その朝、校庭はいつもと違う色に満ちていた。
空は晴れていたが、地面は霧に濡れ、風があらゆる布を揺らしていた。正門から体育館までの通路沿いには、無数の布が吊るされている。赤、青、黄、白、そして無数の“混ざった色”。
〈フリーカラー・フェア〉、第1日目。
「点数ではなく、自分で自分の色を選ぶ」――灰色同盟が提案し、生徒会と教職員、さらには校長までを巻き込んで実現にこぎつけた、新しい学校行事の幕開けだった。
丈太郎は、校舎前の司会台に立っていた。
緊張で手が震える。でも、その震えは不安じゃなかった。自分の言葉で始められる喜び、そして責任感が交ざった、前向きな震えだった。
隣には優亜がいた。彼女は緊張などどこ吹く風で、手を腰に当てて空を見上げている。
「さて、やりますか。伝説の初日」
「……うん。いくよ」
丈太郎はマイクを手に取った。小さく息を吸い、校庭をぐるりと見渡す。色付きの布が風に揺れている。見上げれば、旧校舎の窓にも布が垂れていた。
「みなさん、おはようございます!」
声が、空に響いた。
体育の授業ではない。成績も関係ない。フェアの参加は自由で、ルールはひとつだけ。
――自分の色を、誰かと比べない。
丈太郎は続けた。
「今日から二日間、霧山高校は“自由に色を選べる場所”になります。成績表も偏差値も、推薦枠も関係ない。あるのは“自分が選んだ色”だけです」
ざわつきが広がる。けれど、そのざわつきは否定ではなく、好奇心に近いものだった。
「今から、学年ごとに色付き布を掲げ合います。色は強制されません。好きな布、あるいは“何も選ばない”も自由です。無色もまた、色です」
布掲げ係のメンバーがそれぞれの場所についた。雅也は梯子のてっぺんで布を手にし、萌美はマップ片手に会場を誘導している。
丈太郎は最後に言った。
「それでは、〈フリーカラー・フェア〉開幕です」
グラウンド中央に広がったのは、まるで万華鏡の中に足を踏み入れたかのような空間だった。テントの屋根にはそれぞれ異なる色の布が張られ、風に揺れている。風見鶏の代わりに掲げられたのは、生徒たちが「好き」と選んだ色のフラッグ。赤、青、緑、黄色、オレンジ、モノクロ、そして混ざりきらない灰色まで、目に映るすべてが意味を持っていた。
「フリーカラー・フェア、開幕しまーす!」
空に向かってマイクなしで叫んだのは優亜だった。元気だけが取り柄と笑われた彼女が、今は誰よりも主役らしい顔をしていた。
「自由って、ちょっと照れるけど、でも楽しいぞー!」
笑いながら言ったその言葉は、照れ屋の生徒の心にも届いた。遠巻きに様子を見ていた一年生たちが、少しずつ歩を進めてくる。誰にも強制されない、自分の色を自分で決める行事。それが「フェア」の意味だった。
校舎の壁沿いには、テーマ別の展示ブースが並んでいた。
〈内面色:あなたの性格を色で描こう〉
〈思い出色:忘れられない出来事を色にしてみよう〉
〈これからの自分:未来色を選んで歩いてみる〉
展示には投票も採点もない。ただ、自分の気持ちと向き合い、それを布や絵の具に込めて表現する。それを見て、通りすがりの生徒が「いいね」と頷くかもしれないし、何も感じないかもしれない。それでいい。むしろ、それがいい。
丈太郎は、黒板のそばに立つ由衣の姿を見つけた。彼女はカラフルなチョークを一本一本丁寧に並べている。その横で泰輝が脚立を使って照明のチェックをしていた。
「由衣、うまくいってるか?」
「うん。私、いまやっと『楽しい』って言える気がする」
彼女が柔らかく笑った瞬間、丈太郎の胸にふっと風が吹いた気がした。
ああ、これだ。
点数じゃ測れない“体感”の喜び。それこそが、灰色同盟が目指してきた場所なのだと、ようやく実感できた。
そのとき、足元を軽やかに駆け抜けていく影があった。
「おーい、染料足りなくなるぞ!誰か取りに行こうぜー!」
雅也だった。テンションが異様に高いのは、普段以上に感情を動かせる場所だからかもしれない。萌美が「その走りは後で使うから無駄にしないで」と小さく注意していた。
