「そんなに俺のことが嫌い?」

 そう言ったなら、お前はどんな顔をするだろうか。
 紫野咲也(しのさくや)は、考えては深い溜息をついた。きっと、これ以上ないほど顔を歪めて大した反応も得られないだろう。容易に想像できるほど、咲也はバイト先の後輩、(あおい)に嫌われていた。

「3番、ケーキセットお願い!」
「……はい」

 努めて明るく振る舞うが、効果はない。
 葵は一度も咲也を見ることなく、ケーキセットを持ち去っていく。ショートケーキに乗せられた苺が、哀れむようにこちらを見ている気がした。

「ねぇねぇ、かっこよくない?」
「思った~!」

 キッチンにいる咲也にも聞こえる声で、女性客が沸き立つ。視線の先にいるのは、勿論咲也——ではなく葵だ。
 金髪のツーブロックで、173センチの咲也より高い身長。一瞬不良を思わせる風貌だが、醸し出す雰囲気に落ち着きがあり、言わば”クール”。そんな葵の容姿は女性客が8割のこの店では羨望の的だった。黒髪地味顔の葵にとっては、間反対の所にいるといっていい。

「どおしたのかなぁ、葵くんを見つめて」
「雅さん」

 ポニーテールを揺らして、一人の女性が咲也のいるキッチンへと入ってくる。船岡雅(ふなおかみやび)は、若いながらこの店”喫茶ふなおか”の店長だった。

「見つめてなんか」
「うそつけ~あっつい視線を送ってたくせに」
「あ~はいはい」
「あ、店長を雑に扱うと減給だぞ」
「職権乱用すぎます」

 気安い会話を楽しみながら、咲也はオーダーされた料理を手慣れたように作り出す。働き始めてから1年弱だが、咲也はキッチンもフロアも全てをこなせる敏腕アルバイトだった。

「あ、でもほら見て」

 視線だけを動かすようにして、雅がフロアを見る。つられてそちらを見れば、接客を終えた葵が睨むようにこちらを見ていた。

「どっちかというと、見つめてるのはあっちか」
「やっぱり雅さんも思います?」
「葵くんが熱烈に紫野くんを見てるってこと?」
「はい。葵が熱烈に俺を睨んでるってことです」
「あれ、激しいすれ違いがあるね」

 見つめる、なんて可愛いものではない。実際は、葵の切れ長の目が咲也のことを刺すような鋭さで睨んでいる。

「あ、反らした」

 見られていることに気づいたのか、葵はすぐさま顔を反らす。都合よく別の客から声がかかり、これ幸いとばかりに歩き出す姿を見て、咲也は溜息をついた。出勤してから止まらない溜息の理由は、もっぱら葵なのだから、致し方ない。

「俺、あいつに嫌われてますよね」
「えぇ?」
「……いや、嫌われてるのは別にいいんですよ、相性ってモンが人にはあるし。全員から好かれるほど善人でもないし」
「紫野くん、大人だね」

 会話を続けながら咲也は葵を視線で追い続ける。
 注文を取り終えた葵は別の接客スタッフに声をかけられ、笑顔はないながらも問題もなく応対している。咲也に対する”不快です”といった表情は微塵もない。異性同性関係なく、年上年下も関係がない。葵は、咲也に対してだけあぁだった。

「土曜日は締めの1時間、あいつと2人っきりだから、あっちがすごい気まずいんじゃないかなって思って。わかんないこととか、嫌いな奴に聞きづらいじゃないですか」

 実際、葵は本当に聞く人がいない時以外、咲也に声をかけてこない。隣にいようが、咲也がしている仕事だろうが、別の人間に聞きに行く。それを見れば、どれだけ鈍い奴でもわかるだろう。嫌われているのだ。

「もし葵からシフトの相談とかされてたら、遠慮なく言ってほし——」
「アハハハ! ちょっと、どんな勘違いしてるのよ!」
「痛ぁ」

 容赦なく雅の手が咲也の背中を叩いた。
 店内には聞こえない程度の声で、雅は笑い続ける。

「ないない、それだけは絶対ないよ~」
「いや、でも! 本当に俺」

 食い下がる咲也の背を、雅がより強い力で叩いく。

「ホントホント! だって、葵くん、紫野くんのまかない食べるでしょ?」
「そりゃ食べてはいますけど、それが…?」
「だからってこと! 紫野くんにはまだわかんないか~!」

