視聴覚室のプロジェクターが唸りを上げて起動する音が、妙に緊張を煽る。
午後四時。空席のパイプ椅子が五十脚ほど並ぶ教室に、灰色同盟の十人が順に入ってきた。
「……うわ、ガチの会見感出てる」
雅也がぼそっと言ったのを、宏美が「黙って座って」と肘で小突く。
席の中央、演壇の前には長机。マイクはないが、教卓に固定されたUSBスピーカーとノートパソコンが一台。
優亜が教室の隅に置かれたスクリーンを指差して言った。
「スライド、最終確認済んでる。十枚構成、時間は十五分以内に収める」
「じゃ、いこう。台本どおりで」
丈太郎の一言に、涼平が手元の資料を見直しながら小さく頷いた。
「記者会見って言っても、俺たちが『提案者』って立場だからね。責めるんじゃなくて、導く」
十人はそれぞれの持ち場についた。由衣と萌美が映像操作、優亜と泰輝がパネル展示、涼平と宏美が進行、雅也とほのかが質疑対応、丈太郎と優也が提案者代表。
最前列に座ったのは、教師三人と生徒会執行部の二人。あとは好奇心のある生徒たちがちらほら。
空気は妙に静かだった。
この場には、誰かを否定するムードも、賞賛するムードもなかった。ただ「聞いてみよう」という、素のままの関心だけが残っていた。
「それでは……“無所属による新提案”の説明を開始します」
涼平のはっきりとした声が教室に響く。
スライド1、タイトル。
《フリーカラー・フェア提案書
〜誰もが、自分の色を自分で選ぶ日〜》
後方の生徒が、ひそひそと囁く声が聞こえた。
「これって、点数システムの代案?」
「うわ、マジで本気なんだ……」
涼平は静かに次のスライドへ送る。
「この企画は、“青春偏差値”による画一的評価に対する、実質的な対案です。僕たちは灰色同盟という名のもとに動いていますが、本日の提案は“無所属”という立場で行います」
丈太郎が横から補足する。
「なぜなら、この提案は『対立』じゃない。『解放』だからです。誰も所属や点数で縛られない。そんな前提の上に成り立つ行事、それが〈フリーカラー・フェア〉です」
スライド3。
色と感情の関係を説明するグラフ。赤=情熱、青=冷静、緑=安定、紫=孤独、灰=未定義。校内アンケートを元に、個人が自分の状態を“色”で表した分布。
「この調査から見えてくるのは——自分の“状態”を、点数よりも多彩な感覚で理解してるってことです」
優也が、教卓の脇から口を挟む。
「たとえば“70点”の自己評価と、“今日は青”っていう心の色。どちらがその人を正確に表すか、考えてみてください」
生徒たちがざわついた。
教師の一人が腕を組み、真剣な顔でスライドを見つめる。
「点数は記録される。でも、色は記憶に残る——」
泰輝が掲示板横に展示した「色布サンプル」へ誘導する。
丈太郎は深く一呼吸して、ラストスライドを出す。
《フェア概要:
1. 全生徒が自分の“今日の色”を選び、布を掲げる
2. その色に込めた意味を一文で添える
3. 点数は表示されない
4. 評価はしないが、記録は共有》
沈黙。
しばしの静寂を破ったのは、生徒会長だった。
「……つまりこれは、“評価なき可視化”ってことですか?」
涼平が答える。
「はい。誰かの基準ではなく、自分の意思で“今の自分”を示す。それだけです」
会長は椅子に深く座り直し、ひと息ついた。
「……面白い。でも、“評価がなければ、意味もなくなる”って考える人もいると思いますよ」
萌美がその言葉に反応し、スクリーン操作を止めた。
「評価は否定しません。ただ、“基準が一つだけ”という現状には、疑問があります」
丈太郎が最後に口を開いた。
「僕たちは、全員が違う物差しを持っていいと思ってます。今日この場で、それを一度、試してみたいと思っています」
視聴覚室に、じわじわと拍手が広がる。