涼平と優也は本部テントで待機し、参加生徒の健康状態やトラブル対応をしていた。けっして派手な役割ではないが、二人の静かな存在感は会場全体の安心感になっていた。
「こうして見ると、よくぞここまで来たって思うな」
泰輝が照明を調整しながらぼそりとつぶやいた。丈太郎はその言葉に頷く。
「でも、終わりじゃない。ここが始まりだ」
時計の針が午前十時を指した瞬間、校内アナウンスが静かに流れた。
「霧山高校・第1回フリーカラー・フェア、開幕です。皆さん、自分の色を楽しんでください」
静かな校内放送だった。けれどその一言で、会場全体が一瞬だけ呼吸を止めた。
次の瞬間、会場全体に歓声と拍手がわき起こった。自然発生的な、大きなうねりだった。
展示ブースの中でも、ひときわ人だかりができていたのが「色の診断屋」と銘打たれたテントだった。そこには、ほのかが木製の椅子にちょこんと座り、来場者の顔を見ては、色鉛筆でそっとスケッチブックをなぞっていた。
「今のあなたは、うすいターコイズと、少しだけ夕暮れのピンク」
「なにそれ!詩人かよ!」
男子生徒が半笑いで茶化すと、ほのかは少しきょとんとした後、口をへの字に結んでこう言った。
「そっか、じゃあ次の人。言葉で伝わらなくても、私は色で残すから」
彼女のスケッチには、意味のないはずの混色が、なぜかどこかその人らしさを帯びていた。誰かの真似でも、機械的な心理診断でもない。“観察と直感”という不思議な武器が、ほのかにだけは許されていた。
向かいの「音色ブース」では、萌美が持ち込んだシンセサイザーと録音機材で即興音源を制作していた。来訪者の話を聞き、選んだ色を見て、そこからインスピレーションで音を紡ぐ。
「あなたは、こう……静かに降る霧みたいなコードだね。BマイナーからEに流して……あ、風が吹いた!」
パーンと明るいリズムが加わり、その場の空気が柔らかく変化する。何人もの生徒がその音に引き寄せられ、テント内には小さな輪が生まれていた。
一方、メインステージでは「色布パレード」が始まろうとしていた。生徒たちがそれぞれの「選んだ色」の布を手に持ち、隊列を組んでグラウンドを一周する。決まった順番もなければ、整列も義務じゃない。ただ一つだけルールがあるとすれば、「自分の色を、胸を張って掲げること」。
丈太郎は、旗を手にした由衣の背中を見つめていた。何色でもない、あの微妙に揺れる布は、きっと彼女の“今”そのものなのだろう。
「始めようか」
優亜が、丈太郎の腕を軽く引いた。彼女の手には灰色の布があった。その隣で、泰輝も無言で白に近いベージュの旗を持って立っていた。
雅也は鮮やかな紅色を肩にかけ、涼平は光沢のある青を背中に巻いている。
「行くぞ、灰色同盟。おまえら、並ばなくていい。けど、歩け!」
優亜の号令と共に、バラバラな歩幅のまま、色の群れが動き出した。
ステージの照明が一瞬だけ強くなり、その光が全員の布に反射して、多重な色の軌跡をグラウンドに描いた。
観客席の生徒たちが、思わず拍手する。何も整っていない。整列も、テンポも、方向さえ不揃いだ。それなのに――美しかった。
その不揃いこそが、彼らの「今ここにいる証」だった。
丈太郎は、ふと上を見た。空は快晴でもなく、曇天でもなく、ちょうどいい曇り具合だった。
「これが、自由の色か」
自分にそう言い聞かせるように呟いたとき、誰かが近くで小さく返事をした。
「うん、いい天気だ」
横に並んだ優亜が、心からの笑顔を浮かべていた。
昼の終わりを告げるチャイムが、校庭に微かに響いた。パレードを終えた生徒たちは、自然とグラウンド中央に集まりはじめていた。
そこには、丈太郎が持ち込んだ木製の掲示板が立っていた。
「このボード、なんだよ?」
誰かが尋ねると、丈太郎は少し照れくさそうに笑った。
「今日一日、自分がどんな色だったか。名前と、その色の理由を書いて貼るってのはどうかなって。べつに強制じゃない。ただ、せっかくなら記念に、ってだけ」