 何がわからないのか。
 雅は笑うばかりで、結局その日、咲也が真相を聞くことは叶わなかった。


                        +++


 葵がふなおかにやって来たのは、半年前の4月のことだ。
 咲也が高校2年生になり、葵は入学したての高校1年生だった。

「この子、新しいバイトの葵くん! 歳近いし、仲良くしてあげてね!」

 雅の紹介に、咲也は自分が浮足立っていたのを覚えている。喫茶ふなおかは人間関係のいい職場だが、年齢は咲也が一番下で女性が多い。そこに現れた同性の後輩。自他ともに認める地味顔陰キャである咲也からすると葵は陽の者すぎるきらいがあったが、それとこれとは別だった。これからバイトがもっとも楽しくなるかもしれないと、これ以上ないほどの笑顔を送ったのだから。

「俺、そこの南高2年の紫野咲也です。よろしくお願いします」

 敬語で礼儀正しく。第一印象が大事だからと、咲也は少し胸を張った。仲良くなれたらタメ口になれたら嬉しいし、そうじゃなくても雑談を楽しめる程度にはなれたらいい。その過程を想像して、過度に期待していた。だからこそ、それを打ち砕かれた衝撃は、数倍になって降りかかった。

「……葵、です」

 不愛想。
 その一言につきる態度だった。眉を寄せ、不満を露わにした表情で、こりともしない。
 雅が「もう!」と叱るので頭だけは下げたが、それ以上も以下もない。
 もしかしたらアルバイト初日で緊張しているのかもしれない。俺がカバーしてやるぞ、と持ち前の世話焼き精神が顔を出し、咲也は葵へと笑いかけた。

「さ、最初は緊張しますよね! え~と、すごい珍しい名字ですよね! 芸能人でしか聞いたことないかも!」

 雅はフレンドリーな大人だが、線引きとして従業員を名前で呼ぶことはない。基本全員が”さん”づけであり、つまり葵も名字なのだろうな、と咲也は辺りを付けていた。しかし、葵の表情は先ほどよりも深刻に、より険しいものとなる。

「……敬語」
「え?」
「敬語、やめて下さい。俺、年下なんで。くんとかもいらないです」
「あ、えとはい」
「…あの、だから敬語いらないです」
「あ、はい。じゃなくて、ウン」

 会話終了。
 これが咲也と葵のファーストコンタクトだった。それ以降半年、春から秋にさしかかる頃になっても、2人の仲は進展するどころか、半歩ほど後退している。


                        +++


「紫野、お前小テストやばいぞ」
「え」

 脅し文句と共に返された答案を、咲也は光の速さで折りたたんだ。
 受け取る時に見えた数字は、あまりに直視しがたい。

「バイトしてるんだってなぁ? あんまり学生の本分を疎かにするなよ」
「へ、へぇい」

 肩をすぼめながら、そそくさと自分の席へと戻る。
 思い返せば、前回のテストの点数も悪く、最後に机に向かったのもいつだったかと咲也は頭を抱えた。勉強はできないほうではないが、数学は明らかに”できない”ほうだった。

「ねぇねぇ、紫野くん」

 ツンツンと、シャーペンの先が机を叩く。そちらを見れば、ゆるく茶髪を巻いたクラスメイトの玉井がこちらを覗き込んでいた。

「点数、そんなにひどかったの?」
「う~ん、まぁ、安眠の妨げになるくらいには?」
「え~やばいじゃん」

 ケラケラと笑う姿に、女子特有の笑い方だな、と咲也は思う。
 咲也より背が低い玉井は、自然とか意図的にか、上目遣いになるようにして口を開いた。

「あのさ、私でよかったら教えよっか?」
「え?」
「得意なの、数学。意外でしょ?」

 ね、と誘うような言葉に息が詰まる。期待の眼差しを向けられたが、咲也はヘラっと笑って、眉をハの時にした。

「ありがたい~! でもごめん! バイト先の先輩にしごかれるの決まっててさぁ」
「えぇ~、残念」

 残念とは。
 まさか聞く気もなく、玉井からの視線から逃れるように咲也は正面を向いた。とんでもない嘘だった。


                       +++


 箒を掃く動きを止めては、咲也は溜息をついた。
 今日は土曜。葵と2人きりの締め作業だが、それが憂鬱で出る溜息ではない。

「やっぱシフト減らしてみるか……」

 テスト返却があったあの日。家に帰ってこれまでの小テストを並べた咲也は、じわじわと蝕むような焦燥感に襲われていた。入学以来だんだんと、しかし確実に下がっていく数学のテストは存分に恐怖を与えてくれた。楽しく過ごしたい冬休み、その前には期末テストが待っているが、このままでは赤点補修待ったなしだ。