教師たちは難しい顔をしているが、生徒の何人かが立ち上がった。
「やってみようぜ」
「うちのクラスでも布、準備するわ」
小さな波が、たしかに始まっていた。
提案説明の時間が終わると、場の空気は一気に変わった。
手を挙げたのは、教師でも生徒会でもない、ごく普通の三年男子だった。
「質問いいっすか?」
丈太郎は一瞬だけ躊躇したが、すぐに頷いた。
「どうぞ」
「“今日の色”って言いましたけど、それってつまり、日替わりで“キャラ変”してもいいってこと?」
教室に、くすっとした笑いが生まれる。
だが、優也がきっぱりと答えた。
「はい。日替わりでも、日替わりじゃなくてもいい。大事なのは、“今の自分”をちゃんと見つめることです」
男子生徒は「なんだ、案外ちゃんとしてるな」とうなずいて着席する。
続いて、教師席から質問が飛んだ。
「では逆に聞きたい。点数があるから努力する、という発想は否定されるのか?」
その言葉には重みがあった。
教師という立場の矜持、自分たちの信じてきた指導理念、全てが詰まっていた。
涼平が答えるかと思いきや、黙ったまま丈太郎を見た。
丈太郎は、少しだけ唇をかんでから言った。
「僕も、そう思ってました。点数があるから頑張れるって。でも……それって、逆に点数が下がったら頑張れなくなるってことでもあって……」
言葉に詰まり、ふと視線を下げる。
由衣が小さく、でもはっきりと口を開いた。
「努力って……人に見せるためだけじゃないはずです。見せない努力もあっていいと思う」
その静かな声に、教室が一瞬だけしんとする。
空調の音が、やけに耳に残った。
そして——
「……正直、驚いた。君たち、ここまで考えてたんだな」
教師のひとりが、ふっと笑うように言った。
否定でも賞賛でもない。その言葉には、たしかに一歩、対話が開かれた感触があった。
視聴覚室の隅で、宏美が眉をひそめる。
「拍子抜け……って顔しない。こういう場で一番大事なのは“引っかかり”だから。議論が始まること自体が第一歩」
「知ってるわよ」
小声で返すほのかの目は、スクリーンではなく、生徒たちの反応を追っていた。
質問タイムが終わると、再び涼平が立ち上がる。
「以上で、フリーカラー・フェアの提案は終了です。これから校内にて、各クラス単位での準備・布配布・意味記入のワークショップを行っていく予定です。ご協力、お願いします」
彼が一礼すると、同盟のメンバーも一斉に立ち上がって頭を下げる。
視聴覚室に拍手が広がる。
教師の間でまだ賛否は分かれているが、少なくとも「黙殺」ではなくなった。
生徒たちの中からも、小さな拍手が次々と起こる。
丈太郎は深く息をついて、会場全体を見渡す。
——ここが、出発点。
点数がないと誰にも見てもらえないと思ってた。
でも今日、自分たちで形を作って、自分の声で伝えた。
怖かった。失敗したらどうしようって何度も思った。
でも今、拍手が聞こえてる。……それだけで、もう十分だ。
会場を出ると、最初に口を開いたのは雅也だった。
「ったく……生徒会長、思ったより乗ってきてビビった」
「想定外がない会見なんて、面白くないよ」
泰輝が落ち着いた声で返す。
萌美がスライド用のノートPCを閉じながら言う。
「次は、実働。これが終わりじゃなくて、始まり」
そのとき、後方から生徒が一人走ってきた。手に色布を持っている。
「おい、俺のクラスで配ってもいいか? さっきのグラフ、ウケてたから、やってみたいって」
丈太郎は驚きで言葉が出なかった。
代わりに、優亜がにやっと笑って言った。
「やれやれ、もう先に進んじゃってる子がいるってわけね。こっちが追いつかないと」
笑い声が広がる。
次の行動に、もう言葉はいらない。
ただ、布と色と、自分の想いを持って進めばいい。
——灰色同盟、ここに提案を完了する。