無理に盛り上げようとする口調ではなかった。ただの思いつきのような声だったのに、何人かの生徒が静かにうなずいて、近くの机からマーカーと色紙を取っていった。
まず手を挙げたのは、宏美だった。
「今日の私は、オレンジです。……理由は、うまく説明できないけど、今、誰にも評価されてないのに嬉しいから」
次に、萌美が近寄って、真剣な表情で薄紫の紙に何かを書いた。
「たぶん、これは“自分が自分でいていい”って初めて思えたから。そんな気がする」
そのひと言で、ボードに色紙が一気に増えていく。緑、青、金、すみれ色、サーモンピンク、夜空のような黒……理由もさまざまで、長く書く人もいれば、ただ一言「今の気分」とだけ書く人もいた。
その中に、あるひときわ目立つ紙があった。
灰色。
そこにはたった一行――
「今も迷ってる。でも、それでいい」
丈太郎はその言葉を読んだ瞬間、胸の奥がぐっと熱くなるのを感じた。誰が書いたかは書かれていなかったが、そんなことはどうでもよかった。
「色ってさ……誰かに説明するもんじゃないんだな」
ぽつりと呟くと、隣にいた優亜が鼻で笑った。
「説明されたら、つまんなくなるじゃん。だって“自分で選んだ色”なんだし」
「それ、ちゃんと体育館でも言ってよ。明日が本番だぞ」
「言うよ、言うってば。ていうか、あんたこそ緊張してんじゃないの?」
そう言われて、丈太郎は一瞬言葉に詰まった。図星だった。
「まあ……してる、かも」
「ふーん」
優亜はそう言って、丈太郎の背中を軽く叩いた。
「でもさ、ここまで来たんだから、言いたいこと、ちゃんと言えばいいんだよ。点数で笑われたあの時の分もさ。全部ぶつけな」
その言葉に、丈太郎は何かを決意したように小さくうなずいた。
やがて、空に夕日が差し込みはじめた。グラウンドは色紙と布と、そして照れくさそうに笑う生徒たちの姿で埋め尽くされていた。
それは、どこか不恰好で、でも確かに輝いていた。点数では測れない、不揃いで、不安定で、でも“本当の青春”が、そこにはあった。
(第35話「フリーカラー・フェア開幕」完)
空は晴れていたが、地面は霧に濡れ、風があらゆる布を揺らしていた。正門から体育館までの通路沿いには、無数の布が吊るされている。赤、青、黄、白、そして無数の“混ざった色”。
〈フリーカラー・フェア〉、第1日目。
「点数ではなく、自分で自分の色を選ぶ」――灰色同盟が提案し、生徒会と教職員、さらには校長までを巻き込んで実現にこぎつけた、新しい学校行事の幕開けだった。
丈太郎は、校舎前の司会台に立っていた。
緊張で手が震える。でも、その震えは不安じゃなかった。自分の言葉で始められる喜び、そして責任感が交ざった、前向きな震えだった。
隣には優亜がいた。彼女は緊張などどこ吹く風で、手を腰に当てて空を見上げている。
「さて、やりますか。伝説の初日」
「……うん。いくよ」
丈太郎はマイクを手に取った。小さく息を吸い、校庭をぐるりと見渡す。色付きの布が風に揺れている。見上げれば、旧校舎の窓にも布が垂れていた。
「みなさん、おはようございます!」
声が、空に響いた。
体育の授業ではない。成績も関係ない。フェアの参加は自由で、ルールはひとつだけ。
――自分の色を、誰かと比べない。
丈太郎は続けた。
「今日から二日間、霧山高校は“自由に色を選べる場所”になります。成績表も偏差値も、推薦枠も関係ない。あるのは“自分が選んだ色”だけです」
ざわつきが広がる。けれど、そのざわつきは否定ではなく、好奇心に近いものだった。
「今から、学年ごとに色付き布を掲げ合います。色は強制されません。好きな布、あるいは“何も選ばない”も自由です。無色もまた、色です」
布掲げ係のメンバーがそれぞれの場所についた。雅也は梯子のてっぺんで布を手にし、萌美はマップ片手に会場を誘導している。
丈太郎は最後に言った。
「それでは、〈フリーカラー・フェア〉開幕です」