「クリスマスとか、楽しくすごしてぇよなぁ」
「なんのことですか」
「へぁ」

 突然横からかけられた声に、間抜けな声が出る。
 同じく掃き掃除をしていた葵が訝しげにこちらを見ており、その目が”早く掃除しろ”と非難しているように見えた。

「ご、ごめん。なんでもない、かな」
「……そうですか」

 じゃあ手を動かせ、とばかりに葵が背を向ける。アルバイト先にいるのは、勉強を教えてくれる先輩どころか、目もあわない後輩だけだ。玉井についた嘘が、痛いほど咲也の胸を刺す。
 ふとカレンダーを眺め、平均週4は入っているシフトを3に減らすだけでも効果があるのでは、と頭で計算をする。人手があれば一旦週2にすることすら想定し、咲也は有言実行とばかりに葵に声をかけた。

「あのさ、葵」
「なんですか」
「今決意したから、雅さんにはまだ言ってないんだけど、先に言った方がいいと思って」
「はい」
「ちょっとシフト変えようかと思ってて」
「はい」
「土曜日、来なくなるかも」

 お前もどうせ、その方がいいだろう。
 はい、そうですね。
 それくらいの反応だろう。いや、嫌いな俺と2人きりのシフトがなくなったら、もっとわかりやすく喜ぶかもしれない。勝手に想像して、ショックを受ける。嫌われているといえど、そこまでか? 一人勝手に項垂れる咲也だったが、店内に高いカーンという音が響いて顔をあげた。見れば、葵が箒を落とした音だったようで、床に箒が横たわっている。

「おい、大丈夫か?」

 珍しい。
 脳内で呟きながら、咲也は箒を拾う。ほら、と渡そうとしたところで、葵の顔が真っ青なことに気が付いた。

「お前、顔色悪いぞ⁉ どした急に!」
「なんで」
「体調悪いか⁉ なんか予定思い出したか⁉ あとちょっとだし、先に帰っても——」
「じゃなくて、なんで」

 焦る咲也の言葉を遮るように葵が言葉を発する。

「なんで土曜、辞めるって話になるんですか」
「なんでって、別に……」
「深い理由がないなら変えない方が、その、いいんじゃないですか」

 そりゃそうだけど、と頭をかく。
 一応理由はあるわけだったが、ただでさえ嫌われている葵に”赤点が~”などと更に嫌われる要素を増やすことはない。

「一応理由はあるけど、あんまり言うことでもないというか」
「なんですか。教えてください」

 詰め寄る葵に、咲也は唸り声をあげた。
 突然シフトを抜けるなどといって、不誠実な奴だと思われたのかもしれない。不誠実だと思われるのがいいか、馬鹿がバレて引かれるのがいいか、どっちもどっちだが、後者の方が情けない気がした。

「玉井さんに言って教えてもらうか……?」
 
 アルバイトに来るまでの数時間であれば、放課後に時間がある。玉井のあの様子であれば、頭を下げれば時間を作ってくれそうな雰囲気はあった。思う所はあるがそうしよう、それしかない。
 葵のことを忘れ、うんうんと唸る咲也に、小さな衝撃が与えられる。咲也が持っている箒を、葵が掴んだ衝撃だった。

