五月末、中庭のベンチには、強い日差しと風が交互に差し込んでいた。
 昼休みを利用して、二人の男子が向き合っていた。
 一人は、感情の振れ幅が大きく、すぐ熱くなる雅也。
 もう一人は、常に冷静で沈着、自分の心の声を優先する泰輝。
 その間には、開かれたバインダーが一冊。
 中には、今後半年間の行動計画がぎっしりと詰め込まれていた。
 雅也が身を乗り出して言う。
「これ、次の体育祭のタイミングで爆発的に動く。
 そのあと文化祭前に第二フェーズ、年明けに署名活動の本格化……って流れ、どう?」
 泰輝は計画書を見つめながら、ふっと息を吐いた。
「悪くはない。むしろよく練られてる。けど……」
「けど?」
「それ、誰のためのスケジュール?」
「は?」
 雅也の声にトゲが混じる。
 泰輝は目を逸らさずに続けた。
「たとえば、体育祭の“どこで何をどう訴えるか”が書かれてない。“インパクトを与える”って書かれてるけど、どんな絵になるか、誰も想像できてない」
「細かいことは後で詰めればいいだろ!」
「違う。“詰める”ってことは、その時点で既にイメージがないと無理なんだ。抽象的なまま突っ走れば、結局“やった気になるだけ”で終わる」
「お前……何が言いたいんだよ」
 雅也の口調がきつくなっていく。
 風が中庭を渡り、ベンチのバインダーのページがぱらりとめくれた。
 泰輝は、静かにそれを押さえたまま言った。
「熱量は、確かに必要。でも、それだけじゃ誰も動かせない。
 “明日の光景”が見えない提案に、人はついてこないよ」
 その言葉に、雅也の拳がわずかに震えた。
「……じゃあ、お前が全部考えろよ。俺がやってるの、無駄って言いたいんだろ?」
「そうじゃない」
「言えよ! お前、何でも冷静ぶって、結局何も動かさないじゃん!」
 思わず立ち上がった雅也の声に、近くのテーブルにいた生徒が驚いて顔を上げた。
 けれど泰輝は、あくまで落ち着いたまま椅子に座り続けている。
「俺は、“見えない未来”には責任を持てない。
 動くなら、ちゃんと考え抜いてからにしたいだけ」
「……やっぱりお前、面倒くさい奴だわ」
 雅也は吐き捨てるように言って、計画書を乱暴に閉じた。
 怒りと悔しさ、そしてどこかで「分かってほしかった」という気持ちが混ざって、言葉が喉につかえてくる。
 ベンチを離れて歩き出す背中に、泰輝は一言だけ投げかけた。
「……ごめん。でも、“本当に届く言葉”を、一緒に探したいと思ってたんだ」
 その言葉は、追いかけるでも、責めるでもなく、
 まるで深い水底から発せられたような響きだった。



 それから数日、雅也は資料室に顔を出さなかった。
 灰色同盟のメンバーは、それぞれの課題に取り組んでいた。
 優亜は次なる行動に向けて、体育祭での“演出案”を構想しており、由衣と宏美は「自分たちの等身大で動ける範囲」を模索していた。
 涼平はチェックシート導入以降の点数推移をグラフ化し、「点数による成績差」と「学外推薦数」との相関データを作っていた。
 その緻密さに、萌美は「これ、下手な論文より説得力ある」と唸っていた。
 だが、そんな中で“中核”の一人、雅也の空席は大きかった。
 資料室に置かれた彼の計画書は、誰も触れずに置かれている。
 中には、体育祭や文化祭に向けての“視覚効果”や“動線”、“注目ポイント”までびっしり書かれていた。
 たしかに、熱量はすごい。
 だけど、その熱はときに“誰かを置いてけぼりにする”。
 丈太郎は、そう感じていた。
 放課後、校舎裏の植木の手入れをしている雅也を見つけたのは偶然だった。
「おい、逃げてんのか?」
「……草取りボランティアってやつ。逃げじゃない、たまたまここ」
 土のついた軍手を外し、雅也はしゃがんだまま言った。
「言いたいことあるなら、言えば?」
 丈太郎は肩をすくめながら、近くの石段に腰をおろした。
「怒ってんのは分かる。でも、お前の計画、全部が無駄ってわけじゃないよ。ただ、“見えてる未来”を周りに伝えるの、苦手なんじゃね?」
「……は?」
「お前の頭の中には、きっと全部ある。でも、言葉になってない。だから伝わらない。伝わらないと、泰輝みたいなタイプには“空っぽ”に見える」