グラウンド中央に広がったのは、まるで万華鏡の中に足を踏み入れたかのような空間だった。テントの屋根にはそれぞれ異なる色の布が張られ、風に揺れている。風見鶏の代わりに掲げられたのは、生徒たちが「好き」と選んだ色のフラッグ。赤、青、緑、黄色、オレンジ、モノクロ、そして混ざりきらない灰色まで、目に映るすべてが意味を持っていた。
「フリーカラー・フェア、開幕しまーす!」
空に向かってマイクなしで叫んだのは優亜だった。元気だけが取り柄と笑われた彼女が、今は誰よりも主役らしい顔をしていた。
「自由って、ちょっと照れるけど、でも楽しいぞー!」
笑いながら言ったその言葉は、照れ屋の生徒の心にも届いた。遠巻きに様子を見ていた一年生たちが、少しずつ歩を進めてくる。誰にも強制されない、自分の色を自分で決める行事。それが「フェア」の意味だった。
校舎の壁沿いには、テーマ別の展示ブースが並んでいた。
〈内面色:あなたの性格を色で描こう〉
〈思い出色:忘れられない出来事を色にしてみよう〉
〈これからの自分:未来色を選んで歩いてみる〉
展示には投票も採点もない。ただ、自分の気持ちと向き合い、それを布や絵の具に込めて表現する。それを見て、通りすがりの生徒が「いいね」と頷くかもしれないし、何も感じないかもしれない。それでいい。むしろ、それがいい。
丈太郎は、黒板のそばに立つ由衣の姿を見つけた。彼女はカラフルなチョークを一本一本丁寧に並べている。その横で泰輝が脚立を使って照明のチェックをしていた。
「由衣、うまくいってるか?」
「うん。私、いまやっと『楽しい』って言える気がする」
彼女が柔らかく笑った瞬間、丈太郎の胸にふっと風が吹いた気がした。
ああ、これだ。
点数じゃ測れない“体感”の喜び。それこそが、灰色同盟が目指してきた場所なのだと、ようやく実感できた。
そのとき、足元を軽やかに駆け抜けていく影があった。
「おーい、染料足りなくなるぞ!誰か取りに行こうぜー!」
雅也だった。テンションが異様に高いのは、普段以上に感情を動かせる場所だからかもしれない。萌美が「その走りは後で使うから無駄にしないで」と小さく注意していた。
涼平と優也は本部テントで待機し、参加生徒の健康状態やトラブル対応をしていた。けっして派手な役割ではないが、二人の静かな存在感は会場全体の安心感になっていた。
「こうして見ると、よくぞここまで来たって思うな」
泰輝が照明を調整しながらぼそりとつぶやいた。丈太郎はその言葉に頷く。
「でも、終わりじゃない。ここが始まりだ」
時計の針が午前十時を指した瞬間、校内アナウンスが静かに流れた。
「霧山高校・第1回フリーカラー・フェア、開幕です。皆さん、自分の色を楽しんでください」
静かな校内放送だった。けれどその一言で、会場全体が一瞬だけ呼吸を止めた。
次の瞬間、会場全体に歓声と拍手がわき起こった。自然発生的な、大きなうねりだった。
展示ブースの中でも、ひときわ人だかりができていたのが「色の診断屋」と銘打たれたテントだった。そこには、ほのかが木製の椅子にちょこんと座り、来場者の顔を見ては、色鉛筆でそっとスケッチブックをなぞっていた。
「今のあなたは、うすいターコイズと、少しだけ夕暮れのピンク」
「なにそれ!詩人かよ!」
男子生徒が半笑いで茶化すと、ほのかは少しきょとんとした後、口をへの字に結んでこう言った。
「そっか、じゃあ次の人。言葉で伝わらなくても、私は色で残すから」
彼女のスケッチには、意味のないはずの混色が、なぜかどこかその人らしさを帯びていた。誰かの真似でも、機械的な心理診断でもない。“観察と直感”という不思議な武器が、ほのかにだけは許されていた。
向かいの「音色ブース」では、萌美が持ち込んだシンセサイザーと録音機材で即興音源を制作していた。来訪者の話を聞き、選んだ色を見て、そこからインスピレーションで音を紡ぐ。
「あなたは、こう……静かに降る霧みたいなコードだね。BマイナーからEに流して……あ、風が吹いた!」
パーンと明るいリズムが加わり、その場の空気が柔らかく変化する。何人もの生徒がその音に引き寄せられ、テント内には小さな輪が生まれていた。
