昼下がりの音楽室は、静まり返っていた。
窓の向こうでは新緑が揺れ、時おり吹き込む風が譜面台を揺らす。
そんな中で、二人の女子が真剣なまなざしを交わしていた。
一人は、村田宏美。
長いまつげとストレートアイロンで整えた髪、淡いピンクのリップにこだわった制服姿――見た目に細心の注意を払うことで知られている。
もう一人は、小野由衣。
派手さはないが、何をしても丁寧で芯が強い。服装は地味で質素だが、自分で手直しした制服は糸目一つ妥協がない。
教室の中央には、パイプ椅子と姿見が三枚、並べられていた。
その隣に、いくつもの制服バリエーションがハンガーに掛けられている。
「……マジで、やるの?」
宏美が眉をひそめる。
優亜が持ち込んだ案は、「見た目評価って必要?」というテーマでの試着ショー形式の実験イベントだった。
校内でも密かに物議を醸しているチェックシートの「清潔感」「第一印象」「TPO意識」――いずれも評価項目に含まれており、とくに女子にとっては、無意識のプレッシャーとなっていた。
「別に……“正解の制服”が欲しいわけじゃない。でもさ、みんな『外見で点数つけられてる』って思ってるのに、それに黙ってるのもムカつかない?」
優亜のその一言に、宏美は最初「巻き込まれた」と思った。
だけど同時に、あの掲示板の下に書かれた「点数より物語を見ろ」という言葉が、今もどこか心に引っかかっている。
宏美は、いつも「かわいい」と言われるために、何時間も鏡の前に立ってきた。
でも、誰もその努力には点をくれなかった。
逆に、ちょっと髪を巻きすぎた日には「やりすぎじゃね?」と笑われた。
――じゃあ、何が正解なの?
「……一回だけ、付き合ってやる。あんたらの“見た目ショー”ってやつに」
宏美の返答に、優亜は手を叩いて笑った。
「よっしゃ、ノリいいね。じゃあモデルは宏美、衣装は由衣、ステージ進行は私がやるってことで」
「え、私……?」
由衣が戸惑いながら、制服を手に取る。
それは彼女が自分の体型と好みに合わせて縫い直した、いわば“私の制服”。
首元に控えめなリボン、袖の長さも少し詰め、スカートにはポケットを足してある。
どれも校則違反にはならない程度の工夫。でも、それは“誰かのため”ではなく、“自分のため”に整えたものだった。
「これを着て歩けってこと……ですか?」
「うん。由衣にとっての“ちょうどいい”を宏美が着る。その逆もやる。お互いの“見た目の基準”を交換してみるの」
「見た目で採点されるってのが、どれだけ曖昧か。それを見せるんだよ」
優亜の提案は、乱暴に見えて、その奥に芯があった。
宏美は一つ、深呼吸をして言った。
「……じゃ、始めましょ。どうせやるなら本気でやるから」
翌日。放課後の音楽室。
そこには、制服をアレンジしたハンガーラックと三つの姿見が設置され、臨時の“試着ステージ”が用意されていた。
事前に優亜が声をかけていた十数人の生徒が、半信半疑で教室を覗き込む。
特に女子の割合が多かったが、「見た目に点数をつけるって、変じゃない?」というテーマに、男子もちらほら集まってきていた。
優亜が手作りのカンペを手に、ステージ前に立つ。
「はいはーい! ようこそ、**“見た目採点ショー”**へ!」
教室がざわついた。
ただの冗談だと思っていた数人が、微妙な空気で笑い合う。
けれど、次の瞬間。
由衣が最初のモデルとして姿を現した。
彼女が着ていたのは、宏美の制服をそのまま借りたもので、きっちりとリボンを巻き、アイロンで真っ直ぐ整えられたブラウス、スカートの丈も流行に沿ってやや短めだった。
ステージ中央に立った由衣は、観客に向かって深く頭を下げた。
「これは、宏美さんの“ちょうどいい”です。
誰に見られても、自信を持てるように整えた姿です」
ざわっ、と一部の女子がうなずいた。
確かに見た目は“かわいい”系。だが、由衣が着ていると、ぎこちない違和感が残った。
「……どう感じた?」
優亜が問いかけると、後ろのほうからぽつりと声が上がった。
「なんか……いつもの由衣さんっぽくないかも……」
それを聞いた由衣は、やわらかく笑って言った。
「はい、私もそう思いました。とても整っていて素敵です。でも“自分のための形”じゃないと、少し息苦しくなるんです」