 雅也は口をつぐんだ。
 それが、図星だったから。
 自分の中では確かなイメージがあった。
 体育祭の横断幕にでかでかと描かれる“灰色の叫び”。
 文化祭で全校生徒が使う無色の名札。
 卒業式の壇上に置かれる、白い何か――。
 けれど、それを「共有」するという発想がなかった。
 “伝わるべきもの”は、放っておいても伝わる。
 そう思っていた。そう信じていた。
「……なあ丈太郎。お前ってさ、他人に期待してる?」
「そりゃ、してるよ。しなかったら、こんな同盟やってない」
「でも、それで裏切られたら?」
「……ムカつく。でも、“期待しなかったら楽”ってことに慣れたら、自分まで信用できなくなりそうじゃん」
 その言葉は、思いのほか静かに雅也の胸に響いた。
「……じゃあさ、今度の会議で、俺の計画の“中身”を説明してもいい?」
「もちろん。いや、それって“お前の番”だろ?」
 雅也が、少しだけ笑った。
 それは、張りつめていた怒りの糸がふっと緩んだ証だった。
「分かった。伝える。お前らが“共犯者”だって、ちゃんと分かるように言葉にする」
「おう。楽しみにしてる」
 その日の夕暮れ。
 校舎裏には、軍手を脱いで空を見上げる雅也の姿があった。
 夕日が赤く、どこか灰色ににじんでいた。



 数日後、いつもの資料室。
 窓の外では梅雨の気配を感じさせる曇天が広がり、教室全体が薄灰色に染まっていた。
 長机には、例のバインダーが開かれている。
 そしてその隣で、緊張気味に咳払いしたのは、久しぶりに姿を見せた雅也だった。
「……あー……。ちょっと、聞いてほしい」
 部屋には、丈太郎、優亜、萌美、涼平、宏美、由衣、泰輝がそろっていた。
 つまり、“灰色同盟の署名欄”が埋まった日だった。
「こないだの件、俺が勝手にキレて、ぶん投げて、悪かった。
 でも、あの時は――自分が全力で書いた計画を“想像できない”って言われたのが、すげぇ悔しくて」
 泰輝が静かに頷く。
「言い方が悪かったのは、俺の方かもしれない。謝るよ」
 その言葉に、雅也は眉を少しだけ動かした。
「だから……今日は、ちゃんと“見えるように”話す。
 俺が考えてた“未来の光景”、ひとつずつ、説明するから」
 雅也はホワイトボードに近づき、ペンを握る。
 そして、勢いよく黒線を引きながら話し始めた。
「まず、体育祭の日の朝。開会式の直前、グラウンドの正面に灰色の横断幕を出す。“青春に色はついてない”って文字。で、その下に、生徒全員が好きな色で一筆ずつ塗れるスペースを用意する」
 由衣が思わず声を漏らす。
「それ……いい。ちょっとずつ、色が増えていくの……すてき」
「次に文化祭。全クラスで“色を使わない”テーマ展示を募集する。あえて“白黒グレースケール”限定にすることで、“色ってなんだろう”って考えさせる。
 例えば、写真部は“彩度0%”で展示。演劇部は“光と影”だけで演出するとか」
「逆説的に、“色”の意味を浮かび上がらせるのね」
 萌美が低くうなずく。
「ラストは、卒業式。……壇上の花を、白にする。“飾り気ゼロ、でも無限の可能性”。
 俺たちが“灰色”を選んだからこそ、最後はあえて“無色”で未来を渡したい。後輩に」
 部屋は静まり返った。
 全員が、その一つひとつのシーンを、頭の中で“思い描けた”のだ。
 涼平が静かに、口を開いた。
「やっと、見えたよ。君の中にあった“青写真”が」
 泰輝が続く。
「ありがとう。伝えてくれて。……俺は、君が作る“未来の景色”に協力したいと思った」
 その言葉に、雅也は少しだけ視線をそらした。
 嬉しさを、照れ隠しするように。
「ま、感情で突っ走るのが俺の持ち味だからな」
「それも個性。点数じゃ測れないし、測らせねーけどな」
 優亜がニヤッと笑った。
 資料室の長机には、十人全員の名前が揃った署名欄が、静かに置かれていた。
 黒インクの中に、それぞれの「色」が見えた気がした。
 “灰色”とは、何もないことじゃない。
 すべての“色のまえぶれ”であり、選ぶ余地のある“未完成”だ。
 その日、灰色同盟は“準備”から“行動”へと進みはじめた。
(第5話「長期計画の穴」)