白い光が、天井からまっすぐ降り注いでいた。
 その光に照らされる体育館の壇上には、赤も青も金もなかった。ただ、整然と並べられた白い椅子、白い証書ケース、そして白い花の飾りだけが、場のすべてを静かに包んでいた。
 卒業式の朝。
 校内放送では、合唱曲の伴奏が流れている。だが、それはあくまで録音された音楽で、どこかの合唱部が演奏したはずの声は――どこにもなかった。
 「今日、ホントにやるんだな……」
 丈太郎が、まだ少しだけ信じられないように呟いた。
 体育館の裏口、控室の一角には「灰色同盟」のメンバー全員がそろっていた。詰襟の制服、紺のブレザー、揃いのネクタイとリボン。誰もが「式」にふさわしい格好をしていたが、その表情にはどこか、妙な気合いが宿っていた。
 それは「自分たちの終わり」に対する覚悟だった。
「式の途中で、言うのよね?」
 優亜が確認するように尋ねる。彼女のスカートの裾は、ほんの少しだけ丈が長くなっていた。由衣が昨夜こっそり手直ししてくれたものだった。
「校長が『青春偏差値』制度の終了を発表したら、そのあとすぐに」
 優也が短く答える。その声はいつもより低く、張りつめていた。
「壇上のあの白い花を……」
「置く。全員で、一輪ずつ」
 泰輝が続けた。
 白い花。それは、メンバーそれぞれが選んだ「何色にも染まっていない意思」の象徴だった。造花でもなく、花屋のラッピングもされていない、ただの一本の白いカーネーション。
「盛り上がる要素、ゼロだねぇ」
 萌美が苦笑しながら言う。
「でも、それでいい。これは、主張じゃなくて“別れの儀式”だもん」
「フェアで好きに色を選んでも、卒業式だけは白……って、皮肉だな」
 宏美が、リップもアイラインも引かないまま言った。
 彼女の表情には、もう迷いはなかった。
 全員、静かにうなずいた。
 そして数分後。生徒たちが次々と入場し、体育館が淡い緊張に包まれるなか、「灰色同盟」の十人も列をなして、壇上近くの来賓席脇へと歩いた。
 体育館の壁には、今年から貼り出されなくなった“成績上位者ランキング”のスペースが空白のまま残っていた。
 あのスペースこそ、彼らが最初に覆面で塗り潰した場所だった。
 成績も、偏差値も、人気投票も、どれも剥がされ、何もない灰色の壁がそこにあった。
 だが今、その灰色の壁が、かえって清々しく思える。
 式が始まる。
 国歌斉唱も校歌も、すべて録音。拍手も形式的。だがその中で、校長だけが壇上に立ち、真っ直ぐな声で語り始めた。
 「……本日をもちまして、本校は『青春偏差値』ならびに、それに準ずる全ての点数評価制度を廃止いたします」
 その瞬間、会場内に一拍の静寂が走った。
 校長の言葉に驚いた者、笑った者、そして涙ぐんだ者もいた。
 だが、それらをよそに、「灰色同盟」の十人は、一人ずつ立ち上がり、無言で壇上に歩いた。
 右手には、白いカーネーション。
 丈太郎が先頭だった。彼は校長と目を合わせた。校長は微かに頷いた。敵ではなかった。むしろ、最後に理解者となってくれた大人だった。
 丈太郎は白い花を壇上中央の花台に置いた。
 続いて、優亜、涼平、萌美、雅也、宏美、由衣、泰輝、ほのか、優也――十人の手から、十輪の白い花が静かに積み重なっていく。
 花台は、やがて白い束となり、かすかに香った。



 静かだった。
 壇上に積まれた白い花は、どこか墓標のようでもあった。だがそれは死を象徴するのではなく、「誰かが塗りつぶした青春の白地図」への別れの儀式だった。
 着席した丈太郎の掌が、じんわりと湿っていた。
 緊張ではない。誇りでもない。
 ただ、終わりの予感が、今も体の奥で鳴っていた。
 式の進行が再開された。淡々と卒業証書の授与が始まり、担任の呼名に応えて生徒たちが立ち上がり、一人ずつ壇上へと歩いていく。
 だが、不思議だった。例年ならざわつくはずのこの時間、会場はとても静かだった。
 まるで全員が、心のどこかで何かを感じていたかのように。
 証書授与が終わると、校長が再び壇上へと立ち、生徒代表の送辞と答辞が続いた。
 送辞を読むのは、在校生代表の由衣だった。
 彼女は一瞬、原稿を開くのをためらった。
 そして、ゆっくりと、口を開いた。
 「私たちは、今年、変わりました。成績や順位で測られる自分をやめることにしました。誰かの基準で決まる“青春”をやめて、自分の色で描くことを選びました」
 しっかりした声だった。
 「そのきっかけをくれたのが、今ここにいる卒業生の皆さんです」
 由衣は一度、目を伏せた。視線の先には丈太郎たちが並んでいる。
 「同じ色でいなければ安心できなかった私に、“違っていい”と教えてくれた人がいます」
 会場が、ふっと息を飲んだように静まる。
 「人前で話すのが怖かった私に、“話さなくても伝わる”と言ってくれた人がいます」
 それが誰なのか、会場の生徒たちはうっすらと理解していた。
 「だから、私は来年から、誰かの声を“測る”のではなく、耳を澄ませて“聴く”ことにします」
 そう言って、由衣は原稿を閉じた。
 場内が一瞬ざわつく。
 校長が驚いた表情を浮かべたが、すぐに頷いた。
 送辞の途中で原稿を閉じる――それは、前例のない行為だった。
 けれど、誰も止めようとはしなかった。
 そして答辞は、丈太郎が務めた。
 彼は手元にあった原稿に一礼すると、そっとポケットへしまった。
 「由衣の言葉に、答えます」
 それだけを言って、丈太郎は空を見上げるように視線を天井へ向けた。
 「僕は、気を利かせすぎて、誰の期待にも応えられなかった奴です」
 笑いも起きない。誰も、茶化さなかった。
 「でも、灰色の中に立ち止まることで、本当の自分を知れました。点数じゃない、自分の輪郭が、ようやく見えてきたんです」
 体育館の空気が、ピンと張りつめていた。
 「今日、卒業してしまえば、僕たちはもう“点数”を気にすることはありません。でも、それで済ませたくなかった」
 丈太郎は、ポケットから一枚の透明な紙を取り出した。
 「この透明のシートは、僕たちの願いです。“色”は、誰かに決められるものじゃなく、自分で選べるものだと伝えるために、置いていきます」
 由衣が受け取ってくれた透明なシートは、フリーカラー・フェアで使われた特製の“無色透明契約書”だった。
 丈太郎は、会場に向かって深く一礼した。
 ――そして、その背後で、最も静かな拍手が起きた。
 由衣が手を叩いていた。
 それに続いて、萌美も、涼平も、泰輝も、次々と手を叩き始める。
 ついには、体育館にいる全員が立ち上がり、拍手の海となった。
 涙ぐんでいる教師もいた。
 目を閉じたまま頷いている生徒もいた。
 そこに色はなかった。だがその代わりに、「響き」があった。
 それは、点数で測れない“賛同”の音だった。