次に登場したのは、宏美。
由衣が縫い直した制服を、誇り高く着こなしている。
胸元のリボンは控えめで、ポケット付きのスカートは機能的。
スニーカーに履き替え、動きやすい格好にまとめていた。
宏美は一歩前に出て、全員に向かって言った。
「これが、“私にとってのちょうどよさ”じゃないのは、見ればわかると思う。
でもね、着てみて分かった。自分が思ってたより、私は“見られるために整えてる”って意識に縛られてた」
観客の中に沈黙が流れた。
宏美は構わず、まっすぐ話し続けた。
「リップもチークも、スカートの丈も、“誰かに点をつけられる前提”で決めてた。
でも、それって本当に“私のため”だったのかなって、今ちょっと揺れてる」
優亜がうれしそうに口を挟む。
「そう、それ! それを考えてほしかったのよ! “評価される前提で整える”って、ある意味で“制服”の本質なのかもね。
でもさ、それがいつの間にか“採点対象”になってたら、もうそれって地獄じゃん」
誰かが、小さく拍手した。
それが連鎖するようにして、音楽室にパチパチと控えめな拍手が広がる。
誰もが、それぞれの「見た目」の正解について、どこかで悩んできた。
そして今、その迷いが“言葉”になった瞬間に、少しだけ救われたような顔をしていた。
拍手の波が静まり、音楽室に一瞬の沈黙が訪れた。
その沈黙を破ったのは、一人の男子生徒のつぶやきだった。
「……俺も、制服でちょっと思うとこあった」
みんなが振り返る。
発言したのは、普段はあまり目立たない男子、理科部所属の斉木だった。
「上着、実は俺……サイズがきつくて、ずっと我慢してた。母さんが中学の時と同じサイズで選んで、今さら言い出しにくくてさ」
それは意外な告白だった。
宏美も思わず目を丸くする。
「……でも、キラメキの“清潔感”とか“姿勢”の項目に、ずっと低い点数ついてて。たぶん、苦しそうに見えてたんだと思う」
「ちゃんと着てる」のに、「ちゃんと見えない」。
評価とは、そんなに単純ではない――そう言われた気がした。
優亜が静かに言った。
「それ、さ。誰かが“見え方”で判断して、しかも点までつけるって……やっぱ、なんか変だよな」
その瞬間、音楽室の空気がぐっと変わった。
評価される立場にある生徒たちが、ようやく口を開きはじめたのだ。
「制服に合わせるために自分を変えるって、たまに思うよ」
「なんか……他人に点つける先生も大変だろうけど、点つけられる側の気持ちは誰が見るんだろう」
「由衣ちゃんの制服、あれいいな。あんなの自分でも作れたら」
由衣は驚いたように目を見開いたが、すぐに小さく頭を下げた。
まるで、「わたしなんかの制服が、誰かの“いいね”になった」ことに戸惑っているようだった。
宏美が隣でそっと言った。
「由衣。……あんた、すごいよ。私、自分の制服以外を“かっこいい”って思ったの初めてかも」
「え……でも、私なんか全然……」
「ううん。堂々としてて、すごく良かった。……私も、自分の“ちょうどよさ”をもう一回探してみる」
それは、宏美なりの「見た目」の再定義宣言だった。
そして優亜が、教室の真ん中で手を広げた。
「今日、ここにいたみんな。今からあんたらは“見た目採点フリーゾーン”の証人ね。
自分のちょうどよさを、自分で決めていい。だって、それがあんたの“リアル”なんだから」
数人が、うんうんと頷いた。
誰も拍手を強制しないのに、自然とまた手が動く。
その場の空気は、点数に支配されていない。
“自分が何点か”ではなく、“自分がどうありたいか”で繋がった場所だった。
優亜が、壁に貼っていた無地の模造紙にマジックで一言を書いた。
《採点されない外見に、自由が宿る》
その文字は派手でもポップでもない。
でも、なぜか誰よりも美しく感じた。
由衣が、その紙の端にそっとペンで名前を書く。
次に、宏美が。その下に斉木も。
それは「正解」の制服を脱ぎ捨てるかわりに、自分の“あり方”を一つ残す行為だった。
こうして、灰色同盟の名簿には、新たに三つの名前が加わった。
由衣、宏美、斉木。
署名欄は、いよいよ“あとひとつ”を残すのみとなった。
(第4話「見た目採点ショー」End)