(第28話 了)
午後四時。空席のパイプ椅子が五十脚ほど並ぶ教室に、灰色同盟の十人が順に入ってきた。
「……うわ、ガチの会見感出てる」
雅也がぼそっと言ったのを、宏美が「黙って座って」と肘で小突く。
席の中央、演壇の前には長机。マイクはないが、教卓に固定されたUSBスピーカーとノートパソコンが一台。
優亜が教室の隅に置かれたスクリーンを指差して言った。
「スライド、最終確認済んでる。十枚構成、時間は十五分以内に収める」
「じゃ、いこう。台本どおりで」
丈太郎の一言に、涼平が手元の資料を見直しながら小さく頷いた。
「記者会見って言っても、俺たちが『提案者』って立場だからね。責めるんじゃなくて、導く」
十人はそれぞれの持ち場についた。由衣と萌美が映像操作、優亜と泰輝がパネル展示、涼平と宏美が進行、雅也とほのかが質疑対応、丈太郎と優也が提案者代表。
最前列に座ったのは、教師三人と生徒会執行部の二人。あとは好奇心のある生徒たちがちらほら。
空気は妙に静かだった。
この場には、誰かを否定するムードも、賞賛するムードもなかった。ただ「聞いてみよう」という、素のままの関心だけが残っていた。
「それでは……“無所属による新提案”の説明を開始します」
涼平のはっきりとした声が教室に響く。
スライド1、タイトル。
《フリーカラー・フェア提案書
〜誰もが、自分の色を自分で選ぶ日〜》
後方の生徒が、ひそひそと囁く声が聞こえた。
「これって、点数システムの代案?」
「うわ、マジで本気なんだ……」
涼平は静かに次のスライドへ送る。
「この企画は、“青春偏差値”による画一的評価に対する、実質的な対案です。僕たちは灰色同盟という名のもとに動いていますが、本日の提案は“無所属”という立場で行います」
丈太郎が横から補足する。
「なぜなら、この提案は『対立』じゃない。『解放』だからです。誰も所属や点数で縛られない。そんな前提の上に成り立つ行事、それが〈フリーカラー・フェア〉です」
スライド3。
色と感情の関係を説明するグラフ。赤=情熱、青=冷静、緑=安定、紫=孤独、灰=未定義。校内アンケートを元に、個人が自分の状態を“色”で表した分布。
「この調査から見えてくるのは——自分の“状態”を、点数よりも多彩な感覚で理解してるってことです」
優也が、教卓の脇から口を挟む。
「たとえば“70点”の自己評価と、“今日は青”っていう心の色。どちらがその人を正確に表すか、考えてみてください」
生徒たちがざわついた。
教師の一人が腕を組み、真剣な顔でスライドを見つめる。
「点数は記録される。でも、色は記憶に残る——」
泰輝が掲示板横に展示した「色布サンプル」へ誘導する。
丈太郎は深く一呼吸して、ラストスライドを出す。
《フェア概要:
1. 全生徒が自分の“今日の色”を選び、布を掲げる
2. その色に込めた意味を一文で添える
3. 点数は表示されない
4. 評価はしないが、記録は共有》
沈黙。
しばしの静寂を破ったのは、生徒会長だった。
「……つまりこれは、“評価なき可視化”ってことですか?」
涼平が答える。
「はい。誰かの基準ではなく、自分の意思で“今の自分”を示す。それだけです」
会長は椅子に深く座り直し、ひと息ついた。
「……面白い。でも、“評価がなければ、意味もなくなる”って考える人もいると思いますよ」
萌美がその言葉に反応し、スクリーン操作を止めた。
「評価は否定しません。ただ、“基準が一つだけ”という現状には、疑問があります」
丈太郎が最後に口を開いた。
「僕たちは、全員が違う物差しを持っていいと思ってます。今日この場で、それを一度、試してみたいと思っています」
視聴覚室に、じわじわと拍手が広がる。
教師たちは難しい顔をしているが、生徒の何人かが立ち上がった。