「玉井さんって誰」
「へ」

 いつもの睨みつける視線とはまた違う。怒りを含んだ眼光が咲也を見た。

「誰のことですか」
「いや、別に、お前の知らない——」
「男? 女? いや、そんなのどっちでも一緒か。それで、何を教えてもらうんです?」

 どっちでも一緒って何。なんでそんなに怒ってんの。
 言いたいことは山ほどあるが、逃がさないとばかりの圧力に、情けなくも口は正直に話し出す。

「お、俺の」
「はい」
「俺の、赤点の、話……デス」
「……あかてん?」

 鋭い刃物のようだった視線が、一瞬にして丸みを帯びる。
 その言い方と表情は、赤点なんて馴染がない、とばかりの言動で咲也は恥ずかしくなった。

「そうだよ! 数学のテストで赤点だったの! だからシフト減らして勉強しようかなって! 言わせるなよ恥ずかしい!!」

 顔に熱が集まってくる。葵は少しだけ申し訳なさそうに、身をかがめた。

「す、すみません。でも、玉井さんっていうのは誰ですか」
「……クラスメイト。数学得意だから教えてくれるって言ってて。やっぱ教えてもらった方が効率いいから」

「クラスメイト……。女の人ですか」
「そうだけど」

 何かを考えるように、葵は顎に手をやった。
 どこかそわそわした様子で、こちらを見ては反らす動きを繰り返す。今日この時間だけで、葵の珍しい反応が山のようにあった。

「な、なに?」

 あまりの居心地の悪さに聞けば、葵は意を決したように、息を吐いた。

「俺とか、どう、ですか」

 不自然に言葉が途切れる。

「なにが?」
「俺が、勉強を教える、とか……」

 尻すぼみになりながら、葵がチラチラと咲也を見る。身長が高いはずなのに、どこか上目遣いのような気がして、思わず”かわいい”と言いそうになった己を、咲也は律した。少し照れているように見えるのも、ふだんとのギャップが相乗効果となる。

「嬉しいけど、俺高2で、お前高1……」
「俺、立花(りっか)通ってて、多分高2の内容はわかるんで。中学は枯野(かれの)だったから、もうちょっと頭も良かったし勉強は不得意ではないっていうか、得意っていうか、それほどでもないんですけど」
「お、落ち着け落ち着け——え?」

 焦りながら、しかしここぞとばかりに葵が言葉を繋げた。
 飛び出した高校名に、咲也は目を見開いた。

「り、立花⁉ それに枯野⁉」

 葵の口から出た学校名は、県内でいえば知らない人はいないだろう超有名校だ。咲也は記念受験すら烏滸がましい、上澄み中の上澄みで、通っている知り合いもいないほどだった。

「お前、めちゃくちゃ頭いいんだな⁉」
「いや、全然。そんなことないです」
「そんなことあるだろ!」

金髪にツーブロ。きだるげで俺みたいなダサい奴を嫌う陽キャ。不良かもしれないと思っていた人物のまさかの高偏差値に、ツッコミが止められない。

「てか、こんな所でバイトしてていいのか⁉ むしろなんでバイトしてる⁉」
「それは——」

葵の口が、何かを言いたげに開かれる。チラっと俺を見て、なぜか赤面しながら顔を反らされた。

「え、なに、まじで何?」
「なんでもないです」

 なんでもないという顔ではない。ツッコミをいれそうになったところで、咲也はハタと停止した。
 さすがにおかしくないか、と頭で警報が鳴り響く。初めて会った時も、半年経った今も、葵の態度はずっと変わらなかった。睨みつけるような視線を思い出して、それをついこの間、雅に相談したことも思い出す。間違いなくそれだと、

「あーっと、でも、無理しなくていいよ」
「……は?」
「雅さんになんか言われたりした、ってことだよな。雰囲気悪くならないように、気ぃつかってくれてありがとな」

 バイト同士の雰囲気をよくするのも店長である雅の仕事だ。
 やはり、口なんでこぼすべきではなかったと後悔が募る。

「あー俺、かっこ悪い。いや、元々かっこよくないけど、年下に気ぃつかわせて、ホント」
「ちょっと、何言って——」
「やっぱ、減らす方向で考える。雅さんには俺からうまく言って——」
「人の話聞いてください」
「いいから、お前だって困ってるだろ」
「何も困ってない。シノさんが土曜辞めた方が困る」

 名前。初めて呼ばれたそれは、皆とイントネーションが少し違う。

「代わりの人が決まるまでは出るから」
「違う。全然わかってない。人が足りなくなるから困るわけじゃない」
「他に何が困るんだよ」

 葵がぐっと口をひきつらせた。
 しかし次の瞬間には強い気持ちの入った目で咲也を見て、息をつめたまま叫ぶように言う。

「好きだから、困るって言ってるんです」

 真っ赤な顔をして、今まで聞いたことのないようが大声だった。

「あなたのことが好きだから、会う日が減ったら嫌で、困るっていってます!」

 あ~もう、と情けない声をあげながら顔を抑える葵は耳までが赤い。

「え、えと、俺はお前に、意外に好かれている、というはなし……?」
「っ~! 全然ちがう!」
「え」

 葵は苛立ったように、俺の両手を掴む。
 なに、と声をあげようとした矢先、視界いっぱいに広がる金色に、声が詰まる。次の瞬間理解した若い感触。何が起きたかやっとわかった頃に、桜は飛びのいた。