窓の向こうでは新緑が揺れ、時おり吹き込む風が譜面台を揺らす。
そんな中で、二人の女子が真剣なまなざしを交わしていた。
一人は、村田宏美。
長いまつげとストレートアイロンで整えた髪、淡いピンクのリップにこだわった制服姿――見た目に細心の注意を払うことで知られている。
もう一人は、小野由衣。
派手さはないが、何をしても丁寧で芯が強い。服装は地味で質素だが、自分で手直しした制服は糸目一つ妥協がない。
教室の中央には、パイプ椅子と姿見が三枚、並べられていた。
その隣に、いくつもの制服バリエーションがハンガーに掛けられている。
「……マジで、やるの?」
宏美が眉をひそめる。
優亜が持ち込んだ案は、「見た目評価って必要?」というテーマでの試着ショー形式の実験イベントだった。
校内でも密かに物議を醸しているチェックシートの「清潔感」「第一印象」「TPO意識」――いずれも評価項目に含まれており、とくに女子にとっては、無意識のプレッシャーとなっていた。
「別に……“正解の制服”が欲しいわけじゃない。でもさ、みんな『外見で点数つけられてる』って思ってるのに、それに黙ってるのもムカつかない?」
優亜のその一言に、宏美は最初「巻き込まれた」と思った。
だけど同時に、あの掲示板の下に書かれた「点数より物語を見ろ」という言葉が、今もどこか心に引っかかっている。
宏美は、いつも「かわいい」と言われるために、何時間も鏡の前に立ってきた。
でも、誰もその努力には点をくれなかった。
逆に、ちょっと髪を巻きすぎた日には「やりすぎじゃね?」と笑われた。
――じゃあ、何が正解なの?
「……一回だけ、付き合ってやる。あんたらの“見た目ショー”ってやつに」
宏美の返答に、優亜は手を叩いて笑った。
「よっしゃ、ノリいいね。じゃあモデルは宏美、衣装は由衣、ステージ進行は私がやるってことで」
「え、私……?」
由衣が戸惑いながら、制服を手に取る。
それは彼女が自分の体型と好みに合わせて縫い直した、いわば“私の制服”。
首元に控えめなリボン、袖の長さも少し詰め、スカートにはポケットを足してある。
どれも校則違反にはならない程度の工夫。でも、それは“誰かのため”ではなく、“自分のため”に整えたものだった。
「これを着て歩けってこと……ですか?」
「うん。由衣にとっての“ちょうどいい”を宏美が着る。その逆もやる。お互いの“見た目の基準”を交換してみるの」
「見た目で採点されるってのが、どれだけ曖昧か。それを見せるんだよ」
優亜の提案は、乱暴に見えて、その奥に芯があった。
宏美は一つ、深呼吸をして言った。
「……じゃ、始めましょ。どうせやるなら本気でやるから」
翌日。放課後の音楽室。
そこには、制服をアレンジしたハンガーラックと三つの姿見が設置され、臨時の“試着ステージ”が用意されていた。
事前に優亜が声をかけていた十数人の生徒が、半信半疑で教室を覗き込む。
特に女子の割合が多かったが、「見た目に点数をつけるって、変じゃない?」というテーマに、男子もちらほら集まってきていた。
優亜が手作りのカンペを手に、ステージ前に立つ。
「はいはーい! ようこそ、**“見た目採点ショー”**へ!」
教室がざわついた。
ただの冗談だと思っていた数人が、微妙な空気で笑い合う。
けれど、次の瞬間。
由衣が最初のモデルとして姿を現した。
彼女が着ていたのは、宏美の制服をそのまま借りたもので、きっちりとリボンを巻き、アイロンで真っ直ぐ整えられたブラウス、スカートの丈も流行に沿ってやや短めだった。
ステージ中央に立った由衣は、観客に向かって深く頭を下げた。
「これは、宏美さんの“ちょうどいい”です。
誰に見られても、自信を持てるように整えた姿です」
ざわっ、と一部の女子がうなずいた。
確かに見た目は“かわいい”系。だが、由衣が着ていると、ぎこちない違和感が残った。
「……どう感じた?」
優亜が問いかけると、後ろのほうからぽつりと声が上がった。
「なんか……いつもの由衣さんっぽくないかも……」
それを聞いた由衣は、やわらかく笑って言った。
「はい、私もそう思いました。とても整っていて素敵です。でも“自分のための形”じゃないと、少し息苦しくなるんです」