一方、メインステージでは「色布パレード」が始まろうとしていた。生徒たちがそれぞれの「選んだ色」の布を手に持ち、隊列を組んでグラウンドを一周する。決まった順番もなければ、整列も義務じゃない。ただ一つだけルールがあるとすれば、「自分の色を、胸を張って掲げること」。
丈太郎は、旗を手にした由衣の背中を見つめていた。何色でもない、あの微妙に揺れる布は、きっと彼女の“今”そのものなのだろう。
「始めようか」
優亜が、丈太郎の腕を軽く引いた。彼女の手には灰色の布があった。その隣で、泰輝も無言で白に近いベージュの旗を持って立っていた。
雅也は鮮やかな紅色を肩にかけ、涼平は光沢のある青を背中に巻いている。
「行くぞ、灰色同盟。おまえら、並ばなくていい。けど、歩け!」
優亜の号令と共に、バラバラな歩幅のまま、色の群れが動き出した。
ステージの照明が一瞬だけ強くなり、その光が全員の布に反射して、多重な色の軌跡をグラウンドに描いた。
観客席の生徒たちが、思わず拍手する。何も整っていない。整列も、テンポも、方向さえ不揃いだ。それなのに――美しかった。
その不揃いこそが、彼らの「今ここにいる証」だった。
丈太郎は、ふと上を見た。空は快晴でもなく、曇天でもなく、ちょうどいい曇り具合だった。
「これが、自由の色か」
自分にそう言い聞かせるように呟いたとき、誰かが近くで小さく返事をした。
「うん、いい天気だ」
横に並んだ優亜が、心からの笑顔を浮かべていた。
昼の終わりを告げるチャイムが、校庭に微かに響いた。パレードを終えた生徒たちは、自然とグラウンド中央に集まりはじめていた。
そこには、丈太郎が持ち込んだ木製の掲示板が立っていた。
「このボード、なんだよ?」
誰かが尋ねると、丈太郎は少し照れくさそうに笑った。
「今日一日、自分がどんな色だったか。名前と、その色の理由を書いて貼るってのはどうかなって。べつに強制じゃない。ただ、せっかくなら記念に、ってだけ」
無理に盛り上げようとする口調ではなかった。ただの思いつきのような声だったのに、何人かの生徒が静かにうなずいて、近くの机からマーカーと色紙を取っていった。
まず手を挙げたのは、宏美だった。
「今日の私は、オレンジです。……理由は、うまく説明できないけど、今、誰にも評価されてないのに嬉しいから」
次に、萌美が近寄って、真剣な表情で薄紫の紙に何かを書いた。
「たぶん、これは“自分が自分でいていい”って初めて思えたから。そんな気がする」
そのひと言で、ボードに色紙が一気に増えていく。緑、青、金、すみれ色、サーモンピンク、夜空のような黒……理由もさまざまで、長く書く人もいれば、ただ一言「今の気分」とだけ書く人もいた。
その中に、あるひときわ目立つ紙があった。
灰色。
そこにはたった一行――
「今も迷ってる。でも、それでいい」
丈太郎はその言葉を読んだ瞬間、胸の奥がぐっと熱くなるのを感じた。誰が書いたかは書かれていなかったが、そんなことはどうでもよかった。
「色ってさ……誰かに説明するもんじゃないんだな」
ぽつりと呟くと、隣にいた優亜が鼻で笑った。
「説明されたら、つまんなくなるじゃん。だって“自分で選んだ色”なんだし」
「それ、ちゃんと体育館でも言ってよ。明日が本番だぞ」
「言うよ、言うってば。ていうか、あんたこそ緊張してんじゃないの?」
そう言われて、丈太郎は一瞬言葉に詰まった。図星だった。
「まあ……してる、かも」
「ふーん」
優亜はそう言って、丈太郎の背中を軽く叩いた。
「でもさ、ここまで来たんだから、言いたいこと、ちゃんと言えばいいんだよ。点数で笑われたあの時の分もさ。全部ぶつけな」
その言葉に、丈太郎は何かを決意したように小さくうなずいた。
やがて、空に夕日が差し込みはじめた。グラウンドは色紙と布と、そして照れくさそうに笑う生徒たちの姿で埋め尽くされていた。
それは、どこか不恰好で、でも確かに輝いていた。点数では測れない、不揃いで、不安定で、でも“本当の青春”が、そこにはあった。
(第35話「フリーカラー・フェア開幕」完)