「やってみようぜ」
「うちのクラスでも布、準備するわ」
小さな波が、たしかに始まっていた。
提案説明の時間が終わると、場の空気は一気に変わった。
手を挙げたのは、教師でも生徒会でもない、ごく普通の三年男子だった。
「質問いいっすか?」
丈太郎は一瞬だけ躊躇したが、すぐに頷いた。
「どうぞ」
「“今日の色”って言いましたけど、それってつまり、日替わりで“キャラ変”してもいいってこと?」
教室に、くすっとした笑いが生まれる。
だが、優也がきっぱりと答えた。
「はい。日替わりでも、日替わりじゃなくてもいい。大事なのは、“今の自分”をちゃんと見つめることです」
男子生徒は「なんだ、案外ちゃんとしてるな」とうなずいて着席する。
続いて、教師席から質問が飛んだ。
「では逆に聞きたい。点数があるから努力する、という発想は否定されるのか?」
その言葉には重みがあった。
教師という立場の矜持、自分たちの信じてきた指導理念、全てが詰まっていた。
涼平が答えるかと思いきや、黙ったまま丈太郎を見た。
丈太郎は、少しだけ唇をかんでから言った。
「僕も、そう思ってました。点数があるから頑張れるって。でも……それって、逆に点数が下がったら頑張れなくなるってことでもあって……」
言葉に詰まり、ふと視線を下げる。
由衣が小さく、でもはっきりと口を開いた。
「努力って……人に見せるためだけじゃないはずです。見せない努力もあっていいと思う」
その静かな声に、教室が一瞬だけしんとする。
空調の音が、やけに耳に残った。
そして——
「……正直、驚いた。君たち、ここまで考えてたんだな」
教師のひとりが、ふっと笑うように言った。
否定でも賞賛でもない。その言葉には、たしかに一歩、対話が開かれた感触があった。
視聴覚室の隅で、宏美が眉をひそめる。
「拍子抜け……って顔しない。こういう場で一番大事なのは“引っかかり”だから。議論が始まること自体が第一歩」
「知ってるわよ」
小声で返すほのかの目は、スクリーンではなく、生徒たちの反応を追っていた。
質問タイムが終わると、再び涼平が立ち上がる。
「以上で、フリーカラー・フェアの提案は終了です。これから校内にて、各クラス単位での準備・布配布・意味記入のワークショップを行っていく予定です。ご協力、お願いします」
彼が一礼すると、同盟のメンバーも一斉に立ち上がって頭を下げる。
視聴覚室に拍手が広がる。
教師の間でまだ賛否は分かれているが、少なくとも「黙殺」ではなくなった。
生徒たちの中からも、小さな拍手が次々と起こる。
丈太郎は深く息をついて、会場全体を見渡す。
——ここが、出発点。
点数がないと誰にも見てもらえないと思ってた。
でも今日、自分たちで形を作って、自分の声で伝えた。
怖かった。失敗したらどうしようって何度も思った。
でも今、拍手が聞こえてる。……それだけで、もう十分だ。
会場を出ると、最初に口を開いたのは雅也だった。
「ったく……生徒会長、思ったより乗ってきてビビった」
「想定外がない会見なんて、面白くないよ」
泰輝が落ち着いた声で返す。
萌美がスライド用のノートPCを閉じながら言う。
「次は、実働。これが終わりじゃなくて、始まり」
そのとき、後方から生徒が一人走ってきた。手に色布を持っている。
「おい、俺のクラスで配ってもいいか? さっきのグラフ、ウケてたから、やってみたいって」
丈太郎は驚きで言葉が出なかった。
代わりに、優亜がにやっと笑って言った。
「やれやれ、もう先に進んじゃってる子がいるってわけね。こっちが追いつかないと」
笑い声が広がる。
次の行動に、もう言葉はいらない。
ただ、布と色と、自分の想いを持って進めばいい。
——灰色同盟、ここに提案を完了する。
(第28話 了)