次に登場したのは、宏美。
由衣が縫い直した制服を、誇り高く着こなしている。
胸元のリボンは控えめで、ポケット付きのスカートは機能的。
スニーカーに履き替え、動きやすい格好にまとめていた。
宏美は一歩前に出て、全員に向かって言った。
「これが、“私にとってのちょうどよさ”じゃないのは、見ればわかると思う。
でもね、着てみて分かった。自分が思ってたより、私は“見られるために整えてる”って意識に縛られてた」
観客の中に沈黙が流れた。
宏美は構わず、まっすぐ話し続けた。
「リップもチークも、スカートの丈も、“誰かに点をつけられる前提”で決めてた。
でも、それって本当に“私のため”だったのかなって、今ちょっと揺れてる」
優亜がうれしそうに口を挟む。
「そう、それ! それを考えてほしかったのよ! “評価される前提で整える”って、ある意味で“制服”の本質なのかもね。
でもさ、それがいつの間にか“採点対象”になってたら、もうそれって地獄じゃん」
誰かが、小さく拍手した。
それが連鎖するようにして、音楽室にパチパチと控えめな拍手が広がる。
誰もが、それぞれの「見た目」の正解について、どこかで悩んできた。
そして今、その迷いが“言葉”になった瞬間に、少しだけ救われたような顔をしていた。
拍手の波が静まり、音楽室に一瞬の沈黙が訪れた。
その沈黙を破ったのは、一人の男子生徒のつぶやきだった。
「……俺も、制服でちょっと思うとこあった」
みんなが振り返る。
発言したのは、普段はあまり目立たない男子、理科部所属の斉木だった。
「上着、実は俺……サイズがきつくて、ずっと我慢してた。母さんが中学の時と同じサイズで選んで、今さら言い出しにくくてさ」
それは意外な告白だった。
宏美も思わず目を丸くする。
「……でも、キラメキの“清潔感”とか“姿勢”の項目に、ずっと低い点数ついてて。たぶん、苦しそうに見えてたんだと思う」
「ちゃんと着てる」のに、「ちゃんと見えない」。
評価とは、そんなに単純ではない――そう言われた気がした。
優亜が静かに言った。
「それ、さ。誰かが“見え方”で判断して、しかも点までつけるって……やっぱ、なんか変だよな」
その瞬間、音楽室の空気がぐっと変わった。
評価される立場にある生徒たちが、ようやく口を開きはじめたのだ。
「制服に合わせるために自分を変えるって、たまに思うよ」
「なんか……他人に点つける先生も大変だろうけど、点つけられる側の気持ちは誰が見るんだろう」
「由衣ちゃんの制服、あれいいな。あんなの自分でも作れたら」
由衣は驚いたように目を見開いたが、すぐに小さく頭を下げた。
まるで、「わたしなんかの制服が、誰かの“いいね”になった」ことに戸惑っているようだった。
宏美が隣でそっと言った。
「由衣。……あんた、すごいよ。私、自分の制服以外を“かっこいい”って思ったの初めてかも」
「え……でも、私なんか全然……」
「ううん。堂々としてて、すごく良かった。……私も、自分の“ちょうどよさ”をもう一回探してみる」
それは、宏美なりの「見た目」の再定義宣言だった。
そして優亜が、教室の真ん中で手を広げた。
「今日、ここにいたみんな。今からあんたらは“見た目採点フリーゾーン”の証人ね。
自分のちょうどよさを、自分で決めていい。だって、それがあんたの“リアル”なんだから」
数人が、うんうんと頷いた。
誰も拍手を強制しないのに、自然とまた手が動く。
その場の空気は、点数に支配されていない。
“自分が何点か”ではなく、“自分がどうありたいか”で繋がった場所だった。
優亜が、壁に貼っていた無地の模造紙にマジックで一言を書いた。
《採点されない外見に、自由が宿る》
その文字は派手でもポップでもない。
でも、なぜか誰よりも美しく感じた。
由衣が、その紙の端にそっとペンで名前を書く。
次に、宏美が。その下に斉木も。
それは「正解」の制服を脱ぎ捨てるかわりに、自分の“あり方”を一つ残す行為だった。
こうして、灰色同盟の名簿には、新たに三つの名前が加わった。
由衣、宏美、斉木。
署名欄は、いよいよ“あとひとつ”を残すのみとなった。
(第4話「見た目採点ショー」End)