「は!? え、な、なんでキ」
「キス、しましたけど。口じゃなくて、頬ですけどね」
「しましたけどってお前、開き直ればいいってもんじゃ……」
「俺の好きは、こういう好き」

 突きつけられた言葉に息を呑んだ。

「…キモイですか」
「キ、キモいとかじゃないけど、お、お前、俺のこと嫌いなはずだろ⁉」
「嫌い…?なんで…?」

 心底分かりません、という表情に自分の方が間違ってるのか⁉ と混乱が止まらない。

「いつも俺が話しかけたら眉間に皺寄って」
「か、顔緩むから。俺、好きな人の前で、かっこ悪い顔見せるのとか嫌なので」
「雅さんと話してて、この前睨まれたし」
「俺は楽しそうな顔させてあげられないから、悔しくて」
「前に手が当たっちゃった時、めちゃくちゃ激しく振りほどいてたし」
「急に触られたら、困る。好きだから」
「でもキス――」
「今のはヤケクソの不可抗力」 

 まじ、かっこ悪い。
 葵は片手の甲で顔を隠す。そんな姿ですら様になっていると、咲也は場違いなことを考えた。

「俺、好かれる要素なくない……?」
「いっぱいある。無限に」
「む、無限」

 頭の処理が追いつかなくて、よろめくように一歩後に下がれば、その距離をうめるように葵も一歩前に出る。

「靴下、可愛いでしょって見せびらかしてる所とか」
「く、くつしたぁ?」
「料理作ってる時、口がもごもご動いて、なんか食べてるみたいだなーとか」
「ハズイ……」
「勤怠押す時、3回に1回くらいボタン押し間違えてる所とか」
「更にはずい」
「全部、可愛くて」

 もう止めてほしい俺に反して、葵の言葉は止まらない。

「それに、シノさんはかっこいい、から」
「は? 俺のどこが?」

 謙遜ではなく、咲也は家族公認の地味顔で、勿論それは性格もその通りだ。履歴書をかいても、特筆すべき項目はない。いい意味で波風のない人生、悪い意味でつまらない人生を歩んできた自覚が咲也にはあった。

「シノさん、重いもの率先してもってくれるし」
「まぁ、男だから。筋肉ないけど」
「おかしい客来た時も、対応変わってあげてて」
「それは~ほら、女の子より、男の方がいいって言うじゃん、あぁいうの」
「虫も大丈夫だし、何でも”いいよ”って言ってくれるし、何回もしくじる俺をフォローしてくれて」
「おいおいストップストップ」

 滝のように、咲也を賞賛する言葉があふれ出して止まらない。

「シノさん、周りのバイトにもすごく人気あるのに、そうやって気づいてなくて、俺は気づいて控えてほしいけど、気づいてほしくもなくて」

 爆発してしまうのではと、心配になるほど赤い葵の表情が、嘘や冗談を言っているようには思わせない。室内は暖房が効いてるのに、羞恥心からか、葵の首筋を汗が伝っていた。

「こんな風に、言うつもりじゃなかったのに」

 悲しそうに言う姿に、なんだか罪悪感がくすぐられる。俺が言わせちまったのか?あれ、そうか?と咲也が迷走する間に葵は距離をグッと縮めてきた。

「責任、とってください」
「せ、責任!?」
「俺に言わせた責任」

 葵の手が咲也の両手首を掴み、脳裏に先ほどのキスがフラッシュバックする。

「責任とって、俺のこと好きになって」

 また顔が近づくと思い、思わずギュっと目を瞑る。
 しかし、あの柔らかい感触がしたのは唇ではなく、捕まえられていた手の甲で。

「俺はそんな節操なしじゃないです。でも、」

 色素の薄い、けれど得物を捉えるような目に射貫かれる。

「両想いになったらシノさんからしてください」

 この男をかわいいだなんて、誰が言ったんだ。
 逆ギレのように、咲也は心中で叫ぶことしかできなかった。