当に楽しかったです!ありがとうございます】

 律儀なメッセージと、鞄にくくりつけられたラベンダー色のうさぎの写真が送られてくる。思わず笑い声をこぼして、昨夜は机の上にいる青のうさぎに目をやった。葵が取ってくれた万単位の価値があるうさぎ。思い出すだけで葵の散財具合がおもしろい。

「ゲーセン廃人まっしぐらだな」

 喜ぶ姿を想像して、鞄にうさぎをくくりつける。ちょっと宙吊りみたいにみえるところが不憫だがかわいく見えた。

「喜べ喜べ~」

 にやついている自覚がある。
 すぐさま写真をとって葵に送り付けてやる。これを見て、はにかむように喜ぶ姿を想像して、なんだか俺も嬉しい気持ちになった。

「でも、なんで紫と青……」

 写真のうさぎと、自分の手元にあるうさぎを見比べる。
 UFOキャッチャーにはあらゆる色のうさぎがいた。咲也はデモンストレーションとして適当に選んだが、葵は意図して青色を狙っていたように思う。

「紫と青、むらさきと、あお——あ」

 ”柴”野の紫。あおいの青。見つかった共通点は、偶然か否か。

「恥ずかしいやつ……」

 照れた自分を誤魔化すように今日出たレシートなんかを取り出してゴミ箱へと入れる。その時、ゴミ箱とうさぎが同じ視界に入って、思わず動きを止めた。

「お揃い、ね」

 思い出したくなかったのに、と小さな呟きは誰に聞こえることもない。
 フラッシュバックするのは、ゴミ箱に捨てられたキーホルダー。デフォルメされたクマが、2つ揃うと手を繋ぐ設計で、その片割れを咲也は持っていて、相手はもう片方を持っていた。忘れたい咲也の記憶。

「もう二度と、誰かとお揃いなんてしないと思ってたよ」

 自分を慰めるように、うさぎの頭をなでる。
 ぴろんと音がして通知がなった。予想通り葵からの返信で、少し沈んだ気持ちが、上向きになるのを咲也は感じた。